作品タイトル不明
帰還
世界というものは、無限に存在するという説がある。
それは、広さではなく、数を指す。
それらは並行世界と呼ばれ、特定の世界一つを基準としたとき、隣り合って存在しており、その世界像も基準となる世界と似て非なるものなのだという。
たとえばこの世界の地球に存在する人間が、隣り合う世界の地球には存在していなかったり、この世界の地球では警官として日向を生きる人間が、隣り合う世界の地球では犯罪者として、日陰に潜んで生きていたり、極端な話をすれば転がしたサイコロの出た目の違いだけでも、並行世界は試算される。
事象――つまり『誰かが何をした』『何が起こった』が導く結果の数だけ『IF』があり、誰しもが考える『あのときああしていれば結果は違ったのではないか』という後悔や祈念が、別世界で叶えられているということになる。
異世界とは、また別種の考え方であり、これもまた似て非なるものだと言えるだろう。
……とある邸宅の庭の芝生の上に、青い火花が舞い弾ける。
跳ねまわって辺りを照らす燐光の正体は、魔力が見せる光である、魔力光だ。
地面を魔力光の線が這い、円図形の中に幾何学模様がいくつも描かれる。さながら迷走電流のように抵抗を打ち破って駆け巡ったかと思うと、今度は昼夜の見境を失わせてしまうほど強烈な発光が辺りに溢れかえった。
やがてそれが、徐々に徐々にと弱まっていく。
発光が終息すると、陣の上には五つの影が。
男が一人で、女が四人。
――異世界の八鍵邸前にて行われた界渡りの儀式はつつがなく完了し、転移の魔法陣は不備なく起動。水明、フェルメニア、レフィール、リリアナ、初美の五人は無事に水明たちの元いた世界へと転移することができた。
しかして水明が降り立ったのは、見覚えのある庭だった。
それは家の前方に庭を造る日本の建築様式とは真っ向から対立する、家屋の後方に庭を造るタイプの設計のもの。全体は洋風の庭園を模して造られており、レンガ調の敷石に、 小道(アプローチ) 。ガーデン用のテーブルやチェアーはもちろんのこと、よく手入れされた生垣の奥には、小振りな 四阿(あずまや) も置かれている。
しかして煉瓦の敷石は、浮き上がっている部分と沈み込んでいる部分のせいででこぼこ。
しかしてテーブルやチェアーは、陽の光と雨風に晒されて、木目の色に深みが表れるほど。
フロスティグレイの 四阿(あずまや) は蔦に巻かれ、緑に浸食されている。
辺りには、賑やかしのように石膏の小さな人形が何体か置かれていた。夜になると動き出しそうな見た目だが、夜でなくても動き出すという仕掛け(いわく)付き。そこかしこに侵入者用の罠が張られた、家でも一、二を争うほどに物騒な場でもある。
ふと水明が振り返れば、八鍵邸の威容が。
明治から大正の香りを匂わせるクィーンアン様式で、いたるところに魔除けのメダリオンが飾られ、果ては塔屋まである徹底ぶり。
視線を落とせば、ベランダ。曇りガラスのその奥に、曖昧になったロッキングチェアーの輪郭を見ることができる。
――帰ってきたな。
水明の胸の中に広がったのは、安堵でできた郷愁だった。
父風光がいつも腰掛けていた椅子を目にしたことが、それをはっきりと浮かび上がらせた。
転移時、異世界では昼間だったが、こちらの世界――日本は現在夜だった。
(時間が違う……)
にわかに彼を襲ったのは、不安だ。無論、こういったことを予想していなかったわけではないが――こればかりはどうしようもない。
この誤差が時差程度のものであればありがたいが、もし大きな時間のズレであったのなら問題だ。向こうの世界で過ごした時間と、この世界で経過した時間が一致しないというこことは、この世界から取り残されることにもなりかねない。
そしてその差があればあるだけ、影響は大きいのだ。
水明がリアル浦島太郎は勘弁してくれよと心の中で祈念していると、興奮した声が聞こえて来る。
「明るい、です」
まず飛び込んできたのは、リリアナの声だった。庭から見える街を見詰めたまま、いつもは眠たそうな半眼を皿のように丸くさせている。
それは他二人、フェルメニアとレフィールも一緒だった。
異世界では、夜になるとほぼ真っ暗だ。夜を明らかにせしめるものは月の光と星の光、人の作った火の明かりくらいのもの。大きな都市では、魔力灯なるものが据えられているが、基本的にそれは貴族の住む場所の治安を守るためのものであり、どこにでもあるわけではない。
だが、この世界は違う。日本にはそこかしこに外灯があり、住宅から漏れる生活の光がある。その積み重ねが、夜の闇から街の姿をありありと浮かび上がらせているのである。
特に八鍵邸は、一段小高い場所に造られている。街の様子が見やすい傾向にあるため、顕著だろう。
ふとレフィールが、何かに惹かれるように空を見上げた。
「スイメイくん。光が動いているが……あれは星か?」
「ん? いや、あれは飛行機だな。人を乗せて移動する乗り物だよ」
「乗り物!? あれがか!?」
「す、スイメイ殿? あれはかなりの高さではないですか……?」
「まあそうだな。離着陸の場所が遠いから、基本的に一万メートルくらいかな」
「い、一万……」
単位に関しては、すでに教えてあるため、異世界の三人も理解がある。
レフィールが訊ねるように初美の方を向くと、彼女もしっかりと頷いた。
「あれも、機械……だったか? 精密な絡繰でできたものという」
「ああ。この世界はその技術で作られたものがいたるところにある」
やがて街の光や飛行機に気を取られていた異世界の面々が、後ろを向いた。
「……それで、ここがスイメイ殿の家なのですか?」
水明が頷いて肯定を示すと、初めて水明の実家を見た三人が、ぼうっとした様子で、
「……大きいですね」
「大きいな」
「すごく、大きい、です」
「そうよね」
「そうか?」
初美の声音には、少し呆れが混じっていた。
水明としては生まれたときからここに住んでいるため、あまりわからない。他の一軒家と比べて敷地面積も広く、造りが豪華なのは確かだが、それでも海外の豪華のスケールに敵わない。アメリカに行けば、一般人だって馬鹿みたいにデカイ家に住むのだ。
特に神秘関連の仕事で世界各地を飛び回る水明にとっては、三人の驚きがしっくりこなかった。
相変わらずどこか抜けた反応を見せる水明に対し、初美が呆れの息を吐く。
「一般的な家に、三階なんて滅多にないわよ?」
「あー、うん」
「あの、スイメイ殿? これはもしかしてハドリアス公爵の家よりも大きいのではないでしょうか?」
「庭を含めるとあっちの方が広いだろうが、床面積はこっちが上かもなー」
水明がぼけっとした調子で言うと、レフィールが眉間を揉んでいた。
「スイメイくんの家は、結構なお大尽なのでは?」
「まあ、家柄だけはそこそこ歴史あるってくらいさ」
水明がなんてことはないと言うように肩をすくめると、初美がわき腹を小突いてくる。
「レフィールさん。この嘘つきの話は聞かないで。この辺一帯の土地はほとんど水明の家のものよ」
「この辺一帯、ですか?」
「ええ。そうじゃなかったら、すぐ隣に私の家なんて用意できるわけないし」
初美がみなの視線の導くように、隣家へと目を向ける。そこには、初美の実家、朽葉邸が。水明の家とは対照的に、完璧な日本家屋だ。しかも、道場ありというおまけ付き。敷地は広く、家も大きい。
もちろんフェルメニアたちは、目を丸くする。
「ほんと、お金持ちよね」
「ま、魔術師には土地と金が必要だからな」
そう、魔術師にとって、金銭や土地は重要なものだ。魔術の媒体として使用する物品を用意するにはそれに見合った経済力が必要となるし、儀式には地形の要素や風水だって大きくかかわって来る。それゆえ土地の確保は最優先で、必要な土地を手に入れるには金銭が……と言うわけだ。武士は食わねど高楊枝などという言葉とは、対極の位置にあると言っていい。
ふと、どこからともなく、エンジンを吹かした音が聞こえてくる。突然の爆音を聞いたせいで、リリアナは驚いたのか、肩をびくりと震わせて、音の聞こえた方を振り向いた。
「あの音は、なんですか? 遠くに離れて、いったよう、ですが」
「ああ、暴走族か、どっかのバイク好きだろ。こっちだとデカイ音が頻繁に聞こえるから、な。こういうのはあまり気にしなくていいぞ?」
帰ってきて改めて考えさせられるが、異世界はすこぶる静かだった。大きな音など、よほどのことがない限り発生しない。反面、こちらの世界は騒音に悩まされるということもあり、久しぶりでもあるため、ひどく騒々しく感じられた。
水明がそんなことを考えていると、初美がほっと息を吐いた。
それは、安堵の吐息か。見れば顔も、人心地付いたというように、緊張から解き放たれたものへと変わっていた。
「……帰ってきたわね」
「ああ、こんなので帰ってきたって実感させられるのは、正直な話もやもやするけどな」
「ほんとよ。マフラーの爆音とか、風情もなにもあったもんじゃないわ」
初美は業腹だというように頬を膨らませ、そして吐き棄てる。なんとも言えない苛立ちが湧いたのか。
そんなことを思っていると、彼女は唐突に胸にもたれかかって来た。
「っと……急にどうした?」
「……よかった。帰ってこれた。私ずっと、もう二度と戻れないんじゃないかって、お母さんに会えないんじゃないかって思って。だから……」
「そうだな」
初美のそれは、胸の内に蟠った不安の吐露だ。そんな彼女の頭を、優しく撫でる。ぶつ切りで要領を得ない言葉が、彼女のいまの感極まった心境を表していた。
金の髪が感情の波によって震えている。それだけ、嬉しかったのだろう。
だが、そんな折だった。
急に家の方から、魔力の気配。
「――これは!」
「――!」
俄かに高まった魔力に、すぐにフェルメニアとリリアナが動き出す。機敏な所作で構えを取り、全身に淀みなく魔力を充溢。魔力が発現した場所を、糸を手繰るように視線で追いかけつつも、油断なく周囲を警戒する。
魔力の発生場所が囮である可能性を考慮してのもの。さすがは幾多の戦いを越えて来た二人の魔法使い、いや魔術師だ。
その一方で、家主の水明はと言えば、気だるそうに頭を掻きつつ、息を吐いた。
……まあ、こうなるのではないかということは、一応予想はしていたのだ。
庭に 紫檀(ローズウッド) の優しい香りが漂ってきた時点で、魔力を膨張させた主が敵でないことは、証明されている。
魔力がのしかかってどよんと重くなる場の雰囲気。見れば闇夜の黒も、強い魔力のせいか濃い紫が混じったように、色味がかって見える。
水明邸の勝手口の方から、夜の闇よりわずか色濃い影が伸びて来た。
それに合わせて魔力を高めたフェルメニアとリリアナの肩に、水明は心配ないというように手を置く。そうして二人のにわかな昂りを落ち着かせると、色濃い影がはっきりとした輪郭を表して、足音を立てて近づいてきた。
やがて月の下に明らかとなったその姿は――マジシャン然とした出で立ちだった。
赤いリボンを巻いたシルクハット。先端に 宝珠(オーブ) の付いたステッキ。アイロンでパリッと仕立てられた燕尾服。奇術師とはかくあるもの――と言わんばかりにマジシャンのイメージそのままの出で立ちだ。
その服装に納まっているのは、まだあどけなさの残る少女だった。背の高さはフェルメニアと同程度。長い黒髪。白磁のように美しく硬質でなめらかな艶を持つ肌。眼は宝石のような明暗を窺わせる輝きのコントラストを映し、細くくっきりとした眉と小鼻。
顔は無表情だが、声音と気配に隠し切れぬ怒気が滲んでいた。
「す~い~め~い~く~ん?」
「よ。久しぶり」
マジシャンの格好をした少女の名は――ハイデマリー・アルツバイン。
八鍵水明の弟子兼補佐兼、使い魔だった。