作品タイトル不明
娘(人間)の行動が不可解すぎる!8
踵を返そうとした フェンリル(彼女) は、魔法使いの女――その召使いが運ぶそれに、目を奪われた。
『え?
何あれ?』
それは白い何かが塗られた円柱型の物だった。
上部は白い造形で装飾され、等間隔に真っ赤な木の実が乗せられていた。
鋭敏な嗅覚を持つ フェンリル(彼女) が意識すると、遠方にあるそれから漂ってくるのは濃厚な甘い香り。
よく分からない。
よく分からないが――口から涎を溢れさせる フェンリル(彼女) が『あ、あれは美味しい奴だ』と確信する、そんな魅力がそこにあった。
さらに、召使いの一人が小刀を取り出し、円柱型のそれを切り取り始めた。
その切り口から見えるのは、以前に食べた焦げ茶色のやや堅いのと白い何か、そして、白い何かに包まれている赤い木の実だった。
いや、本当によく分からない。
よく分からないので、想像するしかないのだが……。
『あれは、無茶苦茶美味しい奴だ』
と涎が地面にボトボト落ち始めた。
食べたい。
フェンリル(彼女) は心の底から思った。
口に入れると恐らく、口一杯に甘みが広がるだろう。
ひょっとしたら、それだけではないのかもしれない。
フェンリル(彼女) にとって、基本的に愚かで矮小な生き物である人間だが――料理に関して言えば、いくらか認めてもやぶさかではない。
そう、評価をしていた。
なので、あの食べ物も恐らくは、ただただ甘いだけではないだろうと、確信していた。
食べたい。
フェンリル(彼女) は体をブルリと震わせた。
目の前にあるのだ。
それこそ、 フェンリル(彼女) がピョっと一歩踏み込めば、届く距離である。
そして、パクリとすれば良い。
それで終わるのだ。
『う~ん、気が進まないわね』
フェンリル(彼女) はボヤいた。
その行為は、苦労して獲得した獲物を横からかっさらう盗人のようだと思ったからだ。
誇り高き フェンリル(彼女) にとって、それは容認できなかった。
とはいえ、食べられないのも容認できない。
出来れば、自主的に献上して欲しい。
力と交渉でどうにかするという手もある。
賢い フェンリル(彼女) は、人間の言葉を理解していた。
ただ、 フェンリル(彼女) の口の構造上、うまく話すことが出来ない。
前記のもあるが、人間達に料理を供えさせようとしたが、人間達は曲解し、何故か フェンリル(彼女) の前で料理を炎の中に投げ入れるという蛮行を働いたことがあった。
それが、結構な トラウマ(心的外傷) となり、『人間と関わるのは止めよう』と心に誓ったという経緯があった。
『あ~ お菓子(それ) を置いて、どっかに行ってくれないかしら!?』
がうがうがうっ! と言葉を漏らすと、すぐ近くで人間の女の悲鳴が聞こえた。
視線を向けると、足下に魔法使いの女の召使いが腰を地面に落としながらこちらを見上げていた。
怯えているのか、体はがくがく震え、目から涙をこぼしていた。
(あら?
この人間、いつのまに近づいてきていたのかしら?)
だが、周りを見て自分の誤解だと分かる。
フェンリル(彼女) は無意識のうちに例の”美味しい食べ物”から目と鼻の先まで近づいていたのだ。
突然現れた フェンリル(彼女) に驚いたのか、幾人かの召使いらしき人間は腰を抜かし、鎧や剣を装備した物達と使役された魔獣は、魔法使いの女の周りを固めていた。
なかなか、勇気のある行動ではあったが、その全ての目が、恐怖で揺れていた。
ただ一人、椅子に腰掛けたままの魔法使いの女だけは、 フェンリル(彼女) の方を興味深げに見つめていた。
そして、笑みを浮かべて訊ねてくる。
「あら、あなた、ひょっとして、その焼き菓子が食べたいの?」
”焼き菓子”という言葉自体、 フェンリル(彼女) は知らなかったが、恐らくそれが例の”美味しい食べ物”だと理解し、 フェンリル(彼女) は人間が理解したときに良くやる、頭を縦に振る動作を見せた。
魔法使いの女は可笑しそうに「ふふふ、そうなのね」と笑いながら、目線を召使い達に向けた。
「ちょうど、お茶の相手がいなくて退屈していたのよ。
この子に、食べさせて上げなさい」
だが、召使い達は地面から腰を上げることが出来ないのか、涙目になりながら、魔法使いの女に向けて首を横に振っていた。
そんな様子に、「仕方が無いわね」と魔法使いの女は苦笑した。
とたん、魔法使いの女の体から、魔力が漏れる。
『なっ!?』
フェンリル(彼女) が思わず声を漏らすのも構わず、魔法使いの女の”それ”は黒色の霧のように宙を漂い、”焼き菓子”と呼ばれたそれにまとわりつき、それを皿ごと持ち上げた。
そして、 フェンリル(彼女) の前にそれを置く。
それは、何千年も生きてきた、この神獣をして始めてみる現象だった。
魔力を可視出来る濃度で外に顕現させる事自体が常軌を逸した事なのに、それを手のように扱い、物を持ち上げる。
恐るべき魔力量であり、恐るべき魔力操作の技術であり、恐ろしいほど無意義で馬鹿げた使い方だった。
だが、そんなことを思われているのも気づかないのか、魔法使いの女は「どうぞ、お食べなさい」と微笑んで見せた。
あれほど望んだ食べられる機会――だが、 フェンリル(彼女) としてはそれどころではなかった。
(この魔法使いの女――わたしが思うより、危険な存在かもしれない)
などと、眼光鋭く警戒した。
……裏腹に、その口は、魔法使いの女の分を小さく切り取られただけの大きい”焼き菓子”とやらに近づき、パクリと噛みついた。
『!?
うまぁぁぁ!』
フェンリル(彼女) は思わず、うぁおおおん! と声を上げた。
それは驚くほど調和の取れた食べ物だった。
白くて甘いものが包むのは、サクサクとやや香ばしいもの、そして、かみ砕くと少し酸っぱい恐らく木の実だ。
それが口の中で混ざり合うことにより、何ともいえぬ旨さを演出している。
フェンリル(彼女) が『旨い旨い!』と言いながら、ガツガツ食べても致し方がなかった。
すると、側でクスクスと笑う声が聞こえてきた。
視線を向けると、相変わらず椅子に座ったままの魔法使いの女が、口元に手を置きながら フェンリル(彼女) の方を楽しそうに見ていた。
「美味しいわよね、それ。
わたくしも好きなの」
少し恥ずかしくなった フェンリル(彼女) は体裁を整える為に、口元についているものを舌でペロリと舐めると、『まあまあね』と 澄(す) ました感じに言った。
人間の言葉で言っていないが、何となく通じたのか、魔法使いの女は「それは良かったわね」と目を柔らかくさせた。
その日から、日に一回、魔法使いの女と”焼き菓子”を食べるようになった。
フェンリル(彼女) がやってくると、魔法使いの女用に小さく切り分けられた。
そして、その残りは フェンリル(彼女) の前に置かれる。
最初、腰を抜かし使い物にならなかった、魔法使いの女の召使いも、ビクビクしつつだが、 フェンリル(彼女) の為に大きな器にお茶を用意するようになった。
フェンリル(彼女) はこれも気に入った。
焼き菓子をかじった後、やや渋いそれをペロペロ舐めることで、口の中がすっきりし、新鮮な状態で再度、焼き菓子を食べることが出来た。
フェンリル(彼女) は魔法使いの女の事も気に入っていた。
うるさくわめき散らすこともなく、卑屈になって怯えることもない。
冒険者のように、 フェンリル(彼女) の毛や爪を欲しがらない。
ただ、 フェンリル(彼女) と同じように、焼き菓子やお茶を楽しんでいる様子だった。