軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 私の人生を、ここから

それから、少しだけ季節が進んだ。

レイヴン公爵邸の庭に、白い花が咲き始めた頃。

私はこの屋敷で、少しずつ自分の役目を見つけていた。

慈善会へ送る手紙を整え、孤児院への寄付品を選ぶ。

侍女たちと古い布をほどき、新しい刺繍の図案を考える。

誰かのためにではなく。

私が、そうしたいと思えたから。

朝の光が差す庭先で、白い花に水をやっていると、背後から静かな足音が近づいてきた。

「アリシア」

振り返ると、カイル様が立っていた。

「聞いてほしいことがある」

いつもより少しだけ硬い声。

その手には、小さな黒い箱があった。

胸が、高鳴る。

その箱の意味を考えた瞬間、頬が熱くなった。

「君を守りたいという言葉だけでは、もう足りない」

いつもと同じように静かで。

けれど、その奥に隠しきれない熱がある声だった。

「私は、君と共に生きたい」

カイル様が箱を開ける。

中には、黒い宝石を中央に据えた指輪があった。

その周りに、小さな銀の花が咲いている。

「アリシア・ベルフォード」

黒い瞳が、まっすぐ私を見る。

「私の妻になってほしい」

飾らない言葉。

けれど、誰よりも真剣な声。

涙で視界が滲む。

答えはもう決まっていた。

「……はい」

私はまっすぐカイル様を見た。

「あなたの妻にしてください」

カイル様の指が、ほんのわずかに震えた気がした。

彼は何も言わず、私の手を取る。

指輪が、薬指に通される。

冷たい金属。

けれどすぐに、肌の温度に馴染んでいく。

カイル様は、その指輪にそっと口づけた。

祈るように。

誓うように。

「ありがとう」

それ以上の言葉はなかった。

でも、それで十分だった。

春の王都。

結婚式が行われる聖堂へ向かう馬車の中で、私は膝の上の手を見つめていた。

白い手袋を片方だけ外すと、薬指の指輪が朝の光を受けてきらめいた。

何度見ても、胸が温かくなる。

私は今日、カイル様の妻になる。

やがて馬車は、白い花で飾られた聖堂の前に止まった。

扉の前には、花のアーチが立っている。

私は小さく息を吸った。

花嫁。

私が、その言葉を纏う日が来るなんて。

馬車の扉が開き、カイル様が先に降りる。

「行こう」

私はその手を取った。

かつて私を悪女と呼んだ人々が、遠くから見ている。

謝罪も、称賛も、もういらない。

私は、私を見てくれる人だけを見ればいい。

カイル様の隣に立つ。

白い花びらが、風に舞った。

神官の声。

鐘の音。

春の匂い。

すべてが、柔らかく溶けていく。

「アリシア」

カイル様が、私の名を呼ぶ。

その声だけで、心が満たされていく。

「はい」

私は顔を上げた。

カイル様は私の手を握った。

強く。

けれど痛くない。

「私は君を、妻として迎える」

飾り気のない誓い。

それでも、胸の奥が熱くなる。

「君の意思を尊び、君の歩みを妨げず、君が望む時には隣に立つ」

彼らしい言葉だった。

真面目で。

不器用で。

まっすぐな言葉。

私はその手を握り返した。

「私は、あなたの隣に立ちます」

「守られるだけではなく、共に歩くために」

神官が祝福を告げる。

鐘の音が、聖堂いっぱいに響いた。

カイル様が私のヴェールを上げた。

指先が頬に触れる。

ほんの少し冷たい手。

でも、優しい。

「綺麗だ」

私にだけ届く声。

頬に熱が集まる。

「……ありがとうございます」

カイル様は、ほんのわずかに目を伏せた。

それから、ゆっくりと私へ顔を近づける。

祝福の鐘が、もう一度高く響いた。

式が終わり、馬車へ戻る。

扉が閉まると、外のざわめきが柔らかく遠ざかった。

馬車はゆっくりと聖堂を離れ、春の王都を進んでいく。

その途中で、窓の外に広場が見えた。

かつて、処刑台が組まれた場所。

今日は露店の布屋根が並び、花売りの娘が白い花を抱えて歩いている。

私は、そっと窓の外を見つめた。

胸の奥が、静かに震える。

悲しみではない。

喜びだけでもない。

あの日の私を、そっと抱きしめたくなるような感覚。

隣で、カイル様が静かに私の手を取る。

「あの日」

「処刑台で、私は君を裁けなかった」

私はゆっくり頷く。

忘れるはずがない。

刃ではなく、縄を断ち切った音。

私を終わらせなかった声。

「最初は、ただ真実を見極めたかった」

カイル様の瞳が、静かに私を映す。

「だが今は違う」

彼は私の手を、少しだけ強く握った。

「君を守るためだけではなく、君と生きるために、ここにいる」

涙が滲む。

私は笑って頷いた。

「では私も、約束します」

彼の目が、静かに揺れる。

「カイル様がひとりで傷を抱えようとしたら、私がそばにいます」

短い沈黙。

それから、カイル様がほんの少しだけ笑った。

誰にも見せないような、小さな笑み。

「……ありがとう」

その声が優しくて、私は彼の肩に、そっと頭を預けた。

「帰ろう、アリシア」

耳元で、カイル様が囁く。

私は目を閉じ、微笑んだ。

「はい」

春の光の中、馬車は静かに駆けていく。

処刑台で終わるはずだった私の人生は、

黒衣の公爵に救われたあの日から、少しずつ動き出した。

そして今、私は彼の隣で未来を選ぶ。

誰かのために自分を殺すのではなく。

誰かの言葉に縛られるのでもなく。

私の意思で。

私の人生を、ここから。