軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

117 結婚式前夜

おうちを内見させてくれたドネリーご夫妻は、普段着のヘンリーさんを見て驚いた。

「貴族の方がここに? 使用人の部屋は、ひと部屋しかないのですが」

「使用人はたぶん置かないので、問題ありません」

私がそう答えると、ご夫妻は「そうですか」と戸惑っていたものの、笑顔で家を案内してくれた。引っ越しを控えて家具はだいぶ減っているようだけど、壁紙とカーテンは全部残っている。どれもとてもセンスがいい。一階に応接室、居間、食事室、台所と浴室、トイレ。二階は主寝室の他に部屋が三つ。

「この家で子供を三人育てました。思い入れのある家ですが、私たちには広すぎるんです。今度引っ越す家は平屋です」

しみじみと語る奥様は、少し寂しそうだ。私があれこれ質問している間も、ヘンリーさんは黙っている。ヘンリーさんはあまりインテリアにはこだわりがないような気がする。その手の話題は出たことがない。

「相談して、なるべく早くお返事します」

「いいお返事をお待ちしています」

ご夫婦に見送られて、『隠れ家』に帰った。予想通り、ヘンリーさんは「俺は……不満はないですね。マイさんが気に入ったのなら買いましょうか」という返事だ。

私は乗り気だ。あの壁紙はそのまま使いたい。カーテンももし譲ってもらえるなら、代金を支払って引き継ぎたい。

「あの家で暮らしているマイさんを想像しながら部屋を見て回っていたら、じわじわと感動が込み上げてきました」

「私もです。二人で暮らし始める家なのねって思ったら、胸にグッとくるものがありました」

椅子に座っている私の手を取って、ヘンリーさんが自分の頬に当てる。

「マイさんは結婚を嫌がっていた時期がありましたよね。あれ、理由を聞いてもいいですか」

「結婚にもともと夢を持っていなかったんです。女性のお客さんの会話は聞かないようにしていても耳に入ってくるの。結婚生活の幸せな話を聞くことはあまりなくて、夫の悪口を言っている人の方が圧倒的に多かったんです」

「悪口……」

「聞いているのも苦しくなるほど、残酷な悪口もしょっちゅう聞いていました。男性も、家に帰りたくなくてうちの店で時間を潰している人がいて。十五歳からお店を手伝って、十年。結婚にいい印象を持てなくて」

ヘンリーさんは黙っている。

「結婚する以上、最初は好き同士だったと思うんです。実際、結婚する前の恋人たちは幸せそうなんです。でも……」

「結婚してしばらくした夫婦は不幸そう?」

私がうなずくと、ヘンリーさんは「なるほど」と言う。

「夫婦は元々は他人ですからね。それに、結婚したらわがままも出るでしょうし。相手への気遣いが減るのかもしれませんね」

「どうなんでしょうねえ。結婚してみないとわからないことがありそう」

「マイさんはどうして結婚する気になったのか、それも聞いてもいい?」

「オブラートに包まずに言うと、結婚しなかったらヘンリーさんがいなくなるような気がしたからです。『これだけ頑張ってもだめなら、もう顔を合わせるのはやめよう』って、お店にも来なくなるのかなと思ったら……。それは嫌だったから」

「ふうん」

失礼な返事だったろうか。チラリとヘンリーさんを見たら、苦笑していた。

「マイさんは、俺のことをもっとわかってるのかと思っていましたが、わかってないなあ。俺、うんと言ってくれるまで諦める気なんて全くありませんでしたよ。この人と夫婦になる、家庭を持つって決めて、決意が揺らいだことはないです」

「あら」

「理由を聞けて良かった。マイさんに嫌われないよう、努力します」

「私もです。子爵様ご夫妻みたいな、カリーンさんたちみたいな、ロミさんたちのような、何年たっても仲良しな夫婦はいますし」

ヘンリーさんが立ち上がり、厨房に向かう。

「え? どうしたんですか?」

「あの家に使用人を置かないなら、俺は今後、自分のお茶くらい自分で淹れます」

「そんなことはいいのに」

「いや、何事も小さなことが積み重なるんですよ、きっと」

そう言ってヘンリーさんはティーポットに茶葉を入れている。それからお湯を沸かしている。順番が逆で、微笑ましくなった。

私も厨房に行き、ヘンリーさんを後ろから抱きしめた。

「お湯を先に沸かすんですよ。ティーポットとカップをお湯で温めて、茶葉はそれからです」

「そうか」

「それと、慣れるまでは毎回茶葉をちゃんと計って入れてください。それでは茶葉が多すぎです」

「そうだったか」

それからヘンリーさんは私に教わりながら、お茶を淹れてくれた。

初めてヘンリーさんが淹れてくれたお茶は、私が淹れたのと同じ味だった。

「美味しいです」

「よかった。次から同じ味になるよう、手順は覚えました。それと、オブラートってなんですか?」

「ええと、 澱粉(でんぷん) を水に溶かしてうすーい膜にしたものです。粉薬を包んで飲むと、苦さを感じないで飲めるの」

「澱粉は何から作るんだろう」

「さあ。小麦粉かお芋? お米ではなかったような」

「それ、商品になりますね。ハウラー家の領地は特産品がないんです。それを作れたら、農民たちの冬の商売になるかもしれません。試作品の鑑定をお願いしてもいいですか」

「はい」

お茶を飲み終えた。

「ヘンリーさん、今日は宿舎に帰りますか? それともここに泊まりますか?」

「泊まりたい。マイさんと一緒に眠りたい」

「明日は結婚式なので、さっさと寝ますよ」

「わかっています。俺、最近思うんです。マイさんと恋人になる前、どうやって夜を過ごしていたかなって、思い出そうとしても記憶が曖昧なんです」

「きっと遅くまで仕事をして、夕飯を食べて、湯あみをして、疲れて倒れ込むように寝ていたのでは?」

ヘンリーさんが笑い出した。

「そうでした。その通り。仕事して、出世して、獣人のために頑張ろうと思いながらも、文官にできることは少なかった。ちょっと途方に暮れていた時に、『隠れ家』を見つけたんです。色がなかった毎日に、きれいに色がついた時間ができた。もう、元に戻れないなって思ったのを覚えています」

出世が早くて、登るべき山を予想よりずっと早く登ってしまった感じなのかな。

「いよいよ明日は結婚式ですね。私たち、明日から夫婦ですよ。なんだか不思議」

「殺気を放っていた母がどうなっているか、楽しみです」

「ふふ。さあ、明日に備えて早く寝ましょう」

明日、私はヘンリーさんと結婚する。

私は他の人にヘンリーさんのことをたくさんのろけて、「いい加減にしなさい」と言われるような妻になるつもりだ。

そうそう、お向かいの家は、ヘンリーさんが買うことに決まった。