軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

怨念 3

アマネはシャラのもとへ足を運んで腕を取り、手慣れた所作でひねりを加えた。また鈍い音が鳴り、シャラは呆けた様子で体を起こして、恐る恐る腕を回し始めた。

「痛く、ない……」

アマネは食事をしていた席に戻り、

「はずしていただけ。痛みを感じなかったとしても、下手に動かせば内に傷がつく、しばらくは動かさずにおいておくこと」

さきほどまでとは別人のように敵意を消したアマネに対し、サーサリアとシャラは互いに念を確認するように、言葉なくじっと目を合わせた。

その場に立ち尽くし動けずにいるサーサリアに、アマネは軽く手招きをした。

サーサリアは混乱したまま、

「え?」

「こっちへ、傷の手当てをする」

急な事態に忘れていた頭の痛みが戻り、血が固まりつつある傷口を押さえる。

すでに状況を飲み込んだ様子のシャラは、座って淡々と干し肉に噛みつき、

「あなたがどういう人間か、わかってきた気がする」

目を細めて苦々しく言った。

未だ警戒を解くことのできないサーサリアは動けずに立ち尽くしていた。すると、シャラが大きく手招きの仕草をしてみせる。

「気にするな、襲ってくることはない。元々こちらを殺す気などないんだ、そうだろう」

シャラに問われたアマネは、

「旅立ちを見送って以来、シュオウが経験した人生の軌跡を私は自分の目で見ていない。だから、あなた達に対してシュオウがどう思っているかがわからない。もし無事を祈る程度の気持ちを持っていたとしたら、ここで勝手に手を下すのは差し障りがある。可愛い弟子から恨みを買うような真似はしたくないしね」

「なら、なんであんなことを……」

惑いから抜け出せず、サーサリアは疑念を言葉に表した。

「帰ると言わせたかった。あの子に近寄らないでいてほしいのは本音だから。あなたはシュオウに不幸を招く、面倒事になるとわかっていて、予めそれを排除しておきたいと望むのは当然のことでしょう」

サーサリアは顔が熱を帯びていくのを感じていた、出所は怒りである。

再会を妨害しようとし、傷つけられ、理不尽な選択を迫られた。一時でも手放していたくはなかったシュオウの外套まで奪われてしまい、洞窟でやり過ごした蟲の大群のほうが遙かにましな存在であったように感じられる。

シャラはアマネに対し一定の理解を示している様子だが、サーサリアは目の前のシュオウの育ての親を自称する女に対して、不信感が頂点に達していた。

アマネは、

「肌が紅潮してる、わかりやすく怒ってるわね」

サーサリアは口を結んで鼻を膨らませ、

「…………く、む」

破裂しそうな怒りを押しとどめる。

「怒りを収めるのなら、これを返してあげてもいいけど?」

アマネがシュオウの外套を下ろして掲げて見せる。

「ほんと!」

外套を見るや、怒りが爆発する寸前だったサーサリアは花が咲いたように満面の笑みを浮かべた。

急ぎ駆け寄り、アマネが持つ外套に手を伸ばすと、手が外套に触れるより先に、アマネに手首を掴んで引き寄せられ、操り人形のように座らされた。

アマネは真顔で、

「嘘」

「……ッ?!」

完全に馬鹿にされている、再び怒りを露わにしようとしたその時、ひんやりと濡れた冷たい布が、血で汚れた片眼に当てられ、こみ上げていたものがすっと、喉の奥へと消えていく。

「そんなに馬鹿で単純で……その歳までよく生きてこられた」

丁寧に血と傷口を拭われながら言ったアマネの言葉に、サーサリアは視線を落とし、

「あの人がいなかったら、アデュレリアで私は……」

「私が育てたシュオウがあなたと出会い、そして今こうして私と話をしている…………なんにでも意味を求めるのは好きじゃないけど、なにかを思わずにはいられなくなる。だからと言って、あなたの目的を容認する気にはならないけど」

サーサリアは、強い意志を示すためにアマネを凝視する。

しばらくの間沈黙が流れ、アマネからおもむろに口を開いた。

「好きにすればいい」

初めて出た許しとも取れる言葉に、サーサリアは思わず聞き返す。

「え……?」

「賛成するわけじゃない、けど無理矢理止めるようなこともしないでおく」

サーサリアは素早く手を伸ばし、

「それじゃあ――」

そう言って、アマネの外套の裾をがっしりと掴んだ。

アマネはシュオウの外套を掴むサーサリアの手をじっと見つめ、

「なんのつもり……?」

サーサリアは弾む声で、

「これは私が預かった物だから」

アマネはサーサリアの手をパシッと払いのけ、

「それとこれとは話が別――離しなさいッ、これは私の手で返しておく」

サーサリアは引くことなく、

「そっちが離してッ」

手を伸ばすが、軽快な動作でアマネにそれを躱されてしまう。

シャラが疲れた様子で大きなあくびをして、

「もうどうでもいい。生きてきてこれほど疲れたことはない……先に……休ませてもらうからな。不毛な争いを続けるなら静かにやってくれ」

簡易でこしらえた寝床に向かうシャラの足取りは頼りない。

手足を外套に入れて素早く眠りについたシャラを見ていると、サーサリアも忘れていた疲労を思い出し、途端に強烈な眠気に襲われた。

運び込んだ荷袋で背もたれをつくり、背を預けて、死者から剥ぎ取った外套で身を覆う。

――知らない、匂い。

誰かもわからない他人の匂いがついた外套。

自分の匂いが移ったシュオウの外套を思い出し、外気よりも寒々しい孤独感に見舞われる。

早々に目を閉じて寝息を漏らすシャラとは違い、サーサリアはじっとアマネの動向を捉え続けていた。

アマネは見せつけるようにシュオウの外套をすっぽりとかぶり、

「目を閉じて、休んで」

そう言って、深く腰を落として目を閉じた。

瞼を落としたアマネは、呼吸の気配すら感じられず、まるで死んでいるかのように微動だにしない。その静粛な寝姿は、彼女に育てられたというシュオウのそれによく似ていた。

――シュオウの。

改めてアマネの顔を見ながら、サーサリアは心の中で呟く。

――お母様。

所作や纏う空気はよく似ているが、外見の特徴はまったく似通った所がない。彼女が実際に産み落としたというわけではないのだから、それも当然な事なのだ。

アマネは自分の知らない幼い頃のシュオウを知っている。どんな思い出や記憶があるのか、聞いてみたいと強く思った。

アマネに会ったとシュオウに言えば、驚くだろうか。どんな反応が返ってくるか、想像しているだけで、疲れも忘れて自然と顔が綻んだ。

改めて今の状況を不思議に思う。再会を求めて飛び出した先、深界で、その相手の母であり師である人物と出会うなどという偶然を。

――眠らない。

夜が更けていく最中も眠るつもりはなかった。目を閉ざし、再び目覚めたその時、アマネの姿が消えてなくなっているような気がして、その不安から一時も目を離したくはなかったのだ。

だが、疲れ切った体に、ひさしぶりにまともな水と食料を得られた身体は、休息を強く望んでいた。

心地よさそうに眠るシャラの寝息に誘われるように、瞼はゆっくりと重みを増していく。

眠りに落ちる寸前、アマネの手にある黒い外套を恨みがましく睨みつけた。

深い寝息が聞こえてくる。

感覚に従い、アマネはそっと目を開けた。

薄明かりが落とす影に飲まれたように、眠りに落ちた王女の姿がある。

――面倒なものに目を付けられたものね。

シュオウを思い、心の中で語りかける。

救われたのだと言っていた。大方、シュオウは王女に優しく接したのだろう。若い娘が恋をするには十分すぎる状況だ。

その恋心の代償に、富と権力、臣下や民のすべてを捨てて、サーサリアはここにいる。

シュオウへの想いを語り、命を賭けてまで意思を貫いた王女の顔が、脳裏に焼き付いたように離れない。

立場や肩書きの下にあるのは、ただ生身の一人の人間があるだけ。土地が買えるほど高価な装飾品を身につけ、指先一つで人を死地へ追いやるような者達が、小便を漏らし、泣いてすがりつくように命乞いをする姿を飽きるほど見てきたアマネは、それをよく知っている。

――不幸だったんでしょうね。

恨みを抱いて生まれた王女は、思い通りにいかないことも多かったはず。

そんな王女が、ある日、目の前に現れた優しく手を差し伸べた男に、自分のすべてを賭して恋をした。

――いいえ。

アマネは自身の考えを自嘲し、即座に否定した。

自分と友の命がかかった状況でも、嘘やごまかしですら思いを曲げようとはしなかった。あの一途な目、言葉は、恋に我を忘れた若い娘などという可愛らしい存在などでは決してない。

――狂人。

欲望に逆らう事なく強靱な自我を押し通す存在、その無様な生き方に、親しみすら感じそうになってしまう。

――でも。

強固な想いのすべてが、シュオウというただ一人に注がれている。それがもし成就しなければどうなるだろうか。

考えるまでもなく、良い結果を想像することなどできはしない。

――瘴気を操る、王族の女。

感情にまかせて振るわれる力がどれほど危険なものか。思うほど、サーサリアという一人の人間の存在が疎ましい。

――やはり、殺すべき?

危険な存在だ、が同時に愛らしくもある。

アマネにとっては我が子に等しい愛弟子を想い、ここまでの事をやってのけたのだ。

――男を、見る目がある。

無自覚に生じた親馬鹿のような感情が、親愛に似た気持ちを芽吹かせる。眠るサーサリアを見て、可愛らしい、という感覚すら覚えた。

身を乗り出し、サーサリアに向かって手を伸ばす。

その時、

「……ッ」

不意に気配を感じ、奥を見た。

「また気が変わったのか、アマネ殿」

一番に寝入ったはずのシャラが、屈んだ姿勢で鋭い視線をアマネに向ける。

「いい性格してるわね、寝たふりなんて」

「どういう人間かわかってきた、と言った。この状況を鑑みれば、間違いではなかったと確信できる」

シャラは野生の獣が獲物を狙うかの如く、身を低く、山猫のように背をしならせた。くたくたになった桃色の前髪が、だらりと片目に垂れ下がる。

アマネはシャラの行動を鼻で笑い、

「また挑むつもり?」

シャラは鋭く目をぎらつかせ、

「侮るな、方法を知った今、同じ失敗は繰り返さない。食べて飲み、多少なり体も休めた、不意をつかれた時とは違う、蹴りの威力はさきほどとは比べものにならんぞ」

この少女は真実を言っている、アマネの直感がそう告げていた。

「でしょうね」

「私の次の行動がどうなるかは……そちらの出方しだいだな」

「随分とこの娘を気にかけるのね」

「場当たりの関係だったが、すでに情を結んだ。馬鹿だが、好きなんだ、こいつの生き様がな。友をつまらん死に方はさせん、弟子を思って危害を加えるつもりなら全力で抗う。どれほど優れた読みを持っていようと、これまで学んできたことのすべてを賭けて、無傷ではすまさん」

その姿勢、言葉と覚悟のすべてが、一級の武人のそれと同じ匂いを発している。

虚勢も含まれているかもしれないが、少なくとも目の前の少女の態度からは、迷いや怯えは一切感じられない。

アマネはサーサリアに伸ばしていた手をゆっくりと引っ込めた。

「……寝るわ」

寝床に背を預けて言うと、

「信じるぞ」

アマネとサーサリアの間に身を置いたシャラは、座り姿勢のまま瞬くこともなく目を見開いている。言葉と行動が、まったく矛盾していた。

アマネは目を閉じ、口元に笑みを浮かべた。

朝を間近に控えた頃、アマネは手際よく覚醒する。その時まっさきに眼に入った光景を見て、呆れ気味に嘆息した。

――いつのまに。

森で身を休める時は常に注意を払っている。身に染みついたその習性をもすり抜け、眠りについているサーサリアの手が、しっかりとシュオウの外套の端を握りこんでいた。

「…………怨念?」

小声で独りごちる。

別れ際、どこか不安げで弱々しい部分を残していた弟子の顔を思い出し、あの 朴訥(ぼくとつ) とした青年がどうやって一国の王女に国を捨てさせるほど籠絡する術を学んだのか、確認したい気持ちが強まった。

サーサリアを守るように間に入って警戒していたシャラは、無残にも這いずるような姿勢でシュオウの外套に手を伸ばすサーサリアの下敷きとなり、それでも安らかな寝息と共に深い睡眠に落ちている。さすがに、疲労が限界を迎えたのだろう。

――どうするか。

頃合いをみて一人でここから去るつもりでいた。しかし、サーサリアの強い掌握を前に、その心がぐらついた。

「…………」

熟睡する二人の顔の側で強く両手の平をたたき合わせる。パチンと弾けるような破裂音がして、サーサリアとシャラは同時に顔を上げ、目を擦った。

「起きなさい」

目を覚ましたサーサリアは、形相激しくアマネを見つめた。そして、ほっとした様子で肩をなで下ろす。

シャラが寝ぼけた顔で、

「もう朝……か?」

アマネは、

「夜が終わる前に動く。私は私の用があってね、ここにある食料や水はあげるから、そっちはそっちで好きにしなさい」

サーサリアが真剣な顔で立ち上がり、

「どこへ行くの?」

「ここには宝探しの途中で通りかかっただけだから、それを再開するのよ」

グエンから手に入れた真紅の血蜜で固めた地図を見せると、シャラが不思議そうに首を傾げる。サーサリアのほうは一瞬だけ地図に目をやるが、すぐに興味をなくして視線をはずした。これが誰から手に入れた物かを知れば、多少は興味を抱くだろうか。

「行く前に、それを返して」

強い口調で言うサーサリアのそれ、がなにを指しているか、考えるまでもなく、アマネは同じく強い語調で、

「だめ」

端的に拒絶の言葉を吐いた。

「なら、返してもらえるまで離れない」

サーサリアの睨むような視線を躱し、呆れる心地で同行者の意見を伺うが、シャラは不敵な笑みを浮かべ、

「馬鹿ゆえに、言い出したら聞かないからな」

楽しそうに歯を見せて笑った。

アマネは二人に背を向け、

「自分の世話は自分でしなさいよ」

「いいの……?」

驚いた様にサーサリアが言った。

「でも覚悟して、おおよそ見当をつけている場所は深界のかなり奥深くにある、ついてくる気なら命の無事は保証しない」

素早く荷物を担いだシャラが並び、

「むしろ危険は望むところ。同行するなら丁度良いッ、アマネ殿を達人と見込み、師事を希望する! 教えを授かりたい!」

前のめりで興奮気味に弟子入りを志願した。

「だめよ、弟子をとる気なんてない」

はっきりとした拒絶をされてもシャラは食い下がり、

「南山各派の体術の多くを学んできた、私には素養がある!」

アマネは強く息を吐き、

「なら聞くけど、仮に自分を相手に戦っているとして、相手の間合いの内にずっと立っていられるの?」

シャラははっきりと表情を曇らせ、

「それは、嫌だな……」

「その嫌だと感じる距離に踏み込み続けるのが私がシュオウに教えてた戦い方。殺傷能力に長けた相手から殺気を向けられても、躊躇なくその間合いに飛び込んでいく、それを呼吸のように行えないような者が学んだとしても、出来の悪い護身術にしかならないわ。もともとあの子以外に弟子をとるつもりも、教えるつもりもない」

「だが、昨夜は私に教えを授けてくれた!」

「あれは――」

咄嗟の格付け意識を与えるために言った言葉にすぎない。

「私は師に尽くすぞ!」

誇らしげに胸を張って言うシャラに、

「いらない」

アマネは冷たく言い捨てた。

後ろを見ると、細い体で重たい荷物を必死に背負うサーサリアの姿があった。彼女の粘り気の強い視線は、アマネの羽織るシュオウの外套に釘付けになっている。

アマネは食料を入れた袋をサーサリアへ投げ渡し、

「王女として扱うつもりはない、あなたを殺しはしないけど、守る義務もない」

サーサリアは 精悍(せいかん) な顔つきで強く首肯し、

「よろしく、お願いします」

そう言った。

――なにをよ。

心中で突っ込みを入れつつ、木々に覆われた空を見上げ、去りゆく夜のかけらを見送った。