軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

77話 ガバガバの分岐点

〜少し前、竜大使館の一室にて〜

ふふふか、ふかか、ふふか。

きづけば、鏡の向こうのオレが偉く上機嫌で鼻唄を歌っている。

ふむ、幼児だった頃はたしかお母様によく機嫌がいい時に歌う鼻唄が可愛いと言われていたな。我ながらたしかに可愛い、さすがオレだ。

「お嬢様、本日は特にご機嫌うるわしいようで何よりですな」

「む、わかるか? ふかか、ナルヒトめ、ようやくだ。ようやくなのだ、見よ。じいや」

オレは、爺やに鏡台の上に置いていた便箋を見せつける。なかなかに上質な紙に、生意気にも天使教会の蝋印で貼り付けられたものだ。

宛名はもちろんオレ宛。差出人はもちろんオレの竜殺し、ふかか、友達からの手紙というのは初めてだが、気分がいいものだ。

「ほう、これは…… 竜殺し殿からの手紙、ですかな。この文字……古代語で書かれていますね」

「む、あやつめ、味な真似をするではないか。奴は常識がない割に妙なことを知っていることが多いからな、古代語で手紙を書いてくるとは、ふふん」

「しかし、古代語で手紙を書くとなると、帝都の大学を出て古代語の専攻でもしない限りはなかなかに」

爺やが髭を撫でつつ、目を細める。感心したのか何度もふむふむと唸っている。

「ふふん、ナルヒトだぞ? もう今更あやつが何をやらかそうとちょっとやそっとでは驚かぬわ」

なぜだろう、爺やがナルヒトを褒めると、オレも嬉しい。奴のことを自慢したくなってしまう。胸がぽかぽかして悪くない気分だ。

「ふむ、かの全知、いえ、人知竜が買っているお方です。そんなこともありえましょうな」

「むぐ、あの老竜のことをオレの前で話すなよ。あやつ、この前、オレの寝室にナルヒトを連れてきて、好き勝手なこと言ったりしてきたりしたのだぞ。なんなのだ、アレは」

「アレはもう、アレでございます。お祖父様、炎竜と人界で争っていた頃から本質は何も変わっておりませぬ。ただ、己の面白そうなことのみに注力するそのありさま。竜の一つの形ともいえましょうか」

くくく、と笑う爺や。ふふん、オレは知っているぞ、爺や。貴様があの老竜の話をするとき、少し嬉しそうにしているのをな。

「………だから昔、爺やも、あの老竜に惚れていたのか?」

オレのこれはほんの少しの意地悪だ。許せよ、爺や。竜は面白いことが好きなのだ。

「ブフォウ!!」

「ふふ、風邪か?」

爺やが急に大きく吹き出した。肩を震わせながら目を見開くその様子は長い付き合いの中でもそうそう見れたものではない。

「…………お嬢様、そのお話は、誰から」

「あの老竜から聞いたぞ。若い頃のイケイケの爺やから、何人もの竜の狩人の首と一緒に恋文が贈られてきた話しとか、魔術学院の鐘楼の上で、世界がもし壊れても守るとかなんとか口説かれたとか」

「………………若気の至りにございます、お嬢様。どうかご容赦を」

ものすごく苦々しげに爺やが呟く。ふふ、爺や、貴様はたしかにヒトのままいることが出来ない踏み越えた者だが、きちんとまだヒトの頃の思い出が残っているじゃあないか。

「ふむ、あの老竜、中身は泥と企みと厭らしさを煮詰めたような存在ではあるが、見目だけは評価してやってもいい程度だからな。爺やが絆されるのも無理はないさ」

「寛容なお言葉…… 誠にありがたく、お嬢様」

「それにしてもあやつ、いきなり大使館に押しかけたと思えば、急に出て行くなど……竜とはわがままない奴が多くて困るものだ、なあ、爺や」

「………その通りですね、お嬢様」

まったく。個としての存在が強いとはいえ自分勝手なやつもいたものだ。

まあ、思ったよりも、あの古い竜とのひとときは、言うほど悪いものではなかったかも知れない。オレの知らないことを知っている奴の話しはほんの少し、面白かった。

だが、あの老竜め。

普段は、樹木か何かかかと言わんばかりに感情がないくせに、ナルヒトと一緒にいるときだけメス臭い発情の香りをこれでもかと撒き散らすのは気に食わない。

いつか、焼き尽くしてくれる。

「ふん、まあ良い。今日は待ちに待ったナルヒトとの約束の日だ。ふふん、老竜め。あやつに自慢してやるのだ、ナルヒトのお家に呼ばれたのは貴様ではない、このオレだ、とな」

ふり、ふり。

おっと、いかん、思わず尻尾を出してしまった。ふむ、中々にまだ制御がうまくいかないものだな。

「…… 今更ですがお嬢様、竜殺しを本当に気に入っておいでですな」

爺やが、オレの尻尾を眺めてつぶやいた。

「ふかか、あやつはオレの友人であるからな、それに、貴様や、ファランと違うて、奴の心は読めるのだ、だから面白い。奴は決して嘘をつくことがないからな。まあ、だからこそ一度嫌いと言われた時は効いたものだが」

ーー嫌いだ

あの時のこと、あやつを初めて竜大使館に連れてきた時のことを思い出しただけでも、鱗がささくれそうな気分になるのだ。

あやつの言葉とあやつの心は常に同じ。他のヒトとは違い、あやつは自分の言葉に決して嘘をつかない。

それが面白く、それが、少し怖い。だが、友人だから大丈夫なのだ。

「……お嬢様に心が伝わるということは、未だかの者が定命の域にあるということ、何よりではありませぬか、ヒトがヒトのままいるのはとてもよいことです」

「貴様が言うと重みが違うな、爺や。さて、ではそろそろ、俺は湯浴みに行く。モベーレムベンベの香油と出かけの装衣を用意しておいてくれ」

変化の申し子、決められた生命、定められた命しか持たぬ弱き定命の者。

ナルヒトは、オレとは違う。

ヒトと竜は決して同じ存在ではない。

本来であれば、並び立つ存在になるはずもなく、その関係は支配と従属、そうなるはずだ。

それがルール、絶対の律。

そのはずだった。

ーー殺せ、キリヤイバ。

だが、ナルヒトがそのルールを壊した。あの日たしかにこの世界のルールはトオヤマナルヒトによって塗り潰された。

変化の申し子。世界において弱く脆く儚く、だからこそ変わり続けるもの。

ヒューム。

オレはもっと彼奴のことを知りたいのだ。何を考えて、何が欲しくて、どうやって笑うのかとか、もっともっと色々なことを知りたくなる。

「はて、お出かけですかな?」

「むふふ、ああ、友達の家に遊びに行く。お呼ばれ、という奴だな」

「作用でございましたか。ふふ、それはよきことですな。ファランめに本日の衣装付けは普段より力を入れて行うように伝えておきまする」

「……む。そう言われると、まるでこのおれが少しはしゃいでるようではないか。子供扱いするでない」

「ほほ、これは失礼をば。ではお嬢様、ごゆっくり」

爺やが部屋から出て行く。相変わらずなんの物音も気配も出さずに動くものだ。

オレはふと、窓の外を眺める。

雲ひとつなく揺蕩う青が、広がっている。

オレの知る空のてっぺんの深い蒼よりも薄い色、

最近、気づいた。己の翼で泳ぐ空もいいが、こうして、見上げて眺める空も悪くない。ナルヒトが見上げる空もきっとこんな風に映るのだろう。

「良い天気ではないか、ふふ」

こんなぽかぽかした天気の下、友達に、ナルヒトに会いに行けるのだ。

オレは湧き上がる喜びが胸の真ん中を揺らす感覚をただ、楽しんでいた。

…………

……

ああ、いい天気だ。

遠山鳴人は一度空を見上げて小さく息を吐く。視界一杯に広がる青を目に馴染ませ、少し現実逃避。

なんか変な人きちゃったなー、めんどくさー。

既にもう色々面倒くさくなり始めた遠山はしかし、ゆっくり視線を前に戻して現実と向き直る。

「……いや、マジで、なに?」

ゆっくり、言葉を選んで問いかける。突然の来訪者へ向けて。

「あらあら、ごめんなさい、わたくしったら、つい。名乗りもせずに大変御無礼をいたしました。どうも、はじめまして、かの偉大なる者を殺したお方。数百年ぶりに現れた世界の段階を進めた者、"竜殺し"さま」

美しい緑の髪。翡翠という宝石に、誰の手も入っていない美しい森の緑を混ぜ込んだような髪の色。

ニコニコと形を変える表情、小さな顔にくりくり舌瞳。どことなくあどけない印象は少し垂れ目がちまぶたのせいだろうか。

「……………」

遠山はその突然の来訪者を観察する。

もうこの時点でコイツがあまりはとの話を聞くタイプではないことだけは理解出来ていた。

「わたくしはフォルトナ、と申します。冒険都市に来るのは初めてで、色々珍しいものが多く散策していたところ、たまたまこのお屋敷が目に止まって、ついお邪魔してしまいました」

「……あ、そうですか。すみません、えっと、知り合い、とかじゃないですよね」

「はい、今貴方とは初めてお会いしました。ふふ、お話で聞いていたよりも、普通のお方なんですね」

やべえ、話が微妙に通じてない。

遠山は昔、道端で知らないおばさんに1000円貸してくれと声をかけられた時のことを思い出す。

やべえ人間に話しかけられた時のうんざり感、遠山はすぐに対応の方針を決める。

「すみません、今少し来客がありまして。申し訳ないんですが、お引き取り頂いてもいいですか?」

「まあ、それはご迷惑を! ごめんなさい、わたくしったら…… すんすん、わあ、とても良い匂いがいたしますのね。何か、お庭でお食事、パンでも焼いていらっしゃるの?」

「ええ、まあ、そんなとこです。お引き取り頂けますか?」

目を輝かせる緑髪の女に塩対応を続ける。このタイプの人間には少しでも歩み寄りを見せてはいけないことを遠山は知っていた。

「審問官殿、お知り合いではなかったので?」

案内してくれた門番問いかけてきた。雰囲気を察してか、僅かにその声は重たく。

「ええ。知り合いじゃないすね。フォルトナさん。邪険にするわけじゃないが、その、特に用事がなければ……」

あまりこの女を刺激したくない。初めて会ったはずなのに、既に嫌悪と言ってもいい違和感が、 身(・) 体(・) の(・) 奥(・) か(・) ら(・) 湧(・) き(・) 上(・) が(・) る(・) 。(・)

「ふふ、影の牙もここにいるんでしょうか。悪事に愛された彼がまた、逃げ出した先でうまくやっているようで何よりですね」

「ーーあ?」

その言葉だけは聞き逃すことは出来なかった。その言葉に反応しないわけにはいかなかった。

影の牙、それはラザールの過去に深く関わる名前で。

「あら、怖い顔……」

頬に手を当て、緑髪の女が首を傾げて笑う。愉快そうに薄く開いた目は笑っていなかった。

「誰だ、あんた」

改めて、遠山は女に問う。

単なる迷惑な変人と放っておくわけにはいかなくなった。

「フォルトナ、フォルトナ・ロイド・アームストロング。以降お見知りおきを。竜殺し様」

長いロングスカートの両端を軽く持ち上げ、ウインクしながら女が頭をちょこんと下げる。

サイドテールにまとめられた緑髪が昼の陽を受けて複雑に輝いた。

美しい所作、嫌悪感あふれる遠山でさえその動きと見た目に一瞬目を奪われるほどの。

名前を聞いたことはないが過去のラザールの関係者であるならば、厄ネタだ。慎重に扱う必要があるだろう。

「……影の牙とやらは知らん。あんたが探してる奴はここにはいないよ」

「うふ、とても恐ろしい目です。わたくし、もしかしてもう既にあなたに嫌われてしまいましたか?」

「悪いな、人見知りなんだ。知らない人間がいきなり家に訪ねてこられたら怖くてな」

「まあ、ふふ、面白い人。初対面で嫌われたのは久しぶりです。基本的にはみんな最初はわたくしを好いてくださるのですが…… さすがは竜殺し様、あなたはもうすでに目も眩まんとする何かをお持ちなのですね」

「フォルトナさん、悪いけど出直してくれ。ここにはアンタが探してる奴もいないし、正直知らない奴に家に来られるのは気味が悪いし迷惑だ」

この場を穏便に収めた上で、ラザールと相談。

なるべく不干渉、必要なら、再び探し出して始末しよう。遠山のプランはそんなところだ。

「くす、ほんとに良い目ですね。竜殺し様。ヒトをヒトとも思っていない。貴方にとって、自分の脅威や障害になる存在は、ヒトではなくなるんですね。ふふ。シンパシーを感じます。ええ、少しでも運が悪ければ、殺されてしまいそうな気さえしてしまいますわ、ふふ、ふふふふふ」

うっとり。

遠山の目を見つめて、僅かに頬を染めて笑い出す女。

なんだこいつ無敵か? 遠山は想像していない反応に少し引いた。

「審問官殿、ここはもう我々が。申し訳ございません、不用意にお呼び立てするのではなかった」

様子がおかしいことを察した門番が遠山に頭を下げる。

「お嬢さん、申し訳ございませんがここは私有地です。家主のお知り合いでないのならどうか、お引き取りを」

もう片方の門番が、遠山と女の間に割って入る。威圧感を隠そうともせずにフォルトナへ退出を促した。

「あら、追い出されてしまいそうですね。ふふ、それは困ります。わたくし、竜殺し様とお話したいのですから」

「……警告です、これ以上ここに居座るおつもりなら我々も実力を持って貴女にお引き取り頂くほかありません。どうか、穏便に」

「職務に忠実ですのね。うーん、でも嫌です。わたくしが今やりたいことは、竜殺し様のおうちにお邪魔して色々お話したり、ええ、遊んだりすることですもの。……あなた達は、それを邪魔するのですね?」

「……あまり暴れないように。怪我までさせるつもりはありません」

門番が一歩前に。フォルトナに向けて手を伸ばしてーー

「あらあら」

深く女が笑った。

ーーー。

ぞく。

背筋に氷柱を差し込まれたような寒気。同時にビリビリと痺れる感覚が遠山を襲う。

無意識に、門番の肩を掴んで動きを止める。

「ーーいや、門番さん、待て、コイツに触るな」

「……しかし」

「いい、だめだ、コイツは刺激したらダメだ」

理由は定かではない。あのメッセージも警告していない。

だが、遠山鳴人の体を構成する何かが、フォルトナに触れようとする門番を止めた。

ーー脳裏を一瞬よぎるあの白蛇女。理由は分からなくて。

「……………」

微笑みを固めたまま、フォルトナは動かない。

だが薄く開いた目からは怯えも動揺もない。

その目は、猫だ。ネズミをいたぶるのを楽しむ猫のように楽しげにくりくりと輝いていた。

「あんた、いや、お前。嫌な目してるな。それ、ムカつく目だ」

「……あら?」

「さっきから、俺や門番さんを見るお前の目、笑顔だけど、違うな。俺はそういうのは敏感でよ。その目は人を見下してる目だ。何が起きようと、全てうまくいく、そんな目だぜ」

「ふふ、竜殺し様、あなた、やっぱり面白いですね」

「警告だ、出て行け。俺たちに関わるな」

「えー、わたくしはあなたに関わりたくなってきましたのよ、どうしましょうか」

その目が愉快げに、動く。

強者の目。何にも怯えず、自分を脅かすものなど存在しない。

それは、あの竜の初めて出会った頃の目にも、どことなく似ていた。

「ほんと、ムカつく目だな」

「ふふ」

フォルトナは、遠山の言葉を受けてただ、笑うだけ。

どうしたものか、苛立ちつつも遠山がやり方を考えてーー

「アアアア!! てめえ、このアホバカノーテンキ女ァ! よーやくみつけたぜええ!」

大きな男の声が響いた、フォルトナの背後から。

かと思えば、ものすごい速さでこちらへ向かって爆走してくる男の姿。それは目視した瞬間にはもう、目の前まで迫っていて。

「あら、見つかってしまいましたか、思ったよりも早かったですね、ウィス」

「ふざけんな、ボケ女! あのクソ女と一緒に俺様だけ置いていきやがって! どんだけ長い船旅だったとと思ってやがんだよ!」

燃えるような、赤い髪。対照的にその瞳は黒。綺麗に炭化した木のような濃い黒。左目に縦に入った傷が印象を強くする。

マントを羽織る旅装束の上からもわかるのは、その男の肉体の完成度。上背も高く、絞られてなお隆々の肉体は、見ただけでその男の生物としての強さを表す。

そして一つ、奇妙な装飾品が腰に。

兜。 バ(・) ケ(・) ツ(・) み(・) た(・) い(・) な(・) ヘ(・) ル(・) ム(・) をぶら下げて。

猛々しい獅子が人の姿に身をやつした、そんな男だった。

「まあまあ、そんなに怒らないでくださいな。だって貴方がいきなり彼女と喧嘩を始めるんですもの。きっと、嫌われてしまったんですよ、ウィス」

遠山をほっぽり出して目の前で言い合いを始める連中。

ただただ、そのやりとりは不快だった。

「なんなんだよ、お前ら…… 痴話喧嘩なら他所でやってくれないか?」

うんざりした声色で遠山がつぶやく。

「おっと、悪いな、兄ちゃん。ここアンタの家……………」

割と素直に遠山へ向けて頭を下げた赤髪の男、しかし、遠山の顔を見た瞬間、口を半開きにして眉を顰めた。

「うわ、なんだ、お前…… そ(・) れ(・) 、(・) 混(・) ざ(・) っ(・) て(・) ん(・) の(・) か(・) ?(・) 気持ちわりぃ」

その表情は、虫嫌いの人間が家の中でムカデと出会ってしまったような嫌悪感剥き出しのもので。

「あ?」

なんだこいつ、遠山がその言葉の意味を問いただそうとして。

「トオヤマ!!」

聞き慣れた少女の声。

ストルの大きな声が響いた。

「ストルか。悪い、ちょっと今変わった人に絡まれてて」

「えー、悲しいですー。変わったヒトなんて言われてしまいました、ヨヨヨ」

「いや、この兄ちゃんの言う通りだと思うけどよー。ん? ガキ、お前もまたなんか変な奴だな。おい、バカ女、てめえいったいどこのどなたサマに絡んでんだよ」

「ああ、ウィス、こちらかの"蒐集竜"を落命させた方、竜殺し様ですよ」

「…………は?竜殺し?」

「はい」

赤髪の男が、目を点にして固まる。わなわなと両手のひらを震わせて緑髪の女に詰め寄る赤髪。

「ーーお前バカじゃねえの?!? あー、バカだった、バカでしたよ、お前は。……なるほどなあ、まあ確かにこの兄ちゃんならーー」

大声を出したすぐ後に、赤髪の男が遠山を見つめる。湿った空気に頬を撫でられるそんな不快感が募って。

「貴方! 動くな、それ以上その人に近づくなディス!!」

「……へえ」

ストルの声が響いた瞬間、嫌な感覚がすっと消えた。

「ストル、どうした」

「トオヤマ、ゆっくり、ゆっくりこちらへ。その男から、離れてください、ディス」

様子を見に来てくれたらしいストルの声が背後から。いつもと変わらない声に聞こえるが、遠山は気づいた。

ストルの声が震えていることに。

「……了解」

素直に遠山がストルの言葉に従う。ゆっくり、あとずさる。

「ははは、なんだ、がきんちょ、お前わかるのかよ」

そして、そのストルの怯えは赤髪の男にも伝わっていたらしい。感心したように、眉を上げて少し笑う。

「……化け物、警告はしました。その人から離れてくださいディス」

既にストルは剣を抜いている。

「嫌だと言ったら、どうすんよ?」

赤髪の男が、にいっと凶暴な笑みを浮かべる。獅子の笑み、緑髪の女とよく似た強者の笑みだ。

「ッーー」

ストルが反射的に地面を蹴ろうと

「待て、ストル」

「ーー」

遠山の声、それが届くと同時にストルが動きを止めた。

「ヒュー、へえ、驚いたぜ。兄ちゃん、アンタこのガキにきちんと手綱をつけれてんのか? 俺サマにゃ及ばねえが、このガキも一線を超えてる奴だ。よくもまあ、手懐けたじゃねえか」

口笛を吹いて愉快そうにする男。

品性が低い、コイツとは仲良く出来ない、遠山は生理的に赤髪の男が無理だった。

「……俺たちは出会わなかった、もう2度と関わることもない、だからそのツレを連れて帰ってくれよ」

静かに赤髪の男に遠山が告げる。

「んー、そうだ、なあ。いや、悪くねえ、悪くねえぜ、兄ちゃん。アンタは、こっち側の人間じゃあねえ。だが、そこのガキの反応から一気に俺への警戒を強めてる。悪くねえよ、凡愚の中ではその切り替えの速さは優れてる方だ」

うんうんと満足げに頷きながら、赤髪の男が遠山に歩み寄ってくる。

なんの気配も感じない、未だに遠山はなぜストルがこんなにもこの男に怯えている理由がわからない。

「聞こえなかったのディスか!? 動くな、ディス!!」

だが、ストルは違う。今までにないほど怯えている。その男の挙動に過剰なほどに反応して。

「黙っとけ、ひよっこ」

赤髪の男の声。ストルに向けられて。

「ァ……」

「ガキンチョ、てめえと俺サマァ、同類だ。だが完成度が違う。赤ん坊と大人くらいになぁ。自分じゃあ、どう逆立ちしても俺様に勝てるとは思えねえだろ? だから、黙ってろや」

「わ、私は……」

赤髪の男が一言喋るたび、ストルが憔悴していく。カタカタと震える手、荒く上下する息、瞼も痙攣し、目を潤ませている。

だが、それでも決してその剣を握る手だけは離さない。

「おい」

遠山が声を静かに。

赤髪の男へ、一歩歩む。

「ああ、悪かったなあ、にいちゃん。話の続きだけどーー」

赤髪の男が、ストルから遠山に視線を戻して。

カタ、カタタ。

何かが揺れる音、それは赤髪の男の腰元、それに吊るされていたバケツヘルムがひとりでに揺れる音。

「ーーまじか」

赤髪の男が、腰元のバケツヘルムを見下ろす。信じられないものをみたとばかりに目を丸くし、額に汗を浮かべて、 遠(・) 山(・) と(・) バ(・) ケ(・) ツ(・) ヘ(・) ル(・) ム(・) を交互に見比べて。

「お前も、ムカつくな」

遠山がぼそり。

ぞ、わ、り。

通り雨が降る瞬間。

黒い雲の中から雷が閃く瞬間。

どうしても起きたくない朝の目覚ましアラームが鳴る瞬間。

そんな何かが、切り替わる瞬間がそこにあった。

赤髪の男が瞳孔を開いて瞬時に、その場から一歩離れる。当たり前に緑髪の女をひょいっと、抱えて。

それはまるで被食者が、捕食者から逃れるような動きだ。

「ほへ?」

突然抱えられて何がなんだかわかっていない緑髪の女が目をぱちくりと。

「ギャ、ハハ。おい、おいおい、まじかよ竜殺し。お前、想像の何倍も 気(・) 持(・) ち(・) 悪(・) い(・) 奴(・) じ(・) ゃ(・) ね(・) え(・) か(・) 。(・) ど(・) こ(・) か(・) ら(・) 来(・) た(・) ん(・) だ(・) よ(・) 。俺の家系の奴以外でこの呪いのクソバケツが反応するなんざ初めてだ」

「訳わかんねえことほざいてんじゃねえぞ、不法侵入者ども。そこの緑髪も、お前も常識知らずの迷惑者だ。頼むから、目の前から消えてくれ」

「あらあらー、ウィス、嫌われてしまったようですよ。ふふ、どうしましょうか」

「いや、半分以上はお前のせいだろ、バカ姫サマよ。あーもうさー、ぐっちゃぐちゃだろ、マジで。色々考えてたのによー、なんで初手でオリチャー踏みはじめるかね、ガバガバじゃん」

「まあまあ、大丈夫ですよ、ウィス。諦めずに頑張りましょうよ」

「はー、どーしたもんかなー」

呑気な緑髪と赤髪。

遠山は目を逸らさない。

「話は終わりだよな。もう決めようぜ、穏便に全部終わらせるか、手荒な真似になるか」

肩をぐるぐると遠山が回し始める。穏便に済ませるもか、ラザールのこととか。色々なものが薄れていく。

今、遠山にとって大事なのは、自分の身内であるストルへの赤髪の態度が気に食わない。それだけだ。

「ーーギャハ」

好戦的。獣がもし、闘争を好むのなら今の赤髪の男と同じ顔をするのではないか。

あまりにも力強く、眩しいと言えるほどに興奮に満ちた顔を赤髪が浮かべる。

潮時だ。

遠山が、呼吸を浅くする。男から発する威圧感がどんどん重たく、緑髪の女の口元が吊り上がって。

ガバガバの分岐点。

全てがめちゃくちゃになり始めーー

「ーー悪かった、悪かったよ、竜殺し」

「え?」

「あ?」

ぽんっと、炭酸の気がぬけるように男が発していた息苦しさが消える。

「いやなに、俺サマ達よお、観光でこの都市に来ててたなあ。王国の出なんだァ、帝国に来るのは初めてでよ、少しはしゃぎすぎちまった、ほんとに悪かった」

赤髪の男が、くしゃくしゃに、言ってしまえば無邪気な顔を浮かべた。

「………………」

「ウィスー? 」

「ウィス、じゃねえよ、バカ姫がよお、いやほんとに悪かった、この姫サマも世間知らずのバカでな。竜殺しのファンで、先走りまくっちまったようだァ、すぐに消えるからよ、穏便に済ましちゃあくんねえかなあ?」

ヘラヘラと笑う赤髪の言葉。遠山にしてみればこの上なくありがたい言葉だ。

このまま帰って貰えばいい、穏便に済ませて、それで。

「まず謝れ」

「あ?」

ダメだった。

無意識に口を割って出て来たのはそんな言葉。

「うちのストルにアンタが謝れ。ガキ脅してそのままにする気かよ」

やっちゃった。そのまますぐに終わらせれば良かったものを。

「謝れよ、今すぐ」

「……へえ。ぎゃはは、いい目え、してんなあ、竜殺し。ーーああ、そうだなァ。がきんちょ、いや、ストルっつーのか、悪かったな、少し熱くなっちまってよー。もうしねえから、許してくれ」

拍子抜けするほど簡単に、赤髪が頭を下げた。

「トオヤマ……」

困惑し、目をパチクリさせるストルが遠山へ力なく声を向けて。

「お前が納得したんならそれでいい」

静かに答える遠山、ぐつぐつと煮えたぎるものはある。だがそれは今解決するものではない。

コイツを心の底から謝らせるには別の方法を取る必要がある、それだけは遠山にもわかった。

「じゃあ、俺様達は、これで失礼するわ、いやほんとに悪かったなあ」

「むー、わたくし、まだ竜殺し様とおはなししたいんですがー」

赤髪の男が緑髪の女を抱えてその場から去ろうとくるりと、振り向いて。

「バカが、もう話しなんざまともに出来るわ、け…………… おい、マジか」

「えー?」

立ち止まった。

「ほう、竜殺しと、話しか? ふむ、ふむ、だが、奴はこのオレと先約があるのだが…… なあ、ナルヒト」

金色が、来た。

魔術の式により、市井に紛れるための仮初の姿。

10代中盤くらいの容姿、普段はストレートに流している長髪は今やストルのように後ろで束ねられた金髪の少女。

少し短めの動きやすそうなパンツスタイル。軽そうなパーカーを羽織った姿、冒険都市では珍しい、むしろ現代の服装に似ていて。

「あら…… 驚きました」

「バカ姫がよ…… ガバガバチャート走りやがって」

その少女の目、それだけは、あの大いなる者、竜の目のまま。

「ふかか、ナルヒト。困りごとか?」

少女の姿に身をやつし、誰よりも今日をたのしみにしていたドラゴンがそこにいた。

「良い、言うてみよ、貴様の願いなら、叶えてやる、ぞ?」

ドラゴンが遠山に向け、にひひとイジワルげに笑いかけていた。