作品タイトル不明
451
◇◇◇◇
黒き玉座の間に、ひとつの“影”が蠢いていた。
瘴気がゆらりと立ち昇り、空間そのものが歪む。
そこに座すのは――現世に災いを齎す“魔王”である。
人のようで、人にあらず。
その眉目は美しく整いながらも、どこか常人の尺度では計れぬ異質な威圧を放っていた。
「……シルヴィア・アルガベイン。神聖結界の持ち主、王族の血筋、そして女神と揶揄され神格化されつつある娘。消すに値する」
静かに、確実に断言された死刑宣告。
周囲に控える幹部たちも、言葉を挟もうとはしなかった。
魔王はゆっくりと立ち上がる。
その手のひらには、人間の魂を模した漆黒の結晶が浮かんでいた。
「だが――真に脅威となるのは、あの男。レオルド・ハーヴェスト」
結晶の中に浮かぶ映像が揺らぎ、レオルドの姿が映る。
「我が目を欺き、神に成らずして理を曲げる。あれは継続の象徴……! 滅びの原理に反する存在だ!」
感情のない声音が、静かに響く。
それはまるで、世界そのものが彼の存在を拒絶しているかのようだった。
「レオルドの背後には、世界最強の魔法使い――シャルロット・グリンデがいる。彼女には手出しできぬ。だが……」
魔王は玉座に腰を戻し、指を鳴らす。
その合図で、暗闇の中からひとつの影が膝をついた。
人の形をしていながら、目の奥は空洞。
口元に浮かぶ笑みは、模倣された人間のように“ズレて”いた。
「命ずる。ドッペルゲンガー・ 上位種(ナハティガル) ――」
その名を呼ばれた影が、にたぁと口を裂く。
「王都に潜入し、シルヴィアとレオルド、両名の命を奪え。祝宴は好機。混乱の中、ひとつずつ首を刈れ」
「了解です、魔王様。お望みのままに、影は刺し、影は喰らいましょう」
ナハティガルは音もなく闇の中へと消えていった。
「……油断するなよ。レオルドは知っている可能性がある。未来の断片を。因果の連鎖を」
魔王は結晶の中で燃え盛る運命の光をじっと見つめる。
「だが、我はそれを超えてみせる。この世界を浄化するために、希望という名の悪夢を断ち切ってみせよう――」
影が、またひとつ揺らめいた。
王都への侵入工作を命じたあとも、魔王は一人、静かに思索を続けていた。
「……レオルド。貴様は賢しいが、同時に優しすぎる」
黒き瘴気が玉座の足元に渦巻き、そこからさらにもうひとつ、別の影が這い出してくる。
「ナハティガルを表に。だが、裏にはもう一つ、別の刃を潜ませておくべきだな」
その影は、先ほどとは異なる――より深く、より冷たい闇で編まれていた。
「第二の矛は、すでに送り込んである。王都ではない。ゼアト……あの男が最も信頼し、最も安心している場所」
魔王の言葉に呼応するように、瘴気の霧の中、ゼアトの街並みがぼんやりと浮かび上がる。
その中に紛れる、ひとつの偽物――誰にも気づかれぬままに日々を過ごし、すでに市民として馴染んでいる影。
「英雄とは、守るものが増えるほどに足元が脆くなる。自らの意志で囮となった王女を守るため、奴は目を逸らす。日常からな……」
魔王は愉しげに、かすかに笑った。
「崩すは、中心ではなく外郭より。騎士団でもなく、王家でもない。ゼアトという第二の心臓を――知らぬ間に喰い破ってやる」
その声は、凍てつく夜の風のように冷たく響いた。
そして闇の中で、ひとつの顔が笑う。
それは誰かに酷似していた。
だが――本物ではない。
魔王は指を鳴らす。
「ゼアトにも『既に一体』放ってある。あとは、時を待つのみ……」
影に同化するように消え去った魔物に、魔王は小さく笑みを浮かべた。
「祝宴は、地獄の幕開けとなる――虚偽の饗宴を始めようではないか」
◇◇◇◇
その頃、ゼアトではレオルドたちが祝宴に向けて色々と準備を行っていた。
中央塔の会議室では、レオルドを中心に、祝宴に向けた警備と暗殺対策の最終調整が行われていた。
「……配置はこれでいい。ギル、王都転移時の経路は念入りに調査を頼む」
「了解です。警備隊には既に指示を出しています」
机の上には王城中庭の見取り図。
シャルロットが描いた転移妨害陣の設計図や、会場に仕込む護符の一覧が並べられている。
「情報の流出を防ぐため、作戦内容は上層部にのみ共有だ。下位兵士には祝宴の警備訓練という名目で十分だろう」
「了解しました」
テキパキと指示を飛ばすレオルド。
誰もが頼もしげにその姿を見つめていた。
だが――
会議室の外。
廊下の奥で、誰かがその様子を見つめていた。
薄暗い影の中、整った騎士の姿がぼんやりと浮かぶ。
表情は穏やかで、態度も忠実そのもの。
だが、その足元に落ちた影だけが、奇妙に遅れて揺れていた。
「エルド。ここにいたか」
エルドと呼ばれた騎士が振り返ると、そこにはバルバロトが立っていた。
「これから配置について話し合う。一緒に来てくれ」
「わかりました。バルバロト団長」
二人の騎士が並んで歩くと、廊下に響く足音が静かに反響する。
エルドはまるで忠実な部下そのものの態度で、バルバロトの歩調に合わせて進んでいた。
「王都での祝宴――何やら物々しい雰囲気になってきたな」
「シルヴィア殿下の安全が最優先ですから。敵が動くなら、あの場が最も可能性が高いでしょう」
「ふむ……。お前はレオルド様に何か聞いているか?」
「いえ。ですが、閣下が極秘に動いているのは確かです。シャルロット様とも頻繁に接触しておられるようで」
何気ない会話の中、エルドの声色に不自然さはない。
だがその瞳の奥では、別の思考が渦巻いていた。
「(……順調だ。私は完全に“エルド・ノックス”として受け入れられている。ゼアトの防衛計画、護衛の配置、祝宴当日の動線……すべて筒抜けだ)」
エルドの影がふわりと揺らぎ、床に映る形を一瞬だけ歪めた。
「(シルヴィアを守ろうとするのはいい。だが、それは自らを晒すことにもなる。レオルド、お前も例外ではない。どちらも王の邪魔になる――)」
その時、バルバロトが足を止めた。資料室の扉の前だ。
「配置案をまとめた。君の意見も聞かせてくれ」
「光栄です、団長」
微笑みを浮かべて答えるエルド。
その目は、ゼアトの未来を見据える騎士のように澄んでいる。
「(……シャルロットさえいなければ、もっと容易だったのだが。やはり奴は特別だ)」
だがその裏側では、すでに魔王の尖兵として、静かに牙を研いでいた。
王都での祝宴を明日に控え、ゼアトの城砦は普段と変わらぬ静寂に包まれていた――ように見えた。
だがその裏では、異常なまでの緊張が張り詰めていた。
騎士団の訓練場では、夜間にもかかわらず警備部隊が交代で訓練を続けており、魔術師部門では魔導通信装置の調整や予備品の確認が行われていた。
シャルロットが設計した護符や感知陣は、担当者によって一つひとつ丁寧に封じ込められ、木箱に収められていく。
レオルドは執務室に籠もり、通信装置の最終調整を行っていた。
彼の机の上には、三台の試作型と細かな工具、それに修正済みの設計図が広がっている。
扉の前にはイザベルが控えていた。
ギルバートは地下の警備区画を巡回しており、部下たちに最後の注意を与えている。
「これでいい。これで……」
小さく呟いたレオルドが通信装置の一つを手に取り、動作確認を終える。
魔石が淡く輝き、背面の封印結晶が淡い符紋を発光させた。
それは、まるで戦いの号砲のように感じられた。
「レオルド様」
背後から聞こえた声に、レオルドが振り返ると、そこにはシルヴィアが立っていた。
金色の髪は上品に結い上げられ、普段と変わらぬ装いで優雅に佇んでいる。
「……準備はもういいのか?」
「ええ。あとは、あなたと共に向かうだけです」
穏やかに微笑むシルヴィアの瞳には、もう怯えはなかった。
それからすぐにシャルロットも姿を見せた。
「いよいよ明日ね、レオルド」
「ああ。迎え撃つ準備は整っている」
その言葉を聞いたシャルロットは、わずかに笑ってから真顔に戻る。
「どこから来るか分からない。でも、絶対に私たちで守る。レオルドも――絶対に死なないでよね~」
レオルドは短く頷いた。
「無論だ。生きて帰る。そして祝おう。子の誕生も、俺たちの勝利も」
その瞬間、遠くで鐘の音が鳴った。
ゼアトに夜が訪れる。
ギルバートとイザベルも部下たちと共に合流し、荷馬車には護符、感知装置、そして祝宴用の装飾品が積み込まれていた。
誰もが静かに、だが確かな決意を胸に準備を終えている。
祝宴まで、あとわずか。
それは華やかな祝福の場であると同時に、未曾有の戦いの幕開けでもあった。