作品タイトル不明
1 カンラの街の再会
セシールがジョージと結婚し、カンラへ移り住んでひと月が過ぎた。
アイリーン即位の日、二人はモニカの店で結婚と旅立ちを祝ってもらい、翌日には伯爵家の兄夫婦が証人となって、小さな教会で祝福を受けた。教会には、デビュタントも済んですっかり大人びたリリーも来てくれて「叔母様、ジョージさん。どうかお幸せに」と自分で摘んだ花で作ったブーケをプレゼントしてくれた。
その時描いてもらった五人の絵姿と、ドライフラワーにしたブーケは、今セシールとジョージの寝室に飾ってあり、セシールは朝夕それを見て幸せな気持ちになった。
カンラの街の代官を務めるジョージは非常に多忙だったので、セシールは家の事をする傍らジョージを手伝いたいと申し出たが、彼は「せっかくあれだけの刺繍の腕を持ってるんだ。カンラに来たからと言ってやめてしまうのは勿体ないよ」
そう言って、男爵邸の事は今まで来てくれていた通いの使用人を数人増やし、セシールにはカンラで長い間洋品店を営んでいるジョイを紹介してくれた。
「はじめまして。アレン男爵夫人。お会い出来て光栄です。
まず初めに、私たちカンラの者が夫人に感謝している事を伝えさせてください。
夫人が、かつてこの街の惨状を女王陛下に伝えて下さった事が、カンラ救出につながったと聞いています。本当にありがとうございました」
ジョイは茶色がかった金髪に、鳶色の目をした四十代くらいの女性で、セシールに向かって丁寧に礼を言った。
新しく男爵夫人となった女性がカンラ救出のきっかけになった人だという事は、王都から来た役人経由でいつの間にか街中に伝わっていて、セシールがカンラに着いた当初から皆が感謝を伝えてくれた。
【男爵夫人】と呼ばれる事に慣れない事もあって、セシールはジョイの言葉に照れて恥ずかしがりながら「私はただお伝えしただけで、あれは全部女王陛下がなさってくれた事なんです」と答えた。
「それでも夫人が伝えてくださらなかったら、何も変わらなかった事は確かです。
私たちはそのお陰で救われたんですから、どうぞ私たちの感謝を受け取ってください。
それで、男爵からお話のあった刺繍の件なんですが、夫人は女王陛下のお召し物の刺繍もなさった事があると伺いました。
私の店は、街の者が正装をする時着る服が主なので、高貴な方のドレスを作っていた夫人にお願いするには質素すぎると思うのですが、本当によろしいのでしょうか」
それまで明るく堂々と話していたジョイが、申し訳なさそうな顔で少し陰のある表情を見せた時、セシールは(あの時の女性だ!)とはっきり思い出した。セシールは最初にジョイを見た時、どこかで会った気がしてならなかったのだ。
王都に向かう途中の、ここカンラで引ったくりに遭い、仲間とも知らずに憲兵へ助けを求め、卑劣な男に金で買われそうになった時。
これは全てが仕組まれている事だから、早くこの街から出て行くよう親切に忠告してくれた女性がいた。あの時の女性は痩せて荒んだ様子で、口調も荒かったが、よく見たら間違いなくジョイはあの時の女性だった。
今は洋品店店主らしく身なりも言葉遣いも美しく、顔色も良く健康そうで、セシールがすぐに分からなかったのも無理はなかった。
「あの。私、カンラで以前ジョイさんに助けてもらいました」
セシールは思わず勢い込んで話した。
「男爵夫人にお会いしたのは、これが初めてだと思いましたが…。最近ご結婚されて、こちらにいらしたばかりですよね」
ジョイが面食らって確認するのに「いえ。まだ結婚する前の事です。私が王都に行く途中に、この街で引ったくりにあったんです。…その時、ジョイさんがわざわざ私に、あの一味が全部仕組んだ事だと教えてくれました。それで、私、この街からすぐに逃げる事が出来て王都にたどり着けたんです。さっきジョイさんは、この街が救われたのは私のおかげと言ってくれましたが、元はと言えばジョイさんが私に教えてくれた事を、女王陛下にお伝えしたんです」
ジョイは話を聞きながらセシールの顔を見つめていたが、やがて大きく目を見開いた。
「もしかしたら、あの、カバンに大事な物が入ってるって言ってた…」
「はい。そうです。あの時教えて頂けなかったら、きっとまた憲兵の所へ行っていたと思います」
ジョイはあの暗黒の時代の事は、実はあまり記憶に残っていなかった。
洋品店と言っても、ああなってからはマルサリスの一味の服をタダ同然で作らされるだけで、作らなければ暴力を受けた。材料が無くて作れないと言えば、奴らが街のどこかで誰かから奪い取ってきた材料を渡され、それを知りながら黙って作るしかなかった。
金も食料も無いからいつもお腹を空かせて、何もかもどうでも良いと思って生きていた。
だから偶然見かけた、引ったくりに遭った若い女に忠告してやったのは、本当に一瞬の気の迷いだった。むしろ奴らに見つかったらひどい目にあわされていたから、後から思えば馬鹿な事をしたと後悔すらしていた。
実際あの後、逃げ去った女を探してのこのこやって来た憲兵に『若い女の旅人を知らないか。あの女金がないから馬車には乗れないはずなのに、どこ行ったんだ。まさか本気で歩いて行くつもりじゃないだろうな』と言われ、『さあ。私は見かけませんでした』と答えて家に帰りつくまで、ジョイは生きた心地がしなかった。
なんとか無事に家に帰り、夜中、裁断師の夫にこんな事があったと話し『何かの気の迷いで、余計な事をしちまった。金輪際あんな真似をしないようにしなきゃ』と口にすると、夫が『いや。お前の中にはちゃんとそういう所が残ってるって証拠だ。今は地獄だが、俺たちまで地獄の番人側に行く事はないだろう』と言ったのを覚えている。
あの時はそういう綺麗ごとを言っていると、牢に入れられて終わりなのにと考えてしまった。それでも、自分でも何故だか分からないまま、見ず知らずの若い女に忠告をした事は心に残っていた。
あの時自分が忠告した女性のおかげで、このカンラの街が救われたと知った今、ジョイは自分が何かを選び、巡り巡って何かが訪れる事の意味を知った気がした。
『神様、次に同じ事が起こったら、私は今度もまた彼女に話しかけるかどうか分かりません。今度こそ見て見ぬふりをするかもしれません。けれどあの時、私の中の善い物を呼び覚まして下さったことに感謝します』
ジョイの中に色々な感情が渦巻き、男爵夫人の前と分かっていたが、耐えきれず泣き崩れた。
「生きていてくれて良かった。私、あれからカンラが解放されたと聞いた時、真っ先にあなたの事を思い出しました。何の得も無くても親切にしてくださったあなたを助けられたのなら、私も少しは役に立つ人間になれたと思えたんです」ジョイを抱きしめながらセシールも泣いた。
二人で散々泣いて喉が渇き、セシールは自らお茶を淹れてジョイと一緒に飲んだ。
「今まで飲んだ中で、一番美味しいお茶です」ジョイは目元を赤くして笑った。
「ジョイさん。私、お茶を淹れるのも好きなんですけど、刺繍も大好きなんです。
皆さんの正装する服に刺繍できるのは、とても嬉しく光栄に思います。それに、普段の服にも少しだけ刺繍を入れるだけで、特別なものになるんですよ。だから、是非やらせてください。」
セシールの言葉に、ジョイは「そうですね。普段の暮らしが美しく、楽しいのはかけがえのない事ですね。これからよろしくお願いします」と答えた。
それから、セシールとジョイは少し年齢は離れているけれど仲の良い友人になり、客の好きな物を聞いてセシールが刺す刺繍は、街の人々に笑顔を運んだ。