軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

68.冬のピクニックとモルトル湖

天幕の確認を終え、外に出るとセレーネとフェリーチェはまだ地面に伏せてじゃれあっていた。よほど外出が楽しいらしく、セレーネは満面の笑みを浮かべている。

「フェリーチェ、伏せ」

手のひらをかざしてコマンドを告げると、フェリーチェはさっ、とその場に伏せた。

フェリーチェは猟師であり現在はエンカー村の猟犬や番犬の躾を一手に手掛けているゴドーに一通りの躾は入れてもらっているので、基本的なコマンドにはきちんと従うことができる。

笑っているような表情で黒い瞳をこちらに向けてくる様子は可愛いけれど、真冬だというのにはっはっと荒い息を吐いているということは、すでに一通り走り回った後なのだろう。

「セレーネ、もう、こんなに草を付けて」

「姉様! フェリーチェはとても賢いです。お手もお代わりもできるんですよ!」

まっしろな髪についた草を払っていると、セレーネは興奮した様子で言う。自分の話をしていると分かるのだろう、フェリーチェも体を伏せたまま、よく焼けたパンのような色のお尻をふりふりと振っていた。

「セレーネ、今日のお約束は?」

「あまり走り回ったり、興奮したりしないこと、です!」

もう十分に興奮しているように見えるけれど、体調を悪くしている様子はない。綺麗に草を払った髪を撫でて手を貸し立ち上がらせて、持っていたものを差し出す。

「ちゃんと答えられてえらいわね。じゃあ、これをあげます」

「これはなんですか、姉様」

「遊び方を教えるから、見ていて」

フェリーチェはすでに昂ぶりを隠しきれない様子で、大きな三角の耳を伏せていた。

「フェリーチェ!」

それを空高く投げると、ヒュン、と音を立てて冬の青空に回転しながら飛んでいく。フェリーチェは弾かれたようにそれを追いかけて、地面につく前にジャンプしてキャッチした。

そのまま一直線に戻って来てフリスビーを差し出すフェリーチェに、セレーネもすごいすごいとはしゃいでいる。

「これは、革製のフリスビーよ。今のように投げて、犬と遊ぶ道具なの」

「姉様! 僕もやりたいです!」

フェリーチェから受け取ったフリスビーを渡すと、セレーネは嬉しそうに笑ってそれを投げた。だが生憎、数メートルほどしか飛ばず、フェリーチェもすぐに拾って持ってきてしまう。

「姉様がやったように飛びません……」

「コツがあるの。投げる時に手で回転をかけてみて、何度かやれば、すぐ出来るようになるわ」

「はい!」

フリスビーをフェリーチェから受け取り、セレーネは何度か試行錯誤した後、すぐにある程度まで飛ばせるようになった。子供は遊びの達人というが、その通りである。

「あまり興奮した勢いで体力を使い過ぎると、後から熱が出ることがあるから、適度なところで休憩に連れてきてくれる?」

「はい、メルフィーナ様」

「お任せください」

ローランドとジグムントが礼をするのによろしくねと頼み、マリーが兵士たちを指揮して作ってくれた休憩場所に向かう。

湖が一望できる草原に休憩用にベンチが置かれ、毛皮が敷かれてクッションもたくさん用意されていた。

温かいお茶が飲めるようここにも簡易ストーブを設置してもらっている。屋外なので天幕ほどの暖房効果はないけれど、近くにあればそれなりに暖かい。

「ロイド、少しいいかしら」

「は、ハイッ!」

兵士の制服に身を包んだ、まだ年若い面影を残す青年がぎくしゃくと近づいてくる。兵士たちの訓練に参加してもらっているエンカー村の青年の一人で、ルッツの長男、フリッツの末っ子である。

「モルトル湖について、知っていることを教えてほしいの。魚などは獲れるのかしら?」

「はい、マスやパーチ類が多いです。あと、支流からはサーモンが獲れます」

マスは鮭の仲間で、パーチはスズキの仲間の淡水魚である。どちらも比較的、味のいい魚のはずだ。

「鮭が獲れるのね。市場で売っているのを見たことは無いけれど」

「魚は大体、獲って来たら自宅で食べてしまいます。子供でも釣れますし、とても傷みやすいので、売るというのは、僕も考えたことがありませんでした」

その言葉に、なるほどと頷く。

魚介の流通には低温の管理が不可欠だ。潤沢に氷が使えないこの世界では、同じ村の中でさえ魚を捕まえて販売しようという発想は生まれなかったらしい。

「あの、もしよろしければ、釣った魚をメルフィーナ様に贈らせていただけますか? 村に戻ればすぐ釣竿は用意できますので」

ぎくしゃくと言葉を選びながらそう言ってくれるロイドに、ふっと微笑む。

言葉遣いや礼儀作法も兵舎で教えていると聞いている。付け焼刃でも礼儀正しく振舞おうとしている様子は好ましかった。

「とても嬉しいけれど、今日の昼食はもう用意してあるから、また今度お願いするわね。領主邸でもそれほどたくさん食べられるわけではないから、誰か釣りに行くことがあったら、少し多めに獲って分けてもらえたら嬉しいわ」

「はい! メルフィーナ様に贈れるとなったら、村中の連中が釣りに出かけると思います!」

「湖の魚は無限にいるわけではないから、獲り尽くしてしまわないよう、本当に少しで構わないの。そうね、ロイドか、ロイドの兄弟が釣りに行ったとき、家族で食べる分より余分に釣れたら、その時にお願いできる?」

「はい! 勿論です!」

メルフィーナが曖昧に望むと、それらが想像していたより大量に届くことを何度か繰り返し、さすがに学習した。

ちゃんと指定範囲を決めておけば、大量の魚が領主邸に届くということもないだろう。

――湖の魚は淡泊だけど、上品で美味しいのよね。いいたんぱく源になるし、サーモンなら煮ても焼いても干しても美味しいし。

転生してからこちら、メインといえば肉料理ばかりだったけれど、前世で食べた魚の味を思い出すと急に魚の口になってしまった。

快晴の空を反射したモルトル湖は鏡のように青を映して美しく、思っていたより違和感を覚えることも、嫌な気持ちになることもない。

――やっぱり、来てよかった。

モルトル湖はエンカー地方の大切な資源のひとつである。

それに、こんなにきれいな場所を、自分に相応しくないのだと思い込んで避け続けていたなんて、勿体ないことをしたものだ。

なお、その場にはエンカー村から訓練に参加している若者数人もいた。

彼らが休日、釣りに出掛けたからと多くの魚をロイドに「差し入れ」し、その理由が明らかな釣果を持て余したロイドがたびたび領主邸に魚を届けに来るようになるのは、ほんの数日後からのことだった。

***

ソファに座り、湖を眺めながらマリーに淹れてもらったお茶をのんびり飲んでいると、ほどなくセレーネがフェリーチェを伴ってこちらにやってきた。一通り遊んで満足したのかと思ったけれど、瞳をらんらんと輝かせて、まだ気力は十分な様子である。

「セレーネ、こっちにきて、お茶を飲んでちょうだい」

「はい、姉様。おいでフェリーチェ」

すっかり仲良しの一人と一匹はぴったりと寄り添うようにメルフィーナの座るソファにやってきて、セレーネはクッションに埋まるように腰を下ろす。マリーが淹れたお茶を受け取り、ややぬるくなったそれをくっと飲むと、すぐに輝かせた表情でこちらを見た。

「姉様、すごく楽しいです。笑い過ぎて頬が痛いくらいです」

「よかったわ。少しここで日光浴をしましょう。お日様を浴びるのも体にいいのよ」

「姉様のお隣にいってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

間に置かれたクッションを退けて寄り添ってくるセレーネの肩に、自分が巻いているストールを掛けてあげる。足元をフェリーチェがうろうろしているので、膝に抱くと、どっしりと重い。

夏の終わりに迎えた時は子犬だったフェリーチェも、随分大人になってきた。

毎日愛くるしいしぐさを振りまき、すっかり領主邸のアイドルである。

「楽しいなあ、僕、すごく楽しいです」

お茶を飲んで一息吐くと眠くなったのか、声が少しとろんとしている。その肩をとんとんと叩くと、セレーネの白いまつ毛に縁どられた瞼がとろとろと落ちていく。

「ルクセン王国は、冬はあんまり、太陽が出ないんです。あったかくて、気持ちいいです」

「少し寝るといいわ。昼食の時間には起こすから」

返事が返って来るより先に、すう、すうと小さな寝息が聞こえてくる。どうやら電池が切れてしまったらしい。

セレーネがエンカー地方に来て一か月と少しが過ぎた。まだまだ体が丈夫とは言えないけれど、初対面の時より格段に明るい表情をするようになっている。

「あなたたちも、騎士たちを残して天幕に戻っていて構わないわ」

すでに北部の冬らしく空気は随分冷たいけれど、クッションと毛布に包まれてストーブも近いため寒さはほとんど感じない。頬に当たる風の冷たさと保温された体の温かさがちょうどいいくらいだ。

だが兵士たちは立ちっぱなしで、冷えるだろう。

「移動の時が一番危険というでしょう? 体を冷やしていざというとき動きが鈍くなるより、待機中は暖かくして帰りにしっかり護衛してちょうだい」

「ここは我々が警護する、構わないから天幕に戻っているといい」

セドリックが言うと、兵士たちは互いに顔を見合わせながらも一礼し、天幕に引き揚げていった。

「マリーも天幕に」

「いえ、私はここに控えています」

きっぱりと言い切るマリーに苦笑して、そっとセレーネとは反対側のソファの座面を撫でると、マリーは音もたてずに隣に腰を下ろした。

「ここにいるなら、暖かくしてね。マリーに風邪をひかれてしまっては、とても困るわ」

「冬の間はあまり秘書の仕事もありませんが」

「とても心配で、困ってしまうのよ」

「では、絶対にひきません」

風邪は、ひかないと決めてどうにかなるものでもないとは思うけれど、病は気からということだし、それくらいの心意気の方がいいだろう。

「いい天気ね。日光浴は体にもいいのよ。健康な骨を作ったり、心を元気に保ったり、夜によく眠れるようになるの」

「では、たくさん浴びた方がいいですね」

「私は日焼けをしない体質みたいだけれど、マリーは焼けしすぎないように気を付けて」

この世界でも美白は女性にとって重要なものであり、とくに高貴な女性にとっては日焼けは恥ずべきもののひとつですらある。

なにしろ、色白に見せるために瀉血を行うことも日常なのだ。

「私は、健康的な小麦色の肌も素敵だと思うけれど」

「北部の人間は、日に当たりすぎると真っ赤になって痛みが出たりするので注意は必要ですが、あまり日焼けしないんです」

メラニン色素が少ないということだろう。確かに北部には銀髪や白髪が多く、瞳の色素も薄い。日焼けはしにくいかもしれないけれど、肌を守るバリアの役割も薄いということだ。

やはり日光浴も、ほどほどが一番である。

マリーが話に付き合ってくれたので手持ち無沙汰さは感じなかったけれど、太陽の下でレースを編んだりするのも良かったかもしれない。

毛糸の編み物はともかく、メルフィーナはレースは昔からあまり得意ではなかった。一通りは出来るけれど、何とか不格好にならない程度、というところだ。

北部では冬の手仕事にレース編みも含まれていて、マリーはすごく上手いけれど、さらに上手いのが実はセドリックである。

セレーネが団欒室で過ごすのに参加するまでは、二人で冬服を縫ったりしているところにセドリックが一人だけやることがないと暇だろうと、レース編みをしてみないかと勧めてみたところ、驚くほどのセンスを見せた。

編み目も形も完璧で、十分販売に足る……いや高値が付くようなものを片手間のように作り出す。

巧みなレースは糸の宝石と呼ばれるほど美しく、ドレスや居室の飾りに重宝され、技術の高いものは非常に高値で取引される。少し教えただけで惚れ惚れとするようなレースを編むセドリックに、彼の真面目でやや神経質な性格がこんなところに発揮されるとはと、マリーと二人で驚いたものだった。

「子供の頃からやっていたら、絶対「才能」がついたわよこれは」

「いえ、そうしていたら、今ここにいることは出来ませんでした。私は騎士のほうがいいです」

その繊細な模様を編み出している本人は、本当に手慰みとしか思っていないらしく、さほどこだわりもない様子だった。

「そうね、私もセドリックが騎士の方が嬉しいわ」

――セレーネが団欒室に出入りするようになってからは、立場上同じ席につかなくなってしまったけれど、少しずつ慣れてきたら、また一緒に編めるといいな。

そうしたら、冬から春にかけての服の襟やリボンにつけるレースを編んでもらおう。そんなことを考えながら日の光を浴びていると、頭を凭せかけていたセレーネがごそごそと身じろぎをする。

「姉様……おなかがすきました」

「そうね、そろそろ昼食にしましょうか」

遊んで、休んで、目が覚めたら食欲がある。どれも弱った体ではままならないもので、とても健全であり、セレーネが順調に回復している証拠だ。

「今日は初めての料理も用意したの」

「それはとても、楽しみです!」

そう言って笑った少年に、その場にいた大人たちもつられて頬を緩めるのだった。