作品タイトル不明
356話 英雄とは
マルタの南門を囲うように設置された側防塔。
見張りをしていた数名の兵に抱えられながら運び込まれた男は、戦場となっている街に戻ることもできず、その中で治療を受けていた。
「私の【回復魔法】で、この深い『穴』を治すことは……」
「それでもやれるところまではやるのです。閣下を――この街を守ろうとした英雄を決して死なせてはなりません」
「死なねぇ、よ……クソ……それに、守れても、いねぇ……」
「閣下が立ち塞がらなければ、他に誰があの獣を食い止められたというのですか」
手足にいくつもの穴を開けられ、出血と痛みで意識が朦朧としているレイモンド伯爵。
その横では執事であるモーガンが指示を飛ばすも、自身も先ほどまで戦い続けていたために手傷は多く、壁に背を預けてからは一歩も動けないでいた。
獣への解放を促すため、ファニーファニーから受けた拷問のような傷は、目を背けたくなるほどの酷い有様。
殺さないことを前提にしていたのであくまで手足だけだが、それでも肉を抉る深い穴が20箇所以上空けられている。
「だ、だめです! お屋敷にも既に火の手が上がっていると! それにヴァルツ側がもう嗅ぎつけたのか、こちらに多くの兵が集まってきています!」
「取りに行くことも難しいですか……」
モーガンが指示をしていたのは、伯爵の身に何か起きた時用として、1つだけ屋敷に保管している『丹薬』を取りに行けるかどうか。
中級ダンジョン以降で極稀に拾えるそれは、服用後に丸一日は掛かるも、部位欠損すら治すほどの効果があるとされていた。
屋敷が燃えていたとしても、本当に重要な宝物の類は地下にあり、その入り口も隠されている。
兵や傭兵が物盗りに入ったとしても、まず気付かれはしない。
取りに行くことさえできれば――
「ならば、私が行きましょう」
立ち上がろうと身体を支えたモーガンの手は小刻みに震え、少し力むだけでも激痛で顔が歪む。
歯を食いしばって耐えればどうにかなる、そんな状態は遥かに超えていた。
しかし、それでも、誰かが動かねば主の命が危ない。
その一心で剣を杖代わりに立ち上がろうとするも、その動きを止めたのは他でもないレイモンド伯爵だった。
「止めて、おけ。今動いたら、本当に、死ぬぞ」
「しかし」
「死なねぇ、って、言ってんだろ。"血が濃い"ってのは、こんな時だけ、役に立つ」
通常の人とは異なる、自然治癒力の高さ。
突然変異に近い現象としてこのように確認されているだけで、この血の由来はなんなのか。
レイモンドは深く探ったが、答えは見つかっていない。
獣人よりも古く――、それこそ獣人の基となった獣の類からこの血は来ているのだろう。
生まれながらに備わっている、特異な所持スキルから考察できてもその程度だった。
「そこの、見張り」
「ハッ!」
レイモンドに突然声を掛けられ、肩が跳ね上がる一人の兵士。
「先ほど、兵が集まってきていると、言ったが、集まっているのか、逃げてきているのか、どちらだ?」
「そ、それは……た、ただちに確かめて参ります!」
レイモンドは気になっていた。
こちらが動いたことといえば、見張りの兵や南門の近くにいた騎士達が、【回復魔法】を使える者がいないか探し回った程度。
城壁の上を伝って南に向かってきている敵兵はおらず、その程度でこの側防塔に辿り着くには、些か敵の動きが早過ぎる気もする。
加えて最初に轟いた数度の雷鳴。
あれは勘違いでなければ、街の東側から鳴り響いていた。
そして、放ったであろう者――ロキがその後に南部へ現れたのだ。
つまりは、ロキが東側の傭兵連中を壊滅させてからこちらに来た。
その可能性が極めて高いようにも思える。
もしそうであるならば――
ドンッ!!
それは目の覚めるような轟音だった。
レイモンドは自然と監視用の小窓に目を向けるも、身動きが取れず、寝ている姿では空しか映し出していない。
しかしその色は次第に濁り、土埃が広く舞っていることだけはすぐに理解できた。
「すまぬが、肩を、貸してくれ」
「か、閣下、お身体に障ります」
「構わん。それでも事態は、把握して、おきたい」
居てもたってもいられない。
それがレイモンドの正直な気持ちだった。
先ほどまで、あの場で戦っていたのだから猶更だ。
ロキが何かを成してくれたのか、それとも、逆か。
フラ付きながらも2名の騎士に両脇を抱えられ、レイモンドは小窓から外に視線を向けた。
最初は広く土煙が舞い、何が起きたのかすら分からない。
が、次第に薄れてゆくにつれ、砂煙の中で二つの影を確認する。
一つはファニーファニー。
あの巨体なのだから、それはすぐに分かる。
そしてもう一つ。
小さい方の姿がどちらなのか。
結果次第でこの街が終わる――。
それほどの緊張感に息を飲みながら、霞む視界の中で目を凝らした時。
「ヒッ!?」
悲鳴を上げたのは、横で支えていた騎士の一人だった。
何事か。
レイモンドは視線を転じることなく一点を見据えれば、
「……」
悲鳴の理由をすぐに理解し、言葉を失った。
先ほどの姿とはまるで違う。
蠢く羽を背から生やし、黒い靄のような何かを全身に纏うロキをレイモンドは視界に捉え、呼吸を忘れたように固まってしまう。
その姿は自身が持ち得るどの知識にも当てはまらず、どうすればあのような状態になるのか、皆目見当もつかない。
腹の底から込み上げてくるのは恐怖。
それはかつてハンターだったが故か。
視線の先にあるその姿は、Sランク魔物とは比較にならないほどの強大な魔物に見えてしまい――。
「ヌグゥウ……ッ!」
「か、閣下!?」
「え、衛兵! 治療を!」
「いらぬッ!!」
レイモンドは抉れた腕の肉に自らの指を突き入れ、眼を血走らせながらも呟く。
「誰が、俺達を救った……誰が今、代わりに戦ってくれている……ッ!!」
それは自責の念であり、一時でも少年を魔物と称してしまった己への戒めだった。
小男の姿はどこを探しても見当たらず、この地で誰も抑えることのできないファニーファニーと戦っているのは、紛れもなく少年ただ一人。
他の戦力にはまだ対応することができても、あの女が街の中に踏み込めば、もうどうにもならないことなど、この場にいる全員が分かっていた。
「か、確認して参りました! 周辺の騎士や町民と交戦しながらも、必死の形相で"南門を開けよ"と……! 何かから逃げようとしている動きで間違いありません!」
とそこへ、先ほど確認をしに行った兵士が、口早に現状を報告する。
この言葉を聞いて、レイモンドはゆっくりと目を閉じ、モーガンは何が起きているのか。
状況をおおよそ理解し、口を開いた。
「ノディアス、それにオランドが率いるAランクハンター達も、街内の防衛に回りましたか」
「だろうな。できれば、全員で、あってほしいが……東も生き残った、ということだ」
「ロキ殿に、助けられたとも言えましょう」
「違いない」
自分達だけではない。
マルタの街を、ロキは救おうとしてくれているのだ。
きっと、そんなつもりはないと、本人は否定しながら。
「領主が、治めた街を、守るなんざ、当たり前のこと。あれを英雄と、呼ぶんだろうが……」
ボソリと呟かれた領主のこの言葉に、先ほど悲鳴を上げてしまった騎士は、己の不明を恥じつつ――
「始まりましたね」
窓の外で広がる、人外染みた戦いに視線を向けた。