軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

大戦 2

大戦 2

人気のない街に馬蹄の音が鳴り響く。

ロ・シェンが夜道を疾走し、その背にはシュオウがしっかりとしがみついていた。

アマイとアレリーは一頭の馬に乗り、前を行く二人を追従していた。

馬が道の窪みに出来た水たまりを跳躍して躱した。その際、着地の強い衝撃が、手負いの体に強い振動を与えた。

「く……ッ」

応急処置をした傷口に痛みが走り、アマイは思わず声を漏らして身を縮める。

「大丈夫ですか……? 無理をせずに残っておられたほうがよいのでは」

後ろに乗るアレリーが心配そうにアマイの背を撫でた。

アマイは痛みの走る脇腹を押さえ、

「……そう出来ればいいのですがね」

速度を緩めようとしない前の二人に必死に食らいつく。

シュオウが前方を指さし、ロ・シェンになにごとかを言っている様子が窺えた。ロ・シェンは首を振るが、シュオウは彼の耳を引っ張り、頭に拳をごつんと当てる。

まるで古くからの顔見知りのように接する二人を見て、アマイは先ほどのやり取りを思い出していた。

『どうして俺の後ろに乗る……?』

ロ・シェンが乗り手のいない馬を指しながら、なにごともなく自分の後ろに跨がったシュオウに言った言葉がそれだった。

『いいから、行け』

そして、臨時の御者を見つけたシュオウが一言、そう言ってロ・シェンに馬を走らせた。

彼らを追従するアマイとアレリーは、二人ともがロ・シェンが率いる集団の被害者である。ただの雇われとはいえ、襲撃から監禁まで、アマイたちに対して苛烈な対応を実際に行ってきたのは彼らの手によるものだ。

そんな憎き相手と壁もなく、シュオウは常と変わらぬ態度で彼らに接している。アマイの視点から見る、そこにあるはずの敵味方の境界は酷く曖昧になり、雨水に濡れた文字のように滲んでしまっていた。

憎むべきもの、頼るべきもの、二つの区別をつけられない現状に、アマイの心に惑いが染みる。

同じく、目の前に恩人と敵をその視界に捉えているアレリーは、

「突然現れてから、言葉のままに世界が変わっていく、不思議なお方ですね、アマイ様」

と呟いた。

誰のことか、と聞くまでもなくアマイは鷹揚に頷き、

「……ええ、その通りですね」

「どうして、こんなに大変な思いをしてまで、私たちを助けてくださるのでしょうか?」

アマイは、かつてのアデュレリアでの出来事を思いつつ、

「そういう人なんですよ、かつては、命懸けでサーサリア様の命まで救ってくれたこともありました」

もはや、遠い過去のように感じられる日々を思い、懐かしみを込めて言った。

アレリーは、

「え……?」

驚いた様子で、背後からアマイの顔を覗き込んだ。

アマイはアレリーが期待する次の言葉を返すことなく、自身の考えに没頭する。

かつてはムラクモの命ともいえる唯一の血筋を守った人物、しかしシュオウはもはやムラクモを捨てた人間なのである。

――焦っている。

あえて安全な街道を外れてまで、険しい近道を選択するシュオウの背を見ながら、アマイは密かに疑念を抱く。

目前に迫っているというターフェスタの侵略軍、その所属であり、偵察のためにユウギリに潜入しているというシュオウが、たった一人でユウギリの現状を回復させようと奔走している。

だが、その先にあるのは結局のところ、戦争なのだ。

他国の軍に王領が侵犯されるという重大事が起こりながら、強さを誇る東地最強のムラクモ軍が、それを見過ごしている現状が、アマイにはまるで理解できなかった。

その時、沸き起こる不安と共に、ある考えがアマイの頭の中に浮かぶ。サーサリアの行方を失したせいなのではないか、と。

アマイは傷を押さえ、

――もはや、私の手には負えない。

友や、思いを同じくする部下たちの多くを失い、アマイにとって唯一の縋り付く希望は、王族の地位を捨てて逃げ出すほど、サーサリアが焦がれていた相手、シュオウしかいなくなっていた。

人々が行き交う正門の側で、南方人の傭兵たちが、険しい顔でムラクモ兵たちに視線を送っている。

ノランは彼らの下へ歩み寄り、

「話がある」

と切り出した。

傭兵たちは仲間内で視線の交換をした後、

「言ってみろ」

手の甲に彩石がある一人が、代表して反応を返す。

ノランは傭兵たち全体に視線を這わせ、

「現状では到底、侵略軍に太刀打ちできない」

傭兵たちは真顔で顔を見合わせ、

「それがどうした。我らは雇われただけの余所者だ、一門は宗主たる大師範の命に従う、我らが受けている指示は、お前たちの監視だけだ」

冷めた言葉を返してくる傭兵に、ノランは一歩踏み出し、

「お前たちの役割が我々の監視であるのなら、どのみち戦場に顔を出すことになるぞ。どうせそうなるのなら、今のうちに手を組んでおいたほうが合理的だろう」

南方人の傭兵は難しそうな顔で腕を組み、

「しかし、な」

意志がぐらついている気配を感じ取り、ノランはさらにたたみかける。

「……我らが敗れれば、ユウギリは敵の支配下に落ちる。それはお前たちにとっても、都合が悪いはずだ」

傭兵たちの中から、微かに頷く者たちが現れた。

ノランは意を決したように深く息を吐き、

「頼む……今は計算できる兵が一人でも多く必要なのだ、戦いの知識や経験のある者はとくにな。お前たちの力を、貸してはくれないか……」

憎むべき相手に対して自尊心を殺し、深々と頭を下げて願いを告げた。

傭兵はゆっくりと鼻息を落とし、

「顔をあげられよ」

丁寧な言葉で言って、ノランの肩に手を添えた。

ノランが顔を上げると、傭兵は頷き、

「屈辱を飲んでまで、我らに頭を下げるその心には敬服するものがある」

「では……」

「我らは武を極めんとし、戦うための技量を磨くことに生のすべてを賭けてきた。お前の言うとおり、我らの任務が監視である以上、戦場にまで足を運ぶことになるのなら、それをただ立って見ているわけにもいかないだろう――」

傭兵は言って振り返り、

「――皆に問う、反対の意志があるか」

それに声をあげるものは一人もいなかった。

ノランはほっと胸をなで下ろし、

「助かる、本当に……」

傭兵は腕を組んで頷き、

「で、なにから始めればいい」

「敵の動向を警戒しつつ、戦場をどこに定めるか、決めなければならない」

「我らは山中に身をおき、個の戦いと合わせ、集団戦の兵法も少なからず学んでいる、供をしよう」

ノランは傷だらけの顔を僅かに緩ませ、

「是非、そうしてくれ」

一時、わだかまりを捨て、肩を並べて門の外へと足を向けた。

ユウギリの正門を出た先、整備された山中の街道を行く途中、ノランのもとに、体中を土埃で汚したムラクモ兵が駆けつけた。

偵察の任務を受けた斥候として活動していたその兵士は、

「重輝士に報告します――敵軍は登り口の関所跡に集結、その場に留まり、停留するような動きをみせています」

そう言って、激しく息を切らせながら地面に両手をついた。

聞いたノランは肩の力を僅かに緩め、

「夜の行軍は止めたか、ありがたい……これで時間を稼げるぞ」

ノランに同行する傭兵が難しい顔で顎をさすり、

「これで、こちら側に戦場を選択する権利が生じた」

ノランは頷き、

「あとはどこを選ぶかだが」

「少ない戦力で大軍を相手にするのなら、山中の 狭隘(きょうあい) な地形が理想であるが――」

傭兵たちは言って、なだらかに下る街道を駆け足で降りていく。ノランは他の兵士らと共に、彼らの後をついて行った。

山を下る途中、岩肌が剥き出しになった山道に辿り着く。折り重なるように左右に険しく道が曲がり、片側からは激しい傾斜がつき、その先には人を死に至らしめるのに十分な高さの崖が存在している。

ノランは傭兵たちがこの地点に目をつけたことを察し、

「ここは適さないぞ、片側は崖だが、もう片側は滑らかな傾斜だ、道が広く、行軍に適している」

傭兵の一人がその地点でしゃがみこみ、

「湿った空気が淀み、土が軟らかい、これほどの傾斜と合わされば確実に馬の脚が取られるだろう」

枯れ葉混じりの黒い土を握りながら言った。

ノランは足元の土に手を伸ばす。握りしめると、たしかに周辺の地面を覆う土はしっとりと濡れ、見た目よりもずっしり重みを感じた。

傭兵はノランを見やり、

「輝士に足を着かせれば、その能力は半減する――お前たちを相手にする際の教えだ。ここがいい、柔く重い地面が馬の足を取り、上に陣取る側に地の利が生じる」

彼の言う輝士、という存在にそっくりそのまま当てはまるノランは、居心地の悪さを感じながらも、その提案に納得を得る。

「輝士の突撃を遅らせられるなら、歩兵への対処も容易い、か」

傭兵は頷き、

「周囲は木々に囲まれ、巻き添えの恐れがあり晶士の砲撃は躊躇うはず。敵は傾斜を攻めあぐね、街道からの進軍を試みる。が――」

「道幅は狭く、それ故に進行速度は遅れ、交戦に至る兵数を対処可能な数に調整できる」

「然り」

ノランは周囲を見つめて深く息を吐き、

「すべてが都合良く運べば、思った以上に時間を稼げるかもしれないな」

「反論があるなら聞く」

傭兵は言って、瞼を落とした。

当然、この場で語り尽くせないほどの不安要素はいくらでも見つかる。だが、今はそれを吟味していられるほどの時がない。

「この地を戦場と定め、陣を張る。可能なかぎりの木柵を用意し、この地で敵を迎え撃つ――」

ノランの号令の下、この場にいる全員が、一斉に首を縦に振った。

ノランは腰に当てて周囲を眺め、

「――人手がいるな」

振り返り、正門がある方角をじっと見つめた。

周辺一帯は未だ暗い。

エゥーデは湯気の立つ熱い茶をすすりながら、絶え間なく届く報告に耳を傾けていた。

副官のアーカイドが、即席の大きな地図に各所から集まる情報を書き加えていく。

「軍を迂回させる経路はあったか」

エゥーデが問うと、アーカイドは顎をさすって難しい顔で唸った。

「北西の森林を抜けた先に小さな小道があるようです、おそらく現地住民が作業に使う道と思われまずが、ひと一人がようやく通れる程度の狭さで、上へあがるまでに断崖を経由しなければなりません。兵力を分けて送り込んだとしても、無事に上へたどり着けるかどうかは……」

エゥーデは話を聞きながら、口の中に紛れ込んだ茶葉を吐き出した。

「山道を登り、正面からやり合うしかない、となれば、向こうの思うつぼではある。上にいる連中がよほどの馬鹿でないかぎり、今頃は侵攻に備えて防備を固めているはずだが、だらだらと削り合う血みどろの消耗戦を演じるのは、面白くない」

アーカイドは周囲に人の耳がないのを確認し、

「御言葉ですが……」

声を潜めて言った。

エゥーデはぎろりとアーカイドを睨み、

「言え」

アーカイドは咳払いをして、

「あまり、急ぐ必要はないのでは。この場に軍を寝かせ、いましばらく偵察兵を増員し、敵勢を見定めてからでも――」

エゥーデは耳の穴に指をつっこみ、

「慎重になれと? つまらんことをいちいち大袈裟に言うな」

「ですが、無計画な進軍で、このまま敵と衝突すれば、もっとも消耗を強いられるのは我が軍です」

ボウバイトがまとめ上げた増援軍を指し、アーカイドが声に不満を滲ませた。

身内を案じてのアーカイドの提案に、エゥーデは顰めっ面で視線を逸らし、

「……どうにも、あの糞虫が消えてから、この群れの空気が淀んだような気がしてな」

突然の言葉にアーカイドは不思議そうに首を傾げ、

「と、おっしゃいますと?」

「カトレイの傭兵どもがこちらに刃を向けたとき、一部のアリオト兵らがそれに同調する動きを見せていた。余所者と侮っていたが、これまでの戦果により、あの糞虫を主と見做す者たちが出てきたということだ。そのような連中に背中を睨まれたまま、主導権も握れず、敵前で深界に孤立していては尻の収まりが悪くなる。それに、一番の問題は奴だ」

「奴、とは……サーペンティア?」

エゥーデは首肯し、

「あの男の糞虫への忠誠心は本物と見える。奴のためと思えば、あの風蛇の子は躊躇いもなくこちらの背中を切りつけてくるぞ。群れは主の機嫌を反映する……ターフェスタのアリオト軍といえ、我らボウバイトとは元来縁遠い存在、敵よりも側にいる身内のほうが信用ならん、時をかけてこれをやり過ごそうとするよりも、今は前に動いているほうが安心できる、足を動かしている間は、奴らの目も我々ではなく、敵に向かうだろう。戦場の混沌に飛び込めば、こちらの身動きもとりやすくなる…………意味がわかるな?」

含みを持たせた言葉を聞き、アーカイドは一瞬驚いた様子で眉を上げた。

「……承知いたしました、閣下」

エゥーデは頷いて、

「いつでも動けるようにしておけ」

熱の引いた茶を飲み干した。

敵を目前に控えたこの時、カンノの手下が仕切る正門の空気は緩みきっていた。

人相の悪い男たちが群れて酒盛りに興じ、女たちを侍らせ、大声で笑い、焚き火を囲みながら嬉しそうに手を叩いて騒いでいる。

その一方で、夜通しで壁の修復や物資の運び込みに従事する者もいた。彼らは民兵としてカンノが徴兵した者たちだ。

まともな戦闘訓練も受けていない素人たちだが、そのほとんどが肉体労働者であり、体付きは筋肉質でがっしりとしている。周囲を威圧し、いばりちらしているだけのやくざ者たちより、よほど戦力として計算できる人材だ。

「人手が必要だ、協力してくれ!」

ノランは一人、正門の前で声を張り上げた。

重輝士であるノランに、民兵たちが注意を向ける。彼らは徐々に手を止め始め、声を上げたノランの前に集い始めた。

ノランは集まった者たちの顔を見回し、

「敵軍が目前に迫っている、早ければ夜明けと共に、ここに攻め入ってくるかもしれん。お前たち全員の協力が必要だ」

民兵たちは顔を見合わせ、

「……どうすりゃあいいんで? 俺らは言われた通り、門や塀の守りを固めてりゃあいいと思ってましたが」

「相手はターフェスタの正規軍だ、ここの現状を評価するに、接近を許せば敵の攻勢に抗うことはできそうもない。そうなる前に、敵を前で迎え撃つ。有利な条件で戦える場所を定めた、そこに人手を集め、夜通しで可能なかぎりの備えをしておきたい」

民兵たちは、しかし視線を彷徨わせ、遠くのほうで酒盛りに興じるカンノの手下たちを見やった。

「ですが、ね……」

彼らは皆、カンノの手下たちのことを気にしている様子を見せる。

ノランはあえて声を潜めず、

「この地を狙っているのは、リシア教徒の軍隊だ。我々東地の民は、奴らからすれば異教徒であり蛮族と 見做(みな) される。侵入を許せば、男女や年齢の区別なく、容赦なく惨い仕打ちを受けるだろう。ユウギリは私にとって縁ある地ではないが、今、ここには私の愛する家族たちがいる。私は命懸けでこの地を死守する、そのために必要なことがあるが、どう足掻いても手が足りていない」

ノランの訴えに、場がしんと静まった。遠くで騒いでいたカンノの部下たちが、異変に気づきこちらに視線を向け始める。民兵たちが怯えたように後ずさりし始めたその時、職工道具を握った一人の男が、門の外へ向けて歩き出した。

「奴らに逆らうよりも、異国の軍隊のほうが恐ろしい。俺には子がいる、もうすぐ二人目が生まれるんだ、守らねえとな……」

その男の発言を聞き、躊躇っていた民兵たちが、少しずつ門の外へ向けて歩き出す。初め緩やかだった人の流れは、徐々に勢いを増し、次第に大きなうねりとなって、集団は列を組んで整然と外に向けて歩き出した。

「おい、こるあああッ!!」

ノランを殴りつけた男が怒声を上げ、赤ら顔で慌てて集団の前に現れる。

男は血走った目で、

「勝手にどこにいきやがる! 持ち場を離れていいなんて一言も言ってねえぞ!」

ノランは涼しい顔で男の横を通り過ぎ、

「黙れ。状況は変わった、お前たちはそこにいればいい、酒を飲み、なにもしないまま、ただ座って遊んでいろ」

肩越しに振り返り、切るように鋭く言い残した。

騎兵の突撃を防ぐ木柵が張り巡らされている。

休むことなく作業に当たった民兵たちが、木柵の内側でへばった様子で座り込んでいた。

民兵たちは自分たちの仕事の成果を誇りながら、誇らしげに頑丈な木柵に手の平を当てている。

一仕事を終えた達成感からか、軽食や飲み物を片手に和やかに談笑する彼らを見ながら、ノランに協力する傭兵が険しい顔で喉を唸らせた。

「これからどれほどの地獄を見ることになるか、奴らはわかっていないようだ」

民兵たちは、大軍が余裕をもって擁する工兵ではない。彼らはこの後、対することになる敵軍を正面から迎え撃つという命懸けの役割が待っている。

ノランは傭兵の隣に立ちながら、土まみれの顔を服の袖で拭った。民兵たちと共に作業に従事した結果、手は真っ赤に腫れ、足が震えるほどの疲労に見舞われている。

「まだ、わからないだろう。敵を退けられる可能性は十分にある」

楽観的なノランの言葉に、傭兵は呆れた様子で首を振り、

「本気で言ってはいまい、ここに在る兵力では、地の利をとったとしても五分にもならん」

ノランは積み上げた資材に寄りかかり、

「勝ち目はない、と見ているのか」

傭兵は一帯をじっくりと眺め、

「初めは、この地の攻めにくさに敵が足を鈍らせるだろう、だがすぐに気づかれる、上に陣取るこちら側の兵力の薄さにな。その時点で、捨て身で攻め上られれば、こちらにはもう打つ手がない。弱者が敗北者となるのは必定、あとは勝者に蹂躙されるのみ」

「それはクオウ教徒の考え方か?」

「世界の真理だ、宗教の教えなど関係ない」

ノランは前を見て目を細め、

「誰もが何かを得たいと思いながら生きている。が、捨てることを望んで生きている者は 希(まれ) だ……捨て身の攻めなど簡単にできることではない」

「都合良く、相手が最善策を躊躇うことに期待するか」

ノランは自嘲気味に笑みを浮かべ、

「そう思わなければ、足掻く気力が沸かないからな。だがまったくの妄想というわけでもないぞ。敵はこちらの戦力を正確に把握しようがない、どれほどの力を溜めているかもわからない状況で、むやみやたらに攻め込むのは恐ろしいだろう。あの若い司令官とやらが、常識を備えた堅実な指揮官であることを祈るばかりだが」

「神気をまとった英雄が指揮を執り、獅子の 咆哮(ほうこう) が如き士気が合わさり、兵士ははじめて恐怖を忘れる。あの若さと平民の身分でありながら一軍をまかされているのだ、凡俗であるはずがない、と考えるまでもなくわかるだろう」

鳥が鳴き、暗がりの風景にくっきりとした輪郭が浮かび上がる。

薄らと明るさを取り戻す山の風景を眺めつつ、

「ならば、英雄殿の戦歴に、生涯消せない泥を塗りたくってやるとしよう」

ノランは言って、傭兵と目を合わせ、達観したように笑みを零した。

宵闇は陰り、黎明が訪れる。

前方に広がる森林地帯から、ざわりと不穏な気配が伝わった。