軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

22.光

「うっふっふー、うっふっふー」

領主邸のキッチン続きの食堂の、テーブルの上に積まれた大量の金貨に、メルフィーナの相好は崩れたまま中々元に戻らなかった。

貴族令嬢としては0点。かつて礼儀礼節が完璧な淑女になってくれたと涙をにじませた家庭教師が見たら、世を儚んでしまいかねない。

「メルフィーナ様、すごく嬉しそうですね」

多くの護衛とともに金貨を運んできたオーギュストもちょっと引いている。分かっていても口角が上がるのが止まらなかった。

「こんなに幸せな気分になるのは、マリーが秘書になるって言ってくれた時以来かもしれないわ」

「それは、割と最近ですよ、メルフィーナ様」

冷静にそう告げるマリーだが、口元には笑みが浮いていた。あまり表情の変わらないマリーにとっては満面の笑みに等しい笑顔だ。

金貨にして三千枚、日本円なら総額六億円の収入である。しかもこれは手付けで、これから更なる増収が見込めるのだ。

これで、メルフィーナの私財から投資した分は完全に黒字になった。相場は落ちるとしても来年、再来年とこれが続くかと思うとそれだけでいい気分になってしまう。

「これが喜ばずにいられるかしら。農民に利益を分配すれば冬支度の資材も買えるし、職人を呼んで村の家を増築できる。家畜も犬も増やすことができて、農具類だって新しくできるのよ」

「あのう、メルフィーナ様は、お金に困っているとかではないですよね」

おそるおそる、というように尋ねるオーギュストに、それは大丈夫ときっぱりと言う。金貨に目がくらむあまりに浮かれた喜びように多少疑っていたのか、マリーとセドリックがあからさまにほっとした顔をした。

「一応私財はまあまああるし、持参金から配当も貰ってるから、ポケットマネーから出そうと思えば出せるわよ。でも、私の私費で領地経営するのは健全な財政とは言えないでしょう。畑を耕し物を売って利益を出して、さらに土地を豊かにしていかなきゃ」

「メルフィーナ様には公爵家からの予算もあるでしょう? かなりの額が割り振られているはずですが」

「さあ、聞いたことないから知らないわね」

えっ、と声を上げたのは背後に立つセドリックだった。向かいのオーギュストはぽかんとしたように口を開いている。

「まあ、私は公爵夫人として公爵邸の管理をしているわけじゃないし、王都で社交をして顔を繋いでいるわけでもないから、それを受け取る権利はないんじゃないかしら?」

「ありますよ! メルフィーナ様が予算を受け取っていないってことは、どこかで止まったまま貯まり続けてるってことでしょう!」

「公爵様からも執事からも何も言われていないし、私も要らない、それでいいじゃない」

ゲームでメルフィーナが贅沢三昧していた経緯から、予算は王都のタウンハウスについているだろうことは想像に難くなかったけれど、どうせアレクシスルートになれば離婚して去ることになる公爵家だ。変に妻としての実績を作ることもない。

受け取るお金は離婚の時の手切れ金だけで十分である。

一方、離婚した場合持参金である鉱山や土地の権利といったものはクロフォード侯爵家に戻ることになる。彼らも結婚できる年になった途端追い出したメルフィーナに、戻ってきてほしいとは思わないだろう。

つまりこの金貨は、離婚後のメルフィーナの先行きを照らすまばゆい光だ。

――そして光は、明るければ明るいほどいい!

「メルフィーナ様って、本当に公爵閣下がお嫌いなんですね」

「おい、オーギュスト!」

「好きになる要素がありませんから。そうだわ、エリ、ちょっと話があるのだけれど」

「はい、メルフィーナ様」

トウモロコシの代金の引き渡しと同時に買い付けした細々とした用具の上げ下ろしを指示していたエリが、軽い足取りで近づいてくる。

この四カ月の間にすこしふっくらとして、顔色も肌の艶もよくなった。

「現在エンカー地方にいる農奴の皆さんは、本当によく働いてくれました。その報酬として、全員を農奴から解放し、自由民に引き上げます」

えっ、とエリだけでなくマリーやオーギュスト、セドリックやラッド、クリフ、エドまでそろって声を上げる。

青々と実るトウモロコシ畑を見た時に、もう決めていた。

農奴たちの献身的な働きがなければ、これほど畑を広げることも、豊作に導くこともできなかっただろう。

利益が出たなら労働した人たちにも分配するべきだ。

「め、メルフィーナ様。それは、もう、私たちは必要ないということですか!?」

「えっ」

「これからも一生懸命働きます! メルフィーナ様のご命令ならどんなお仕事も頑張ります。ですからどうか、私たちを捨てないで下さい!」

「待って! 捨てないわよ、どうしてそうなるの!」

思い切り動揺して声を荒らげてしまったけれど、今にも零れだしそうなほど涙を溜めたエリの瞳に安堵が宿る。

「そうじゃなくて、農奴のままだと、どれだけ開墾しても自分の土地が持てないし、財産を蓄えることも出来ないでしょう? 今年開拓した土地の半分は領主直轄地とするけど、残りは農奴の家族で頭割りにして、それぞれを開拓民として所有することを許します」

農奴は自分の身柄を売り渡した身分で、財産の所有や住居の移動が認められていない。他人の土地を借りて畑を耕す小作人の、さらにその下の身分だ。

あちこちの畑に必要な時呼び出され、僅かな賃金をもらい、それで自分と家族の食料を買うことでほとんど手元には残らない。

金貨三枚で身柄を買い戻せるといっても、そんな貯えをする余裕などあるわけもない。おまけに農奴の子は生まれながらに農奴なのだ。

「勿論、これからも開拓はしていくし、色々と収入になる事業も進めるつもり。皆には自由民として、それに協力してほしいの」

自由民になれば、畑を耕す以外の仕事を選ぶことも出来る。職人や商人の徒弟に入ったり、鉱山で働く技術者になる道だってあるのだ。

彼らにとってこの土地は決して楽しい思い出ばかりではないだろう。寂しいけれど、割り振られた土地をメルフィーナや他の者に売却して、家族でエンカー地方から引っ越しをするのも自由だ。

「奥様、本気ですか?」

そう問いかけたのはセドリックだった。色々な感情がないまぜになった、複雑そうな顔をしている。

「開拓地において農奴は重要な労働力です。彼ら全員を自由民にするなど、前例がありません」

「だったらこれが最初の例になればいいわ」

「そんな、簡単なことではありません」

「セドリックが難しく考えすぎだと思うけれど。騎士だって、褒美が目的で働いているわけでなくても、騎士として立派に働けば褒賞を与えない主にはがっかりするものではなくて? 頑張って働けばその分いいことがある。そういう希望って大事だと思うわよ」

それは、どれだけ完璧な貴族令嬢になろうと努力しても、結局は報われなかったゲームの中のメルフィーナが言わせた言葉なのかもしれない。

努力したら、応えてくれる希望が欲しい。世界の全てがそんな風に優しく出来ているわけではないと思い知っているからこそ、願ってしまう。

「それは……いえ、そうですね」

反論しようとして、言葉を呑み込み、セドリックは胸に手を当てて深く頭を垂れた。

騎士の正式な礼だ。

「奥様のご英断だと思います。私は、その、感服いたしました」

顔を上げたとき、先ほどまで浮かんでいたセドリックの葛藤のようなものは消え去り、ただ明るい表情だけが宿っていた。

「エンカー地方に来たばかりの頃、私は奥様が何を考えているのか分かりませんでした。何も知らない貴族のご令嬢だと侮り、危険な場所にも平気で出かけて無防備に振る舞う様子に、苛立ちすら感じていました」

「まあ、そうでしょうね……」

マリーの転職の話でうやむやになったけれど、セドリックもあの日から、少し変わった。

メルフィーナのすることに口を出さなくなったし、メルフィーナが視界にいる間は簡単な仕事を手伝ってくれることもあった。

彼から、歩み寄りの姿勢を感じていたのは確かだ。

「荒地を焼いた時も、藁を集めて何やら混ぜ込みよく分からぬものを作っていた時も、この方はどうなるのかと不安でたまらなかった。ですがあなたは、この地に遍く幸いをもたらしました。あなたはエンカー地方に住むあらゆる人々にとって、光だった」

セドリックの言い方は大げさだし、誇張もかなり入っている。

これは雑学系ゲームと呼ばれるハートの国のマリアをフルコンプしたからこその知識であり、実際に働いてくれたのはマリーに元人足三人組、農奴の集落のみんなと、新しく作った体制に追従してくれたエンカー村の人々だ。

「公爵領に戻るか、黙って従うか、選べと言われた答えを今お返しします。私はエンカー村と集落の人々とともに、あなたの下で懸命に働きます」

「――ありがとう、セドリック」

「こちらこそ、道を示していただき、感謝いたします。――メルフィーナ様」

晴れやかな日に相応しい、晴れやかな笑みだった。マリーがなぜか手を叩き出し、ラッド、エド、クリフやエリ、他にも荷運びをしていた人たちが釣られるように拍手をはじめる。

「なにか、恥ずかしいわね。まるで祝福されているみたい」

「祝福、いいじゃないですか。みんなで作った作物が売れた祝福、みんなが自由民になった祝福、それから、セドリックさんが落ちた祝福ですよ」

「落ちたとはなんだ、マリー」

「今のセドリックさんの状態のことですよ」

よく分からないとぼやきながら、セドリックは満更でもなさそうな顔で拍手に加わった。こうなるとまるでメルフィーナ一人がお誕生会の主役のようだ。気恥ずかしさに耐えきれず、自分もパン! と手を叩く。

「よし、じゃあ最後の収穫を終えて出荷が終わったら、お祭りをしましょう」

「お祭り、ですか?」

「そう。豊作を記念して、収穫祭をしたいなと考えていたの。みんなで集まって好きな具で平焼きパンのサンドイッチを作って、エールとワインで乾杯して、あとは歌ったり踊ったりするの」

「それは、楽しそうですね!」

「ニドやみんなにも話しておきます!」

気恥ずかしい空気はあっという間に楽しい予定に紛れてくれて、メルフィーナはほっとした。

口から飛び出した思いつきでお祭りになりそうだけれど、きっと楽しい日になるだろうと予感させる。

「お祭り、いいですねえ。俺も参加してもいいですか?」

「オーギュストって公爵様の側近で護衛騎士なのよね? そんなにしょっちゅうエンカー地方に入り浸っていたら、左遷されたって噂されませんか?」

「いざってときに三人分働くので、休暇も三倍もらっていいと俺は思ってます」

「では、三倍の休みを正式に認められたら、参加してもいいですよ」

そんなぁ、と情けない声を出したオーギュストにみんなの笑い声が明るく響き、それから自然と各々の仕事に戻っていった。

「冬になる前に屋敷の拡張と、使用人用の宿舎の建築に入りましょう。あまり手元に現金があっても怖いから、早めに使ってしまいたいし」

「領都の建築ギルドに発注をかけておきます。それから、家具類の買い付けも――」

マリーと冬になる前の計画を練っているうちに、空気はいつもと変わらないものになっていた。

* * *

オーギュストは仕事モードに入ったメルフィーナたちから少し離れ、空を仰ぐ。

金貨三千枚の護衛もそれなりに緊張したけれど、今はもっと、打ちのめされたような気分だった。

メルフィーナの先見の明、下の者への気配りと慈愛、そしてますます領地の発展を目指す野心。

その全てが、騎士として主に剣を捧げる生き方を選んだオーギュストの胸に、痛いくらいに響くのだ。

あの堅物のセドリックすら、メルフィーナの才覚に頭を垂れずにはいられなかった。

その立場が心底羨ましいと、不覚にも思ってしまった。

二人の結婚式の後、まだドレスを脱いでいないメルフィーナの元へ向かったアレクシスの後ろを護衛していたのは、自分だった。

アレクシスが人を愛することも、愛されることも拒んでいると、オーギュストは知っている。嫁いできたばかりの花嫁を相手に酷だとは思ったけれど、主人の意思以外、あの時の自分に尊重するべき物はなかった。

もしもあの日、アレクシスがメルフィーナを拒絶しなければ。

もしもあの日から、メルフィーナがオルドランド公爵家の女主人となってくれていたら。

あり得ることのなかった未来予想図が、騎士の胸に去来する。

「これは、逃がした魚は本当に大きかったかもしれませんよ、公爵様」

オーギュストの漏らした呟きは、秋が近づく涼しい風にふわりと溶けて、誰の耳にも届かぬまま消えていった。