作品タイトル不明
1 色々事故
強い光と、何かが割れる音。それが私にとってかつての自分──前世の記憶を呼び覚ます切っ掛けだった。一気に十八年分の記憶が脳内を駆け巡って、頭痛と吐き気に目の前が眩む。幸いそのどちらもが後に引く事なく、少し目を閉じていると綺麗に無くなったが。
本当ならここで、前世の記憶が蘇った事、そして今の自分が、前世で読んでいた小説の悪役にである事に驚愕したり動揺したりしたい所だったのだが。
「は? 小説? ンだ、これ……俺が、あの女と?」
目の前で自分よりも動揺して目を泳がせている人がいると、そうもいかない。
金色の瞳が驚愕に染まり、意味が分からないと告げる声は震えている。長い前髪を掻き上げて項垂れている姿は、こんな時でも絵になった。一挙手一投足に色気を纏わせる男だと思っていたが、意識の有無に関わらず、そもそもの造形に艶やかさがあるらしい。
「意味わかんねぇ……、つか何で、こんな」
「えー、っと……ハヴェイナ様、大丈夫ですか?」
「ッ!?」
顔を覗き込むようにして体を寄せると、びくりと全身を震わせて飛び退く。ついさっきまで言い争っていた婚約者の存在が頭から抜け落ちるほど、彼の脳内を巡った記憶は衝撃だったらしい。当然だろう、私が思い出したのは自分の過去の記憶だが、彼は突然『自分の人生が創作物として出版されている』と知ったのだから。嘘だあり得ないと切り捨てたくなる方が自然だ。
「これ……この、記憶は」
「えー、っと…………とりあえず、場所を変えましょうか」
ここは、大学にある研究室……前世を思い出した私からすると、図書室の方が雰囲気が似ているけれど、魔法道具について研究する為の、歴とした研究室だ。私ではなく、私の婚約者であるハヴェイナが入り浸ってほぼ彼の個室の様に使われているが、一応公共の場でありどこに目や耳があるか分からない。
床に散らばった原因を手早く広い集めて、未だ混乱抜け切らぬハヴェイナの手首を掴み研究室を出た。そう言えばこうして彼に触れたのは初めてだななんて、どうでも良い事を思った。
× × × ×
「これより、作戦会議を開始いたします」
ピアスに触れ、引き抜くと、翡翠色の杖が現れる。杖を振るい空中に文字を書くと、さっきまでの記憶の影響か、母国語では無く日本語で書いてしまった。しかしハヴェイナも私の記憶のおかげか問題なく読めているらしかった。蛍光色で縁取られた白い文字で『シンシアの初恋』がふよふよと漂っている。
小説のタイトルにあるシンシアは、ヒロインの名前だ。薄ピンクのふわふわしたセミロングに、白い垂れうさぎ耳をした美少女。小さくて華奢で、庇護欲をくすぐるか弱さと笑顔で人々を照らす爛漫さがある。
反して私、今世の名をエスメラルダ・アネイア。金髪グリーンアイの迫力ある顔立ちをした華やか美人。さっきまでは何の感情もなかったけど、前世を思い出した今では鏡を見るたび見惚れてしまいそう。シンシアとは対照的に、身長は高めで、手足はスラリと長い。胸元の重みはかつての私にはなかったもので、大きいのに憧れてはいたがこんなに重いのかと肩を回した。
「とりあえず、私達が共有した記憶について整理しましょう。私はともかく、ハヴェイナ様にとっては意味のわからない事ばかりでしょうし」
「……随分と違うな。さっきまでの剣幕が嘘のようだ」
「あー……まぁ、それどころじゃありませんから」
記憶を思い出す直前まで、私達は言い争っていた。理由は彼の女遊び。
婚約者がいる身分なのだから、それに相応しい言動をと言い募るエスメラルダと、家の利益の為に結んだ婚約で、交友関係まで口出しされる筋合いはないと突っぱねるハヴェイナ。小説の内容を思い出した今となると、エスメラルダは貴族云々で雁字搦めにし過ぎだし、ハヴェイナはハヴェイナで気にしなさ過ぎだと思う。つまりどっちもどっちで、折衷案を探す努力しろよ、って感想だ。
「小説の通りだったら、友人の範囲内で放任しているだけみたいですし」
「……知られているのなら、言い訳してもしょうがねぇか」
「共有した情報に誤りはなかったですか?」
「全てがはっきり見えたわけじゃないから断言は出来ないが……俺の研究やお前への印象は書かれた通りだったな」
それは随分と嫌われたものだ。お互い様とも言えるけど。エスメラルダもハヴェイナに対して愛や恋があった訳ではない。エスメラルダは国の為家の為、ひいては国民の為を思い行動していた。それが二人の恋を邪魔する結果になってはいたが。
「ハヴェイナ様とヒロインの関係値を見ると、まだお話は始まったばかりって所ですか?」
「少なくとも俺はあいつに特別な感情は無い。俺の見た記憶が事実だと理解してはいるが……にわかに信じ難い」
「知り合った経緯は話通り?」
「あぁ。俺の研究室に怒鳴り込んで来た」
ハヴェイナとシンシアの出会いは、シンシアの友人がハヴェイナに失恋し、それに怒りを覚えたシンシアがハヴェイナに直接抗議をしに来たからだった。友人がハヴェイナに遊ばれ捨てられたと思ったが故の行動だったらしいが、事実はただの片思いで想いを告げられた訳でも無い。ただ同じ学科、同じ研究室で学んでいた学友……ほぼ他人。
「あれを経験した上で惚れるとは……俺は自分に失望しそうだ」
「人の心は分かりませんから。例え自分であっても、未来の自分は他人と変わりませんもの」
継ぎ足される情報が空中を華麗に泳いでいる。共有された小説の内容は出尽くし、今の時系列は序盤も序盤。二人の出会いが終わったばかりで、私はまだ出会う前。ここから何故か彼女と話す機会が増え、獣人である彼女はハヴェイナの研究によく協力してくれた。彼の研究を支え、心を支え、恋が進む……はず。
「色々課題はありますが、初めに聞かなければいけない事が一つ。ハヴェイナ様は、シンシア様と一緒になる気は無いんですか?」
「ある訳ないだろ」
「恋をする予定も?」
「ねぇよ。お前一応許嫁だろ、どんな気持ちで聞いてんだ」
「いやー、好きでもない相手の恋のライバルにされるのはちょっと……」
「言い方」
少し沈黙、考えている事はきっと同じだ。あんなに合わないと思っていた相手なのに、今日は手に取る様に気持ちが分かった。共有したのは私の記憶だけなのに。
「って事は、対策は一つか」
「ですねぇ……」
「嫌そうな顔してんじゃねぇよ、隠せ」
「ハヴェイナ様も人の事言えませんよ」
「お前のが移った」
「うそつけぇ」
している事は、思い出す前とそう変わらない。でも前より空気が落ち着いているのは、お互いに頭が冷えた状態で話しているからだろう。エスメラルダとハヴェイナはいつも喧嘩腰だから、ヒートアップして最後は脱線したまま悪口の応酬、何も解決せずに終わる。
「仲睦まじい許嫁……出来ないでしょ、貴方」
「言い切んな、出来……る」
「間が不安」
「うるせぇ。前なら兎も角……今のあんたなら何とかする」
「それもそれでどうかと思いますが、まぁ良いでしょう。私もハヴェイナ様が前よりマシに見えますから」
「そらどーも」
今にも舌打ちしそうな表情だが、納得はしているらしい。先に席を立ったのはハヴェイナの方だった。
「俺は研究室に戻る。明日は一日出られないから、用があれば訪ねろ」
「そうですねぇ……では昼食を差し入れします。最愛の許嫁の為に」
「それはそれは、楽しみにしてますよマイハニー」
背中越しに手をはためかせ、扉の外へ消えていく。彼がモテるのは間違いないだろうが、女遊びは無い。エスメラルダはそれをイコールで結んでいたみたいだけど、小説として読んでいる身としては、何となく違うだろうなっていう感想。
何はともあれ、当面はこれで対策が出来るだろう。勿論全てが小説通りに進むとは限らないけど、そうなったら別の対策を考よう。
唯一の気がかりは、誰もこの物語の結末が分からない事。