軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話 水神様、道祖神に道を聞いてしまう

慶長十七年、旧暦十一月中旬。

水守り・道行き複合ノードを解放し、俺が「巡行補助:初段」という念願の歩行バフを手に入れてから、数日ばかりが過ぎた。

初冬の江戸城は、しんとした冷気に包まれている。

庭の水鉢には薄く氷が張り、廊下を吹き抜ける風も、すっかり冬の匂いを帯びていた。

田んぼはすでに農閑期に入り、米の騒動もひと段落している。

「……すごい。階段が全然苦にならない」

俺は城内の廊下を歩きながら、自分の身体の軽さにひっそりと感動していた。

「足が全然重くならないし、冷たい板張りを歩いても体温が奪われる感じが少ない。巡行補助バフ、地味だけどめちゃくちゃ効いてるな……!」

知識や権威ではなく、俺自身の身体能力が、七つの子供の限界の範囲内で直接底上げされた。

その事実が、俺のテンションを妙に高くしていた。

少し弾むような足取りで歩く俺の後ろから、小栗半兵衛がシャシャッと筆の音をさせる。

「若君、朝の歩行量増加。息切れ少なし。御足の運び、誠に軽やかにあらせられる。……と」

「半兵衛、だから俺の健康観察みたいな記録をつけるな!」

「巡回計画を立てる上で、若君の御体力の把握は必須のデータにございます」

「……正論で殴るのが上手くなったな、お前」

そんなやり取りをしていると、小姓が小走りでやってきた。

「国松様。竹千代様より、お召しにございます」

「国松。ずいぶんと足取りが軽いようだな」

部屋に入るなり、竹千代兄上は、俺の調子の良さを一発で見抜いて釘を刺してきた。

「歩けるようになったからといって、調子に乗って遠くへ行くなよ」

「……まだ何も言っておりませぬが」

「お前が何かを言う前に、止めているのだ」

竹千代は、机の上に広げられた江戸近郊の絵図面をトントンと指で叩いた。

「次なる巡回先だが、前回の祠で見つかった追加候補のうち、最も江戸から近い、道祖神と地蔵が祀られている祠を見る。江戸から日帰りだ」

「承知いたしました」

俺が素直に頷くと、竹千代はさらに声のトーンを一段下げた。

「よいか、国松。今回は『道』と『境』に関わる場所だ。道は、時に水よりも激しい争いを呼ぶことがある。村と村の境、通行税、宿場、橋、渡し場……」

竹千代の目が、俺を鋭く射抜く。

「ゆめゆめ、軽い言葉で触れるな。……ましてや、港へ続く道や、外の国に関わるような話題を見つけても、決して口にするなよ」

「兄上、私が口を滑らせる未来の先読みが鋭すぎます」

「お前の口の軽さを、誰よりも知っているからだ」

「否定できませぬ」

今回は、江戸から少し歩いた古道の分岐点が目的地だ。

初冬の冷たい風が吹き付ける中、俺は最初から駕籠に乗らず、自らの足で歩き始めた。

「若君様、お身体が冷えまする。どうか駕籠へ……」

護衛の武士たちが心配そうに声をかけてくるが、俺は笑顔で首を振った。

「大丈夫だ。前よりもずっと楽だぞ」

実際に、霜柱でボコボコに浮き上がった泥道や、小さな坂道を歩いても、あまり息が上がらない。

ぬかるみに足を取られそうになっても、自然と体幹がバランスを取り戻してくれる。

(いやー、これ最高だな! 一生歩いていられるんじゃないか?)

俺が浮かれていると、懐の端末が「ブルッ」と短く震えた。

『巡行補助:初段』

『過信非推奨』

『七歳児身体限界あり。連続歩行時は適切な休息を』

「……端末、いちいち親みたいに釘を刺すな!」

すかさず、画面にKAMI様からのポップアップが重なる。

『KAMI:だから言ったでしょ。あんたは『妙に疲れにくい七つの子供』になっただけで、超人になったわけじゃないのよ。無理すれば普通に筋肉痛になるわよ』

「分かってるって!」

俺が一人で虚空に向かってブツブツ言っているのを、少し離れて歩いていた天海僧正が、深い慈愛の目で見つめていた。

(自らの御身に宿った神仏の加護の限界を、無意識のうちに確かめておられる。……まこと、恐るべき神童よ)

「天海様、違います。ただのバフの持続時間確認です」

「ばふ、とは御加護の持続時間でございますな」

「だから翻訳するなと」

目的地に到着した。

そこは、少し寂れた古道の分岐点だった。

古びた道祖神の石像と、小さな地蔵、半ば土に埋まった道標石が並んでいる。脇には枯れかけた水場があり、さらに奥には、村と村の境界を示す古い石杭が倒れていた。

立派な祠というよりは、道端の「信仰と生活の集積地」といった風情である。

端末がブルッと震え、表示を出す。

『未解放信仰ノードを検出』

『種別:道祖神・地蔵連携小ノード』

『状態:休眠/道標情報欠損/村境記録断絶/水場連携低下』

『推奨:道標掘り起こし・石像再配置・水場清掃・境界石確認』

「またメンテ項目が多い……」

俺がため息をつくと、天海が静かに歩み寄ってきた。

「道と、境を守る神仏の場にございますな」

「はい。道と境界の管理ログが破損しています」

「同じことでございましょう」

「……違うと言い切れないのが、すごく嫌です」

あらかじめ呼んでおいた、近くの村の古老が、恐れ多そうに進み出た。

「……昔は、この古道を多くの旅人が通り、あの水場で喉を潤したものでございます。ここは二つの村の境でもあり、過去に何度か水や土地のことで揉めたこともございました」

古老は、半ば埋もれた地蔵を見つめた。

「あのお地蔵様は、道で倒れた者や、迷子になった子供をお守りくださると伝えられております。ですが……近年は道が荒れ、新しい道ができたせいで旅人も減り、若い者もあまり手を合わせなくなりまして……」

俺は、端末の『休眠状態』の表示を見ながら納得した。

「道が荒れる。水場が弱る。旅人が減る。信仰が薄れてノードが休眠する。そして、さらに道が荒れる。……完全に負のループに入ってるな」

「水と同じく、道もまた、人の手で整えねば荒れ果てるものにございます」

天海の言葉に、俺は深く頷いた。

「……ですね。またメンテ対象が増えました」

俺は護衛と半兵衛、そして村人たちに修繕の指示を出した。

「道祖神の石像を真っ直ぐに立て直せ。地蔵の周りの枯れ草を払い、半ば埋まった道標石を掘り起こすんだ。水場までの小道を綺麗に払い、水鉢の泥を取れ。それから、奥にある村境の石杭を確認しろ」

村人たちが驚きながらも作業に取り掛かる。

「おお……水神様が、道祖神様と地蔵様までお起こしになられる……」

「起こすというか、ただの掃除と修繕です!」

俺の火消しを無視して、半兵衛がシャシャッと筆を走らせる。

「『水神様、掃除と修繕により神仏をお目覚めになられる』……と」

「半兵衛! 記録の言い方をいちいち神話っぽくするな!」

作業が進む中、半ば土に埋もれていた道標石と村境の石杭が完全に掘り起こされた。

そこには、風化して薄れているが、かつての二つの村の明確な「境界」を示す文字が刻まれていた。

それを見た瞬間、手伝いに来ていた二つの村の者たちの空気が、一気に険悪になった。

「おい……! この石の文字が本来の境なら、お前たちの村が今使っているあの畑は、うちの村の土地じゃねえか!」

「何を言う! 祖父の代から、ずっとこっちの村が耕して税を納めておるわ!」

(やばい! 兄上の言った通りだ! 道と境は、水以上にダイレクトな争いを呼ぶ!)

俺は、即座に両者の間に割って入った。

「待て! 今、ここで境を決めるな!」

七つの子供らしからぬ強い声に、村人たちの口論がピタリと止まった。

「これは、あくまで古い石の確認であって、土地の裁定ではない! この石が正しいかどうかも、過去にいかなる取り決めがあったかも、今は分からん。ゆえに、必ず代官と村役を通して、公の記録を確認してから判断を下す! 勝手に動いた者は、公儀への反逆とみなすぞ!」

俺が一気に言い切ると、村人たちは青ざめてその場に平伏した。

天海が、後ろで感心したように目を細める。

「……見えたものを、不用意に『神託』となさらず、公の法へ委ねられた。実によい抑えにございますな」

「兄上に、死ぬほど叩き込まれましたからね!」

(危なかった……! ここで適当に『じゃあ石の通りで』なんて裁定を下したら、それこそ水神の神託による土地強奪事件になるところだった!)

修繕が全て終わった。

俺は、綺麗になった地蔵と道祖神の前に立ち、静かに手を合わせた。

(道も、水場も、村の境も、できるだけ丁寧に扱います。……だから、今残っている『道と境の情報』を、少しだけ返してください。よろしくお願いします)

端末が、小気味よい振動を返してきた。

『道標再配置完了』

『水場清掃完了』

『境界石確認(裁定保留中)』

『地域信仰接続:微弱回復』

『管理者候補認証:部分一致』

『道祖神・地蔵連携小ノード: 再起動(オンライン) 』

その瞬間、俺の視界の中で、何かがパッと弾けるような感覚があった。

周囲の景色は何も変わらない。

だが、俺の脳内に直接展開されるマップに、凄まじい量の新しい線――『道』の情報が一気に書き込まれていったのだ。

『古道レイヤー解放:初段』

『村境界情報補正:暫定』

『道迷い警告機能:小』

『旅人事故多発地点表示:二件』

『水場・道連携表示』

『橋梁劣化候補:一件』

『渡し場混雑リスク:一件』

「うわああああっ! 道の情報、めちゃくちゃ増えた!!」

俺は思わず歓声を上げた。

視界のマップ上で、村から村へと続く細い道、水場の位置、迷いやすい分岐点、古い道標、橋、そして村の境界線が、薄く光る線として表示されている。

「これ、完全に交通インフラの管理画面じゃん! 水だけじゃなくて、道までメンテの対象になったのかよ!」

「日ノ本の道が……若君様の御前に開かれていく……」

天海が、どこか恐ろしいものを見るような目で俺の背中を見つめている。

「やめてください天海様! ただのマップレイヤーの追加機能です!」

だが、喜びも束の間。

解放された道レイヤーのさらに奥、ずっと先の暗闇の果てに、ひどく不穏な表示が薄っすらと浮かび上がっているのに気がついた。

『遠方経路連携:微弱』

『港湾方向情報:未補正』

『外海経路ノード:未接続』

『異国航路情報:権限不足』

『推奨:港湾ノード・船運ノード情報取得』

(……港湾。外海。異国航路……)

俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

(これ……完全に、慶長遣欧使節とか、ローマ教皇ルートに繋がるやつだ。陸の道を辿っていけば、いずれ必ず港に出る。そして港は外海に繋がっている……)

「若君。……何か、見えられましたか?」

半兵衛が、帳面を構えて問いかけてきた。

俺は、視界の奥で点滅する『外海』の文字から無理やり目を引き剥がし、首を横に振った。

「いや……道が増えた。今は、それだけだ」

「それだけでございますか?」

「ああ。それだけだ」

天海は、俺が何かを飲み込んだことに即座に気がついたようだった。

「……お口を、固く閉ざされましたな」

「兄上に、殺されたくないので」

「実に、よいご判断にございます」

天海は、それ以上何も聞いてはこなかった。

俺は村人たちに、いくつかの現実的な指示を出した。

「道標の石は絶対に動かさず、周囲の草だけを定期的に刈れ。境界の争いは必ず代官の裁定を待て。水場は月に一度泥をさらい、もし旅人のために水を置くなら、飲み水と手洗い用の水を明確に分けろ。……道祖神や地蔵には、無理に高価な供物などしなくていい。雨で崩れやすい道には竹札を立て、迷いやすい分岐には目印の枝を置け」

俺は、村人たちを見回して言った。

「大事なのは、毎日少しずつ整えることだ。一度だけ派手に祭りをしても、道はすぐにまた荒れる。日々の細かな手入れこそが、最も強い守りになる」

「おお……水神様が、道祖神様のお世話の仕方までお教えくださる……」

「水神じゃないけど、まあ、そんな感じで世話はしてくれ!」

帰り道。

解放されたばかりの道レイヤーの機能が、さっそく火を吹いた。

護衛の武士が、普段なら通りそうな近道の林へ入ろうとした瞬間。

俺の視界のマップで、その道が真っ赤に点滅したのだ。

『道迷い警告:小』

『古道崩落候補』

『迂回推奨』

「待て! そっちの道はやめた方がいい!」

俺が咄嗟に止めると、護衛の武士は不思議そうな顔をした。

「若君様? こちらは近道にございますが」

「そこは、先日の雨で道の一部が崩れているかもしれん。少し遠回りでも、本道をゆけ」

半信半疑の護衛が一人、確認のために少し先まで様子を見に行った。

そして、青ざめた顔で戻ってきた。

「わ、若君様の仰る通り……! 斜面が大きく崩れ、道が完全に落ちておりました! あのまま進めば、大怪我を負う者がおりましたやもしれませぬ!」

天海と半兵衛、そして護衛たちが、一斉に俺に向かって深く頭を下げた。

「道祖神の御加護が、早くも若君様を……」

「違う!! ただの警告機能だ!」

(くそっ! 俺の意図しないところで、どんどん神秘性が強化されていく!)

江戸城に帰還した後、竹千代兄上の部屋で密談が行われた。

俺は、天海や半兵衛には言えなかった「港と外海」の表示について、兄上にだけ正直に打ち明けた。

「……港湾。外海。そして異国か」

竹千代は、難しい顔で腕を組んだ。

「はい。たぶん、これから先、港や船の祠ノードを拾っていけば、もっと外の情報が出ると思います」

「……国松。お前は、その外海の先に、何を見ている」

俺は迷った。

ローマ教皇。

伊達政宗。

慶長遣欧使節。

スペインやポルトガルの宣教師たち。

今、それを全て口に出すのは、あまりにも危険すぎる。

「……今はただ、港へ続く『道』がある、とだけ」

「よろしい。今はそれで止めよ」

竹千代は、鋭い目で俺を制した。

「道が見えたからといって、すぐに歩き出そうとするな。……外の海は、田んぼの泥よりも、遥かに危うく、深いぞ」

「……兄上。なんかすごく、名言っぽいです」

「茶化すな」

その頃。

天海は、家康の御前にて、本日の巡回報告を行っていた。

「国松様は、水と、道と、境を整え始めました。……道祖神と地蔵の加護により、道迷いや崩落の危険まで、完全に見通されたようにございます」

「ほう。見えたものを、すぐ神託にせなんだか」

「はい。竹千代様の躾が、実によく効いております。村境の裁定も、公儀の法へと委ねられました」

家康は、満足そうに笑った。

「あの二人は、真に良い組み合わせになってきたな」

だが、天海の次の言葉で、家康の笑みは消えた。

「ただ……大御所様。若君様の開かれた道の先に……『外の海』の気配が、わずかに感じられました」

「……外海、か」

家康の目が、暗闇の中で獲物を狙う猛禽のように鋭く細められた。

夜。

自室の布団の中で、俺は端末を開いた。

『古道レイヤー:初段』

『村境界情報:暫定』

『道迷い警告:小』

『港湾方向情報:未補正』

『外海経路ノード:未接続』

KAMI様から、ポップアップが飛んできた。

『KAMI:水神様、今度は『道』まで見始めたわね』

「水場と道は、古来からセットだからな。仕方ない」

『KAMI:道は村へ続く。村は港へ続く。港は海へ続く。……そして海は、異国へと続くのよ』

「やめろ。まだ、そこまでは行かない」

『KAMI:でも、見えちゃったんでしょ?』

俺は黙った。

「……見えた。でも、今は歩かない」

『KAMI:あら。少しは学習したじゃない』

「兄上に、めちゃくちゃ怒られたくないからな」

俺は、端末の画面を閉じた。

見えてしまったからといって、すぐに進んでいいわけではない。

それを、俺はようやく少しだけ学び始めていた。

「……今は、近場の道からだ」