軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

21話

試合前には敵意を剥き出しにしていた相手がそんなことを考えているとは夢にも思わず、それでもイツキの雰囲気が変わったことだけは察してその豹変をハロルドは訝しむ。

まあ自分が勝ったと知って上機嫌にでもなったのかもしれない、と見当外れな結論を出した。

(というか負けたけど。何が“負ける気はしない”だよ)

しかも子ども相手に反則負けである。普通に負ける以上に情けなかった。

もしやこの高性能な体はフラグ回収能力にも長けているのではないだろうか。

頭を過ったそんな最悪の予想を払拭するように2、3度首を振り、沈みかけた気分を持ち直そうと新鮮な空気を求めて道場の外へ足を向ける。

入ってきた正面玄関ではなく更衣室の横にある道場の裏手へと繋がる通用口を通って青空の下に出た。

汗をかいた体に心地よい風を浴びながら綺麗に敷き詰められた白い石畳の上を裸足のまま進む。

小高い丘の上に門戸を構える道場からの眺めはスメラギの街を一望できた。

崖下に広がるのは古き日本に酷似した町並み。建ち並ぶのは木造建築ばかりで空を遮るような高いビルも無い。そこかしこに自然が溢れて、それらを彩るように桃色の花弁が揺れている。

別段馴染みのある風景ではないが、それでも日本人の郷愁をダイレクトに刺激する眺めなのは間違いなかった。

それがきっかけになったのかもしれない。

この世界に来て約5ヶ月。心が折れ曲がらないように考えないできた故郷を思い出し、不意に涙腺がゆるんで視界が滲む。

まるでそれが決壊の合図だったかのように次々とハロルドの心を感情の波が襲う。

故郷から遠く離れてしまった孤独感、己を待ち受ける未来への恐怖、常に気を張って保ち続けてきた緊張感、それでも尽きない不安要素を抱えて積み重なっていく心労。

いくら好きなゲームとよく似た世界とはいえ楽しむにも限度がある。訳も分からない内に史実通り進めば死ぬのが確定しているキャラクターとして生きなければならない心的不安というのは並大抵のものではない。

様々な感情がうねりを上げてハロルドの内側でのたうち回る。それに耐えきれず目からはついに涙がこぼれ、頬に一筋の跡を作った。

本当ならばその身に起きた理不尽を嘆きながら声を上げて泣き崩れていたかもしれない。

だがそうはならず静かに涙を流すだけに留まったのは原作ハロルドのプライドの高さ故だろう。むしろ死んでも負けを認めないような人格でありながら泣くような事態に陥っただけ、今のハロルドがそれほどまでに追い詰められた状況にあるとも言えた。

「……負けてたまるか」

そうでありながらこんな言葉しか口に出せない。あくまで弱音を良しとせずにここまで意地を貫くのはもういっそ見事だなぁ、と冷静さが残る頭の片隅でハロルドはそんなことを考える。

この鋼鉄のごときメンタルがなければもしかしたらハロルドは既に潰れていたかもしれない。

などと感傷に浸りながらサクラの花弁が舞うスメラギの街を見渡す。そうしている内に徐々に心も落ち着いてきた。

そろそろ道場に戻ろうかと踵を返そうとしたところで声をかけられる。

「ハロルド様」

その声に胸がドキリと高鳴る。無論色恋沙汰がどうこうという理由からではない。

全くもって予期していなかった相手からの接触にテンパったせいである。

錆びたブリキ人形のように振り返った先には紛う事なきエリカの姿があった。

だがハロルドにはエリカが何を思ってここへ来て、何を考えて声をかけてきたのか見当がつかない。自分は彼女に完膚なきまでに嫌われているはずなのだから。

まあ嫌われている、という認識自体が間違っているのだが。なぜ彼女がわざわざハロルドを追ってきたのかと言えば、イツキに「彼は気落ちしていたようだし慰めてきたらどうだい?」と背を押されたからだ。

正直なところエリカにはハロルドが気落ちしているようには見えなかった。イツキと言葉を交わす様は飄々とした印象さえ受けたくらいである。

ところがイツキがハロルドの心情を察したらしい口振りで語るのがなぜか無性に悔しく感じて、気が付けばその足はハロルドの元へと向かっていた。

しかしこれは良く良く考えてみると謝罪するにはうってつけのタイミングでもあった。タスクの意向で誤解が解けていることは伝えられないが、平手打ちを見舞ったことについてはしっかり謝っておくべきだろう。

早速ハロルドに歩み寄ろうとしたその時、エリカは見てしまった。

空を見上げていた両目を右の手のひらで覆い隠し、けれど指の隙間から流れ出てハロルドの頬を伝う一筋の涙を。

ビクリとしてエリカの足が固まる。見てはいけないものを見てしまったのだと瞬時に理解した。

泣いている理由も、涙に込められた意味も、エリカには推し測れない。そんなことができるほどハロルドについて知らないのだから。

ハロルドが涙するという衝撃的でさえある光景を前にして言葉を失ったエリカへ“負けてたまるか”という小さな呟きが届く。

ハロルドは、自分と同い年の少年は、ずっとこうして戦ってきたのだろうか。

いつも強気で不適な笑みがとても様になっている彼は人知れず涙を流しながら、そんな心中などおくびにも出さずに大人達と渡り合ってきたのかもしれない。

ただ強いだけでは足りず、ただ頭が良いだけでは勝ち取れない。逆境をはね除ける不屈の魂がなければ彼のようには振る舞えないだろう。

ああ、父が言っていたことは真実だったのだ、とエリカはこの時に初めて痛感した。

そして自分が思い違いをしていたことにようやく気が付く。ハロルドはどんな苦境にも挫けずに立ち向かい軽々乗り越えていける人間なのだと、その自信が普段の傲慢さとして表れているのだと、そう思っていた。

けれど強さしか持ち合わせていないはずがない。ハロルドも自分と歳の変わらない子どもなのだ。当たり前のように弱い部分だって持っている。

彼は周囲にそんな当然のことを気付かせないほどに徹底して傲岸不遜な虚像を演じているだけだ。弱い姿を晒せる人間が誰もいなかったから、そうせざるを得なかったのだ。

そんなハロルドの境遇に触れたエリカの胸に去来したのは、自ら進んで孤独になろうとするハロルドを独りにしたくない、という彼を案じる想いだった。

(……これがお父様の仰っていた“ハロルド様を真に理解できる人間”になりたいという想いなのかもしれませんね)

だとすれば自分がどうしたいかは明白なものになる。もう迷うことはない。

たとえ今はまだその資格がなくとも、足りないものがあろうとも、いつかきっとその傷付いた背中を支えられる人間になってみせる。

今日はその決意を自分の身に刻み込んだ、始まりの日。そう決めた途端、胸のつかえが取れたような気がした。

だからなんの気負いもなく彼の名を口にできたのだろう。

声をかけられたハロルドがゆっくりと振り向く。とても胡乱げな目をしていた。

確かに彼の心境を考えればそんな目つきになるのも納得できる。だがエリカはもうそんな態度に怯むことはしないと固く誓ったのだ。

「先ほどは素晴らしい立ち合いでした。剣術に疎い私から見てもハロルド様がお強いということが分かりましたよ」

「兄妹揃って傷口に塩を塗りにでもきたのか?」

「滅相もありません。試合に負けて勝負に勝った、といったところでしょうか」

「なるほど、ケンカを売りにきたんだな?」

あの試合はハロルドは反則負けだ。その格言に則るなら試合に負けて勝負にも負けたのである。

眩しい笑顔との合わせ技で煽られているようにしか思えない。

「くす……申し訳ありません。言葉が過ぎました」

どうやらエリカにもその自覚はあったらしい。

しかしそんなことよりもハロルドとしてはこうも自然にエリカが接してくること自体が不可解である。加えて今のやり取りも彼女らしくない。

「ふん、下らない戯れ言を吐きたいならあの使用人とでも遊んでいろ」

「お待ちください」

一刻も早くこの場から立ち去りたいハロルドの行く手をエリカが遮った。

エリカの意図が読めない焦りが苛立ちとなって口調がきつくなる。

「どけ、貴様に付き合う時間はない。あったとしても全て潰す」

「それではハロルド様とまともにお話しができないのですけれど」

「ああ、好都合なことにな」

「残念ですがそういうわけにはいきません。今だけは貴方の時間を私に下さい」

これまでは花のような淑やかさしかなかったエリカの佇まいから、なぜかこの時は大地に太い根を生やした巨木のような揺るぎなさを感じた。簡潔に言うとテコでも動きそうにない。

これが原作キャラのプレッシャーか、と気圧されたハロルドはチッと舌を鳴らし、不機嫌オーラ全開で言葉を投げかける。

「……用があるならさっさと済ませろ」

「ありがとうございます」

そう言うとエリカは腰を折って深々とした礼の姿勢をとる。

「先日は申し訳ありませんでした。頭に血がのぼっていたとはいえ暴言を浴びせかけ、のみならず手を上げてしまったのは誤った行為でした。謝罪させていただきます」

「はっ、わざわざそんなことを言うためにきたのか?ムダなことを」

言葉はすげないが本心として偽りはない。ハロルドは意図してエリカを怒らせたのだし、あの反応は妥当なものだ。

普通なら改めて謝罪などしようとは思わないだろう。そこをこうして謝りにくるのはエリカだからこそだ。

その優しさが彼女の美徳であるのは間違いない。大多数の人間にとっては好ましく映るだろう。事実、プレイヤー時代のハロルドにとってもそうだった。

だが今のハロルドにはその過ぎた優しさは猛毒の牙にしか思えない。ひと度噛み付かれれば致命傷になりかねない忌々しい存在だ。

なんとも自分勝手に優しさを振りかざしている。そう思った時には口が開いていた。

「貴様の謝罪に価値はない。むしろあれだけ威勢よく吠えておきながらその舌の根も乾かない内に謝るなんて本物のバカなのか?大体なぁ、貴様のそういう優しさは善意からくる欺瞞だ。質が悪い上にヘドが出るようなぬるい馴れ合いに過ぎない。それで貴様が道化として踊るのは勝手だが俺の邪魔をするな。俺の視界には入ってくるな。目障りで不快極まりないんだよ」

原作ハロルドの口の悪さに加え、エリカに対して溜まっていた鬱憤が一気に噴出した。毒を吐いて冷静さを取り戻す。

完全に言い過ぎた。しかも少女に八つ当たり。

先ほどとは違う意味で泣きたくなった。

謝罪する姿勢のまま暴言を浴びたエリカは微動だにしない。泣かせてしまったか、それとも怒らせてしまったか。

恐る恐る観察していると、エリカは静かに体を起こす。

彼女が湛えていたのは涙でも怒りでもなかった。かといって打ちのめされて気落ちしていたわけでもない。

そこにあったのはハロルドからの暴言全て受け止めた、まるで絵画に描かれた聖母のような穏やかな表情だった。

エリカは自身の謝罪に対してハロルドがこのような態度を示すだろうとあらかじめ覚悟していた。彼が強さと厳しさ、そして自分とは違う真の優しさを持っている人間だと知ったから。

エリカを罵ったあの言葉に嘘は含まれていないのだろう。自分がハロルドにとってマイナスとなる存在なのは言われるまでもなく承知させられていた。

(私には足りないものが多すぎるのですね。困難な運命に立ち向かう強さも、弱い者を叱咤する優しさも)

最初から履き違えていたのだ。手を差し伸べるだけが優しさではない。

見守り、突き放し、何もしない優しさもある。その人のために、その人が成長できるように。

だがそれを実際に行うためには相手を信じ抜く強さも必要になる。ハロルドを支えることができるのも、きっとそういう人間だ。

だからどんなに苛烈でも未熟さを指摘するハロルドの言葉を受け入れ、それを糧に成長することこそが彼を本当に理解し、支えられる存在となるための第1歩なのだ。

「……ふん」

興味を失ったようにその場を立ち去るハロルド。

道場の中に消えていった彼の小さな背中にエリカは言葉を贈る。

「待っていて下さい、とは言いません。ですが必ず貴方に追いついてみせます。絶対に貴方を独りにはさせませんから」

彼女の呟きはサクラの花びらと共に風へ乗り、青い空へと溶けた。