作品タイトル不明
記録という備え
「……今年は、少し早いか?」
吐く息が白い。
まだ本格的な冬というほどではない。だが、朝晩の冷え込みが明らかに強くなっていた。
エドワルドは空を見上げる。
薄く曇った空。風は弱い。
だが、空気だけが妙に冷たい。
「例年より早い様に感じますな」
隣でレオンが言う。
「……そうか?」
「はい。兵達も同じ事を言っております」
「……ふむ」
腕を組む。
「領都とは離れているいるが……」
記憶を辿る。
それほど大きな差は無いはずだ。
「地形の影響かもしれませんな」
レオンが続ける。
「風の通り方、日照、あるいは……」
「高度か」
エドワルドが言葉を継ぐ。
「ええ」
「気付かぬ程度に標高が高い可能性もあります」
「……なるほどな」
完全に同じ土地など無い。
ほんの僅かな違いが、積み重なれば結果は変わる。
「……見落としていたな」
ぽつりと呟く。
「気候は全てに影響しますからな」
レオンが頷く。
「農作物、保存、兵の体調……」
「全部だ」
短く言い切る。
そして。
「……これは記録に残しておく」
「記録、ですか?」
「ああ」
エドワルドは踵を返す。
「ここは俺にとって初めての土地だ。知っている様で、何も知らん」
「……」
「だから残す」
歩きながら続ける。
「気温の変化。初霜の時期。雪の降り始め。季節ごとの風の向き。些細な事でもいい。それが積み重なれば——」
一瞬、言葉を区切る。
「“土地を理解する”事になる」
レオンは静かに聞いていた。
「……確かに」
やがて頷く。
「それがあれば、次からは判断が早くなりますな」
「俺だけじゃない」
エドワルドは振り返らずに言う。
「文官も。農民も。次の世代も。同じ所から始められる」
「……」
「ゼロからやり直す必要はない」
その言葉には、重みがあった。
部屋に戻り紙と筆を取る。
さらさらと書き始める。
「……本日、冷え込み強し。例年より早い可能性あり……か」
書きながら、少し考える。
「体感だけでは弱いな。具体的な指標も必要だ」
「どうされます?」
レオンが尋ねる。
「簡単な基準を作る」
「基準?」
「水だ」
エドワルドは筆を止める。
「水の凍り方、霜の付き方。それを基準にすれば、誰でも判断できる」
「……なるほど」
「感覚ではなく、現象で記録する」
再び書き始める。
書き終えた紙を見つめる。
まだ一枚。
「……これが積み重なれば」
小さく呟く。ただの記録ではない。
「備えになる」
未来への。
ふと、窓の外を見と枝を揺らし冷たい風が吹いている。
遠くで、民が動いている。
冬に備えて。
「……」
エドワルドは静かに目を細めた。
「備え、か」
もう一度呟く。
敵に対しても。自然に対しても。
「……どちらも同じだな」
油断すれば、全てを持っていかれる。
だからこそ。
残し積み重ねる。
そして——
「守る」
その為にペンを置いた。