軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

禍根 2

馬蹄の音を鳴らしながら、一台の馬車が通り抜けていく。

ターフェスタの中央都市、郊外にある邸の門が恭しく開かれ、二頭の馬を巧みに操る御者が、到着を知らせる甲高い笛の音を鳴らした。

馬車は広々とした中庭を通り、邸の中央扉の前で足を止める、乗っていた者が足を下ろすと、居並ぶ使用人達が緊張した面持ちで一斉に頭を垂れた。

ターフェスタ公国、対西要塞ドーペ門総督、エゥーデ・ボウバイト将軍は皆を一瞥し、

「戻った」

老女に似合わぬ張りのある声で短く告げた。

「お帰りなさいませ、エゥーデ様」

先頭に立って出迎えた副官の男が恭しく辞儀をした。

エゥーデは鋭く副官へ視線を送り、

「聞いているな」

「はい、戦地アリオト副司令への就任、おめでとうございます、と言うべきなのでしょうが…………」

「めでたいものか!」

張り裂けんばかりの大声を張り上げると、使用人達が怯えた様子で肩を竦めた。

エゥーデが羽織っていた外套を千切れんばかりの勢いで脱ぎ飛ばすと、その下に軽装の鎧姿が現れる。高齢であろうとも、将軍としての出で立ちは凜々しく様になっていた。

早足で中央扉をくぐる、すると同行する副官が、

「正直、耳を疑いました、まさかこのようなことに……」

エゥーデは前を向いたまま歩き続け、

「大公は疲れておられるようだ、湧いて出た忌々しい陰東の糞虫めに分不相応な大権を預けるなどと!」

東方を指して侮蔑する古い言い回しを吐いて、エゥーデは胸当てを叩いて大きな音を立てた。

「お怒りはごもっともでしょう、前代未聞の事態です、この件が各所に知れ渡れば――」

「後世に残る大恥となるであろうよ」

邸の奥の部屋の前で足を止め、呆けた顔で絵具をじっと見つめる孫娘の姿を確認し、苛立たしげに嘆息する。

「ディカは、あのままか……」

エゥーデの問いに副官は頷き、

「ほとんど休みもとらず、じっと絵具を見ているかと思えば、突然取り憑かれたように絵をお描きに。その繰り返しで、相変わらずまともに食事も口にされておられません」

「……情けない」

エゥーデは顔を歪めて足を踏みならす。大きな音が広い邸の中を反響してもなお、ディカは気づいた様子もなく微動だにしなかった。

エゥーデは鼻の穴をふくらませ、

「あの糞虫のこと、ディカの耳には入ってはいないだろうな」

副官は頷いて、

「ご指示の通り、重々警戒をしております」

心ここにあらずの様子で呆けている孫の背中を見つめ、エゥーデは苦々しく奥歯をかみ合わせた。

エゥーデは早足でその場を離れ、美しい装飾が施された武具が飾られた長い通路を抜けて、大広間へと足を向けた。

別宅の性質として、あまり使われることがない大広間は、かさばる調度品などを収容する倉庫として使われていた。その部屋に現在、所狭しと絵画が置かれている。

無数の絵に描かれる内容はすべて同じ、ただ一人の人物、同じ姿をした男のみである。

「未明に描かれたものはそちらに――」

副官の指し示す方に、一枚の絵画が立てかけて置かれている。そこに描かれるのはすべて銀髪、眼帯をした若い男の姿だ。

絵を睨むエゥーデの隣に副官が並び立ち、

「実物をご覧になられていかがでしたか」

エゥーデは鼻に皺を刻んで歯を剥き出し、

「似ても似つかぬ、あの邪に塗れた醜悪な目つき、完全に卑しい賊のそれであった――」

絵の中の男は凜々しい面立ちに、大きな瞳が朝陽を浴びた春の日の水面のように輝いている。その描き用はまるで、壮大な物語に描かれる美化された英雄のようでもあった。

副官は苦笑いを浮かべ、

「なのであれば、ディカ様にはその者が、この絵のように見えている、ということ。やはりこれは――」

エゥーデは手の平を副官の顔の前に突き出し、

「言うな、言葉だけでも耳が穢れる」

「失礼ながら件の者、戦場では獅子奮迅の活躍であったとか、あながちこの絵も大袈裟と断じることもできないのでは。なにしろ、ディカ様は実際にその目で見ておられるのですから」

「英雄などと、安い言葉を口にするなよ。この目で見てわかった、多少なり腕の立つ自惚れ者が、調子に乗って雲の上に手を伸ばそうと涎をこぼしておったわ。あの糞虫の後見がバリウムでなければ、あの場で即刻、我が手で血肉を撒き散らしてやったものを……ッ」

「ですが、ディカ様を救った恩人であることも事実――」

エゥーデは声を低くし、

「黙れ、家督の座を固めるために出した戦場から、腑抜けになって戻ってきたのだ、このままでは生きていようと死んでいようと同じ事だ」

怒鳴られようとも副官は怯むことなく、慣れた態度で無言で頷く。

会話の隙間を縫うように、すっと使用人が姿を現し、

「御当主様、お邪魔をして申し訳ありません。あの……ご一族の皆様方がお見えでございます」

恭しく報告して、辞儀をする。

エゥーデは鼻に皺を集め、

「不躾な連中め、したたかに嗅ぎつけおったな」

副官が険しい顔で、

「私が行ってお引き取り願いましょうか」

「いい、相手をせねば避けているととられる、ウジ虫共を部屋へ通せ、泥水で入れた茶も用意させろ!」

大きく踵を踏みならし、エゥーデは足早に部屋を後にした。

豪奢な暖炉を囲むように設置された椅子に、ボウバイト一族に連なる者達が渋面で腰掛けていた。

エゥーデが部屋に入るなり、彼らは慌てた様子で立ち上がり、各々に頭を垂れていく。

エゥーデが最奥の椅子に腰を落とし、

「座れ」

と短く告げると、一同は頭を上げ、言われるまま着席した。

「伯母上さま、突然に戦地へ向かわれるなどと……我らはそのことを知り、御身を案じてこうして急ぎ駆けつけたところで」

集った親族一同が一斉に首を縦に振った。

エゥーデはふてぶてしく鼻を鳴らし、

「きさまらが案じるのは私の無事ではないのだろうが」

また、皆が一斉に怯えた亀のように首を引っ込め、俯いた。

エゥーデの甥、ウラーゲンが垂れ下がった目尻を揉みほぐし、たるんだ頬肉を震わせた。

「混迷する戦地、アリオトなど、もはやただの貧乏くじです。そのような場所にわざわざ関わろうとは……いったい当家からどれほどの出費がかさむのかと、心配でなりません」

「ボウバイトの財と、きさまらにいったいなんの関係がある」

「……我らとてボウバイトの一員なのです。後に続く家名のためにも、不要な散財は避けるべきとは思われませんか」

エゥーデはウラーゲンの言いようを一笑し、

「家のためではなく、我が位を継ぐ者のための思慮であるな。この耳に届いているぞ、裏でこそこそと家督の検討会を開いているそうだな」

ウラーゲンは大袈裟に不安そうな顔をつくり、

「日々の悩みが晴れぬのです……ターフェスタを支える重鎮の家、ボウバイトの次代当主選定はなにより重要なことではありませんか」

「選定も糞もあるものか、我が位を継ぐはすでにディカと決まっていること」

一同が不満げに顔を見合わせ、口を硬く結ぶ。言葉は発せずとも、態度にはありありと心情が表れていた。

ウラーゲンは小指で鼻頭をかきながら、

「失礼ながら、その件については……一族の了承はおりてはおりません」

その言葉に、一同が深く頷いた。

ウラーゲンに同調を示す親族達を見て、エゥーデは大きく舌打ちをする。

長年ボウバイトの主として家を仕切ってきたエゥーデもすでに齢は七十を超える。ここに集う親族一同は皆知っていた、豪腕を誇ったエゥーデの時代の終わりが近づいていることを。

「家督の継ぎ手など、我が娘が生きていればなにを憂う必要もなかったこと……」

エゥーデが恨みを込めて睨みを効かすと、皆が一斉に背を丸め、視線を逸らした。その卑しい姿に、沸き起こる殺意を必死に噛み殺す。

エゥーデの娘、そしてディカの母は剣と戦馬を愛する生粋の軍人だった。輝士として優れた技を持ち、また将として優れた統率力も兼ね備えていた。

心配事はなく、ただ当主の座を明け渡すその瞬間を待つだけでよかった。が、娘はある日、険しい山道を移動中、事故で死に、帰らぬ身となった。

「あれほど馬の扱いに長けた者はターフェスタにいなかった、それがあのような……」

思い出し、歯を食いしばる。エゥーデの娘が乗る馬が突如暴れ出し、その勢いを抑えきれぬまま、足を踏み外した馬と共に奈落の底へと転落したのだ。

エゥーデは憤怒の念を抑えきれず、

「なんら前触れもなく馬が暴れ出したのだ、何者かが手を加えたに決まっている、我が娘が亡き者となって得をする、なにものかがな!」

怒りを隠す事なく解放し、視線を逸らす一族達を睨めつける。ただ一人、控えめにエゥーデの凝視を正面から受け止めるウラーゲンが、

「まだそのことをおっしゃるのですか。証拠はありません、最初からボウバイトに連なる者達を疑っておられますが、血の繋がった親族を殺めるような者などいるわけがないのです」

「おのれ、よくもぬけぬけと――」

きれい事を吐くこの男こそ、疑わしい人物の筆頭なのである。

「――このさいはっきりと言うがいい、我が子が腹を痛めて産んだディカを跡取りから遠ざけ、貴様の不出来な息子を当主に据えようというのだろうがッ」

エゥーデは見逃さなかった、ほんの一瞬、ウラーゲンの口元にこらえきれぬ笑みが浮かんだのを。

「ディカ殿は若く、将位からは遠く、また常の態度から見ても本人に後継者たらんとする気概が見えません。その点、息子は重輝士への昇進を間近に控える身、ボウバイト一族の出でなければ冬華の称号をいただいていてもおかしくない。三十代という年頃も若すぎず、老いてもいない。親馬鹿と言われてしまうかもしれませんが、家の代表としての必要な資質は持ち合わせております」

ウラーゲンの言葉に皆がわざとらしく同調を示す。

エゥーデは鼻で笑い、

「酒、女、派手な格好を好み、戦場を避け、寝そべってへたくそな詩ばかり作っている軟弱者がッ、戦将の家系たるボウバイトの名を語らせるだけでも虫唾が走るわ。リシアへの根回しで得る重輝士の称号になぞ、糞ほどの価値もないッ」

ウラーゲンは頬をぴくりと震わせ、

「お言葉がすぎるようですな。そうおっしゃるならば、ディカ殿とて輝士の使命を果たすより、絵筆を握ることのほうが多いと皆が知っております。戦場から戻った後にはさらにその悪癖が酷くなっているとか」

エゥーデは足を踏みならし、

「根も葉もない噂話にすぎんッ、アーカイド!」

立ち上がって目の前の卓を蹴り飛ばし、副官の名を叫んだ。

部屋の外で待機していた副官アーカイドは即座に入室し、

「――閣下」

「軍務中につき、これにて応接を終える、客どもを見送れ」

エゥーデが告げると、ウラーゲンが慌てて腰を上げた。

「お待ちくださいッ、このまま戦地で伯母上の身になにかあれば無用な跡目争いが――」

かっとなり、エゥーデは暖炉から火かき棒を取って頭上高く振り上げた。

「ならば貴様が大人しく我が意に従えばすむことであろうが!」

血走った眼で火かき棒を振り下ろすと、怯えたウラーゲンが後ずさり、椅子に足をとられて派手に背中から倒れ込む。

「ひぃ……ッ」

エゥーデの放った一撃はウラーゲンが座っていた椅子の肘掛けを破壊した。

「皆様方、、本日はどうかお引き取りを――」

副官のアーカイドが仰け反って固まる一同に退席を促し、皆が逃げるように部屋から飛び出していった。

火かき棒を握ったままのエゥーデは息を荒げ、

「腰抜けの分際で、欲ばかりかきおって――」

強い怒りを感じながらも、自身の震える手を見て、エゥーデは無力感に苛まれていた。若い頃であれば表だってエゥーデの意に背く者など誰一人としていなかったのだ。

「うッ――」

突発的に、エゥーデは激しく咳き込んだ。

「エゥーデ様……」

アーカイドが心配げに様子を窺う。

「この身が老いに負け、病を患えば、奴らは即刻当主の座に手を伸ばしてくるだろう」

現状、ボウバイト家に連なる者達は一枚岩ではない。ウラーゲンにつく者達がいる一方、エゥーデの意に従う者達も少なからず存在する。実際、ウラーゲンの言う通り、後継問題が決着しないままエゥーデが権威を失えば、一族に陰惨な内紛が起こる可能性は十分にあった。

だが、一族の中には支持をたしかにしていない者達も未だ多く残っている。エゥーデ亡き後、ディカの後継としての立場をたしかなものにするためには、彼らからの支持をとりつける必要があった。

しかし、皮肉なことにウラーゲンの指摘通り、現状のディカは大家をまとめあげるための適性を大きく欠いており、ゆっくりと成長を見守っていられるほどの時間が、老いゆくエゥーデに残されているかは、まったく不透明なのである。

「このままではボウバイトの遺産が腑抜け共に食い潰され、遠からず家は没落する、一族が積み上げてきた名声も地に落ちるであろう」

アーカイドが苦しげに顔を歪め、

「申し訳ありません、私に幾ばくかの力があれば……」

謀殺された娘の弟子であった副官、アーカイド・バライトは、家名に力を持たぬ下級貴族の出である。経験豊富な中年の軍人で重輝士の身分にあろうとも、彼にエゥーデ亡き後のディカの後見をまかせられるほどの力はない。

「あれが己で次期当主としての自覚を持たねばならんのだ……病魔の根を断てばいいと思っておったがそれでは手緩い…………ディカを戦場へ連れて行く」

「ですが、それではあの者の事が――」

「かまわん、劇薬を持ってあれの目を覚まさせる。戦場に立ち、ディカの目の前であの糞虫の心臓を抉り潰してくれるわッ――」

手に握られた火かき棒が青色に発光する水を纏う。水は渦を創り出し、激流となって突き刺さっていた椅子を粉々に破壊した。

「――ひいては、それがターフェスタを守るための行いともなる」

重く地を這う冷気のように言葉を吐く。

「御当主様、あの…………」

使用人が恐る恐る顔を出す。

「なにか」

アーカイドが問うと、

「お客様がお見えに……」

使用人が言いにくそうにそう告げた。

エゥーデは血走った眼で使用人を睨みつけ、

「奴らが戻ってきたかッ」

使用人は泣き出しそうな顔で首をふり、

「いいえッ……カルセドニー家の、御当主がお会いになりたいと……」

エゥーデは憤怒を鎮め、

「ネディム・カルセドニー……すぐ執務室へ通せ。アーカイド」

「は」

「酒を用意しろ」

「かしこまりました。ちなみに、どのようなものを」

エゥーデは指を突き立て、

「年代物だ」