作品タイトル不明
562話 かつて見た夢
「終わったっすよー」
「む? ロキ殿は?」
もう少しで昼の客が入り始めるという時間帯。
仕込みで忙しい料理長ボーラの代わりに対応したノディアスは、なぜか一人で現れたクアドに疑問を感じて問いかける。
「ロキさんはもう海に戻ったっす。なんでも今日中に大量のCランク魔物を卸さないといけないみたいで」
「ははっ、飯も食わずに行くとは、相変わらず忙しいようだな。それにしてもCランクとなると、その魔物も近いうちにここへ運ばれてくるわけか」
「っすね。なんでもAランク狩場までは情報を掴んでいるみたいで、それもあってここまで大きくしたみたいっすから」
「魚人の力も借りずに、海洋のAランク狩場を……」
この時、ノディアスは狩場のランクに気を取られて後半を聞き流していたが、クアドと共に降りた階段の先で地下の光景を目の当たりにし、驚きから身体を硬直させたまま目を見開く。
「な、なんだ、この広さは!?」
「だから言ったじゃないっすか、大きくしたって。まあ奥は商会の食料品売り場と倉庫にも繋がってるんで、ここは共同の食糧貯蔵庫みたいなもんっすけどね」
言われてノディアスは納得する。
既に冷えている石造りの地下空間は他にも上階へと繋がる階段がいくつかあり、かなり奥の方では纏まった数の者達が何かの生き物を解体していた。
しかし、大量の野菜や肉はあれど、先ほど見た海の魔物はほんの一部しか見当たらない。
かなり数はあると聞いていたが……
ノディアスが不思議に思っていると、察したクアドが右手に見える石壁を指差す。
「ロキさんは"冷凍庫"って言ってましたけど、より温度の低い保管庫は壁の向こうっす。あ、本当に寒いんで、入り口にある毛皮を被った方がいいっすよ」
「冷凍、庫……?」
それは、ギルドの解体場に備え付けられた、素材を凍らせるための魔道具のことだろうか……?
ならば人が入れるような大きさではないと思うのだが。
よく分からないままついていくと、確かに石壁で仕切られた部屋が別に設けられており、その入り口には薄く青みがかった毛皮が何枚か掛けられていた。
だがノディアスは部屋よりも前に、その毛皮に意識が向く。
「これは、まさか……」
かつて仲間と共に挑んだ、アイオネスト王国に存在する最高峰のSランク狩場。
目の前の毛皮は、そこで凍えそうになりながら狩ったフェンリルの毛皮にしか見えない。
「これが一番暖かいらしくて、とりあえずの寒さ対策にロキさんが置いてったっす。そのうち作業用の服に加工してもらうみたいっすけどね」
「……」
無造作に置かれているこの毛皮がいったいいくらするのか、この犬獣人は分かっているのだろうか?
ノディアスは事も無げに語るクアドに不安を覚えるが、次の瞬間には情けない声が口から漏れる。
「フオッ!?」
さ、寒い……なんだこの寒さは!?
ドアの隙間から抜けてくる冷気が尋常ではなく、それこそフェンリルの吐き出す息と同じくらい冷える気がする。
「店長!? も、もしかして、この中にフェンリルがいるのか!?」
これくらいしか実現可能な方法が思い浮かばない。
ノディアスが本気で問うと、クアドは感心したように声を上げる。
「おお! なるほど、そんな手もあるっすか。ん~これはロキさんに報告しておいた方が良さそうっすね」
「え? いや、そういう話じゃなくて……」
じゃあなんだというのだ。
急いで毛皮を被ったノディアスは、早く閉めろと急かされて入った冷凍庫内ですぐに部屋を見回したが、それでも理由が分からない。
先ほどの冷蔵保管庫より小さいとは言え、それでも職場となるレストラン以上の広さがありそうなこの部屋にも棚が無数にあり、先ほど見た海の魔物や肉もその一角に山となって置かれていた。
いくつかの魔道具も置かれているようだが、アレだけでここまでの広域を冷やせるとは到底思えず、いったい何がこの異常な寒さを生み出しているのか。
ノディアスは困惑しながら視線を彷徨わせていると、ふと、棚に置かれたモノではなく、その奥の壁に意識が向く。
「店長、あの棚の奥の、壁……なのか? あれは、なんだ?」
「氷っすね。あれがここを冷やしているんで」
「あれが氷? 水のように透明なんだが……それに氷じゃ、精々冷えても横の冷蔵庫くらいだろう?」
「自分もよく分からないっすけど、物凄く冷たくて、物凄く溶けにくい氷をロキさんが【氷魔法】で試してたらあれができたっす」
「そ、そんなこともできるものなのか……」
「ただそれでもやっぱり溶けるは溶けるみたいで、ここの管理用にいずれ【氷魔法】の使い手を雇わないといけないって言ってましたし、ノディアスさんの言っていた魔物がいれば解決するのかもしれないっすね」
「……」
それはそれで、Sランクの魔物を使役しなければいけないのだから、相当大変だと思うが。
しかし、町にAランク魔物を複数配備しているロキ殿か、もしくは最近頭角を現し始めた魔物使いのベッグ殿であれば、もしかしたらSランク魔物の使役だって可能なのかもしれない。
「ふ、ふはは……ここだって2時間程度で作ったのだろう? 相変わらず、やることなすこと常識外れだな、うちの王様は」
「そのせいでこっちは振り回されてばっかりっすけど……でも、美味しい海の幸を――、いや、それだけじゃないっすね。世界中のいろいろな食材を、ベザートに住む人達が食べたい時に食べられるようにって、そんな理由でこの環境を整えてくれたんすから、自分は頭が上がんねーっすよ。海産物は肉と違って受け入れられるか心配みたいっすけどね」
美味いモノを届けたい――。
かつて自分が思い描き、そして潰された夢。
今それを、米だけではなくもっと大きな規模で、ロキが代わりに動いてくれている。
自然と揺れる尻尾を見て、ノディアスはクアドの背中を優しく叩きながら声をかけた。
「そうか……なら俺に任せておけ。昔の記憶を掘り起こして、食ったことのない連中にどれほど海の幸が美味いか、たっぷり味わわせてやるさ」
「へへっ、自分も食ってみたいんで期待してるっすよ。あと、さっき奥で解体していたベンゼ夫婦の子供を一人そっちに預けてもいいっすか? トニーっていうんすけど、魚とかの扱いを学ばせたくて――」
また一つ、新たな食文化が取り入れられ、大きな変革を遂げようとしているベザートの町。
しかしこの出来事がアースガルドだけでなく、大陸中央にどれほどの影響を及ぼすのか。
この時点ではまだ、誰一人として予想できないでいた。