軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

450.散策と同じ気持ち

冬の昼下がりは、静かに過ぎて行った。

メェ、メェェと間延びした声を上げながら短い冬の草を食む羊たち。まだ仕事の時間ではないらしく、小屋の傍では小柄な犬が二匹、寄り添うように昼寝をしている。

家の手伝いなのだろう、収穫した豆を籠に盛って時々子供たちがアレクシスとメルフィーナの隣を素通りしていった。エンカー地方では、子供たちに見つかればたちまち取り囲まれるメルフィーナには、それすら新鮮な気持ちにさせられる。

「羊を育てているということは、羊毛も採れるのよね」

「ああ、この村でも多少の加工はするようだが、商人が買い付けて毛糸の材料にしたり、一部はヨウホウまで運ばれて染色され、毛織物として使われるらしい」

「ヨウホウの毛糸は発色が綺麗だし、質もいいわよね。私も編み物にたまに使うわ」

「年に一度開かれる市では、多様な商品が出そろってそれは見事なものだという。絨毯ひとつで金貨三百枚から、大きさによっては千枚を超えるものもあるというが」

「それは、すごいわね」

大鏡ですら金貨八百枚の値が付き破格だと思わせられたものだけれど、技術さえ確立してしまえばある程度の大量生産が可能な鏡と違い、手作業で織る絨毯は数年から十年、それ以上の時間を掛けて作られるものなので、必然、とても高価なものになる。

レースが糸の宝石ならば、職人が膨大な時間と手間をかけ、丹精込めて作った絨毯は糸の紡ぐ物語といえるだろう。その物語は貴族にとってもおいそれと手が出るものではなく、所有するだけで立派な財産であり、きちんと管理して子孫に受け継がせていける資産でもある。

「そんな高価な絨毯の始まりに、あの羊たちがいるなんて、なんだか不思議ね」

メルフィーナの声が聞こえたわけでもないはずだが、羊の一頭が顔を上げ、こちらに向かってメェ、と声を上げた。

「出かけるのが嫌なわけではないなら、時々は外に出るといい。エンカー地方は良い土地で、発展させるのが面白いのは分かるが、治める者には広い視野が必要な時もある。時々は、他所と比べてみるのも大事だろう」

「そうね……意外と私、知らないことだらけなのよね」

この世界に生まれたとはいえ、メルフィーナが知っているのは王都の一部とエンカー地方だけだ。

半日離れただけの土地ですら、エンカー地方とは違う特産があり、風俗がある。

そうしたものに、意外と自分は興味があったらしい。

「色々なことが落ち着いたら、ヨウホウに足を延ばしてみないか? あそこは芸術の街で、あらゆる美しいものが揃う場所でもある。家屋は色とりどりのタイルで彩られていて、君も気に入るだろう」

「素敵ね。ああでも、エルバンにも行きたいわ。あちらの世界では島国で暮らしていたから、時々、海の魚がすごく恋しくって」

「時間はいくらでもある。行きたいところには、全て行けばいい」

「……二人で?」

「ああ、君と私で」

「……ふふ」

――どうしよう、すごく楽しいわ。

アレクシスと手をつなぎ、他愛もない言葉を交わしながら特に見るべきものがない景色の中をゆっくりと歩く。

冬の風は冷たいけれど、それすら気にならなかった。

「そうね。これからは時間が取れるでしょうし、そうしてもいいわね」

去年の始まりの頃から少しずつ行政の整理を行い、メルフィーナが直接口を出さずとも政務が回るように調整し続けてきた甲斐があり、エンカー地方の行政はどうしてもメルフィーナでなければ、という部分は随分軽減されている。

それは領主邸の地下で氷漬けになっていたユリウスを起こすため、王都にマリアに会いにいく準備であったけれど、マリアの方からエンカー地方に来てくれて、つつがなくユリウスの問題が解決した今は、着々と有閑貴族としての準備が整いつつある。

――実際は、そんなにのんびり出来るものでもないのでしょうけれど。

公爵領の砂糖産業が本格的になれば、また大きな社会情勢の波が動くだろう。それに北部の問題を解決し、魔力の高い夫を持っても安心して出産に臨めるようにしたいという目的を果たすためには、長い月日と様々な政治的裁量が必要になってくるはずだ。

エンカー地方だってもっと豊かになって安定させていきたいし、他にもやりたいことがたくさんある。そのひとつひとつを追いかけているうちは、のんびり平穏に暮らすという最終目標に、たどり着くのはなかなか難しいと予想できる。

けれど、いつかを夢想するだけでも、こんなにも楽しい。

「行けたらいいわね。綺麗な景色を見て、美味しいものを食べて、他愛ない話をして」

ずっと、こんな風に。

我ながらやけに声が甘くなってしまって、ちらりとアレクシスを窺うと、彼はふっと口元に笑みを浮かべていた。なんだか見透かされてしまった気がして、歩みを止める。

「……サンドイッチ、食べてしまいましょうか」

アレクシスはメルフィーナとつないでいる手とは反対の手に、先ほど購入した平焼きパンのサンドイッチの載った木皿を持ったままだ。話と雰囲気を変えるにはちょうどいいだろうと、放牧地の柵にもたれかかる。

「どうやって分けようかしら。ナイフなんて持ってきていないし」

「先にもらう」

その返事にえっ、と問い返す暇もなく、アレクシスは皿の上のサンドイッチを取り上げて、大きく口を開き、がぶりとかぶりついた。

普段は粛々と貴族らしく静かに食事をする彼だけれど、意外と口が開くものだ。整った歯並びに思ったより尖った犬歯がちらりと見えて、それが妙に生々しく、思わず視線を逸らしてしまう。

「ふむ、エンカー地方のものよりやや大味だが、肉がいいな。まだ若い雄豚だろう。肉質がしっかりしていて、歯ごたえがある」

かぶりついた半分を渡されて少し面食らい、もそもそと反対側から齧る。塩とリーキをベースにしたソースは確かにシンプルだけれど、豚肉の獣臭を消し去り、肉の旨味をよく引き立てている。

「本当、美味しいわ。野菜はキャベツをボイルしたもののようだけれど、かなり酸っぱいわね。発酵させてあるのかしら」

エンカー地方では平焼きパンのサンドイッチを広めたメルフィーナが最初にそうしたため、今でも生野菜を千切りにしたものが付け合わせになっていることが多いけれど、酸味の強いキャベツと薄切りにした豚肉がよく合っている。

「キャベツの塩漬けだな。数日壺の中で寝かせると、酸味が出る。北部ではよく食べられる形だ」

これは、いわゆるザワークラウトのようなものだろう。エンカー地方では何度か口にしたことはあるけれど、これよりずっと酸味が少なく、味わいもマイルドだった。

「そういえばワインが売られていたけれど、これにも隠し味に白ワインを使っているのかしら。ほんの少し、爽やかな葡萄の風味を感じるわ」

「「鑑定」してみたらどうだ?」

「そうね。……隠し味を「鑑定」で探るなんて、ちょっとお行儀が良くない気もするけれど」

その感覚はアレクシスには分からなかったらしく、不思議そうな顔をされてしまった。

野菜を「鑑定」してみると、どうやらヴェルジュが隠し味に使われているらしい。ヴェルジュは未成熟の葡萄を搾って作る調味料で、冬の冷え込みのため柑橘類が採れない北部では、特に酸味を加えるためによく使われるものだ。

「それに、豚肉の保存に月兎の葉を使っているのね。複雑な香辛料の組み合わせなどではないけれど、色々と美味しくなるように工夫されているみたいだわ」

特にリーキと塩の組み合わせは気に入った。葱塩に酸味は前世でも肉を食べる時には人気がある組み合わせだったし、よく考えられている。

領主邸に戻ったら、この味をベースに何か作ってみようか。基本が分かれば、エドが色々とアレンジも考案してくれるだろう。

「――楽しそうだな」

「ええ、とても楽しいわ。やっぱり、外に出て見てわかることもあるわね」

今更間接キスを恥ずかしがるようなこともないと思っていたけれど、あれこれと考えているうちに、気が付けばすっかり平焼きパンのサンドイッチを食べきっていた。

自然と食べることが出来てよかったなんて考えていると、アレクシスの指で口の端をそっと拭われる。硬く、ざらりとした指の感触が少しくすぐったい。

「ソースが付いていた」

そう言って、ソースの付いた指をぺろりと舐める仕草を、なんとなく見ていられなくてそっと視線を逸らす。

「ありがとう。いやね、はしゃいじゃって。恥ずかしいわ」

そうして、二人そろって会話が途切れる。その沈黙すら、ドキドキする。

居心地の悪さはなかった。ただ妙にむずむずするような、気ぜわしいような、つい周りに誰もいないか、確認してしまいたくなるような気持ちになって。

「あの、アレクシス――」

メェェ……。

自分でも何を言おうとしたのか分からないまま、隣にいる人の名前を呼んだのとほとんど同時に、まるで相槌を打つように、いつの間にか傍まできていた羊が鳴き声を上げた。人間をまったく恐れていないらしく、むしろ世話をする飼い主と間違えているのか、甘えるようにこちらを見つめてくる。

ついアレクシスと視線を向け合って、それから笑い合う。

「ねえ、もう少し歩かない?」

「そうだな」

自然と差し出された手を握り、手をつないで放牧地の柵の周りをゆっくりと歩く。その辺りは羊が草を食んでしまうのだろう、草丈は短くて、歩きやすい。

つないだ手は大きくて、温かくて、ただ並んで歩いているだけで嬉しくなってしまうような、心が弾む思いだった。

――アレクシスも、そうだったらいいな。

つないだ手に少し力を入れると、同じだけ、握り返される。

――きっと、同じ気持ちだわ。

心を取り出して相手に見せることは出来ないけれど、自然とそう思うことが出来た。

それがメルフィーナは、とても嬉しかった。