軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

簒奪 1

簒奪 1

公国の長が住まう城に華やかな貴族たちが通っていたかつての城は、今や下街区で暮らしていた下民たちの住処となり、彼らが奏でる様々な不協和音は、留まることを知らず日々強さを増していく。

難民たちから好奇の視線を送られながら、ディカ・ボウバイトは城内の各所に立ち、まるで絵画の構図を決めるように、手の指で作った枠の中に、それぞれの風景を収めていく。

人の身が織り成す集団を見て、ディカは咄嗟に頭の中で一枚の絵として目に映る光景を画具で描き、

「身を寄せる影――」

完成した絵につける題名を口ずさむ。

ここには絶望と嘆きが満ちている。しかし、同時に圧倒的な救いがある。

堅牢な壁に囲われ、治安を守るための兵士たちが配置され、調理された食料が配給され、医師や薬師が奔走し、時間を問わず絶えず衣類や寝具の洗濯が繰り返されている。

陰と陽、両極端な混沌が繰り広げられる光景を前に、ディカは城内に起こるすべての事象から、芸術的な 趣(おもむき) を感じずにはいられなかった。

城という、一つの枠の中で起こるこの希有な光景こそ、シュオウという一人の人物の意志によって創造された作品ではないのかと、心を強く惹かれるのだ。

城内を見て回るディカが、貴人たちの居住区に足を踏み入れた時、

「ディカ様、兵の配置転換が完了いたしました」

指示を伝えていたアーカイドに呼び止められた。

「ありがとう、アーカイド。問題はない?」

アーカイドは首肯し、

「は――ご指示の通りに。見た目に威圧的ではない者を選び、城内の配置に回しましたが、私では思いもつかない配慮でした」

祖母エゥーデ・ボウバイトに代わり、現場での指揮はディカが直接執っている。

ディカは視線を上げ、

「ここに置かれた人々はとても疲れて怯えている。そんな人たちの前に、怖い顔をしたうちの兵士たちを置けば、余計な恐怖感を与えしまうことになるから」

自ら発した指示に理由を添えるように、ディカは改めて思いを声に乗せる。

アーカイドは頷いて、

「別件で一つ、ご報告が――さきほど、裏門の近くに置かれた食料庫に侵入を試みた者たちを捕らえました」

ディカは注意を完全にアーカイドに向け、

「泥棒?」

「はい、城内に収容されている民の一部が徒党を組み、盗みだそうとしていたようです」

ディカは表情を険しくし、

「そんな……配給は公平に行われているし、あのお方がここまでの手厚い保護をされているのに……」

アーカイドは声を重くし、

「弱き者たちが、良い者たちであるとはかぎりません」

ディカは憤りと、少量の怒りを声に混ぜ、

「……脆弱さは醜く、生きるために無垢ではいられなくても、それを責めるのは傲慢にすぎる」

ディカの不思議な言い回しに、アーカイドは首を傾け、

「あ、はあ……それで、捕らえた者たちの処遇についてですが、我々はあくまで要請を受けて助力をしている身分にすぎず、決定権が定かではないため――」

途端、ディカは無邪気に目を輝かせ、

「シュオウ様にご相談をッ」

会いに行くための口実を手に入れたディカのその態度を予知していた様子で、

「まいりましょう」

アーカイドは微笑みを浮かべ、足を弾ませるディカと肩を並べる。

多くの人間たちが忙しなく行き交う城内にあっても、シュオウの居所は探すまでもなくすぐにわかった。

「ディカ様、あちらに」

前方の通路を隙間なく埋め尽くす人混みを指し、アーカイドが声をかける。

ときおり奥が見える密集した人々の隙間から、シュオウの姿を見つけ、ディカは群れた人々をかきわけて奥へ進む。その先ですぐに声を掛けようとしたその時、

「離れろばか! 人に見られてるだろッ」

「いやッ、だって戻ってから全然かまってくれないから――」

シュオウの体を寄せてからみつく女と、親しげな様子で引き剥がそうとするもう一人の女を前にして、ディカの顔から笑みは消え、上げかけていた手がゆっくりと垂れ下がる。

二人の女たちは、ムラクモから渡ってきた同行者たちだった。ムラクモ人とも呼ぶべき者たちだが、その容姿の特徴は明らかに西方系の特徴を濃く受け継いでいる。

東方の大国、ムラクモ王国の成り立ちを思い出しながら、ディカは表情を消した顔で、二人のムラクモ人の女たちの様子を観察した。

水色髪の女がシュオウの腕にからみつき、豊満な体を卑猥な動作でこすりつけ、金髪の女がその行為を叱りつつ、無理矢理引き剥がそうと足掻いている。両者は喧嘩をしているような言葉をやりとしながら、その実は親しんだ者同士でじゃれ合っているようにしか感じられない。

周囲に集まった難民たちは、興味深そうにその様子を眺め、まるで一時的な見世物の開催でもされているかのように、この周囲にだけ明るい陽気さが漂っていた。

ディカの視線は、親しげに絡みつく女たちではなく、当事者であるシュオウの顔に引き寄せられていた。

――あんな顔を。

戦場で見た時とは別人のように、女たちにからまれながら、困った様子でおろおろとしている顔からは、今まで見たことがない、幼さすら感じるほど、落ち着きに満ちている。

呆然としながら彼らのやり取りに目を奪われていると、

「ディカ様、私が行ってそれとなく呼び出してまいりましょう」

アーカイドが軽く耳打ちをした。

言って、前に進み出ようとしたアーカイドの腕を引き、

「待って……行かないで」

アーカイドはまるで、親か歳の離れた兄のような心配顔をして、

「ですが……」

「あんなに楽しそうにされているところに、罪人の処遇を問いかけて、気分を害したくない。後にしましょう……」

気づかれないように、そっと背を向け、喧騒から距離をとる。

ここへ来るまでとは明らかに異なる気持ちを抱きながら、ディカは暗い顔で嘆息する。

――あんなことがあったのに。

自らの血統を守るために祖母が選んだ、あまりにも残酷な方法を思い出し、辛そうに――しかし穢れることを厭わずに後始末に従事していた、シュオウの顔を思い出す。

ディカは自分の腕を強くつねり、その痛みを脳裏に焼き付けた。

「アーカイド――」

険しくなった声の堅さに気づいたアーカイドは、

「はッ」

上官に対するように背筋を伸ばした。

「急いで人を派遣して、うちの領地から拠出可能な物資の算出をするように」

アーカイドは、しかし返事に窮して、

「……ボウバイト家の領地にまつわることとなれば、まずエゥーデ様に許可を求めなければなりません」

「お婆さまには後で私の方からお伝えしておく。命令に従えないのなら、別の誰かにやらせるけど」

アーカイドは一瞬、驚いた様子で声を詰まらせ、

「……いえ、ご指示の通りに致します。その前に一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「なに?」

「そのご命令は、あの男のため、なのでしょうか?」

ディカは心根を隠す事なく首肯し、

「ええ、そう。お婆さまはジェダ様との取引の結果に、一時的に力を貸しているだけだと思っているかもしれない。けれど、私にはわかる。あの方はこの程度のことで、すべてを失うような人じゃない、これからもっと大きなものを手に入れられることになる。ボウバイトは現時点から存在感を示さなければ、あの人の側に席を失うことになってしまう。目立つ大きな貢献しておきたいの。他の誰かに、席を奪われてしまわないように――信じてもらえないかもしれないけれど、この行いは必ず未来のボウバイトに大きな利をもたらすことになる」

瞬きを繰り返すアーカイドが、ディカの言葉にどれほど信憑性を感じたかはわからない。だが、直立してはっきりと敬礼をしてみせた姿に、一切の迷いは感じられなかった。

「プラチナ様は――」

ここのところ、ユーカ・ネルドベルは、その名をよく耳にする。

ワーベリアム家は燦光石を持ちながら玉座に就かず、過去に大恩を受けたターフェスタ大公家に忠誠を誓う一族だ。

貴族家の代表が集う話し合いの場においても、城のそこかしこで寝泊まりをしている難民たちの側でも、プラチナ・ワーベリアムの名は、絶え間なくそこかしこで語られていた。

「銀星石がなんだってんだ……あのお方も所詮、俺たちを救っちゃくれなかった……」

一部の難民たちの間から、銀星石の名を蔑むような言葉も聞こえてくる。その音量は日々、増大していた。

長年に渡り、ターフェスタ大公家によって統治され、その下に集う名だたる貴族家によって治められてきたこの中央都は現在、彩石も持たずそのうえ完全なる余所者である一人の男によって支配されている。

安定と恒常が崩れ去ったこの都で、かつてはその名の栄誉と羨望を誇っていたワーベリアム家の名も、死を目の当たりにした民たちからの支持は、地の底へと失墜していた。

遠征から戻った大公が武力制圧を命じ、それに反発した一人の男が、捨て身で民を救ったという話は、幾重にも枝分かれした尾ひれをつけながら、人々の間で流布されていく。

シュオウ――その名を讃える声と等しく、しかしこの状況が長く続くはずがないと、悲観的、あるいは希望的な声もそこかしこで囁かれていた。

冬華という立場もあり、ユーカは自然と都内に居を構える貴族家との調整役を担っている。しかし、それもあまり順調とはいえず、都内に発生した民の叛乱と、それを助けるように公国に剣を向けたシュオウに対して、自発的に加担したわけでもない貴族家の者たちの大半は、まるで状況に取り残されてしまったかのように、身動きもとれないまま日々を過ごしている。

その彼らが抱える不安や不満は、限界にまで達しようとしていた。

現状の報告と今後の相談のため、ユーカは城に足を運び、ネディムの姿を探していた。

思うところは多々あれど、ユーカにとっては師にも等しいその人物を探すうち、人づてに話を聞きながら、徐々に目的の人物がいる先へと近づいていく。

だがその途中、要所に配置されている一部の兵士たちが、突如椅子から立ち上がり、緊張した面持ちで背筋を伸ばす。彼らの慌てぶりと、疲労を滲ませていただらけた空気が一瞬で消え去った原因を探し、ユーカはすぐにそれに気がついた。

明るい黄緑色の髪をなびかせ、不気味なほど完璧に整った顔に微笑を張り付けながら、難民でごったがえす城内の通路を、涼しい顔で歩く、一人の人物。

――ジェダ・サーペンティア。

丁度、周囲に逃げ場がない長い通路に立っていたユーカは、その名を思った瞬間、足がその場に凍り付き、身動きが取れなくなっていた。

難民たちからは奇異の目を向けられ、兵士たちからは恐れの感情を向けられながら、そのすべてを意に介した様子もなく、ジェダは淡々とこちらのほうへ歩き進む。

「これは――」

ジェダはユーカの前に立ち、

「――冬華の輝士、ユーカ・ネルドベル卿」

作り物のような微笑を張り付けたまま、恭しく辞儀をした。

「あ……う……」

まともな挨拶すら返せずユーカはただ、過去に経験したときの感覚に意識をすべて支配されていた。

ジェダがこの中央都から逃亡を謀っていたその時、力を奮おうとしていたユーカに対して、この男は一瞬にして構築した晶気を根底から消し去ったのだ。

それは、神業などという言葉ですら生ぬるい。他人が造り上げた晶気に力をぶつけて相殺するわけでもなく、その権能を根底から奪い盗ったのだ。

物心が付いて間もなく、天才ともてはやされてきたユーカですら、到達不可能な領域に達している相手に、その強さ、恐さが如実に理解できるからこそ、まるで蛇に睨まれたかのように、全身が恐怖で硬直する。

冬華の義務を放棄させ、部屋の中に閉じこもることになった原因を前にして、恐怖に慄くユーカのその心情を察したかのように、ジェダはにやついた顔で小さく首を傾けた。

「あの時のことは覚えていますよ。小柄とはいえ、自分の体を晶気であれほど綺麗に浮かせる術は見た事がない、見事でした」

その容姿、態度ともに完璧ともいえるほど整った相手は、しかし側にいる者に、圧倒的な不快感を与えている。

「あ……の……」

恐怖で縮み上がった体では、うまく声を発することもできなかった。

それが生来の特性なのか、ジェダはまるで捕食者のような目で怯えるユーカを凝視し、ふっと笑みを漏らす。

「その歳で親衛隊に召し上げられたのも納得できるくらい、あの時見せてもらった力からは、天性の才を感じました。しかし、その晶気の構築はあまりにも綺麗すぎた」

思いもよらぬ言葉をかけられ、ユーカは一瞬緊張をゆるめ、

「きれい……?」

と聞き返す。

ジェダは小さく頷き、

「森のない草原、水が透き通る川、そのどこでも狩りは容易い。形が悪いほど扱いにくくなり、濁るほど見え辛くなる。どれほど力を操る才に長けていても、淀みがなければ、その力を 解(ほど) くのも簡単になる」

ユーカは無意識に半歩後ずさった。

この男はわかっている。ユーカがなぜ声を発することができないのか、なぜこの場に留まり、服が張り付くほどの汗を浮かべているのか。すべて見透かしたうえで、遙か高みから相手を見下ろし、その恐怖の根源に纏る話をあえて語って聞かせている。

美しくとも、まるで温かみを感じられない顔と声で、すべてを見透かされているような現状、そこから聞こえてくる言葉のすべてが、ユーカには一つの意志を込めた発言に聞こえていた――それは、お前をいつでも殺せる、と。

自分でも、なにをそれほど恐れているかもわからない。それは自分と同じく風という現象を操る力を持って生まれた者同士であるからこそ受ける感覚なのか。

ユーカは服の端を両手で強く握り、呼吸浅く、顔を沈めた。その時、ふっと誰かがユーカの横から身を乗り出した。

空気の流れもなく、息苦しさを感じていたその場に、現れた人物はその手を躊躇うことなくジェダの顔に突き出した。

その人物の手が、さっとジェダの頬をつまみ、

「怖がらせるな」

そう言って強く捻り上げる。

ジェダは、

「いっ……別に怖がらせたかったわけじゃ、ただ挨拶をしていただけで」

抗議を言いつつも無抵抗にそれを受け入れる。

これまでこの場に漂っていた冷たく威圧的な気配が一瞬で消え去り、ユーカは驚きに満ちた顔で、ジェダの頬をつねる人物を見た。

「わかったから、離してくれないか、シュオウ」

ジェダがその名を呼んだのと同時に、シュオウはジェダの頬を解放した。

ジェダは赤くなった頬を撫でながら、

「彼女は――」

ユーカを紹介するように視線を向ける。

シュオウは、

「知ってる」

無愛想にそう返した。

見るからに自尊心の塊にしか見えないジェダが、まるで親にかまわれて喜ぶ子どものように従順に振る舞っている。

シュオウはユーカを見て、

「大丈夫か? 顔色が悪そうだった」

飾り気なく心配され、ユーカは汗を拭い、唇を噛んで頷く。その時、

「我が君ぃッ!!」

聞き覚えのある不愉快な大声が響き、ユーカは肩を震わせた。

「クロム」

シュオウがその名を呼ぶと、やたらに興奮しきったクロム・カルセドニーが駆け込んできた。

数日前、本気で命を狙われた相手との不意の再会に、ユーカは思わず全身を緊張させる。

クロムは肩で息をしながらカゴを差し出し、

「我が君から命じられて用意した菓子です! どうぞお納めください」

シュオウは差し出されたカゴを前に大きく首を捻り、

「……菓子じゃなくて、箸を用意してほしいと頼んだ」

クロムは途端に顔を引きつらせ、

「は、箸ですと……? おかしい、たしかに菓子と聞こえたような。いや、しかし我が君が間違うはずがない、間違いがあるとすれば、この愚かなクロムこそが――」

一人でぼそぼそと独り言に夢中になるクロムを無視して、シュオウはカゴのなかから茶色くでこぼことした塊を一つ摘まみ取った。

シュオウは取ったものを見つめ、

「どこで見つけてきた?」

おもむろに匂いを嗅ぐ。

クロムは一瞬で表情を明るくし、

「私が作りました、この手でッ。実家の調理場のすみに置かれていた食材を使い、鶏舎から卵を拝借、その他もろもろと各方面より材料を掻き集めて創作した自慢の逸品です。よろしければ味見を――ご安心ください、腹下しなどは入れておりませんッ」

自信満々におかしなことを口走るクロムに対して、静観していたジェダが耐えかねたように首を傾げた。

「腹下し……?」

訝るジェダを前に、シュオウはクロムの作った菓子を口に運ぼうとする。

ユーカは思わず、

「まッ――」

止めようと手を伸ばしていた。

しかし、同時にシュオウに対してジェダもまた手を伸ばしていた。

「やめておいた方が――」

シュオウは伸ばされたジェダの手をするりと躱し、菓子をぽんと口に放り込む。

しゃくしゃくと小気味よい音を響かせながら、少しの咀嚼の後、シュオウは突然、心地良い湯にでも使ったように頬を緩めた。

その一瞬、常には険しい顔付きが、年齢よりも幼く見える。

クロムは卑しく舌なめずりをして、

「我が君、お味のほうは……?」

シュオウはすっと表情を戻し、

「必要なのは菓子じゃなくて箸だ。普通の箸と追加で先が尖った細い棒も、クモカリが大量に欲しがってる」

クロムはしつこいくらいに頷きを繰り返し、

「今度こそ、失敗はいたしませんッ。我が君の求める最上の箸を用意するため、このクロムがただちに国宝木の雪虎を根こそぎに切り倒してまいりますッ」

「いや、そこまでしろと言ってない。廃材置き場の場所を教えたはずだ」

「はいッ、仰せの通りです」

まるで主人を愛してやまない忠犬のように振る舞うクロムに、ユーカは緊張も忘れてまじまじと様子を観察していた。その時、不意にクロムの首がぐるりと半回転し、その目がユーカをじっと捉える。

「おぅやぁ……?」

ねっとりと湿った声で、まるで知性を持たない鳥のような目を向けられ、ユーカは命の危機を感じながら逃げ惑った、あの逃亡劇を思い出し、恐怖と共に壁際にまで後ずさる。

クロムは大きく目を見開いて、

「過ぎ去りし過去に取り逃した失敗の匂いがするぞ――お嬢ちゃん、君はたしか」

すんすんと鼻を鳴らした。

側面にはジェダ、正面にはクロムと、苦手とする者たちに挟まれ、ユーカは壁に背をつけて、

「ひ――」

抗いようもなく小さな悲鳴を漏らしていた。

クロムがユーカに向けて一歩を踏み出した直後、

「怖がらせるな」

シュオウがクロムの耳を強く摘まみ上げた。

クロムは無抵抗に体を仰け反らせ、

「ああッ?! 我が君、お、お許しを――」

相当に強く引っ張られているのか、クロムは後ずさって片膝を落とし、謝罪の言葉を繰り返す。しかしその声、顔からは形容し難い喜びの感情が滲み出ていた。

その様は、まるで気性の荒い獣を手なずける猛獣使いのように、シュオウは完全にクロムという異常人格の持ち主を支配下に置いている。

ユーカがまだ少ない人生経験の中で、もっとも苦手とする二人を手玉にとる一人の男、シュオウに対して、無自覚なまま気がつけば瞳を輝かせ、その視線を顔の半分近くを眼帯に覆われた仏頂面に釘付けにされていた。

それは無自覚から発せられる、尊敬の眼差しだった。

シュオウはクロムの耳を摘まみながら、通路の奥へと引っ張り、

「いいから行ってこい、頼んだぞ」

クロムは嬉しそうな顔で耳を撫でつつ、

「おまかせをッ」

宣言し、嵐のように騒がしく去って行った。

ジェダがシュオウに、

「必要な物を用意させるなら、あれじゃなく別の人間にやらせたほうがいいんじゃ」

シュオウは嘆息し、

「なにかやらせておかないと、一日中、耳元で俺のことを褒めてくるんだ……」

げっそりと疲れた顔でそう零した。

ジェダは同情の眼差しを向けた後、

「それはどうする? 処分するなら僕が――」

いつのまにかシュオウの手のなかにあったクロムの持ち込んだカゴに手を伸ばした。

シュオウはカゴを後ろに避けさせ、

「食える味だった。量も多いから、子どもたちに配る」

シュオウの死角に立っていたユーカは、すっとカゴに手を添え、

「……お手伝いしてもよろしいでしょうか?」

シュオウは振り返ってきょとんとユーカを見つめ、

「ああ……助かる」

言って、握っていたカゴを手放した。

「それじゃあ、雑務が山積みだからね、僕は一旦失礼するよ――ネルドベル卿、それではまた」

ジェダが去って行く前にわざとらしくユーカに辞儀をするが、ユーカはもう、怯えに身を固くすることはなかった。

「ごきげんよう、公子」

つんと顔を上げて挨拶を返すと、不思議とこれまで感じていた恐怖がどのような感覚だったのかも思い出せなくなっている。

歩き出したシュオウの隣に並び、

「ご相談したいことが多々あります――シュオウ様」

ユーカはそう切り出し、初めて相手の名を呼んだ。