作品タイトル不明
第28話 通信中継部は、半分埋まっていた
北東へ向かう準備は、思ったより地味だった。
だいぶマシ室の作業台には、小型センサーの予備ケーブル、固定杭、追加照明、古い結束ベルト、簡易マップを入れた端末が並んでいる。どれも新品ではない。どれも仮だ。だが、昨日の夜に置いたセンサーは、北東の低出力信号を拾った。
通信中継部候補。
MIOへつながる条件の一つ。
レンは端末の表示を見て、工具を腰のベルトに通した。
[FIELD WORK PLAN]
――――――――――
目的:北東低出力信号の確認
候補:通信中継部
移動:小型作業ローバー《ガタ》
距離:推定三百八十メートル
危険:薄層地表/地下空洞/夜間温度差
推奨:昼間作業/短時間/侵入禁止
――――――――――
「三百八十メートルか」
『推定です。地形迂回により増加します』
「昨日の二百四十メートルでも、けっこうあったぞ」
『今回は装備が増えます』
『荷台、嫌』
「まだ載せてない」
『予測、嫌』
「未来に文句言うな」
ガタは車庫の中で低く唸っていた。
右前輪はまだ鳴る。冷却ファンも、ときどき引っかかったような音を立てる。それでも、前よりは走れる。昨日の試運転で地形判定も役に立った。
レンは荷台に装備を載せた。
工具箱は小型。ケーブルは二束。追加照明は一つ。固定杭は三本。安全索代わりの結束ベルトは、昨日より長いものに替えた。荷台の布を噛ませた固定具を締め直す。
「ガタ、荷台」
『重い』
「許容範囲か?」
『許容。気分、不可』
「気分は聞いてない」
『不満』
ノアが端末に走行ルートを出した。
[LOCAL ROUTE]
――――――――――
拠点外壁:北東方向
地点A:迂回
センサー一号:通過確認
外周ビーコン:参照
中継部候補:未確認
――――――――――
「地点Aには近づかない」
『はい』
『穴、嫌』
「俺も嫌だ」
車庫の扉が開いた。
昼の光が入ってくる。夜よりは明るい。だが、安心はできない。昨日、夜の地面が信用できないと分かった。昼の地面も、信用していいわけではない。
レンはガタに乗り、ゆっくり前へ出した。
車体が砂を踏む。
『右前輪、異音』
「今日も元気だな」
『元気、なし』
「そういう返しもするのか」
『不満』
拠点の外壁が後ろへ下がっていく。
昨日置いたセンサー一号の小さなランプが、外壁の影の近くで薄く点いていた。細い支柱が少し傾いている。見た目は頼りない。だが、北東の信号を拾ったのはあれだ。
レンは横を通り過ぎながら、速度を落とした。
「センサー、生きてるか」
『稼働中です。夜間反応、昼間反応とも取得しています』
「えらいな」
『小型センサーに評価機能はありません』
「こっちの気分だよ」
『記録します』
「しなくていい」
ガタが短く鳴った。
『地面、微妙』
「止まる」
レンはブレーキを踏んだ。
前方は、砂の色が少し変わっている。白っぽい筋が斜めに走っていた。地点Aほどではないが、踏むには気持ちが悪い。
ノアがルートを修正する。
『左へ三メートル迂回してください』
「了解」
『左、まし』
「ガタも同意か」
『まし。不満あり』
「完全に満足する日は来るのか?」
『不明』
『期待、低』
「だろうな」
迂回して進む。
百メートルを過ぎると、拠点の音が遠くなった。補助電源の低い唸りも、水処理ユニットの振動も聞こえない。代わりに、ガタのタイヤ音と、砂が車体の下をこする音だけが残る。
風は弱い。
空の白い輪は、昼の光の中でも薄く見えていた。
レンは北東を見た。
まだ何もない。
ただ、端末の方位線だけが伸びている。
[DIRECTIONAL SIGNAL]
――――――――――
北東低出力信号:継続
通信中継部候補:一致率上昇
距離:推定二百十メートル
地表反応:不安定箇所あり
――――――――――
「一致率、上がったな」
『はい。方向誤差が減っています』
「近づいてるってことでいいか」
『はい』
『近づく、嫌』
「ガタ、お前は全部嫌だな」
『未知、嫌』
「それは正しい」
さらに進むと、地面の様子が変わった。
砂の下に、まっすぐな金属板の端が見え始めた。自然の地形ではない。何かの通路か、整備用の床か、埋まった外装パネルの列だ。ところどころ割れて、砂に沈んでいる。
ガタが低く鳴る。
『硬い。嫌』
「硬いのも嫌なのか」
『下、空い可能性』
「空いてる、な」
『言語、破損』
「そこまで壊れてるのか」
『不満』
レンは速度をさらに落とした。
金属板の上を進むと、がこん、と一度車体が跳ねた。荷台の工具箱が鳴る。
「悪い」
『前回、雑』
「まだ言うか」
『記録あり』
ノアが表示を更新する。
[SURFACE ANALYSIS]
――――――――――
地表:人工舗装残骸
下層:空洞反応あり
推定:旧整備路または外周作業通路
危険:局所崩落
推奨:低速走行
――――――――――
「旧整備路」
『通信中継部へ向かう作業通路だった可能性があります』
「なら、この先にある」
『推定です』
「今は推定で十分だ」
その時、前方の砂の盛り上がりの向こうに、細い影が見えた。
柱ではない。
もっと低く、横に広い。
レンはガタを止めた。
目を凝らす。
砂に半分埋まった構造物があった。丸い基部、曲がった支柱、折れたアンテナらしい板。上部は傾き、片側が砂に飲まれている。周囲には切れたケーブルの束が、乾いた根のように散らばっていた。
通信中継部。
そう言われれば、そう見える。
だが、思ったより小さく、思ったより壊れていた。
『北東低出力信号、発信源に到達しました』
ノアの声が、少しだけ硬くなった。
[RELAY NODE CANDIDATE]
――――――――――
識別:旧通信中継部候補
状態:半埋没
外装:破損
アンテナ基部:歪み
電源:微弱残存
通信:未成立
――――――――――
「これか」
『はい』
「半分、埋まってるな」
『はい』
『埋まりすぎ』
「ガタも見たまま言うな」
レンは操縦席から降りる前に、足元を確認した。
地面は人工舗装の残骸と砂が混ざっている。いきなり踏むのは怖い。昨日より長い結束ベルトを腰につなぎ、ガタの荷台フレームへ固定する。追加照明を手に取る。
『降車位置、右側を推奨します』
「左は?」
『下層空洞反応が強いです』
『左、嫌』
「了解。右から降りる」
レンは右側から地面へ降りた。
足裏に硬い感触がある。砂の下に金属板。だが、その金属板がどこまで持つかは分からない。体重をゆっくり乗せ、数秒待つ。
崩れない。
レンは一歩進んだ。
中継部の外装に近づくと、細かい砂が風で動いていた。曲がったアンテナ基部の下に、点検パネルらしい四角い板が見える。半分だけ砂に埋まっている。
「ノア。触っていいか」
『外装表面に電流反応はありません。ただし、内部電源が微弱に残っています』
「つまり?」
『不用意に短絡させないでください』
「いつも通りだな」
『はい』
『触る、嫌』
「お前は遠いだろ」
『同じ作業群』
「仲間意識みたいに言うな」
レンは膝をつき、点検パネルの周りの砂を手で払った。
乾いた砂が、手袋の上を流れる。表面だけではない。パネルの隙間にも詰まっている。細い金属棒でかき出すと、ざりざりと嫌な音がした。
ボルトが三つ見えた。
四つ目は砂の中だ。
「またボルトか」
『構造物には多用されます』
「知ってるけどさ」
レンは一本目に工具をかけた。
回らない。
砂と錆のような粉が噛んでいる。力を入れすぎると折れる。水は使えない。布で周りを拭き、少しずつ角度を変える。
ぎ、と鳴った。
動いた。
「よし」
『慎重に継続してください』
『帰りたい』
「ガタ、まだ始めたばっかりだ」
四本のボルトを外すだけで、時間がかかった。
最後の一本は半分埋まっていて、砂を抜くたびにまた流れ込んだ。レンは追加照明を地面に置き、影をずらしながら作業した。背中が熱い。手元は砂でざらつく。口の中まで乾いた気がする。
点検パネルがようやく外れた。
中は、思ったよりひどかった。
ケーブルの束は砂に埋まり、二本は切れている。小型の変換器らしき部品は斜めに外れ、端子の一部は黒く焼けていた。奥の方で、弱い光が一つだけ点滅している。
[RELAY NODE INTERNAL]
――――――――――
主電源:断
補助電源:微弱
信号処理部:破損
外部アンテナ:角度異常
内部砂侵入:重度
旧ログ領域:反応あり
復旧判定:即時不可
――――――――――
「即時不可」
『はい』
「今日直して通信、は無理か」
『不可能です』
「はっきり言うな」
『誤認を避けるためです』
レンは奥の弱い光を見た。
MIOへ届く条件の一つ。
通信中継部修復。
それが目の前にある。だが、見つけたからといって、すぐに使えるわけではない。半分埋まり、砂を噛み、焼けて、曲がっている。
腹の奥に、鈍いものが落ちた。
期待しすぎるな。
条件として見る。
レンは自分にそう言い聞かせた。
「まず、何ならできる」
『砂の除去。損傷箇所の記録。補助電源ラインの確認。旧ログ領域の保護』
「ログ領域?」
『微弱反応があります。破損していますが、読み出し可能な断片が残っている可能性があります』
「通信より先にログか」
『はい』
レンは短く息を吐いた。
「やる」
『作業時間を制限してください。中継部周辺の地表は不安定です』
『この傾斜、嫌です』
「傾斜?」
ガタの声で、レンは足元を見た。
中継部の周りは、わずかに傾いている。砂に埋まっていたせいで分かりにくいが、基部の下側が空いているらしい。レンが立っている場所も、少しずつ砂が流れている。
ガタの車体が、ほんのわずかに斜めになっていた。
「ガタ、動くな」
『動いてない。地面、動く』
「ノア」
『右後輪側の沈下を確認。レン、ガタを二メートル後退させてください』
レンはすぐに戻った。
中継部から離れ、ガタに乗り込む。結束ベルトを外す余裕がなく、腰から荷台へつないだまま操縦席に乗る。引っかかりそうになって、慌てて外した。
「くそ、待て」
『落ち着いてください』
『早くして』
「ガタが急かすな」
レンはガタを低速で後退させた。
右後輪の下で、砂がずる、と動く。車体が少し傾く。レンは操縦桿を握り込み、速度をさらに落とす。
『右後、嫌』
「分かってる」
『かなり嫌』
「止まるな、抜けろ」
ガタが重く揺れた。
荷台の工具箱が跳ねる。固定具が鳴る。右前輪が嫌な音を立てた。
それでも、車体は抜けた。
二メートル後ろ。
硬い金属板の上に戻る。
レンはブレーキを踏み、息を吐いた。
「……助かった」
『ガタの地形判定は有効でした』
『全部、嫌』
「今日はそれでいい。嫌で助かった」
レンは一度、車内で目を閉じた。
中継部は見つかった。
でも、足場からして危ない。
直接近づいて長時間作業するには、地形固定具がいる。安全索もいる。照明も足りない。砂を抜く道具もいる。焦って触れば、ガタごと沈むかもしれない。
ノアが言った。
『本日の作業目標を変更します。復旧ではなく、調査と保護に限定してください』
「分かった」
レンはガタを安全な位置に止め直し、再び中継部へ向かった。
今度は安全索を短くし、足場を確認しながら進む。点検パネルの周りに追加照明を置き、砂の流れを見ながら、内部の写真とログを端末へ送る。
砂を全部抜くのは無理だ。
だから、今日は奥の弱い光の周りだけを守る。
切れたケーブルの位置を記録し、焼けた端子を触らないように印を付ける。砂が入らないよう、外したパネルを斜めに立てて風よけにした。見た目はひどい。だが、奥の光に砂が直接当たる量は減った。
『旧ログ領域への簡易接続が可能です』
「読むか」
『断片のみです。破損による誤読の可能性があります』
「誤読しない範囲で」
レンはケーブルを差した。
端子の形は合わない。部品保管室から持ってきた仮変換具を挟む。固定が甘い。指で押さえたまま、端末を起動する。
中継部の奥の光が一度だけ強くなった。
[RELAY LOG FRAGMENT]
――――――――――
管理者識別:破損
作業記録:断片
外周中継線:低出力維持
接続先:基幹側不明
音声ログ:破損
――――――――――
「管理者識別……」
『旧管理者ログの可能性があります』
ノアの声が、わずかに低くなった。
レンは端末から顔を上げた。
「ノア?」
『私の古い作業履歴と一致する断片があります』
「お前の?」
『はい。ただし、破損しています』
端末の表示が乱れた。
文字が一瞬だけ浮かぶ。
――ノア、そこの名前はあとで直す。
――いや、今は仮でいい。
――だいぶマシなら十分だ。
レンは固まった。
「……だいぶマシ?」
『断片です。意味の確定はできません』
「いや、今のはだいぶ意味あるだろ」
『破損ログです』
「お前の命名癖、前任者由来か?」
ノアはすぐに答えなかった。
中継部の奥で、弱い光がまたたく。
風よけにしたパネルが、かた、と鳴った。
『現時点では、判断を保留します』
「珍しいな」
『追加ログが必要です』
「じゃあ、次はそれも読む」
『推奨します。ただし、本日の作業継続は推奨しません』
『帰ろう』
ガタが、少し離れた場所で低く言った。
レンは中継部を見た。
半分埋まっている。壊れている。すぐには使えない。だが、通信中継部である可能性は高い。MIOへ向かう条件の一つで、ノアの古い作業履歴ともつながっている。
見つけただけでは終わらない。
ここからが作業だ。
「ノア。今日の成果をまとめて」
『はい』
[FIELD RESULT]
――――――――――
旧通信中継部候補:到達
状態:半埋没/破損大
即時復旧:不可
補助電源反応:微弱
旧ログ領域:保護対象
旧管理者ログ:断片検出
次回必要:砂除去具/地形固定具/追加照明/安全索強化
――――――――――
「十分だな」
『はい』
『帰れる?』
「帰る」
レンは点検パネルを完全には閉めず、砂よけになる角度で固定した。風で飛ばないよう、固定杭を二本打つ。中継部の奥の弱い光が、隙間からまだ見えている。
消えていない。
それだけ確認して、レンはガタへ戻った。
帰り道は静かだった。
ガタは何度も「砂」「傾斜」「右前輪」と言った。レンはそのたびに速度を落とした。ノアはルートを細かく修正した。誰も急がなかった。
拠点の車庫へ戻ると、扉が閉まった。
外の乾いた風が切れる。
レンは操縦席から降り、荷台の工具箱を下ろした。腕が重い。手袋の中は砂だらけだ。だが、端末には中継部のログ断片が残っている。
だいぶマシ室へ戻り、作業台に端末を置く。
画面には、破損した一文が残っていた。
――だいぶマシなら十分だ。
レンはそれを見て、ノアの端末を振り返った。
「これ、偶然じゃないよな」
『判断を保留します』
「保留、多いな」
『必要です』
「でも、次は読めるところまで読む」
『推奨します』
レンは小さくうなずいた。
MIOへ届くための中継部は、半分埋まっていた。
しかも、ノアの過去まで埋まっていた。
遠くへつながるために掘り出すものが、また増えた。