軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

35 立ち向かう決意

レイヴィスの帰宅直後から、屋敷内が何だかバタバタしている。

どこか慌ただしく、使用人たちが普段より少し早足で廊下を行き交い、囁き声が漏れ聞こえる。

手伝えることはないかと聞いてみたが、部屋にいてほしいと言われて図書室の本を何冊か借りて部屋で過ごした。

そのざわめきは夜になっても――そして翌朝になっても消えていなかった。

表面上は静かなものだが、屋敷中に緊張感が漂っていた。

(レイヴィス様……何をされているのかしら……)

考えても答えは見つからない。本を読み進めようにも、内容が頭に入ってこない。

ただ、植物図鑑だけは落ち着いて眺めることができたので、ゆっくりと読みながら時間を過ごした。

――そうして昼下がりに、執事が部屋に訪れる。

「奥様、旦那様が庭でお待ちです。少しお時間をいただけますでしょうか」

「庭? ええ、わかったわ」

どうして庭なのかと思いつつも、急いで部屋を出る。

執事の案内についていくと、本当に庭でレイヴィスが待っていた。手に花瓶を持って。

(花瓶……?)

その表情にはほんの少しの険しさと、何かを考えこんでいるような雰囲気が滲んでいた。

「リリアーナ、呼び出してすまない。これを持ち上げてみてくれないか?」

言って、花瓶を足元に置く。

「は、はい……」

レイヴィスの意図がさっぱりわからなかったが、言われた通りにしゃがみ、両手で花瓶を持つ。

「う……」

花瓶が思った以上に大きい。しかも中にはたっぷりと水が入っている。

慎重に力を入れてみたが、ずっしりと重くて、わずかに浮かせるのが精いっぱいだった。

とても持ち上げることができない。

「……ご、ごめんなさい。無理です……」

非力すぎて恥ずかしい。

リリアーナが諦めるまで、レイヴィスはその様子をずっと観察するように見つめていた。

そして、頷く。

「ありがとう。参考になった」

「……なんだったんですか?」

戸惑い気味に尋ねると、レイヴィスはわずかに微笑んだ。

「ちょっとした実験だ」

部屋に戻ったリリアーナは、がっくりと肩を落とした。

(あまりにも力がなくてびっくりしたわ……少しはトレーニングをしないと……)

反省しつつ、また本を読む。夕陽が落ち、夕食を部屋で食べ、また本を読む。屋敷内の慌ただしさは、いつの間にか収まっているようだった。

(それにしても、あの花瓶……)

ふと昼間の実験とやらを思い出して、顔を上げる。

花瓶と言えば、エリナにぶつけられそうになった時のことを思い出す。

なんだか懐かしい。

(色んなことがあったわね……『物語』を思い出して、初夜から逃げ出して……花瓶が飛んできたり、虫がスープに入っていたり……あれ以来、ちゃんと対策されるようになってそんなことはなくなったけれど……)

虫入りスープの配膳の場にもエリナがいた。

(王妃殿下のお茶会直前に、ドレスが汚されていたこともあったわね……あれで、刺繍の楽しさを思い出せたけれど……)

――エリナなら、ドレスが保管されていたリリアーナの部屋に入れる。調理場などから灰を運んできて振りかけたのではないだろうか。

彼女ならそれができる――そう考えた瞬間、リリアーナは自己嫌悪した。

(……私は、何を考えているの……?)

人を疑いたくはない。

だが、庭を散歩中に上から落ちてきた植木鉢も、ワックスだらけだった階段も、彼女には不可能ではない気がする。

そして、夜会での体調不良――あれはエリナの持ってきてくれたグラスに口を付けてすぐのことだった。そういえば味もレイヴィスから渡されたものとは違っていた。

――レイヴィスは一緒に呑んでくれたが、エリナが口を付けている様子はなかった。

そして、休憩室にリリアーナを連れていってくれたのもエリナだ。

「…………」

――部屋にやってきたあの男は、人を使って誘ってきたと言っていたような気がする。

リリアーナが身体を穢されて、得をするのは誰だろう?

そう思い至った時、心に暗いものがのしかかる。

身体が、小さく震えだす。

まさか。そんな。

(エリナがそんなことをするわけ……)

いくら嫌っていても、主を売るような真似をするだろうか――?

しかし、疑念が一つだけならともかく、これだけ重なると疑わざるをえない。

(――でも、理由がない)

エリナがリリアーナに危害を加える理由が。

エリナはこの家のメイドで、リリアーナはエルスディーン家の所有物――次代を生むために買われた女だ。

それを意図的に傷つけようとするなんて、主家に対する裏切りだ。

それがわかっていてなお、リリアーナに危害を加えようとしたのなら、リリアーナ個人に対する恨みからとしか思えない。

(レイヴィス様のことが好きだから……?)

リリアーナを排除してその場に収まろうとしたのか。

だがあまりにもリスクが高い。

そんなことをしなくとも、レイヴィスの愛人にはなれる。レイヴィスが気に入ればすぐにでも。むしろリリアーナの信頼を得て、愛人に推薦されるのを狙う方がいいように思える。

(……私が呼び出して指導したから?)

仕事への態度を改めるように指導した直後から、リリアーナに降りかかる災難の殺意が増した。植木鉢事件も、階段ワックス事件も、一歩間違えれば死んでいた。

指導されたのを恨みに思って、そこまでしてきたのだろうか。

(それともその前の、レイヴィス様にすげなくされたこと……?)

リリアーナが死ねば、あるいは穢されれば。

レイヴィスの関心が自分に向くのではないかとでも思ったのだろうか――?

「…………」

いままでは考えるのを意図的に避けてきた。

トラブルが起きても、自分が波風を立てなければ穏便に終わると。

憎しみは収まることがないが、怒りというのは一瞬の激しさだ。だから、やり過ごすのが一番利口だと――実家で学習していた。

だが、これはもう、放置できない。

放置して、これ以上の何かあった時――それこそリリアーナが死んだ時に、不幸な事故だったですまされてしまえば――

(死んでも死にきれない!)

リリアーナは本を閉じ、机の上にゆっくりと置く。

「……レイヴィス様に、ご相談を……? いえ、それとも先に私から話を……?」

――エリナは謹慎中だと言う。

話を聞くためには、レイヴィスにも――あるいは他の誰かに同席してもらった方がいいだろう。

そうして立ち上がったその時――

部屋の扉がノックされ、執事が扉の外から声をかけてくる。

「――奥様。旦那様がお呼びです」