作品タイトル不明
第五話 王妃の茶会
王宮からの招待状には、私の名前だけが書かれていた。
エルダー侯爵令嬢ローズマリー様。
封蝋は王宮の正式なもので、王妃陛下の私的茶会へのご招待。
家族の同行を求める一文も、エスコート役の名を添える欄もなかった。
「お前一人のお招きだ」
父が、書斎の机で書面を開きながら静かにおっしゃった。
「これは、王妃陛下のご直々のご意向だ。代理を立てる類の招待ではない」
私はその意味を、書面を二度読み直してから受け取った。
王妃陛下の茶会は、年に数回しか開かれない。
お招きにあがるご令嬢の名は、毎回必ず社交界で話題になる。
これまでの私は、公爵令息の婚約者として、ベルナール家の一行に加わる形でお呼びいただいてきた。
私の名だけでお招きを賜るのは、今日が初めてのことだった。
「謹んで、伺います」
私はそう申し上げた。
父は短く頷き、すぐに使者を立てて、参上のお返事を王宮へお届けくださった。
王宮の控えの間に通されたとき、案内の女官が深く礼をしてくださった。
「ローズマリー様、お待ち申し上げておりました」
その呼ばれ方は、私の名のままだった。
家名でも、ご婚約者様でもなく、ローズマリー、と。
王妃のお側付きの方々は、お招きのお客の名を、お客本人が望まれる形でお呼びになると、以前にどこかで聞いたことがある。
私の名は、王妃のご名簿の上で、ローズマリーと書かれているらしかった。
「ご丁寧に、ありがとう存じます」
私は短く申し上げた。
控えの間の奥から、もう一人、お方が現れた。
「お越しいただき、ありがとう存じます」
サン=クレール伯爵様だった。
本日は王妃陛下の私的茶会の差配を所管されていらっしゃるご様子で、上着の徽章はいつもと同じ位置にあった。
「サン=クレール伯爵閣下」
私はそうお呼びして、深く礼をした。
「茶会の前に、ひとつだけお伝えしてもよろしいですか」
伯爵様は声を落とされた。
人目を避ける挨拶ではない。茶会の前の業務上のご説明という体だった。
「本日の茶会の途中で、王妃陛下から、あなた様にお話があるかと存じます。ご質問の体を取られると思いますが、お答えくださる必要はございません。ただ、お聞きいただければ充分です」
伯爵様はそれだけおっしゃった。
質問の体、という言葉が、私には不思議に響いた。
王妃陛下のご質問に、答えなくてよいというのは、どういう場面なのだろう。
「承知いたしました」
私はそうお答えしただけだった。
伯爵様は短く頷き、控えの間の奥の戸を開けてくださった。
王妃陛下のお茶会の間は、思っていたよりも、ずっとこぢんまりとした部屋だった。
円卓は六脚分。
席のうち、王妃陛下の席を除いた五脚に、私と、四人の貴婦人が着座することになる。
顔ぶれは、宰相夫人、北方の辺境伯夫人、ロワール侯爵未亡人、そして名の知られた歌人の伯爵未亡人。
ロワール侯爵未亡人と、目が合った。
あの劇場の向かいのボックスでお見かけして以来だ。
夫人は、扇の陰でほんのわずかに目元を緩められた。
それは、迎え入れるしるしの目礼だった。
「お席は、こちらでございます」
女官が示してくださったのは、王妃陛下の席のすぐ隣の席だった。
私は息を呑むのを、ぎりぎりのところで抑えた。
ベルナール公爵家の婚約者という名目では、決して座らせていただけない席だ。
私の名だけのお招きでなければ、案内の女官がこの席を私に示すことは、絶対になかったはずだった。
「謹んで、お席を頂戴いたします」
私はそう申し上げて、腰を下ろした。
ロワール侯爵未亡人が、向かいの席で、ほんの少しだけ椅子をお引きになった。
それは迎えの動作だった。
王妃陛下が、お入りになった。
円卓の席が立ち、深く礼をする。
陛下は穏やかにお席にお着きになり、私たちにも着席をお勧めくださった。
「久しぶりの顔ぶれですね」
陛下のお声は、思っていたよりもずっと柔らかかった。
「今日は、お茶を楽しみに参りました」
陛下が短くおっしゃると、女官が銀の茶器を運んでくる。
細い銀の縁に、控え目な蔦の彫りがほどこされた茶器だった。
その茶器を、私は見覚えていた。
二年前の春の茶会で、王宮の茶器の選定に困った折に、私が控えの間で選ばせていただいたものだ。
あの時の差配は、ベルナール公爵家の名で出ていた。
あの時の茶器が、今、王妃陛下のお手元にある。
私は、しばらく茶器に目を落としていた。
陛下が、ふっとお声を掛けてこられた。
「ローズマリー」
呼ばれて、私は顔を上げた。
「あなたのお仕事を、私はずっと拝見していましたよ」
陛下はそうおっしゃった。
ご質問ではなかった。
「春の茶会の差配のうえで、北方の招待客の挨拶の順番を、家ごとに整えていたのは、あなただと聞いています。茶器を選んだのも、あなただと聞いています」
陛下は茶器に指を添えながら、続けてくださった。
「お礼を申し上げる機会を、長く逃しておりました。今日、ようやく、お礼を申し上げます」
円卓のご婦人方は、誰も声を上げなかった。
ただ、空気が、ゆっくりと別の方向へ傾いた気がした。
私は、何かを申し上げようとした。
言葉が、ふつうに出てこなかった。
伯爵様が事前におっしゃっていた、お答えくださる必要はございません、という言葉の意味が、ようやく分かった。
私は、深く礼をした。
それだけが、本日、私にできる最も丁寧なお返事だった。
茶会の途中、扉の向こうで、足音がした。
「失礼いたします、母上」
入って来られたのは、第二王子レイモンド殿下だった。
父上である国王陛下と、王太子殿下のご名代として、本日は王宮のご公務の合間にお立ち寄りになったご様子だった。
「兄上の代わりに、母上の茶会に立ち寄りました」
殿下は穏やかな笑みを浮かべておられた。
円卓のご婦人方に深く一礼なさり、それから、私のほうへ視線をお向けになった。
「エルダー侯爵令嬢、お久しぶりに存じます」
私は立ち上がり、深く礼をした。
「殿下にはご機嫌うるわしく、ありがとう存じます」
殿下は短く頷かれ、王妃陛下のお側に進まれた。
母上に何かをひとことだけお伝えになり、それから円卓に向き直って、もう一度、私のほうへ一礼なさった。
私はその礼を、座らずにお返しした。
殿下のお姿が部屋を出ていかれた後、ロワール侯爵未亡人が、扇のうしろで小さく微笑まれた。
その微笑には、特別な意味があった気がした。
茶会のあと、私は控えの間でサン=クレール伯爵様とお目にかかった。
「王妃陛下のお茶会の差配を、これからの一年、お引き受けいただけますでしょうか」
伯爵様が短く申し出てくださった。
「王妃陛下のお側でお話しいただける方を、長くお探しでいらっしゃいました」
私は、しばらく考えてから、お返事を申し上げた。
「謹んで、お引き受け申し上げます」
伯爵様は、深く礼をなさった。
それから、私のために、控えの間の扉まで、ご自身で歩いてお見送りくださった。
宮殿の廊下を歩きながら、私はふと、自分の足の運びに気づいた。
私はいつもより、わずかに広い歩幅で歩いていた。
公爵邸の控えの間でも、観劇のボックスでも、ベルナール家のサロンでも、私は自分の歩幅を縮めて歩いていたのだと、その時はじめて分かった。
誰かの隣に控える歩幅、誰かの邪魔にならない歩幅。
そういう歩き方を、いつのまにか身につけていた。
廊下の窓から、薄い春の光が差している。
私はその光のなかを、自分の歩幅で歩いた。