軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

飛翔 2

飛翔 2

日が傾き始める頃。

天幕を張った仮置きの司令部に、各軍をまとめる代表者たちが集っていた。

増援軍を代表してエゥーデが席を取り、その隣にカトレイ代表のレノアが座っている。

シュオウは首座に着席し、側にネディムとジェダ、バレンが待機する。

各々が顔を揃えたのを合図として、軍議が開始された。

集会が始まって早々、

「ムラクモ王国の内部で乱の兆候があるというのなら、一度アリオトに戻り、情勢を見守るのがよかろう」

エゥーデが意見を述べた。

「不安定なときだからこそ攻める好機ともいえます」

ネディムが言葉を重ねた。

エゥーデは露骨にネディムを睨みつけ、

「氷狼がうろついているかもしれない場所に、のこのこと足を運んで手を差し入れれば、腕を噛みちぎられでもされかねん。いかに貴様らが若造とはいえ、燦光石を相手に易々と勝利を得られると考えているほど自惚れてはいないだろう」

ジェダが冷笑を浮かべ、

「ムツキはサーペンティアの管轄下にあり、ターフェスタとの火種を抱えた戦地だ、アデュレリアがあえてそこに手を伸ばす利点はなにもない。むしろ、こちらが攻め込めば、その対処に追われるのはムラクモ軍ということになる、アデュレリアにとってはこのうえなく都合が良いはずだ」

「憶測にすぎん。そもそもアデュレリアについての情報もたった一人の捕虜から引き出した浮ついた情報でしかない――」

エゥーデは言って、視線をシュオウに向けた。なにか声をかけようとして躊躇い、口を湿らせた後、顰めっ面で再び口を開く。

「――この言葉をかけるのは癪に障るが、今回の戦いで収めた勝利だけで快挙といえる。凱旋するには十分な戦果だ、ここで引いたとしても、大公は結果に満足されるだろう」

ネディムが両手の指を絡め、

「それはどうでしょうか。白道を舞台とした戦闘ではすでにワーベリアム准将が勝利を挙げていた。しかし、大公の命はあくまでムラクモの領土を獲得することにありました。同じ結果をもたらしたとしても、大公がお喜びになられるとは思えません」

舌打ちをしたエゥーデが、

「偉そうにそれらしいことを言う、貴様の得意技だな」

室内の空気が荒れ始めた時、レノアが突如席を立ち、皆の視線を集めた。

「いい加減にしてくれよ。やるのやらないのって言い合いをしてても時間の無駄だ。戻るならさっさと戻る、進むなら寝床の支度をさせないといけない。下で働いてる奴らは飯も食わずに待機してるんだ、無駄話をしてないで、ここで決定権を持ってるただ一人の意見を聞きゃそれで済む話だろう」

レノアが指さすと、皆の視線がシュオウへ寄せられた。

シュオウはしかし、全員から見られながらも、ぼうっとした様子でただ虚空を見つめている。

「准砂」

バレンの呼びかけにシュオウは意識を戻し、きょとんとした顔で皆を見回した。

「……どうした?」

心ここにあらず、というシュオウの態度に、全員が戸惑いながら顔を見合わせる。

すかさずジェダが、

「進むか戻るか、皆が君の考えを知りたがっている」

シュオウは鷹揚にレノアを見つめ、

「カトレイはどうだ」

レノアは躊躇なく頷き、

「損害は軽微、行動は十分に継続できるよ」

シュオウは視線をエゥーデに流し、

「増援軍の状態は」

「歩兵の消耗は著しいが、輝士の数は十分に足りている……続行は可能だ、一応はな」

最後にネディムへ、

「アリオト軍は問題ないな」

「はい、ほぼ万全の状態です」

シュオウは深く息を吐き出し、

「進軍だ、ムツキを落とす」

鋭く視線を研ぎ澄ませ、立ち上がった。

ネディムが小さく手をあげ、

「反対意見のある者は挙手を――」

その言葉に全員が一斉にエゥーデを見る。

エゥーデは虫を払うような所作で手を振り、

「じろじろと見るな、わずらわしい。この程度の手勢でムラクモの城塞を落とせるというのなら、その手腕を見せて貰おうか」

兵士たちが慌ただしく野営の支度に勤しんでいる。

行き交う人々の波を押し分けながら、シュオウはジェダと連れだって歩いていた。

「大丈夫なのかい」

優しげなジェダの問いかけに、シュオウは機嫌悪く視線を逸らした。

「なにがだ」

「サーサリア王女のことを心配しているんだろう。見え透いた否定はやめてくれよ、さっきの君の態度は、そうとしか思えなかった」

シュオウは足を止めて赤暗い空を見上げ、

「……なにがあったと思う?」

「さあね。そもそも確証のない話だ、なにかあったのかもしれないし、なにもないかもしれない」

「なにもないのに、こんな話が出てくるはずがない」

ジェダは声を沈め、

「君と王女は知らない仲じゃなかった、気にかけるのは当然だろうが、今はそれよりも集中すべきことがある。僕たちには部外者を気遣っているような余裕はない」

シュオウは視線を地上に戻し、

「わかってる。ムツキを落とし、ユウギリを攻めて、自分の目でたしかめる」

シュオウが決意を語って歩き出すと、ジェダが慌てて、

「本当にわかっているのか? それより、いったいどこに向かって歩いているんだ――」

「シガとクロムの様子を見てくる。お前はあいつの食べ物を用意してやってくれ、クモカリがいないんだ、きっと腹を空かせてる」

ジェダは足を止め、

「僕を餌係にしないでもらいたいんだが……」

シュオウはそれに返さず、真っ直ぐ負傷者用の天幕に足を向けた。

西側の白道に、負傷者が集められた天幕がいくつも設営されていた。

シュオウはその中をいくつか見て回り、三つ目の天幕の中でシガの姿を見つけた。

一見して重傷に見えるシガは、すでに平然とした顔で硬いパンにかじりついていた。

「シガ、もう起きて平気なのか」

シュオウの声かけに気づいたシガは食事の手を止め、

「おう、たいしたことねえ」

平然とした態度のシガに、シュオウは笑みを見せ、

「よかった」

シガも片頬を緩ませ、視線を逸らしながらも微かな笑みを浮かべた。しかし、

「……話がある」

シガは常になく真剣な顔でそう切り出した。

シュオウはシガの側に椅子を置いて座り、

「なんだ」

顔を寄せた。

シガは体を捻って後頭部を見せ、

「この傷、見えるか」

シガの後頭部に、はっきりとわかる傷痕がついている。血が固まって奥まで見えないが、相当に深い傷だとわかる。

「見える」

シガは上体を元に戻し、

「あの馬鹿にやられた」

「クロムが?」

シガは頷いて長い犬歯を剥き、

「冗談じゃ済まされねえ。戦いの最中に、奴は本気で俺を殺そうとした。いつの間にかよくわからないうちに仲間面で側にいるが、ろくにあいつのことを知らないままでここまできてる。俺がまともな人間だと言うつもりはないが、気まぐれで襲ってくる気狂いを仲間だと認めるつもりはない。お前がどうにかしないなら、俺があいつを始末する」

シュオウはシガの視線を真っ直ぐ受け止め、

「……わかった、クロムと話をして、どうするか考える」

その時、

「その件についてですが、少々お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

背後から突然、ネディムが声をかけてきた。

天幕の外に出て人気のない場所まで移動する。

先を歩いていたネディムは不意に足を止め、深々と頭を下げた。

「弟のしでかしたことについて、カルセドニー家を代表して、心より謝罪いたします」

シュオウは険しい顔で、

「まだ自分で確かめてないんだ、話はクロムから直接聞く」

「その前に、私からの弁護に耳をお貸しいただきたいのです」

「本当に仲間を狙ったのなら、放っておけない。本当のことかどうかはこれから確かめる、でも、シガはこんなことで嘘を言うような奴じゃない」

ネディムは密やかな表情で、

「シガ殿の話は事実でしょう、クロムならば、 躊躇(ためら) いもなくやりかねません」

シュオウは強くネディムを睨めつけ、

「なら、あいつを側には置いておけない。アリオトに戻して拘束させる」

「昔から弟のすることだけはまったく予想がつかず、その行動を制御できませんでした。凡俗の糸をたぐるのは容易くとも、クロムにはそれが通用しないのです。つまり、弟は天性の資質を持つ者であるということ。ですがその資質ゆえに、凡人からは理解されず、言動は常に嫌悪の対象とされてきた。あなたは非凡なお人であるとお見受けしております、これから目指す未来に、ある種の野望のようなものをお持ちであるのなら、クロムは必ずそのお役に立てるはずです」

「役に立つから、したことを見逃せと言ってるのか、理解できないなら、そいつはただの凡人だと」

僅かな軽蔑を込めてシュオウが言うと、ネディムは片膝を平身低頭に頭を下げた。

「そうではありません、見捨てないでいただきたいのです。弟はその特殊な性質から、陽の当たる道を歩くことができずに生きてまいりました。あなたという光を見つけ、クロムの人生は一変しました。あれほど幸せそうに日々を過ごしているのを見るのは幼少期以来です。あなたが思う以上に、クロムにとってあなたはすでに揺るぎない主君であり、その身を捧げる相手なのです。牢獄ではなく、あなたのお側で汚名をそそぐ機会をどうかお与えいただきますよう、冬華の名を負う者として、カルセドニー家の当主として、そして兄として、心から許しを乞います、お願いします」

シュオウは頭を下げるネディムから目をそらし、

「なかったことにはしない」

ネディムは神妙に頷き、

「罪を犯したのであれば、罰を受けるのは当然ことです」

「ターフェスタで軍規に違反した者に与える最も重い刑罰はなんだ」

問われたネディムは苦々しい表情を浮かべて声を詰まらせ、

「……処刑、です」

「戦果を功績にした場合、減刑の理由にはなるか?」

ネディムは声を高くし、

「なります」

「処刑の次に重い刑罰はなんだ」

「過去に数多の例ありますが……手足を拘束しての棒打ち、または鞭打ちを、対象者が気絶するまで続ける罰が妥当かと、これを公開の場で行います」

「…………」

シュオウは無言で歩き出す。

ネディムが呼び止め、

「お待ち下さい、どちらへ――」

「本当にやったのか、クロムに直接聞きに行く」

ネディムが縋るように声をかけ、

「最後に一つだけお願いがあります」

シュオウは振り返らずに足を止める。

「なんだ」

「恥ずかしいかぎりですが、兄である私の言葉もクロムの心には届きません。もしよろしければ、あなたの口から叱ってやってください。弟が他人の言葉に耳を傾ける相手がいるとすれば、それは神か、自らが認めた主君であるあなたしかいません」

シュオウは承知を告げず、無言で歩みを再開した。

シガを探したように天幕の中を調べてまわり、間もなくクロムの寝床を発見する。

勢いよく天幕に入ったシュオウを見つけたクロムは、ぐったりと横たわりながらも嬉しそうに顔を上げた。

シュオウはクロムの前に立って、

「戦いの最中にシガを狙って矢を放ったか?」

開口一番にそう聞いた。

クロムは腫れた顔で嬉しそうに頷き、

「やりましたッ」

間髪入れず、自らの罪をあっさりと認めた。

一夜明け、早朝。

雲のない広々とした空の下、爽快な朝の空気とは裏腹に、ターフェスタ軍が夜営した白道の上は、重苦しい沈黙に包まれていた。

大勢の兵士たちが白道の上で円を成し、その奥にあるものに注目している。円の中心には重たい木製の柱が立てられ、そこにクロム・カルセドニーが柱を抱えるような姿勢で縛り付けられていた。

ディカ・ボウバイトは円形に群れた人だかりの最前列に身を置き、立ったままの姿勢で画材の手に、目に映る光景を描いていた。

不意に、姿を現したジェダがディカの絵を覗き込み、

「こんなところまで絵に残すのか」

ディカは絵を隠すように抱えて一礼し、

「白道についた赤い染みの一つ、ここで見えるものはすべて、シュオウ様が残した軌跡ですから」

ジェダは早々にディカの絵への興味をなくし、張り付けにされたクロムを見る。

「進軍を控えた朝に、軍の士気を上げるには良い催し物だ」

本気か皮肉かわかりにくい、そう思いながら、ディカはジェダの視線を追うように、ぐったりと柱に寄りかかるクロムの姿を見つめる。

円陣の一部からざわめきがあがった。

人々の群れが切り開かれるように道ができ、そこからシュオウが姿を現す。バレンとレオン、ネディムを従え、さらにその後ろからシガが姿を現した。

ディカは各々の顔色を観察する。

いつも余裕たっぷりのネディムは珍しく不安げな顔をしていた。シュオウはなにも視界に捉えていない様子で、鋭い視線で前を見つめている。

シガは、険しい顔でクロムを睨みつけていた。

それぞれ棒と鞭を持った二人の従士が、クロムの側に立ちながらシュオウに視線を送った。

シュオウは二人に頷き、

「始めろ」

短く命じる。

硬い棒がクロムの背中を打ち、丈夫な革製の鞭が 臀部(でんぶ) を叩く。

「ぎゃ――」

クロムが顔を上げ、苦痛に悶えて体をよじる。

「続けろ」

シュオウの一声で、休みなく二打目が撃ち込まれる。

一打、また一打。

「ぐわ――ぎあッ!!――」

その度に悶絶するクロムが苦しげな叫び声をあげた。

殴打は絶え間なく続き、悲鳴が深界に轟いた。

汗で髪をぐっしょりと濡らしたクロムが、全身を震わせながら必死に振り返り、

「わがきみ、お許し下さい、この愚かなクロムを、どうかッ――」

血走った目で、シュオウを凝視する。

棒打ちと鞭打ちが繰り返される。

クロムは悲鳴をあげ続け、直後に謝罪の言葉を叫び続けた。

十回、二十回と回数を繰り返し、回数が百に近づくにつれ、クロムの反応が薄くなっていく。

けたたましく響いていた悲鳴が止み、許しを乞う声が聞こえなくなった頃、刑の執行人が手を止め、クロムが意識を失っていることをたしかめた。

合図を送られたシュオウはクロムの側に立ち、

「起こせ」

従士たちに命じる。

従士が桶一杯の水をクロムにかけ、頬を強く叩くと、クロムが虚ろな表情で目を開け、シュオウの顔を見て嬉しそうに微笑みを浮かべた。

シュオウは絶え絶えの息を吐くクロムの目を鋭く凝視し、

「また同じ事をしたら俺がお前を許さない、二度とやるな」

強い口調で言い放つ。

クロムは無言で数回頷き、がっくりと首を落として再び気を失った。

「……終わりだ」

終了を告げると、ネディムが駆け寄り、クロムの体を支えながら、じっくりとシュオウに頭を下げた。

「終わりだ、全員持ち場に戻れ!」

バレンが大声をあげて手を振ると、見物をしていた者達が口々に話をしながら散っていく。

ジェダは散り散りになる兵士らを見ながら、

「ムラクモに勝利したというに、ここの連中はシュオウに賞賛の言葉一つ送らない。どんな結果をもたらそうと、余所者を認めるつもりはないということだろうな」

ディカは書きかけの絵を開き、

「そうは思いません」

ジェダは微かに首を傾げ、

「僕が間違っていると?」

ディカは勢いよく頷き、

「声はなくとも眼差しは閉ざされない。静かに思えても、皆は常に見ています。よく観察していれば、変化の兆しがあると気づける。ほら、見てみて下さい」

去り際のシュオウに対して、今まで敵意しか示していなかった一部のアリオト兵たちが、立ち止まって敬礼をして見送っている。

また、走り寄ってきたマルケが、パンと教典のような本を手に、嬉しそうにシュオウになにか語りかけている様子も見える。

マルケが広げた本を覗き込みながらシガがなにかを言うと、マルケとシガはいがみ合いながら言い争いを始めた。

彼らの言い合いを、シュオウが興味深そうな顔で聞き入る姿を、ディカはその目に焼き付ける。

ジェダが腰に手を当て、

「気をつけることだ、彼の側には有能だがおかしな人間が集まってくる」

ディカはおもむろに、

「あなたもですか?」

そう聞いた直後、失言だったと気づき、焦って自分の口を塞いだ。

ジェダは破顔して、

「僕がその最たるものであれば光栄だよ」

そう言いながら、シュオウのいる方へと歩き出した。

規則正しい馬の歩調に、心地良い揺れ、温かい人肌と覚えのある仄かな香水の匂いを感じながら、クロムはぼんやりと目を覚ました。

「う……」

起きた途端、背中や尻に激痛が走る。

自由の効かない体をよく見ると、前に座って馬を操る兄の体に縄で縛りつけられていた。

「おや、もう起きたのか」

「ここは……?」

代わり映えしない深界の景色を眺めながら、クロムはネディムに問いかける。

「ムラクモの城塞ムツキに向かう道すがらだ」

クロムはぼやけた目を擦りながら、自分を縛り付けている縄を引っ張った。

「どうして……」

「弱っているお前を他人の手に委ねるのは心配だったものでね。それにこのほうが馬車の揺れに耐えるより眠りやすいだろうと思ったんだ」

クロムは溜息を吐き、兄弟を縛り付ける縄をほどいた。

「しくじった……」

しみじみと後悔の言葉を言うクロムに、ネディムは振り返って、

「これに懲りたら次からは――」

クロムはネディムの言葉を遮り、

「あの時確実にあれを仕留めていれば、我が君に告げ口されることもなく、こんなことにはならなかったのだ」

ネディムは力の抜けた顔で、

「反省すべき点がずれている、戦いの最中に味方の命を狙うという暴挙を行ったことを悔いなければならない。今回の件を抜きに考えても、お前にはすでに前科があるのだからね。言っただろう、もみ消すのに苦労したと。弱みや地位を利用できる相手であれば兄も最大限努力はしよう、だが今回は相手が悪い、捨て身で乗り込んできた武闘派が相手では、打てる手はそうないんだ。結局、誠心誠意謝罪と許しを乞うことしかできなかった。その態度を改めなければ、もう一度許しを得ることは難しいかもしれない」

クロムはネディムの説教を鼻で笑い、

「案ずるな、兄よ。次はもっと上手くやるさ。あの不敬で目障りなクオウ教徒にこのクロムが天罰を与えてやるッ」

敵意をみなぎらせた。

ネディムはクロムから視線をはずし前を向いてゆっくりと首を左右に振った。

「組織というのはそこに参加していた順番があり、大抵の場合、先にいた古参の地位は、新参者のそれを上回るのだよ。突然現れたお前と、苦労を共にしてきたシガ殿、お前の主殿がどちらが優先されるか、考えるまでもない」

クロムは不満げに喉を鳴らし、

「このクロムがあの熊十人分の戦力になればいいのだ。働きを見ていただければ、我が君にもそれをご理解いただけるはずッ」

「いや、だからそういう問題では――」

ネディムの言葉を最後まで聞かず、クロムが突然馬から飛び降りた。

「――待て、その怪我で無闇に体を動かすべきじゃない」

クロムはぼろぼろの体を抱えながら会心の笑みを浮かべ、

「我が君に 拝謁(はいえつ) し、お手間をおかけしたことをお詫びしてくるッ」

快速で駆けだした。

兵士の行進を分け入るように進みながら、クロムは主君の姿を探し続けた。

輝士の軍服が赤から黄色に変わる境を通り越すと、ようやく目当ての人物の後ろ姿を発見する。

クロムは笑みを浮かべて大きく手を振り、

「我が君ッ! クロムです、いただいたご恩を乗り越え、ただいま無事に目覚めました、クロムがご挨拶に窺います!」

カトレイ軍の兵士たちを押しのけて前へ進む。あと少しというところまで距離を詰めた時、目の前に馬に乗ったジェダが立ち塞がった。

ジェダは高みからクロムを睥睨し、

「そこまでだ」

クロムはジェダではなく、その奥にあるシュオウを見つめたまま、

「道を空けてもらいたい、我が君にご挨拶を――」

「司令官は多忙だ、不要な挨拶に応じている暇はない」

クロムは途端に顔付きを険しくしてジェダを睨む。

「部外者に行動を制限されるいわれはないのだよ。そこをどいてもらおうか」

ジェダは剣に手をかけ、

「司令官は会わないと言っている、これは命令だ、大人しくここから離れろ。命令に逆らうのならそれでもかまわない、反逆者としてこの場で僕が処分する」

開ききった眼で見つめてくるジェダの視線に見つめられ、

「ぐむむ……」

クロムは口元を曲げて不満を露わにした。

その時、前にいるシュオウが一瞬クロムへ視線を向けた。クロムは即座に手を振り、

「我が君ッ、どうかお願いします、この不届き者に道を空けるよう命じてくださいッ」

しかし、シュオウはクロムの願いを無視するように視線を逸らした。その態度に、ようやくクロムは現状をはっきりと自覚する。

「あ、あ、そんな……」

あからさまに無視されたという現実に、クロムは突然、全身を犯す酷い怪我と痛みを思い出す。

力なくがくりとその場に崩れ落ちると、行進を再開した兵士たちが、次々にクロムの横を通り過ぎていく。

大勢の視線を一身に集めながら地面にうずくまっていると、

「ことを急ぐからそういうことになる」

腹立たしいほど落ち着いた声音のネディムがクロムの前で馬を止めた。

クロムは鼻水を垂らしながら兄を見上げ、

「どうやら、我が君は私に怒っておられる……」

ネディムは苦笑し、

「ようやく理解できたようだ。しかしお前は牢にも入れられず、行動は自由にとれる。この後にどうすればいいか、わかるだろう?」

クロムは青ざめた顔で頷き、

「一刻も早く功を上げ、我が君のご機嫌を回復せねばならない……ッ」

差し出されたネディムの手を取り、馬の背に跨がった。

ムツキが目前に迫った白道の上に、晶士が放ったのであろう岩石の塊が、四方に渡って砕け散り、白道に大きな窪みをつけていた。

「警告でしょう」

バレンの端的な報告を聞き、シュオウは見慣れた城塞、ムツキを遠望する。

「やはり、向こうから出てくる気配はないか」

ジェダの発言にネディムが反応し、

「敗戦を喫し、さらに内乱を抱えている状況であれば、ここは防御に徹する以外の選択はないでしょう。領域の侵犯を目標としている我々としても、攻略を目指す以外に選択肢がないのは同様ですが」

バレンが前に出て、

「慣例に従い、まずは使者を立てて降伏を呼びかけてみますか」

シュオウはムツキに視線を合わせたまま、

「向こうが従うと思うか?」

バレンは喉を唸らせ、

「……いえ」

その時、後方から副官を付き添わせたエゥーデが姿を見せた。

エゥーデは低い声で、

「拠点攻めの包囲には圧倒的な兵力が必要だが、現状どう見積もってもこちらには包囲を継続するだけの力はない。となれば残す方法は突破のみ、晶士隊を進めて城壁と門の破壊を目指すのが鉄則だが、その過程で甚大な被害が出る。が、ここを攻略するのならそれ以外方法がない」

ジェダは肩を竦めて、

「不本意ながら僕も将軍の意見に賛同する、ここまできて方法を吟味する余地はない」

シュオウはムツキから視線をはずして振り返る。そこには大勢の兵士たちの姿があった。

「突撃を命令すればどれだけの死者が出る――」

シュオウの問いにネディムが進み出て、

「楽観的にみても、半壊で済めば良いほうといえるでしょう。拠点攻めにおいては、守り手が常に有利です」

「…………」

目の前に広がる人の群れ、その半分以上が死体となって転がる様を想像し、シュオウは声を詰まらせた。

内心を見透かした様子で、ジェダがシュオウをじっと見つめる。

「迷う必要はない、君はこの軍を動かす最高指揮権を手にしている、たとえその意志決定で多数が死のうと、それが権力というものだ、君が欲していたものだろう」

シュオウは渋面でジェダを睨み、

「だとしても、無駄死にをさせるための力にはしたくない」

「はッ」

見下したように嘲笑するエゥーデの声を聞き流し、シュオウは拠点攻めにおいて多量の死者を生み出す原因、巨大な城壁と門を見つめた。

深界の狂鬼から身を守るために築かれた頑丈な城塞は、その身を守る鎧のように、分厚く高い壁に囲まれている。その壁を穏便に通過できる唯一の手段は、人の手によって開閉される門だけだ。

シュオウは、

「もし、先に門が開放されていればどうなる」

独り言のように呟いた。

問いかけにネディムが応じ、

「門前で止まることなく軍を侵入させることが出来るのであれば、被害は最小に抑えることができるでしょう」

シュオウは意を決して、

「俺が一人で中に入り、門を開ければいい」

即座にジェダがシュオウに詰め寄り、

「馬鹿なことを考えないでくれ」

「俺なら生き残れる」

真顔で言ったシュオウに、ジェダは僅かに顔に怒りを滲ませ、

「いくら君でも、万全の準備を整えた兵士全員を相手に無事でいられる保証はない。どうせ行かせるなら――」

腕を組んで佇むシガに視線を送った。

シガは顔を引きつらせ、

「俺を見るな! 誰がそんな馬鹿なことに付き合うかよ……そもそもどうやって中に入るんだ、不意をついて中から制圧したあの時とは違うんだぞ。のこのこ歩いて行ったって晶気や矢を浴びせられるだけだ。いくら俺が丈夫でも限界はある、お前らと同じ人間なんだぞ」

シガがまっとうな意見を言い終えた直後、

「私におまかせくださいッ」

真剣な表情でクロムが高らかに声を上げた。

シガがクロムを睨み、

「黙ってろ、頭のいかれたやろうに用はない」

クロムは苦々しくシガを睨んだ後、シュオウに視線を向けて膝をついて敬礼した。

「我が君ッ、もう二度と失望させるようなことはいたしません。どうかこのクロムに失態を取り戻す機会をお与えくださいッ」

ネディムがクロムの隣に並び、

「私からも、お願い申し上げます。せめて話だけでも聞いてやってはもらえませんか」

同様に膝を落として頭を垂れた。

シュオウはクロムを見た後、

「……考えがあるなら聞きたい」

クロムは一瞬で破顔し、

「ありがとうございますッ、これをご覧ください――」

立ち上がったクロムは空中で手をぐるぐると回し始める。すると、目の前の空中とさらにその先の上空に、車輪のような形を成した風の晶気が構築された。

しだいに疲労を滲ませるクロムは荒くなった息を小刻みに吐きながら、

「これは……放った矢を吸い込ませて送り出し……射程を伸ばすために考案した我が奥義……それをさらに大きく広げ、巨体の熊一匹が通れるほどの大きさに拡大しております……ッ」

ここに至り、クロムの考えがいったいどんなものなのか、側で聞いていた者達は口をぽかんと開けたまま、そっとシガに視線を送った。

シガはクロムを睨んで歯を剥き出し、

「やっぱりお前を殺しておくべきだなッ」

クロムはシガを無視して、

「かならず上手くいきます、自信があるのですッ。投射物の軌跡を計算し、幾重にも張り巡らせたこの風の輪を通せば、必ずここから一瞬にして敵の拠点まで熊を運ぶことができますッ」

血走った目でシュオウに訴えかけた。

その時、レノアが部下たちに水を入れた大きな樽を運ばせて現れた。

「そこまで言うなら、試してみればいいだろう」

シガはレノアを睨めつけ、

「試すもくそもあるか」

レノアは淡々と支度を進め、

「本当にここから物を撃ち込めるなら、使い道はいくらでもあるんだ。試すだけなにも失うものはないからね」

クロムはふらふらと上半身を揺らしながら頷き、

「いいだろう、さあ、それをこの風の輪の中に入れたまえ――」

クロムの指し示す先にある、空に向けて斜め上に角度をつけて作られた風の輪の中に、カトレイ兵たちが重い樽を近づけた途端、まるで竜巻のように風の輪が樽を軽々と吸い込んだ。

直後、ボゴン、という鈍い音と共に樽が粉砕され、木片と水しぶきが、高々と空いっぱいに舞い上がる。

僅かな時をおき、砕け散った木片が雨のように前方の白道の上に降り注いだ。

全員が沈黙と共に砕け散った木片を見つめている最中、レノアがシガに歩み寄り、

「やめときな」

諭すように言った。

シガは僅かに顔色を悪くしながら、

「初めからそのつもりはないんだよ……ッ」

クロムはしかし、諦めた様子もなく、

「我が君ッ、今のは誤解です、硬い木材ではなく、柔らかい生身であれば、人の形を保ったまま空に飛ばせるはず!」

シュオウは、

「もういい、この話は終わりだ」

「そんな……」

クロムはがっくりと肩を落とし、その場に跪いた。

一連の騒動を見ていたエゥーデがうんざりとした様子で首を振り、

「馬鹿共が……」

シュオウは意識を切り替え、再び方針の検討の熟慮を再開した。バレンやジェダたちが集まってあれこれと意見を交わす最中も、視界の中では、項垂れたクロムと、その近くに構築された風の輪が未だに存在し続けている。

その風の輪の側にいるシガが、

「いつまでこんなもん出してるつもりだ」

そう言って、距離をとりながら中を覗き込む。

強烈に空気を吸い込み続ける風の輪が、突然さらに吸い込む力を増した。

風の勢いに、シガの上半身が風の輪のほうへと吸い込まれていき、

「うお……?!」

慌てて腰を落としてその場に踏みとどまる。

その時、がっくりと項垂れていたクロムがゆらりと立ち上がり、ゆっくりとシガとの距離を詰めていく。

シガは不自然に近寄ってくるクロムに気づいて、

「おい、それ以上こっちにきたらお前を……ッ」

拳を振り上げるが、踏ん張りがきかず、再び風の輪に吸い込まれそうになる。

クロムはふらふらと歩き、シガの目の前で足を止めた。そしておもむろに振り返り、シュオウに顔を向け、真剣な顔付きで大きく頷いた。

思わずつられてシュオウが頷き返すと、クロムは走り出し、シガを飛び越えて自らが創り出した風の輪の中に飛び込んだ。

「あ……」

シュオウが唖然としながら声を漏らすと、側にいた者達が一斉にその視線を追い、空に向けて首を捻った。

しゅるりと、野菜の皮を剥くような音と共に風の輪に吸い込まれたクロムが、その瞬間に着ていた衣服をずたずたに切り裂かれながら、深界の冬空を高々と飛翔した。