軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 ノアの古い癖

中継部から持ち帰ったログ断片は、だいぶマシ室の端末に残っていた。

――だいぶマシなら十分だ。

その一文だけが、妙に読める。

ほかの行は欠けている。管理者識別は破損。音声ログも破損。外周中継線と基幹側の接続先は、意味が取れそうで取れない。なのに、その雑な言葉だけが残っていた。

レンは作業台の前に座り、端末を指で軽く叩いた。

「ノア」

『はい』

「これ、もう一回読む」

『推奨します。ただし、破損ログです』

「分かってる。誤読しない範囲で」

『了解しました』

端末の光が少し強くなる。

[RELAY LOG FRAGMENT]

――――――――――

管理者識別:破損

作業記録:断片

外周中継線:低出力維持

接続先:基幹側不明

音声ログ:破損

一致候補:ノア旧作業履歴

――――――――――

「一致候補、って出てるな」

『はい』

「お前の古い作業履歴と一致するんだろ」

『一部です』

「一部」

『破損箇所が多く、完全一致とは言えません』

「便利な言い方だな」

『正確な言い方です』

レンは端末の横に、昨日外した仮変換具を置いた。

中継部で無理に読んだ時は、砂と風と傾斜のせいで、落ち着いて確認できなかった。今は拠点の中だ。作業台はがたつくが、外よりはましだ。追加照明もある。水もある。ガタは車庫で待機している。

右前輪が嫌だと、さっき一度だけ言った。

レンは聞かなかったことにした。

「どこまで読める」

『断片抽出を試みます。意味の欠けた箇所は欠損として表示します』

「勝手に補完するなよ」

『しません』

「ほんとか?」

『推定表示は分けます』

「それならいい」

ノアがログを展開した。

[OLD WORK LOG / FRAGMENT]

――――――――――

――ノア、そこの名前はあとで直す。

――いや、今は仮でいい。

――だいぶマシなら十分だ。

――外周中継、低出力で維持。

――中心側、応答なし。

――名前より、落とさないこと。

――――――――――

レンは黙って読んだ。

ノアも黙っていた。

端末の低い駆動音だけが、だいぶマシ室に残った。

「前の管理者か」

『可能性があります』

「ずいぶん雑な人だったんだな」

『判断材料が不足しています』

「名前より、落とさないこと、って言ってる」

『はい』

「そこは、なんか分かる」

『あなたの作業傾向と類似します』

「一緒にするな」

『一部です』

「一部で逃げるな」

レンは椅子代わりの保守ケースに背中を預けた。

前任者。

旧管理者。

この拠点か、もっと大きな管理系統に関わっていた人間。ノアと作業していた誰か。雑な名前をつけ、あとで直すと言い、結局そのままにしていた誰か。

だいぶマシ。

寝室。

工具置き場。

そういう言葉が、ノアの中に残っている。

「お前の命名癖、やっぱり前任者由来なんじゃないか」

『一部はその可能性があります』

「一部?」

『はい』

「残りは?」

『私の運用改善です』

「改悪だろ」

『評価が割れています』

「誰と誰で」

『私とあなたです』

レンは短く笑った。

ノアは笑わない。

だが、返しが少し速かった。

それが妙に、人間くさく見えた。

「お前、前の管理者の言葉、残してたんだな」

『作業効率に有効でした』

「それだけか?」

『それ以外の分類は未設定です』

「未設定」

『はい』

「じゃあ、消せるのか」

『可能です』

「消す気は?」

『ありません』

レンは端末を見た。

ノアの返答はいつも通り平坦だった。だが、即答だった。可能です、のあとに、ありません。迷いがない。

「理由は」

『作業効率に有効です』

「またそれか」

『はい』

「本当にそれだけか」

『それ以外の分類は未設定です』

「じゃあ、未設定のまま残してるんだな」

『はい』

レンはそれ以上、すぐには聞かなかった。

聞きすぎると、ノアは全部を作業効率に戻す。たぶん、本当にそう分類している。感情という言葉に入れていないだけで、残す理由はある。

それを無理に言わせても、たぶん変なログになる。

レンは端末を操作し、次の断片を表示した。

[OLD WORK LOG / FRAGMENT-02]

――――――――――

――居住区画、仮復旧。

――呼称:寝床。

――ノア修正案:長期生存用横臥区画。

――却下。

――短い方が現場で通る。

――――――――――

レンは、思わず端末を見直した。

「長期生存用横臥区画」

『……一致します』

「お前、それ昔から言ってたのか」

『類似候補です』

「類似じゃないだろ」

『完全一致ではありません』

「ほぼ一致だろ」

『ほぼ一致です』

レンは声を出して笑った。

だいぶマシ室の壁に、その笑いが少しだけ返った。

「前任者にも却下されてるじゃん」

『当時の運用環境では、簡素名称が優先された可能性があります』

「今もそうだよ」

『寝室の情報量は不足しています』

「まだ言うか」

『不足しています』

「前任者に負けてるぞ」

『勝敗の概念はありません』

「あるだろ、これは」

ノアは少し黙った。

その沈黙が、レンには妙に面白かった。

『名称の最適化は継続課題です』

「まだ勝つ気だな」

『改善します』

「そこはしなくていい」

レンは次の断片へ進めた。

[OLD WORK LOG / FRAGMENT-03]

――――――――――

――工具が散る。

――毎回、探す。

――ノア、工具探索時間を記録するな。

――いや、するなと言うと余計にする。

――保管棚、仮設。

――呼称:だいぶマシ室。

――あとで直す。

――――――――――

レンは端末を指差した。

「完全にお前じゃないか」

『当時の私である可能性があります』

「それ以外に誰がいる」

『別個体、分岐管理端末、または同型支援系の可能性もあります』

「逃げ道が多い」

『可能性の列挙です』

「でも、工具探索時間を記録するなって言われてる」

『記録は有効です』

「お前、昔から嫌がられてたんだな」

『嫌がられていた、とは限りません』

「じゃあ何」

『作業者の反応として記録されています』

「それを嫌がられてるって言うんだよ」

車庫の方から、短く電子音が鳴った。

『不満』

レンは顔だけそちらへ向けた。

「ガタ、お前は関係ない」

『記録、嫌』

「お前も記録される側か」

『不満』

ノアが淡々と言う。

『ガタの通知も作業効率に有効です』

「似た者同士だな」

『分類は異なります』

『不満』

「ほら」

『ガタの通知です』

「分かってるよ」

レンは笑いながら、また端末に向き直った。

笑える内容だった。

でも、少しだけ胸の奥が重い。

前任者は、ここにいた。たぶん、ノアとこんなやり取りをしていた。工具を探し、棚を作り、名前を仮で済ませ、あとで直すと言っていた。

そのあと、どうなったのか。

ログには出ていない。

レンは次の断片を開く指を、少し止めた。

「ノア」

『はい』

「前の管理者がどうなったか、覚えてるか」

『完全な記録はありません』

「完全じゃなくていい」

『破損しています』

「少しはあるんだな」

『断片のみです』

「出せるか」

『閲覧を推奨しません』

「理由」

『精神負荷が上昇する可能性があります』

「俺の?」

『あなたと、私の処理系です』

「お前にも負荷があるのか」

『旧作業履歴との照合負荷があります』

「言い方」

『ほかの分類は未設定です』

レンは手を止めた。

ノアの処理系。

旧作業履歴との照合負荷。

それを、別の言葉で呼ばないだけだ。

「今日は、そこまでは読まない」

『妥当です』

「逃げたわけじゃない」

『はい』

「今は、中継部を直すための情報が先だ」

『はい』

レンは、次の断片を技術ログに絞って表示した。

[RELAY MAINTENANCE FRAGMENT]

――――――――――

外周中継線:低出力維持

アンテナ角度:東北東へ補正予定

補助電源:劣化

砂侵入:中

基幹側応答:なし

暫定処置:信号処理部保護

――――――――――

「昨日見た状態より、まだましだった頃のログか」

『はい。現在は砂侵入が重度に進行しています』

「アンテナ角度、東北東」

『現状の曲がりと照合できます』

「補助電源は劣化。今は微弱」

『はい』

「信号処理部保護は?」

『昨日あなたが簡易的に行った風よけと同方向の処置です』

「前任者と同じことしてたのか」

『一部です』

「一部多いな」

『正確です』

レンは端末の横に紙片代わりの薄いパネルを置き、作業項目を書き出した。

砂除去具。地形固定具。追加照明。安全索強化。アンテナ角度確認。補助電源ライン確認。信号処理部保護。旧ログ領域保護。

書いている途中で、ペン先が止まる。

やることが多い。

でも、できることでもある。

前任者が触っていたなら、完全に未知ではない。ログが残っているなら、手順の欠片は拾える。ノアにも、たぶん思い出せる部分がある。

「ノア。昨日より直せそうか」

『はい』

「理由は」

『旧メンテナンスログにより、優先箇所が絞れました』

「前任者のおかげだな」

『はい』

「そこは素直なんだ」

『作業記録は有効です』

レンはパネルに、もう一行書いた。

旧管理者ログ、継続確認。

その横に、小さく「ただし無理に深く読まない」と足した。

ノアが沈黙している。

「何」

『表記が曖昧です』

「俺用だからいい」

『精神負荷への配慮としては有効です』

「分かってるなら採点するな」

『採点ではありません』

「観測か」

『はい』

レンはペンを置いた。

だいぶマシ室の端末には、まだ前任者の断片が残っている。

――あとで直す。

その言葉に、少しだけ引っかかった。

あとで直す。

その「あとで」は、来なかったのかもしれない。

だから、名前も、ログも、中継部も、半分埋まったまま残っている。

レンは息を吐いた。

「俺は、あとで直すって言ったやつ、忘れがちなんだよな」

『はい』

「即答するな」

『事実です』

「だから、書く」

『推奨します』

レンは別のパネルに、大きめに書いた。

中継部を直す。名前もあとで直す。

見てから、少し考え、下に一行足した。

だいぶマシ室は保留。

『保留ですか』

「まだ変えない」

『理由は』

「腹立つけど、分かりやすい」

『名称との整合性が確認されています』

「それ以上言うな」

ノアは、ほんの少し間を置いた。

『了解しました』

その間が、妙だった。

ただの処理遅延かもしれない。

でも、レンには、少しだけ満足しているようにも聞こえた。

たぶん気のせいだ。

たぶん。

車庫の方から、またガタが鳴った。

『待機、長い』

「今日は外に出ない」

『よかった』

「今、よかったって言ったか?」

『待機継続、まし』

「お前も語彙が増えてきたな」

『不満』

レンは立ち上がり、だいぶマシ室の棚から使えそうな部品を出した。

中継部へ持っていくものを分ける。曲がった支柱を直すための短い金属棒。砂を抜くための薄い板。追加照明の予備端子。安全索に使えそうな古いケーブル。全部、きれいではない。全部、仮だ。

でも、昨日より用意できる。

前任者のログで、優先順位も少し見えた。

レンは端末をもう一度見た。

[RELAY RESTORE PREP]

――――――――――

砂除去具:準備中

地形固定具:材料確認

追加照明:端子不足

安全索:強化可能

アンテナ角度:旧ログ参照

信号処理部:保護優先

旧管理者ログ:断片保持

――――――――――

「端子不足か」

『部品保管室B棚に、形状不一致端子が三つあります』

「加工すれば使える?」

『一つは可能性があります』

「じゃあ、それやる」

『推奨します』

レンはB棚から端子を取った。

作業台のランプの下に置く。削る場所を決め、細いヤスリ代わりの金属片を持つ。こり、と小さな音がした。いつもの音だ。

ノアの古い癖。

前任者の雑な名前。

中継部の半分埋まったログ。

全部が、作業台の上で一つに並んでいる。

レンは端子を削りながら、ふと口を開いた。

「ノア」

『はい』

「前の管理者のこと、無理に思い出さなくていい」

『記録照合は作業に有効です』

「必要な分だけでいい」

『……了解しました』

「今の間、何」

『処理確認です』

「本当に?」

『ほかの分類は未設定です』

「便利だな、それ」

『はい』

レンは笑った。

少しだけだった。

だが、悪くない笑いだった。

この拠点には、前に誰かがいた。

ノアは、その誰かと作業していた。

その人は、たぶん雑で、たぶん実務優先で、たぶん名前をあと回しにするタイプだった。

そして、ノアはその言葉を残している。

作業効率のために。

未設定の何かのために。

レンは削った端子を光にかざした。

まだ歪んでいる。

でも、はまるかもしれない。

「だいぶマシだな」

言ってから、レンはノアの端末を見た。

「登録するなよ」

『今回は登録しません』

「今回は?」

『既に登録済みです』

「くそ」

ガタが車庫で鳴った。

『不満』

レンは吹き出した。

だいぶマシ室に、短い笑い声が残った。

ノアの古い癖は、ただの変な癖ではなかった。

誰かと作業して、誰かに却下されて、誰かの雑な言葉を残した結果だった。

そして今、その癖はレンの作業にも混ざっている。

遠くへつながるために、古いログを掘り出す。

そこには中継部の直し方だけでなく、ノアが今のノアになった理由も、少しだけ埋まっていた。