作品タイトル不明
第7話 水神扱いされてるわよ、あなた
榎戸村で井戸の水が湧き出し、村人たちから「生神様」と拝まれた日の翌夜。
俺は、重たい綿布団の中で頭を抱え、文字通り転げ回っていた。
「違う……。俺は水神じゃない。ただの、現代日本の雑学知識とポンコツARマップに振り回されてるだけの一般人だ……!」
闇の中で、誰に言い訳をするわけでもなく、うわ言のように繰り返す。
城内ではすでに、「国松様は神仏の御声を聞かれる」「地面を指さしただけで水が噴き出した」という、尾ひれのつきすぎた凶悪な噂が、制御不能な速度で広まっている。
さらに、村からの帰り際、遠くの祠から聞こえた「ちりん」という鈴の音。
あれが空耳なのか。
それとも、あのSF信仰ノードとやらが本格的に起動した証なのか。
考えれば考えるほど胃が痛くなる。
(やばい、やばい、やばい。このままじゃ俺、ただの「兄上を脅かす将軍候補」から、「兄上を脅かす新興宗教の教祖」にクラスチェンジしてしまう……!)
絶望的な生存フラグの乱立に、布団の中で「うぎゃー」と声にならない悲鳴を上げていると。
ふっ、と部屋の空気がぬるく歪んだ。
隙間風の寒さとは違う。
空間そのものが、異物を受け入れたような感覚。
「やっほー、井戸掘り聖人様」
行灯の火が消えかけた薄暗い部屋の片隅。
豪奢な漆黒のゴシックロリタ服に身を包んだ、人形のように美しい少女――KAMI様が、宙に浮きながら現れた。
彼女は今回、なぜか涼しげなガラスの器に山盛りにされた、鮮やかな青いシロップのかき氷を片手に持ち、シャリシャリと口に運んでいる。
水神ネタに引っかけた、彼女なりの悪趣味なジョークなのだろう。
「……帰れ」
俺は布団から顔だけを出し、氷点下の声で告げた。
「あら、つれないわね。せっかく頑張ってるあんたのために、未来の面白レポートを持ってきてあげたのに」
「聞きたくない。絶対ろくでもない内容だろ。俺の心が完全に折れる前に帰ってくれ」
「聞きなさいな。これは管理者からの通知よ。あんたに拒否権はないわ」
KAMI様は、かき氷を食べる手を止めずに、ふんわりと俺の枕元まで降りてきた。
「先に言っておくけど、これから話すのは『確定した未来』じゃないわよ。今日までのあんたの行動――塩水選、正条植え、水札の導入、そして昨日の井戸掘りと信仰ノードの微弱再起動。それを今後も同じように続けた場合に、かなり高い確率で到達する未来のルートの一つね」
俺は布団から少しだけ身を乗り出した。
「……つまり、まだ行動次第では回避できるってことか?」
「ええ。できるものもあるし、もう無理っぽいものもあるわね」
「……どれが無理なんだよ」
KAMI様は、にっこりと、最高に意地悪な天使の笑みを浮かべた。
「水神扱い」
「終わったぁぁぁぁぁっ!!」
俺は再び布団に潜り込み、頭を抱えてのたうち回った。
「あんた、未来で完全に水神として崇められてるわよ」
布団越しに、KAMI様の楽しそうな声が容赦なく降り注ぐ。
「水神、井戸神、御田の守り神……地域によって呼び名は色々ね。『国松公水徳大明神』とか『国松水分大神』とか、後世に建てられる神社でどんどん名前が盛られていくわ」
「やめろ! 俺、まだ生きてるぞ! 存命中に神格化されるのは歴史的に見てもヤバいやつだろ!」
「生きてる時点で、半分そういう扱いになってるじゃない。乾いた村で地面を指さして水を出したんでしょ? あれ、当時の人間目線からすれば、完全に神仏案件よ」
「俺じゃない! 源七たちが腕一本で掘ったんだ! 俺はただ場所を示しただけだ!」
「でも、その場所を示したのはあんたでしょ」
「ポンコツなARマップが示したんだよ!」
「それを、当時の村人や幕府の役人に説明できる?」
「……できない!」
「じゃあ水神ね」
「判定が雑!!」
俺が抗議の叫びを上げても、KAMI様は涼しい顔でかき氷を咀嚼している。
「ちなみに」
KAMI様は青い唇をペロリと舐めた。
「このまま水路絵図とノードの補助観測を使い続けると、あんたの『水源発見率』は、だいたい七割くらいで落ち着くわね」
「……七割?」
俺は布団から顔を出した。
「そう。百発百中じゃないわよ、そこ大事。あの地下水脈候補の表示はあくまで低精度の推測だし、地質情報も欠けてる。おまけに掘削技術も江戸初期レベルだからね。どうしても掘りきれない盤に当たったり、外れたりすることはあるわ」
「つまり、三割は外すのか」
「ええ。石に当たる、浅い濁り水しか出ない、水質が悪くて飲めない、掘る途中で崩れる……いろいろね」
「怖すぎるだろ……。失敗した時の村人の絶望顔を見るのは、もう二度とごめんだぞ」
「でも、七割は当たるのよ」
KAMI様は、スプーンで器の底の氷をかき混ぜながら言った。
「人間の勘や、怪しげなダウジングなんかじゃ絶対にあり得ない確率よ。人間社会においては、七割も当たるなら、それはもう立派な『奇跡』って呼ばれるわ」
(なるほど……。ちゃんとチートだけど、万能じゃない。失敗のリスクが常に伴うってことか。それはそれで胃が痛いが、百発百中の胡散臭い教祖になるよりは、まだ人間味がある……のか?)
俺が少しだけ納得しかけた時、KAMI様がさらっと爆弾を投下した。
「あと、ついでに温泉も掘り当てるわね」
「……温泉!?」
「そう。地下水脈と地下熱源の重なりね。ノードの表示の読み方に慣れてくると、あんた、近いうちに温泉も見つけるようになるわ」
「待て待て待て! それ、江戸時代だとどうなるんだよ!」
「どうなるって、湯治場が増えるわ。病人、怪我人、年寄り、旅人が集まってくる。寺社仏閣の参詣と結びついて、宿場町が育つ。道が整って、商いが増える」
「それ自体は……良いことでは?」
「ええ、凄く良いことね。ただ、あんたの名声にとっては劇薬よ」
KAMI様は楽しそうに目を細めた。
「『国松様の湯に入れば労咳が軽くなる』とか、『子が授かる』『曲がった腰が治る』とか、後世にものすごい尾ひれがつくわ」
「やめろぉぉぉ! 俺は温泉の効能じゃない!」
「無理ね。温泉と信仰は、古来より相性が良すぎるもの」
(終わった……。もう俺、完全に江戸時代のスーパーヒーロー兼、歩くパワースポットじゃん。兄上の嫉妬を買って切腹させられる未来しか見えない!)
俺が頭を抱えて絶望の淵に沈んでいると、KAMI様が器を空にして、空中に放り投げた。
器はふっと光の粒子になって消える。
「で、兄上との関係だけど」
その言葉に、俺は弾かれたように顔を上げた。
「そこ! そこが一番大事なんだよ! 俺の今の名声、兄上から見て殺意の対象になってないか!?」
「良好よ。かなり良好」
「……え? 本当か? よかった……っ!」
俺は心底安堵して、胸を撫で下ろした。
水神だの温泉だのと言われても、最終的に家康や竹千代が俺を殺さなければ、俺の勝ちなのだ。
「よかったわね。現行のルートだと、竹千代――のちの三代将軍家光は、あんたをかなり特別扱いするわ」
「特別扱い……?」
「ええ。史実の徳川家光って、大名の改易とか参勤交代の厳格化とか、かなり武断政治寄りの、強い将軍として歴史に名を残すのよ。でも、このルートの家光は、弟――つまりあんたまわりに関してだけは、妙に甘くなる。というか……弟を好きすぎるのよ」
「……好きすぎる?」
俺は嫌な予感を覚えながら、オウム返しに尋ねた。
「だってそうじゃない。幼い頃から自分を将軍として立ててくれて、自分から田んぼの泥をかぶり、揉め事の多い水利の面倒を一身に引き受け、しかもその手柄を全部『兄上のおかげです』って自分の名に流してくる弟よ?」
KAMI様は呆れたように肩をすくめた。
「しかも本人は、ものすごい三下ムーブで『全ては兄上のためです!』って言い続ける。そりゃあ、将軍様も拗らせるわ」
「拗らせるな! 兄弟仲が良いのは結構だが、重いのは困る!」
「無理ね。兄上から見れば、あんたは『絶対に自分を裏切らない、有能で便利で可愛い弟』だもの」
「俺はただ、殺されたくないから必死にゴマをすって生き残ろうとしてるだけなんだが!」
「動機がどうあれ、結果として行動が好感度を稼ぎすぎてるのよ」
KAMI様は、わざとらしくため息をついてみせた。
「最後の方なんか、竹千代が死ぬ時、『国松と同じ墓に入れてくれ』って言い出すわよ」
「わーお……」
俺は完全に表情筋が死んだ。
「拗らせすぎでは? というか、俺は三下ムーブしつつ、外では水神様なんだろ? 兄上視点だと、俺ってどう見えてるんだよ」
「忠臣で、最愛の弟で、幼少期からの唯一の理解者で、農政と水利の最強の相棒で……しかも民草からは水神として崇められてる存在ね」
「重い!! 属性が盛りすぎだ! 胃もたれするわ!」
「ええ、重いわよ。将軍個人の情緒に乗せる荷物としては、明らかにオーバーフローね」
俺は頭を抱えながら、ふと疑問に思ったことを口にした。
「で……俺、結局同じ墓になるのか?」
「ならないわ」
「ならないんかい!」
「だってあんた、水神様扱いで、徳川の菩提寺とは全く別のところで祀られるもの」
「最悪だ!!」
俺の絶叫に、KAMI様はケラケラと笑った。
「神社とか祠とか、後世の水利関係者や農民が勝手に祀るわね。井戸の神、水路の神、温泉の神、田の神……いろんなものがごちゃ混ぜになった、超・土着信仰の神様になるわ」
「俺、徳川家の人間として、ちゃんと普通の墓に入りたいんだけど!」
「じゃあ、あんたの霊を分霊すれば?」
「生きてる人間に分霊の話をするな!!」
*
ひとしきりツッコミを入れた後、俺は疲労困憊で布団の上に仰向けになった。
「……じゃあ、真面目な話。今の俺のムーブは、止めた方がいいのか?」
KAMI様は空中に浮かんだまま、少しだけ真面目な顔をして考え込んだ。
そして、あっさりと答えた。
「うーん。別に良いんじゃない?」
「……軽いな」
「だって、今のところ、悪い方向より良い方向への影響の方が圧倒的に大きいもの」
彼女は指を折りながら数え上げた。
「米は増える。水争いは減る。井戸は増えて村が救われる。竹千代との関係は改善してあんたの生存率は上がる。寺社ノードも再起動する。問題は、あんたの名声が危険な形で増え続けることくらいね」
「それが一番困るんだよ! 暗殺フラグが立つだろうが!」
「でも、その名声を上手に兄上に流すムーブも、少しずつできてるじゃない」
KAMI様は俺の目を真っ直ぐに見下ろした。
「だから、今の方針は間違ってないわ。ただし、火消しの仕方はもっと考えなさい」
「火消し……」
「そう。『国松様が奇跡を起こした』じゃなくて、『竹千代様の御世を支えるため、国松様が現場の者と一緒に試行錯誤した』という形に寄せ続けるのよ。職人、百姓、半兵衛、そして兄上の名を、必ず全ての記録と噂に混ぜ込みなさい。あんた単独の奇跡にしちゃうと、後で面倒くさい勢力に目をつけられるわ」
「……やっぱり、今までの火消し方針で合ってたのか」
「ええ。合ってるわ。まあ、完全には消えないけどね」
「そこを完全に消してくれよ!」
「知らんがな。自業自得よ」
*
「ちなみに」
KAMI様が再び楽しそうな声を出した。
「後世の歴史書や史料だと、あんたのこの初期の改革は、こんな風に呼ばれるわ」
「聞きたくない」
「『国松御田法』」
「やめろ」
「『国松水札』」
「やめろってば」
「『国松井戸』」
「地名や固有名詞に俺の名前を残すな!!」
俺の悲痛な叫びをBGMに、KAMI様はさらに言葉を重ねた。
「あと、昨日の榎戸村の井戸は、後世の人間から『国松の初井戸』って呼ばれるようになるわね」
「……初井戸ってことは、これからまだまだ増えるのか」
「増えるわよ。だって七割当たるんだから」
「最悪だ……! 俺の平穏な老後が遠ざかっていく……!」
「最高でしょ。江戸時代のインフラ改革の祖として歴史に名が残るのよ? 男のロマンじゃない」
(ロマンで飯が食えるか! 俺はただ、目立たず平穏に、兄上の後ろに隠れて生きたいだけなんだ!)
しかし、一人の現代人――いや、かつて歴史シミュレーションゲームを愛好していたオタクの感覚で言えば、ここまでの泥臭い地味な積み上げが、未来で確固たる「歴史の固有名詞」になるというのは、確かに抗いがたい快感ではあった。
「あと、竹千代の統治傾向も、あんたのせいで少しズレてるわ」
「兄上が?」
「ええ。あんたが関わる案件……農政、水利、土木、寺社まわりね。その辺りに関しては、いきなり力で押さえつける前に、まず帳面を出させ、記録と理を確認する癖がつくわ」
「……それ自体は、良いことでは?」
「良いことね。でも、全部が全部そうなるわけじゃないわよ」
KAMI様は、少しだけ釘を刺すように言った。
「幕府の根幹に関わること。大名統制、武家秩序、キリシタン対策……その辺りは、史実通り普通に強権的よ。家光は家光。あんたが少し手伝ったくらいで、芯までふわふわの善人に変わったわけじゃないわ」
「それでいい」
俺は即座に頷いた。
「兄上が弱くなったら、かえって徳川が乱れて俺が死ぬ。俺が欲しいのは優しい兄上じゃない。強くて、かつ俺を殺さない兄上だ」
「……言い方!」
「事実だろ」
俺たちの間に、奇妙な同意の沈黙が流れた。
兄上を聖君化しすぎず、俺の影響がある部分だけが少し変化する。
この歴史のifのバランスは、俺にとっても悪くないものだった。
*
「ただし、勘違いしないことね、国松」
KAMI様が、空中に浮かんだまま、ふと真面目な声色になった。
「米と水を整えるのは、確かに善行に見える。実際、多くの人間が救われるわ。でもね……米が増えるということは、人も増えるということよ」
「……人が増える」
「そう。人が増えれば、土地が足りなくなる。水路が広がれば、利権の争いも増える。豊かになれば、人間は必ず別の欲を掻き立てられるものよ」
彼女の言葉は、冷たい事実として俺の胸に突き刺さった。
「結局……俺がどれだけ足掻いても、問題はなくならないのか」
「なくならないわ。形が変わるだけ。でも、それでいいのよ。人間社会って、そういうものだから」
「……じゃあ、俺はどうすればいい」
「今やってることを続けなさい」
KAMI様は、ふんわりと微笑んだ。
「小さく試す。記録する。失敗を隠さない。兄上の名で広げる。現場の手柄を奪わない。……その泥臭い方針は、今のところ、悪くないわ」
「……KAMI様に真面目に褒められると、逆に不安になるんだが」
「褒めてないわ。ただの観測結果を言ってるだけよ」
KAMI様は、ドレスの裾を翻し、ふっと空中に溶けるように消えかかった。
「待て!」
俺は慌てて身を起こした。
「最後に一つだけ。……俺が、これ以上水神扱いされるのを回避する方法は?」
半分透明になったKAMI様は、呆れたように肩をすくめた。
「水を見つけないことね」
「無理じゃん! 困ってる村があって、ARマップに青い点が出たら、絶対気になって見に行っちゃうじゃん!」
「じゃあ無理ね」
「雑!!」
「じゃあね、井戸掘り水神様。次も面白くやらかしなさいな」
「やらかさない!」
「もうやらかしてるわよ」
コロコロと笑う声を残して、KAMI様は完全に虚空へと消え去った。
再び静寂に包まれた部屋。
俺は、重たい布団の中にバタリと倒れ込んだ。
「……水神、井戸神、国松御田法……」
呟くたびに、未来の自分の重すぎる称号がのしかかってくる。
「俺はただ……兄上の邪魔にならない、便利な弟になりたかっただけなのに……」
その時、開け放った障子の向こう、遠くの榎戸村の方角から、またしても「ちりん」と小さな鈴の音が響いたような気がした。
俺は布団を頭まで深くかぶり、耳を塞いだ。
「聞こえない。俺には何も聞こえない。俺はただの、六歳の若君だ……」