軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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8

レカンは、第十階層と第十一階層のあいだの階段に戻った。

ここでは何人もの冒険者が、あちらこちらに腰をおろして休んでいた。何をしているのかと思いながら通り過ぎたが、そういえば階段で魔獣をみたことがない。たぶん階段は安全地帯なのだ。

人のいない場所に腰を下ろした。

〈収納〉のなかに、魔獣よけの付加がある宝玉がある。いずれはこの宝玉がこの世界でも有効かどうか試してみるつもりだが、今はとにかく空腹が激しいので、とりあえず休めそうな階段にもどったというわけである。

レカンは〈収納〉から、ヴォーカの町を散歩していたとき買いあさった食べ物を、どさどさと取り出した。いずれも日持ちのするものだ。水も取り出した。

そして食事を始めた。

いったいどれほどの時間、迷宮にもぐっていたろう。

もとの世界でなら、不思議と迷宮のなかにいても、時間の経過がある程度わかった。迷宮のなかでは日は沈まないし昇らないし季節の移り変わりもないのだから、それは純然たる直感だが、その直感がかなりあてになった。

ところがこの世界の迷宮は初体験で、しかも少しばかり浮かれていたものだから、さっぱり時間の経過がつかめない。そもそもこの世界の一日は、たぶんもとの世界の一日より少しだけ長い。だからなおさら直感が働かない。

腹の減り方からすれば、丸一日以上はたっていたようだ。だが、丸二日ということはない。感覚的には半日と少しぐらいと感じられるのだが、喉が渇いて水を飲んだ回数を考えると、半日は超えているだろう。

心のなかでは一応二日たった、と数えておくことにする。魔獣と戦わずにここから地上に戻るには、半日あれば充分だ。十日のあいだにヴォーカにもどらなくてはならないのだから、あと三日は潜れる。

レカンはそのことが楽しくてならない。

9

レカンは、親の名も顔も知らない。

一緒に過ごした時期があるのかどうかもわからない。

幼いころの記憶はあいまいで混乱している。

覚えていることといえば、おとなに怒鳴られて怖かったことと、蹴飛ばされて痛かったことだ。

そしていつも腹を減らしていた。

やがて神殿の孤児院に入れられた。

孤児たちの面倒をみてくれる女神官や修道女たちは〈慈母〉と呼ばれていたが、ひどく厳しく、とげとげしく、少しも優しくなどなかった。

〈慈母〉たちは、すべての人間は、ひとしく神のいとし子であり、神の前ではすべての人間が平等だと教えてくれた。

しかし神殿も孤児院も平等ではなかった。人と人はいがみ合い、細かな序列があり、ぎすぎすしていて、搾取やいじめがあり、高く売れるかどうかで、こどもの価値が値踏みされた。

ずっとあとになって、その神殿や孤児院はずいぶんましな部類だと知ったが、当時は孤児院がいやでしかたがなかった。

しかし考えてみれば、住む所と食べる物を与えられ、読み書きさえ教えてもらった。そして、この世は厳しいところだと教えてもらった。だからそのあと生き延びることができたのであり、その意味では、やはり〈慈母〉だったのかもしれない。

一通り読み書きを覚えると、孤児院を抜け出した。そして飢え死にしかけた。ふらふらと入り込んだ迷宮で奇跡的に生き残り、わずかばかりの金を得た。はじめて手にした金だった。

何度か幸運が続き、レカンは死ななかった。そして、迷宮で生きてゆくこつのようなものをつかんだ。人間にはひどい目に遭わされ続けたが、迷宮はレカンを生かし続けた。

そのうちにレカンは気づいた。神の平等は、まさに迷宮にある。迷宮は厳しいけれど、不公平ではない。たぶん神は人の世界では実現できなかった公正さや公平さを、迷宮を作ることでつぐなったのだ。

あれは、いつのことだったろうか。迷宮で、変わった色の毛並みをした兎を倒した。腹が減っていたので、迷宮のなかで焼いて食った。

信じられないほどうまかった。

あとになって、それがレア種の魔獣で、その肉は高級食材としてびっくりするような値段で買い取られることを知った。

いまだに、あれよりうまい食い物は知らない。

やがてレカンが強くなってゆくと、迷宮はすべての物を与えてくれた。

迷宮は、レカンが外の世界で生きていく基盤も整えてくれた。相変わらず人の世界では嘘があり裏切りがあり悪意があったが、そのすべてを打ち破る力を迷宮は与えてくれた。

さらにレカンが力をつけると、貴族や大商人までがレカンに敬意を払うようになった。頭を下げてレカンに助力を乞うた。傭兵として参戦すれば、身分のある将軍とも対等に話すことを許された。

迷宮こそは、レカンにとって真実の〈慈母〉だったといえる。

だから異世界の迷宮が自分を受け入れてくれたことが、うれしくてならなかった。

その日レカンは幸せな夢をみたのである。

10

胸元に滑り込もうとした手を、レカンはつかんだ。

うすく右目を開けると、がりがりにやせ細って髭だらけの顔をした男が、驚愕と恐怖を顔に貼り付けて、レカンの顔をみおろしていた。

ほかの冒険者たちは仲間たちと一緒だが、この男は一人きりで、ふらふらと居場所を変えていた。

そうしたことをレカンは、一部分だけ覚めている意識のなかで把握していた。そして男がレカンに忍び寄り、こっそりと胸元へ手を伸ばしてきたとき、防衛本能のままに男の手首をつかみ、眠っていた意識が覚醒した。

レカンはそのあと自分が何をするかを幻視した。

男の手を押さえた右手に力を込めれば、男の手首はぼきぼきとつぶれるだろう。

悲鳴をあげかけた男の顔を、レカンは裏拳で撃ち抜くだろう。

手加減した打撃だが、男の顎は砕けてしまう。もう物を食べることはできない。つまり生きていけない。

男はポーションを持っているだろうか。いないだろう。

ポーションを得るため、男は自分を売り払うしかない。

男は奴隷として死ぬまで酷使される。

そこまでを幻視したレカンは、心に思い描いた通り、男の手首を握りつぶそうとした。

だが、やめた。

せっかくの異世界迷宮の最初の眠りを、男の血でそめたくはなかったからだ。

レカンは右目を閉じ、男の手を放した。

男はどこかに去っていった。

レカンは、幸せな夢の続きをみた。