軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

83話 アリス・イン・デート その2

「竜が仲間でも、失敗するかもしれない。それほどに難しいんだ、今からやろうとしてることはよ」

「ほう」

短い言葉。

竜の興味を引きつつ、かといって嘘はつかず。

正直に、ありのままに、目の前の竜を言葉で口説き落とす。

「退屈だって? そりゃ当たり前だ。恵まれた生まれ、存在、力、財力、その他、ドラ子、てめえは持ちすぎている。レベル100の奴が難易度イージーモードで攻略すればそりゃ退屈だろ」

「ふむ、言いたいことはなんとなくわかる、だが、オレは竜だ。持つモノ、選ばれて生まれし者、それが竜なのだが」

傲慢、尊大。

ヒトであればいつしか社会の中で削ぎ落とされているはずのその性質。

竜は傲慢、尊大であり続けることを許される、誰もそれを咎めることが出来ないからだ。

「アホ、それで退屈だっていっていじけたままなら世話ねえよ。工夫しろ、工夫。人生は少し難しいくらいの方が退屈しなくて済むもんだ」

だが、遠山はそれが出来る。

竜を殺した男、竜殺し。その言葉であれば竜は耳を傾ける。

この奇妙な関係は綱渡りのバランスの上にある。

「ふかか、ならば、オレにどうしろと言うのだ? やり方を知っているなら教えてもらおうか。我が竜殺し」

愛とも呼べぬ、友情に近いけれども違う、異なる生き物との綱渡りの関係は、遠山鳴人の暴力が竜の生命を奪い取ったことから始まった。

時に相互理解の為には必要最低限の暴力が必要になる時もあるのだろう。

だからこそ、遠山は彼女へこの言葉が言えるのだ。

「俺たちに合わせろ、俺たちと視界を同じに、俺たちと歩みを同じに。ドラゴン、お前が人の所まで落ちろ」

ヒイッと、引き攣るような声はラザールのものだ。

ストルですら目を丸く見開いて硬直している。

子供たちは本能的に今は静かにしていようと黙ったまま。

遠山と竜は向き合ったまま、互いを視界に入れたまま動かない。

こつ、こん、こつ。

彼女の長く整った指が、ただ静かにテーブルを叩く音だけがずっと聞こえた。

「………貴様でなければこの場で焼き尽くされても文句は言えないな」

長いため息とともに、竜が机に身を預けてしなだれる。

柔らかそうな金の髪がふにゃりとドラ子の動きに合わせて顔に被さる。その狭間から覗く瞳はしかし、しっかりと遠山を見据えて。

「だけど、お前はそれをしない、俺を焼いたりはしない」

「ふかか、なんと態度がでかいものよな。のう、ナルヒト、……このオレに、竜をやめろ、と?」

「いや、違う。お前はお前のままでいい。竜のままで人に寄り添え」

竜よりも、遥か傲慢。

悪びれも、躊躇うこともせず遠山が言い切る。

「お前はこれから、俺たちと目的を共にする。竜祭りの主役であると共に、俺たちのパン屋の広告、CMになる。俺たちと一緒に、失敗する可能性のある試練へ挑戦するんだ」

冒険者の舌が回る。

嘘をつかずに、竜を口説く。

「…………試練」

「ああ、試練だ。退屈してる暇がなくなるぞ」

「……それでも、オレが退屈したらどうする?」

「そんときはそん時だ。別の方法を考える。それにもし、お前が望むんならーー」

遠山鳴人が、真っ直ぐに竜を見つめる。

結局のところ、遠山は昔から道の切り開き方をこれしか知らない男だった。

「やるか? ラウンド2。言ったよな、お前がとち狂ったらいつでも相手してやるってよー」

暴力。いつだって、遠山鳴人の試練の末にはそれがある。この男はそれを振るうことを恐れない。

その素養は少なくともこの生き物、暴力と支配を欲求として備える上位生物、"竜"との付き合いには必要不可欠なものだった。

争いに備えることが出来ない者に、平和が訪れることはないのだから。

「ふかか」

竜が笑う。

縦に裂けた瞳の中に、歪に笑う狐目三白眼の男の顔がはっきりと映って。

「ナルヒト、貴様、やはりアホだな」

「どこがだよ」

ふふっと、笑うドラ子に遠山がぼやく。

ぼやいて、ハッと押し黙る。

蒼い瞳。

空の1番高く、宇宙と空の狭間のダークブルー。その光景をそのまま焼きつけたような瞳がこちらを見ていたから。

「ーーああ、其方の言う通り。退屈だ、ほんに、本当に退屈だ。貴様と出会えたあの日から、少しはマシになった。だが、気付けばオレは退屈を患う。……貴様の謀に乗れば、これは治るのか?」

ぞわりとするほど、美しい声だった。

それはきっと、竜の知られざる本音、アリス・ドラル・フレアテイルの本質から湧き出た言葉なのだろう。

「ほんとうに、貴様はオレを退屈させないでくれるのか? ……トオヤマナルヒト」

竜からの問いかけ。

その瞳は、定命の存在の心を見透かす。

遠山は知らない、竜の性質、ヒトの心を見透かし、誠か嘘かを測る竜眼。

男の心を竜の眼が見つめる。

ほんの僅かにかかるモヤが気になるが、全く揺れずにただそこに在る男の心。

竜は、その揺れない心を眺めるのが好きだった。

「暇な奴ほど人生に絶望するもんだ。働け、ドラゴン。俺たちと一緒に」

その不遜な物言いに、一切の嘘なし。

ただ、ただ純粋に、欲望のままにでた言葉に、竜の瞳に映る嘘はなし。

「ーーああ、其方はいつも、その眼をするのだな。前しか見ておらぬ子どものような眼。全くわがままな友人をもったものだ、このオレも」

深いため息。

アリスが遠山をちらりと眺めて、すっと目を逸らす。

そして口を開いた。

「だが、ナルヒト、条件がある。貴様の口車に乗ってやる条件がな」

「あー? なんだよ、ぶっちゃけ大抵のことなら叶えるぞ」

「………貴様、老竜と冒険者ギルドに出向いたそうだな」

ぼそりとつぶやいた声には、どこか棘があって。

「え?」

「とぼけるでない、聞いたのだ。それに、そこのストルとも冒険都市に共に出かけたりしているのだろう?」

「あ? いや、人知竜のは俺、多分意識なかったし、ストルのは買い出しだ。出かけるっていうもんでもないだろ」

ケロリと遠山が答える。なんの悪びれもなく。

「……………ラザール、この男」

「すまない、ストル、許してやってくれ。彼はナルヒトなんだ」

無表情のまま、ぼそりと呟くストル。しかしその右手は強く拳を握っていて。

ラザールが真顔のまま、ストルを宥める。もう慣れた、そんな顔だった。

「ラザール君、もしかして今の悪口?」

「………自分で考えるといいさ」

「え、冷た……」

遠山の言葉に、ラザールはとりつく島もない。

「……関係ないが、この季節は良い。ヒナヤ山脈の雪解け水は透き通り、雨が少ないから大河も濁らん。……中央区の川のせせらぎは美しく、心地よいのだろうな」

「ドラ子?」

ドラ子は目を合わさない。俯いて、机に視線を落としながらぼそり。

「………それに、市場に出る生鮮食品も美しいものが多い。竜祭りに出るのだ、このパンの完成のためにも、さまざまな食材を見ることも重要だろうな。……別に関係ないが、オレは食材の目利きもできるのだ」

「…………?」

遠山は目をぱちくり。

なんだ、なんの話をしている? 遠山には本気で竜が何を話しているのか理解出来なかった。

「……この季節の日差しは気持ちが良い……のだが」

「ああ、たしかに気温がちょうどいいよな。暑くもねえし、寒くもねえ」

「…………竜は、みんなひなたぼっこが好きなのだが」

「ああ、うん、日向ぼっこ……」

「……ぼっこなのだが」

「…………うん?」

沈黙。

ドラ子がそっと、こちらを見る。

らしくない視線、先ほどまでのドラゴンっぽさはなくこちらの様子を伺うその姿はまるで、友達の誘い方を知らない人見知りが反応を伺うかのような。

遠山の額から、顎を伝うのは雫のような汗。

なんだ? 何が、何を言われてる?

いったい何が起きているんだ?

遠山は、何も分からない。

残念ながらこの男、人格形成に大事な10代の時期に友達がいない為、こういう機微には呪われているのではないかというほど疎かった。

それに、遠山鳴人は自分に価値を微塵も感じていない。

少し考えれば分かること、ドラ子の言葉から自分と遊びたがっている、誰でもわかるようなことが分からない。

そんな事をこれっぽっちも予想することすら出来ないのだ。

だって自分という人間自体には価値がないから。

自分という存在と打算なく一緒に居たいと願う存在などいるわけがないから。

無意識の中に刷り込まれている観念は、彼の思考を歪めていて。

「もう! お兄さんのおバカさん! 女の子にこれだけ言わせてるのになんなのかしら、そのお顔!」

「え、ニコ?」

澱み始めた空気を、快活な少女の声が晴らしていく。

「え、じゃないの! 私、難しいことはよくわからないけど、お兄さんはアリーと一緒にパン屋さんをしようとしてるのよね?」

「あ、はい」

ずいっと、遠山に詰め寄るニコ。

遠山は、かくりと頷くだけ。

「それで、アリーはね、それを手伝ってくれるってゆってるの! ここまではお兄さん、わかりますか?!」

「は…… い」

え、手伝ってくれるの? そういう流れになっていたのか?

誤魔化しつつ、頷く。遠山の油の切れた人形のようなぎこちない首の動きに、ニコが眉を吊り上げた。

「わかっていませんね! そのお顔は! もう、アリーもアリーよ! お兄さんの気を引きたいからって意地悪なこと言ったり、デートに行きたいからって条件とか難しいこと言ったり! もっと素直になるべきなのだわ!」

「ふか?! ま、待て、ニコよ! お、オレはそんなこと一言たりとも! そ、そもそも、でーととは! あれだ、友達ではなく、こいびとがいくようなものだと本でーー」

しゅばっと、次はニコがアリスへと詰め寄る。

ニコにとって、アリスは竜ではなく、アリーという年の近い女の子のお友達だ。

生来の陽の気質に、陰湿な男と、めんどくさい竜は狼狽える。

「言いましたァー! 私、バカだからアリーが竜とかそういうの分からないけど、貴女はとてもいい人だわ、だから素直になればお兄さんは必ずあなたのお話を聞いてくれるのよ!」

「う、む、む」

「それと、お兄さん、やっぱりでも鈍すぎだわ! お友達にお願いごとをしてるなら相手がして欲しいと思ってることを考えて寄り添うことが大事だと私は思うのですが!」

「はい…… ぼくもそうだと思います」

正論の極み。

中学生以下の少女に人間関係でガチ正論を喰らうと成人している遠山からすると結構きつい。

「おお、さすがニコちゃん。あのトオヤマがシオシオに」

「あの歳であの歳の女の子に説教されるのは成人男性としてキツいだろうな。だが、ナルヒトにはいい薬かもしれん」

「はい! ということで! これからお兄さんとアリーはお出かけに行ってきてください! これはジューギョーインからお兄さんへのお願いです! 聞いてくれますか!」

「はい…… バカで鈍くてすみません……」

「オレ、オレは、別に、そういうのでは…… ナルヒトに、そういうのは嫌われてしまう……友達だから、その……」

しおしおしている根暗な男と、うじうじしている情緒不安定な竜、陽キャには勝てない。

「いーから、いってらっしゃい! お家のことは私たちでおそーじしておきます!」

ドアをがちゃりと開いてニコが急かす。

「はい…… ドラ子、とりあえず行こう。ニコが怖い…… ガキに怒られるのキツいわ」

「……定命の者の成長はほんとに早いものなのだな……」

一応は竜殺しと、上位生物がぽてぽてと促されるままにニコの言う通り立ち上がる。

「お夕飯までには帰ってきてね! あ、お兄さん、アリーをきちんとお家まで送らなきゃダメよ」

「ウイッス」

「む、む、……邪魔をした。ナルヒトの一味よ。……それと、ニコ。手間をかけた」

「なんのことでしょうか! アリー、少しいいかしら」

むふーっと、腰に手を当てて鼻息を吐くニコ。すすすっと、ドラ子の近くに歩み寄り、声を顰める。

「ゆるす」

式により姿を変えていつもよりは幼くなっているとはいえ、アリスの方が身長が高い。

すっと、しゃがみ込み、アリスがニコに耳を寄せる。髪のふさから斜め下に生えている角が当たらぬように身を捩らせて。

「お兄さんね、悪気はないの。ああいうヒトだから、貴女のことが嫌いとかではないのよ。……少し目を離したら、どこかへ行ってしまいそうなヒトだから、貴女も、あの人の重しになってくれたら嬉しいな」

それは、少女でありながらどこまでも現実を見据えている女の言葉だった。ある意味ニコ、彼女こそがこの連中の中でもっとも、遠山鳴人という男の本質に感づいていたのかもしれない。

一瞬、ドラ子が、竜が、目を見開いて少女の顔をまじまじと見つめる。

クスリ。

桜色のツヤツヤの唇に細い指を立ててしーっと、ウインクして微笑む少女。

それは、竜の眼を一瞬とはいえ奪うほど、女性的な魅力、可憐さと艶美さと、そしてスパイスとして打算的な色を持つもので。

「……ニコ、貴様…… ふかか、定命の者とは、ふ、ふふふ」

アリスが、口角を上げる。

定命の者。

死を定められ、生を制限された小さき存在。だが、それ故に竜からしてみればそれは信じられないほどの変化の可能性を秘めたものかも知れない。

呑気な奴が声を上げる。

アリスはニコを見つめた後、小さく頭を下げてその場を去る。

「ドラ子、先出てるぞー。すまん、ラザール、ストル、家のこと少し任せた。少し出てくるわ」

ある意味1番呑気な奴が、呑気な声をあげて。

「ああ、任せてくれ。ナルヒト」

彼のこの世界での最初の友がため息をつき。

「……お気をつけて、トオヤマ」

彼の騎士が、見送る。僅かな湿気を伴う声で。

「む、待て、ナルヒト、オレもすぐいくぞ」

アリスはニコを見つめた後、その場を去る。

彼女はわからなかった。自分の頬がなぜか、どうしても緩んでしまう理由が。

「行ってらっしゃい、アリー」

少女は年上の金髪の友人を見送る。

願わくば、重しに、枷に。

あの遠い場所だけ見つめて、いつのまにか居なくなってしまいそうな人。

物騒で、恐ろしくて、でもとても優しい男の人を少しでも繋ぎ止めるために。

自分ではきっとなれないそれに。

ーー貴女がなってねと願いながら。

………

「終わった? 終わったのよね? 隣からさー、犬も食わないような痴話喧嘩聴こえてきてたけど、終わったのよね?」

がちゃりこ。

遠山と竜が去ったのち、ダイニングルームからリビングへと繋がるドアが開く。

白髪糸目の主教と、金髪小柄の聖女。どさくさに紛れて身をひそめ、竜が帰るタイミングを見計らっていた彼女たちが疲れた様子で現れた。

「あ」

ラザールが声を漏らす。すっかり忘れていた。

「ラザール審問官補佐、私たちのこと忘れてた?」

じとり。

無表情の聖女の視線にラザールの尻尾がピンと立つ。

「い、いや、聖女殿! そんなことはない、ないぞ!」

大きく首を振るラザール、聖女はふうっとため息をつき視線を逸らす。

そしてテーブルから椅子をひいて、主教が座りやすい位置に動かす。

「かーっ、ったく、とんだ面倒ごとに巻き込まれたものだわ。あんの狐目野郎、まんまと教会、そして竜まで抱き込んだわけね」

当たり前のように、聖女の動かした椅子にドカリと座り込む主教。

竜のいなくなった今、もう彼女に恐れる者はない。

猫をかぶるのを一切やめて背もたれに体を預けてのけぞる。

「失礼します、主教様、聖女殿、どうぞ、お口に合えば……」

気を利かせたラザールが、そっと沸かしていたお湯に茶葉を濾したものを差し出して。

「あらどうも、ラザール審問官補佐。貴方あの男の元で働くの勿体ないわね。教会の"羽"にはまだ空席があるわよ、影の牙さん」

ティーカップを差し出したラザールの手首を優しく巻き取るように掴む主教。

糸のような細い目から覗くアメジストのような紫瞳がラザールを見つめる。

彼女もまた、人たらし。沈黙と雄弁、そして所作でヒトをたぶらかす方法をよく知っている。

その才能と与えられた秘蹟により平民の出でありながら若くして権謀渦巻く教会の頂点に上り詰めた女だ。

「ごほん! 主教様、既にラザールは審問会のメンバーディス。貴女の指揮系統にあるのは変わらないはずディス」

その手管を知っているストルがその場に割り込む。

天使教会の権力、主教派、騎士派、第二聖女派。分立しながらも絶妙なバランスで成り立つ彼女たちは互いに互いの手の内を知り尽くしていた。

「……1番の驚きね、ストル。貴女、考える頭が出来てるじゃないの」

「……主教様、勿体ないお言葉だが、影は既に溜まる場所を選んでいる。我らが竜殺しと教会の蜜月が続くように努力させてもらうよ」

調子を取り戻したラザールが、すっと主教の手を振り解き、己の胸に手を当てて腰を曲げる。

細められた糸目が静かにラザールを見つめて。

「かーっ、聞いた? スヴィ、けったくそ悪いわー。ラザールもストルもあの男には勿体ない人材よねー」

「主教サマ、その割には嬉しそうですけど」

「はー? どこがよ。……あら、美味しいわね、この紅茶」

スヴィの言葉を誤魔化すようにティーカップを傾ける。上品な香りと口当たりの良さに目を開く。

「ナルヒトが選んだ茶葉です、主教様」

「むかつくわー、その無駄にある教養マジでムカつくわー。なんなのあいつほんと」

げーっ、という顔をしつつも紅茶を飲む速度は変わらない。気に入らないが、基礎的な教養を持ち、嗜好品の選定もできる冒険者など、一級や塔級でない限りかなり珍しいものだ。

「あ、ほんと、美味しいですね、主教サマ」

聖女スヴィも同じく、目を丸くしてぱちくり。遠山の選んだ茶葉に舌鼓を打つ。

「すきしゃ……? として当然のたしなみ…… とか言っていましたディスね」

「すき、しゃ……? どこかで聞いた言葉ね。はあ、まあいいわ。竜もいなくなったことだし、そろそろ私達もお暇しようかしら」

「あの…… 今日はありがとうございました…… 最初、騙すようなことしてごめんなさい」

「ごめんなさいー、おねーさん。おにーさんのお役に立ちたかったんだー」

そそそ、ルカとペロ。顔のいい少年2人が主教へ近寄り頭を下げる。ボーイトラップを仕掛けたことを素直に謝る。

「天使教会、主教様。本来であれば、スラム出身の俺たちなんかが、目にかかることも難しい彼方のお方。ご無礼を。ルカやペロをけしかけたのは俺だ。責任は俺にあります」

そんな2人を庇うように前に出たのは、日焼けした短髪の少年、リダ。

まっすぐ前を向き、深々と頭を下げる。

主教が、糸のような目で少年たちを見下ろして。

「あらー、素で可愛いわねこの子達。それにリダ君、ああ、スヴィが助けた子か。ふーん、スラム街の出身か。必要悪とは言え、貴方みたいな人材が埋もれている可能性もある、か」

「な、なにを?」

ぺたり。

手入れされ、紫のマニュキアで彩られた主教の白い手がリダの頬を挟んだ。

「いえなに、トオヤマナルヒトが教会と人生を賭けた契約をしたのは思ったより愚かな行為じゃなかったのかもね。礼儀を知り、責任を取ろうと前に出ることって意外と誰でもできることじゃないもの…… でも」

主教が静かに言葉を。

その声に宿る確かなカリスマにリダが動きを止めていて。

「いてっ」

ぴしっと、でこぴん。

主教が少年の額に軽く一撃。

「がきんちょ。責任を取る、なんて言葉はね、もう少し歳とってからでいいのよ。少なくともあなたを子ども扱いしてくれる大人が近くにいる間はね。大人になったらいやでも責任取らされてばかりなんだから」

ニッと笑う彼女の顔に、いつもの銭ゲバ感はない。

ただ、気の良い年長者、そんな姿だ。

「あ、はい……」

「さ、いくわよ、スヴィ。あのパンの法について一度見直し、竜祭り以降の利益計算、商人ギルドとの間に起きる予想出来うるトラブル、それに、さっき門まで来てたあの二人組…… どっか見覚えあんのよね。トッスルに調べて貰わなきゃ」

「はい、主教サマ」

教会の2人にはやることがたくさんある。だが、思わず舞い込んだ新たな金儲けの予感に主教が頬を緩めていたのをスヴィだけはしっかり見ていた。

「まったく、鍵渡したら速攻で帰ろうと思ってたのに。どーしていつもこうなるのかしーー

ら?」

主教の動きが、止まる。

いつだって、虫の知らせとは予告なく訪れるのだ。

それは彼女の、才能。

彼女自身、制御できぬ、与えられた祝福の発動。

「あ、が、よ…… く、る」

「主教サマ……?」

未来を見通す予言の秘蹟。

主教の糸目が、大きく開かれ、紫色の瞳がじわりと歪む。

ああ、縦と横。重なり交わる十字。瞳の形が、十字星に変わってゆく。

未来を告げる十字星が、歪な"幸運"により歪められた未来を警告する。

「な。んで、またーー く、そ、スヴィ、書き写して!!」

「ーー承知を」

「え、え」

「静かに、ラザール」

「な、なんだ、どう言うことだ? 主教殿が急に……」

目をぱちくりさせるラザール、静かに、つぶやくストル。

「みな、静かに。主教様のお告げがまいります」

主教を守る教会最強の存在。

第一の聖女の言葉は、何人たりの発言を許さぬ、そんな威圧が込められてーー

真上を向いてかたまり、動かない主教。

彼女の口が、ぱかりこ、開いた。

「そしてりゅうのおまつりはだいせいこう。ヒトはあまねくひろがり、よろこびのこえがこだまします」

「あかいかみとみどりのかみはこんじきのりゅうにねがいをささげました、いのりとゆめとあこがれをそそぎました」

「こんじきのりゅうはそれをききとどけました、じぶんのやくわりをはたすため、ヒトビトのこえをきいたのです」

「みどりのかみのおほしさま。にっこりわらってねがいをかなえました、ふたつでうまれたおほしさま、こううんなおほしさまがねがいをかなえました」

「ああ、ここにヒトのやくそくははたされたのです。うばわれたちょうてんをとりもどし、このせかいのしはいしゃにかえりざきました」

「そして、"こんじきのりゅう"はしにました」

「ひとりぼっちの"りゅうのこ"は、あかいかみのげっこうにやぶれしにました。さいごまで、ずっと、ずっと、いなくなった"とも"のなをさけびながら、ひとりぼっちでしにました」

「"りゅうのとも"もしにました」

「どくをくわされてしにました。"こううん"にもりゅうのともはどくをたべてしまったのです」

「たそかれときにみちるしろいきりが、りゅうとりゅうのともをはなればなれにしたのです」

「りゅうはさいごまで、りゅうのともにあやまりたかったけども、もうそのこえはとどきません。どれほどさけんでも、どれほどひびかせても、とどきませんでした」

「ふたりがいなくなったので"ものしりなりゅう"もこれからしにます。とうのうえからやってくる、すべてをわらい、すべてをこわす、"ぜんぶをだいなしにするおそろしいばけもの"にやぶれてしにます、うんめいのせんそうにやぶれしにます」

「そして、かぜがふきわたります。りゅうがいなくなったのでもうかぜをとめることはできません」

「ああ、かぜがふるくてさびしいものをおこしています。かつてひかりにみせられたくろいとり。かつてひかりをしり、あいをうしなったまっかっか」

「もうだれも"かぜ"を、かのじょを、とめることはできません」

「だからきっと、かのじょのねがいだけがきっとかなうのでしょう」

「かのじょはきっと、たどりつくのでしょう。よくぼうのままに、ぜんぶ、ぜんぶーー」

「はい、おしまい」

ーー主教の声が止まる。

それは彼女の喉を通して、世界のどこからから響く声が奏でた"未来"の話。

お告げーー

「う、…… スヴィ……?」

「…………かき、終えました」

ふらつく主教を支えつつ、スヴィが皮の手帳を主教へと見せる。

「よろしい。……くそ、っタマ痛ッー」

頭を抑えながら主教が目を瞬かせる、ゆっくり、ゆっくり、十字に歪んだ紫瞳が元の形に戻ってゆく。

「主教様、今のは」

「ラザール…… ソファに座るのをお勧めしますディス、ニコちゃん、みんなもソファに座って目を瞑ってくださいディス」

ストルが子どもたちを促す。

「ストル?」

ラザールは訝しみながらも、ストルの言葉に従って。

「ストルはよく知ってるわね、……ごめんなさい、ラザール異端審問官補佐。"大主教令"3日使用ーー この場にいる天使教会、異端審問会メンバーは5分間前の記憶を全て失え"」

「「「「「あ」」」」」

この場にいた皆が、ポカンと口を開けて虚空を見つめる。

天使教会に属する存在への絶対命令権。

継承秘蹟、"大主教令"は、遠山の一味を教会の一員だとみなしていて。

「さて、これでよし…… こどもたちにも適用出来たのはラッキーね。……クソ、ほんとロクなもん見せないわ、この秘蹟」

「主教サマ、予言の他に何が見えましたか?」

目を瞑り、静かに息を立てる彼らの様子を確認したのち、聖女が主教へ語りかける。

「スヴィ、すぐに馬車を出しなさい」

「え?」

カノサはスヴィの問いには答えず、部屋の出口へと歩み出す。

その顔、薄く開いた糸目の隙間、紫の瞳は鋭く。

「竜殺しと蒐集竜様、すぐに探しにいくわ。手遅れになる前に」

「ーー主教サマのお言葉のままに」

彼女だけ、主教だけがわかる未来への焦燥を説明なくスヴィは受け入れる。彼女たちの関係は昔から決まっていた。

スヴィにとって、カノサの言葉に理由などいらず。

「ああ、もう、なによ、この未来…… ほんと、クソ……」

断片的な未来の光景。白昼夢にも近いあやふやなもの。今、この瞬間にも消え始めている秘蹟が見せた未来に、悪態を。

「トオヤマナルヒト、アンタほんとなんなのよ……」

そして、その最悪な未来に関わる厄介は男の名前を吐き捨て、主教は行く。

気に入らないし、納得もできないが、彼女は知っている。

自分はもう大人なのだ。

見たくもない未来が見える、見てしまったものの責任を果たすべく、大人である彼女はブツブツ呟きながら歩幅を少し広くした。

◆鴉◆カラス◆烏◆

ねえ、やっぱり邪魔だよ、あの秘蹟。