作品タイトル不明
第百七十一話 紅の森
ディランさんはメダリオンを渡すだけでなく、まだ俺たちに伝えることがあるようだった。
「もう通達があったと思うけど、これから君たちは七日間、特例によって五番区に滞在することが許可される。本来君たちは六番区まで行く資格を持っているが、五番区に来たのはあくまでも要請によるもので、特殊なことと考えてほしい。スタンピード鎮圧における最功労者に対して、非礼なことを言っているのは理解している。だが、規則は規則だ」
七日間――一週間。その日数で、ルウリィを助けなくてはならない。
「俺たちには、5つ星の迷宮に入る許可が必要なんです。ルイーザさんにも相談しましたが、ディラン司令官、貴方にその許可を出す権限があるなら……」
ディランさんは首を振る。規則は規則――それが、ギルドセイバーの立場ということだ。
「君たちはスタンピード鎮圧で、特別貢献度を得ることになる。その値と、五番区で上げた貢献度の数値を加算すれば、数日で許可を出せるだろう。五番区の『名前つき』を倒すという条件は、もう達成しているからね」
「数日……」
一日でも早いほうがいい。体勢が整い次第、すぐにでも――それなら。
俺たちのことを認めてくれているディラン司令官に、ここで許可を出してもらうことができたら。
「――アリヒト」
袖を引かれ、振り返る。エリーティアが、首を振る――俺を諌めるように。
「君たちには実力がある。パーティとしての類稀な力だ……それを育て、いくらでも先に進むことができる。やがて正式に五番区を通って、さらに先へ行く。他のどのパーティよりも速い歩みで」
「……はい」
「アトベ殿、クーゼルカ殿とホスロウ殿たちも数日滞在するとのことです。その間に何か用件があったら、いつでも連絡してほしいとおっしゃっていました」
「分かりました。伝えてくれて、ありがとうございます」
ディラン司令官とナユタさんが歩き去る。エリーティアは俺の袖を離すと、笑ってみせる――それは、空元気ではないように見えた。
「アリヒトの気持ちは凄く嬉しい……でも、急ぎすぎてもいけない。私は『猿侯』を見たことがあるから分かるの。無理をしたら、また誰かが……だから……」
「…………」
テレジアがエリーティアに近づく――心配ないというように。しかし、エリーティアは首を振った。
「みんなが無事じゃなかったら意味がない……だから。六番区から順番に、強くなってここに来られるのなら……」
「いや……俺たちは五番区でも戦うことができた。『デスストーカー』を倒せたのなら、五番区の迷宮で全く通用しないってことはないはずだ。三つ星で潜れる迷宮もあるかもしれない。そこでレベルを上げるって方法もある」
「五番区での貢献度が必要だから、私もその方がいいと思うわ。もう一歩のところなのに、この七日間を他の区で使ってしまったら、きっと後悔するから」
五十嵐さんの言葉を受けて、エリーティアはやはり逡巡していたが――やがて、静かに頷く。
彼女は葛藤し続けている。誰よりもルウリィを助けたいという思いと、仲間を傷つけたくないという思い――しかしそれはエリーティアだけが抱いているものじゃない。
「この五番区で経験を積むこともできるはずだ。俺たちのレベルは、今五番区にいる中では最も低いくらいだろう……1レベル上げるだけなら、きっと六番区よりこの区で戦う方が早くなる」
「……分かったわ。私も、五番区でレベルを上げるために適した迷宮について情報を集めてみる」
エリーティアはそう言って、宿舎の方向ではなく、一通りのある賑やかな通りに歩いていこうとする。
「エリーティア、今はしっかり休んだ方がいい。さっきの戦いで、君も怪我を……」
呼び止めようとするとエリーティアは振り返るが、足を止めることはない。ついていこうとする仲間を制して、彼女は言う――笑顔で。
「まだ宿舎に戻っても、気分が昂ぶってすぐに休めそうにないから。怪我のことは心配しないで……遅くならないうちに戻るわ」
期間が限られている以上は、情報収集に当てられる時間も限られる。エリーティアの判断を尊重するべきと思うが、やはり彼女の様子を見ていると気がかりではある。
「……エリーティアさんは、五番区にいた経験があるんですよね。この区のことは、私よりも詳しいかもです」
「そう……ですね。俺たちは宿舎に戻って、帰りを待ちましょう」
エリーティアの姿は、もう路地の角を曲がって見えなくなっている。
少しでも早く――その気持ちは俺にも分かる。だが、だからこそ冷静にならなくてはならない。それをエリーティアも分かっていると、今は信じるしかなかった。
◆◇◆
初めて五番区に来たときに、私は『白夜旅団』の第三パーティの一員として、『神秘の湖畔』という迷宮に入った。
その迷宮は、五番区で一番易しいというわけじゃない。でも、レベル7だった私でも戦いに参加することができて、レベル8に上がった。
そのときは、ルウリィが一緒にいた。怪我をした私の傷を、治癒の技能で癒してくれた。
――エリー、ごめんね。こんな怪我させちゃって、私の回復が遅かったから……。
――そんなことないわ。私も少しでも頑張って、頼ってもらえる剣士にならなきゃ。
――私は今でもエリーを頼ってるよ。初めて会った時からずっとそうだもん。
ルウリィは『ヒールウィンド』という技能を使って、私の傷を治してくれた。風が優しく身体を包み込んで、傷を癒してくれる――ルウリィの技能は、魔法みたいだった。
転生者の中には、魔法を使いたくてそういう職業を選びたがる人が多い。けれど適性があるのはごく一部で、回復のできる職業も魔法のようなことができる『治癒師』になれる人はとても少ないそうだった。
けれど、兄は――団長は、ルウリィの技能で自分の傷を治そうとはしなかった。
兄がなぜそうしたのかは分からない。『治癒師』という職業は旅団にとって有用だと言っていたけれど、ルウリィの力を借りられる場所でも、ポーションを使って回復したりすることがあった。
兄が変わってしまってから、私は彼が何を考えているのかが分からない。転生する前から、そんなに親しかったわけじゃない――でも、今みたいに、他人の考えを全く聞き入れないような人ではなかった。
――エリーティアは『剣士』か。バランスを考えると、後衛職についてもらえると嬉しかったんだけどね。
最初から兆候はあったのかもしれない。兄は迷宮攻略のために、周囲の全てを思い通りにしようとするようになっていった――リーダーだった父が負傷して兄が団長になってからは、それまでは兄を諌めることのあった父も、意見をすることが減っていった。
私はみんなについていくだけでやっとだった。レベルはいつもパーティの平均より低くて、足を引っ張っていた――その状況を変えるためにと、兄が渡してくれたのが『緋の帝剣』だった。
――これを使えれば、レベルに関係なく貢献できるかもしれない。使えなかったとしても、もう一度くらいはチャンスをあげよう。
――出来が悪い妹でも、多少は役に立ってくれると助かるな。
「……っ」
私をパーティに置くことに、兄が価値を感じていないことは分かっていた。
『緋の帝剣』を装備することができたとき、兄は少年のように目を輝かせて喜んだ。私は、居場所を作るために兄に媚びた自分を恥ずかしいと思った――それでも。
旅団にいられること。ルウリィと離れずにいられることを、嬉しいと思った。
(……私もシロネと同じ。あの子のことを、責める資格なんてない)
私は運が良かっただけ。『緋の帝剣』に振り回されて、それが危険な力だと分かっていながら――何度も使って、頼り切っていた。
スズナがいなかったら、私は仲間の誰かを傷つけていたかもしれない。
スズナがいてくれて、私を止めてくれて――みんなでこの五番区に来られたことが、本当に奇跡以外の何物でもなくて。
失いたくない。一人も傷ついてほしくない。
でも、ルウリィを助けようとすることは、仲間に痛みを強いる。分かっていたのに、五番区の魔物と戦っているうちに、今さらに怖くなった。
このパーティなら、ずっと先に行ける。ギルドセイバーでも手出しをしないような迷宮を避けるのは、他の人たちも当たり前にしていること。
私の願いが、みんなの夢を途絶えさせてしまうかもしれない。
――テレジアを人間に戻したい。それがアリヒトの一番望んでいることで、私はそれを絶対に叶えてあげたい。
5つ星の迷宮に、私だけなら入ることができる。そのことを、私はアリヒトたちに言わなかった。
『旅団』にいた頃に、資格を得ていたから。パーティを組んでいない個人としての私は、規則違反でカルマを上げずに迷宮に潜ることができる。
(……ルウリィを探す。でも……もし、ルウリィが、もう……)
必ず彼女は生きている。そう皆も信じてくれた――私だって、信じたい。
けれど迷宮は、私たちにとって優しいことなんてない。
だから、みんなより前に、私が向き合わなくてはいけない。あのときルウリィを助けられなかった私が、一人で。
皆の顔が頭に浮かぶ。心配させてしまっていると分かっていて、私はいつまでも子供っぽさが抜けなくて、みんなに心配させないように振る舞うこともできない。
「……すぐに戻るから。だから、少しだけ……」
その迷宮の入り口に向かう道が、ひどく懐かしく思えて、足が震えた。
日が沈んでも、辺りには街灯の明かりが煌々と灯っている。ギルドセイバーが近づくことを推奨せず、それが探索者の間に浸透していて、人の姿はほとんどない。
赤い金属の丸い柱。その間を潜って石の階段を降りれば――そこが『炎天の紅楼』。
炎のように揺らめく街灯の明かりの中で、私は立ち尽くす。自分の心臓だけが存在していて、痛いほどに鼓動を打つ。
「――全く、悪どいことを考えるもんだ」
近くから男性の話し声が聞こえてきて、私は我に返る。二人の探索者が『炎天の紅楼』のことを話している。
「魔物に従属させられた探索者は、一定期間が経つと魔物に認定される。そりゃ、ギルドの規定ではそうなってるかもしれないがよ……」
――それは、一番考えたくない可能性の一つだった。
探索者が亜人になって、もし人を襲うことがあれば、討伐の対象になる。それは、魔物とみなされるということ。
けれどもう一つ、ギルドでは規則として定められている。
探索者が魔物に従わされて、他の探索者に敵対する場合――ライセンスは、魔物に味方した探索者もまた魔物だと判別する。
「あっちは容赦なく殺しにかかってくるんだから、それはしょうがねえだろう。だが、操られた探索者を狙って、その装備を手に入れようなんざ……」
「それも人目につかない夜のうちに、だなんてな。やってることが夜盗か何かと変わらねえ……」
「今の話……それは本当のことなの? この迷宮に、そんなことを言っていた人たちが入っていったの……?」
「っ……な、なんだ、いつから聞いてたんだ?」
私がすぐ後ろにいたことに気づかず、男性二人が驚く――でもそんなことに構っていられず、私は話していたうちの一人に詰め寄る。
「その操られた探索者の中に『治癒師』はいたの? お願い、答えて!」
「い、いや……情報がそれほど出回ってるわけじゃねえが、『猿侯』が探索者を従属させてるってのは、この区の連中ならほとんど知ってるだろう」
「っ……お、おい。この剣、まさか『白夜旅団』の……」
「あ、ああ……そうか。あの『白夜旅団』でも完全攻略を諦めて撤退したって話だったな。その時に誰か捕まったってのなら、もう魔物扱いされてやられてるかも……」
「……そんなこと……絶対にさせない……っ!」
私は走り出す――赤い柱の間を走り抜ける前に、後ろから男の人たちの呼び止める声がしたけれど、構っていられなかった。
転移する感覚のあと、私の目の前に広がったのは、燃えるような赤い葉をつけた木々――この森を抜けた先、二階層には『猿侯』の築いた砦がある。
この迷宮の特徴は、『猿侯』の眷属以外の魔物がいないこと。『スタンピード』を起こすことがないから、ギルドセイバーは危険な迷宮と見なさない。
資格があれば探索することは自由で、何が起きてもパーティの自己責任になる。
高レベルのパーティなら、この迷宮を攻略できてもおかしくない――それでも『猿侯』は長く生き延びている。その収穫を目当てに、危険を承知で狙われるはずの『名前つき』なのに。
それは『猿侯』の従えている戦力に、従属させた探索者――人間が含まれているから。
(私のレベルで『レッドアイ』を発動すれば、きっと『猿侯』の動きにもついていける。仲間たちが狙われたら……『ザ・カラミティ』のときと同じように、また傷ついてしまうかもしれない。でも、私だけなら……)
ルウリィの姿を見つける。そして、迷宮から連れ出す――それさえできれば。
操られているとしても、きっと解放する方法はある。ここまで来てしまったなら、私は必ずルウリィを連れて帰る。
(ルウリィが他の探索者に見つかったら、命を狙われる……『治癒師』のルウリィは、重要な回復役だから、後衛装備でも貴重なものを身に着けてた。他の人に上手く使えなくても、市場では高い価値がある)
「……っ!」
◆現在の状況◆
・『エリーティア』が『ソニックレイド』を発動
もう、後悔したくない。目の前で大切な人を失うことは。
見捨ててしまったルウリィを、もう一度見捨てることは――絶対に、できない。