軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

レフィールの因縁

かくして、帝国軍と魔族軍との戦いは、レナートの指揮のもと、恙なく進んでいった。

作戦は以前提示されたように、帝国北の未開地域から帝国まで向かういくつかのルート上に部隊を置き、攻め寄せてくる魔族を待ち伏せしつつ、見つけ次第戦闘、これを撃破。人の立ち入れない場所にも斥候を送り、ひとまずの戦線を抜かれないように腐心するという受け身に徹し、援軍終結を待っているといった状況だ。

待ち伏せの戦闘も、実質防衛戦のようなものであるため、当然戦況は帝国側有利となっている。起伏の少ない原野が広がる連合北部とは違い、行軍に支障が出る険しい土地だからということもあるが、あらかじめ地形的に有利になるよう位置取りし、迎え撃つことができたというのが、大きかった。

これも事前に正確な情報が入ったからだと言えるだろう。帝国を攻める前に途中にある国を襲えば自然情報は伝わって来るし、そこにかかずらっていれば防備も整う。魔族が攻めるには、帝国は遠すぎたのだ。

ともあれ水明たちと言えば、当初の予定通り本陣預かりとされ、すぐには作戦行動に組み込まれなかった。それは帝国の軍が戦果を挙げないと動かせないという制限があったためのものだが、数日間の内に部隊が戦果を挙げたため、いまは動けるようになっていた。

そしてその頃にはすでにレフィールももとの姿に戻っており、彼女はレナートからいの一番に作戦への協力を頼まれていた。

「私のような者に部隊を任せてもよろしいのですか?」

「神子殿の力は、戦いの腕に限らず承知しているつもりだ。部隊を率い、精霊の力を存分に揮っていただきたい」

その言葉のもと、レフィールは帝国の兵を率い、足止め作戦に参加。そして現在、帝国北部山中にて、借り受けた帝国の兵らと共に行軍する魔族たちを見下ろしていた。

崖の上にある木立の中での布陣。眼下には、山を沿って続く細い道を、魔族の群れが蛇のように連なって歩いている。無論、魔族たちには気付かれてはいないゆえ、奇襲には絶好の機会であった。

「――こちらは、そろそろ降り出しそう、ですね」

部隊の先頭、崖と茂みの境界で攻め入る時機を窺っていると、背後から雨模様を憂う声がかかる。

レフィールが赤髪を軽く払って振り返ると、兵士たちの間に小柄な馬に乗ったリリアナの姿があった。

いま着いたのか、前から紛れていたのかはわからないが、神出鬼没なところははさすが諜報部の人間――いや、孤影の剣将の娘だと言えるだろう。

「リリィか。どうした?」

「はい。現在の状況を報告しに来ました」

「頼む」

「本陣は予定通り、後方へ撤退する準備に取り掛かっています。特に何もなければ、本陣に置いた勇者れーじやティータニア王女殿下たちの戦力を使わずそのまま撤退。決戦時に改めて武働きをしていただくそうです」

「やはり彼らはまだ動かさないか」

「勇者れーじは戦闘経験が少ないですから、険しい地形で戦うよりも、なだらかな場所で戦った方が力を発揮できると判断したのでしょう。それに、兵の層が厚ければ生き残る確率も高いでしょうし、周囲の兵の士気も上がります」

リリアナの推量に、レフィールはふうと胸に蟠っていたもの吐き出すように吐息する。

「どうしました?」

「いや、少し安心してな」

「れーじの扱いを危惧していたのですね?」

「レイジくんは帝国で呼ばれたわけではないからな。どう動かすのか気にはなっていたんだ。手柄を取られたくないからとか、勇者ならば大丈夫だという根拠のない自信でおかしな作戦に参加させられたら、彼も堪ったものではないからな」

「大丈夫です。レナート殿下は、皇帝陛下のように苛烈な策は、立てませんから」

ということは、皇帝ならばやる可能性もあるということだろう。確かにあの皇帝ならば、女神がかかわろうと帝国に利する無茶な作戦も厭わないような気もする。

「スイメイくんはどうだ?」

「適当に動くそうです。すいめーの方はどこに行けという指定もありませんし、レナート殿下もかゆいところに手が届けばいい程度で、戦果の方も重視していないため、邪魔にならないようにするくらいがちょうどいいだろう、と」

「レナート殿下も、スイメイくんは動かしたい駒ではあるが、効果的な使い道が思いつかない、といったところだな」

「でしょう。レナート殿下も部隊単位で動かすならば得手でしょうが、すいめーは特殊ですからね」

この世界で水明は、レフィールたちと同じく個人で部隊並みの戦果が挙げられる人間だ。それゆえどの作戦にでも回せるが、部隊に回したときに手に余ってしまうだろうし、だからと言って個人で動かしたときも、どれだけの戦力までなら当てることができるかその塩梅もわからない。それゆえ、動いて欲しいが使いにくいというおかしなことになっているのだ。レフィールのように、部隊を率いる力と他国の軍隊さえ扱えるカリスマがあれば話は別だが。

――俺は魔術師で学生だぞ? そんなモンあるわけないだろ?

とは、出立前の水明の言である。

おかしな話に、レフィールが微笑を浮かべていると、リリアナが周囲を見回す。

「それと……こちらも予定通りのよう、ですね」

「ああ、見ろ。魔族共は無防備に隊列を伸ばしている。ここで襲えば、期待以上の戦果が挙がるだろう」

部隊がこの場所に位置取ったのは、レフィールの策によるものだ。といっても、あらかじめ魔族が通ると思われる順路を確認し、網を張っていただけなのだが。

魔族は山中の細い道を通っているため、隊列はか細く伸びきり、山道に沿って蛇行している。行軍は余裕を持って二列、詰めて三列がやっとであるため、兵の層は横が薄くなっており、分断させるにはうってつけ、上から奇襲をかければたちまち混乱し、乱戦に持ち込めば殲滅も不可能な話ではない。

「油の準備は、すでに?」

「滞りない」

そう言って、レフィールは左右の離れた位置を指し示す。見ればそこには、大きな甕を準備した兵士たちの姿があった。

この状況で、火計の備えをしないわけがない。魔族たちは邪神の加護があるため、ただの火だけでは心もとないが、部隊に魔物が混成されていることもあるため、あるとないとでは状況はかなり変わる。先頭と後尾に岩を落として油を撒いたあとは、魔法使いの部隊が火の魔法を放って更に逃げ道を塞ぎ、本隊が中核を叩くのである。

単純な戦術だが、嵌まれば高い効果が期待できる。

勝ち筋を提示されたリリアナは、安心したように瞑目し、馬の首を撫でる。

「では、私はこれで」

「次は?」

「すいめーのところにも行き終わったので、一度本陣に戻ります。その後はまた、繋ぎの役になるでしょう」

「よろしく頼む」

リリアナは「はい」と返事をしたあと、後ろへ下がり、やがて乗っていた馬と共に忽然と消えてしまった。自分だけならまだしも馬ごととは、どういう手管か。それも孤影の剣将の技なのか、水明に伝授されたのか、いや、そのどちらもを掛け合わせたものであるとも考えられるが――ともあれ。

レフィールは馬の首を回し、後方へと向き直る。そして、下の魔族に気取られぬように、兵士に声が行き渡るよう指示を飛ばした。

「そろそろ我らも動くぞ! 落石の準備が整い次第、予定通り魔法使いたちは先頭と後尾に火の魔法を放て。奴らに酒と肴の代わりに油と岩を腹いっぱい食らわせて、炎の宴を以てもてなすぞ! よいな!」

皮肉を利かせた鼓舞に対し、兵からは声量が抑えられた、しかし力強い返事が返る。「女神アルシュナの御心のままに」「神子様万歳」と。士気は高い。必要分をはるかに超えて。これは、女神に対する信心が強く表れた形だろう。レナートの思惑通り、精霊の神子の御名がもたらす効果は、魔族との戦いにおいて絶大だったようだ。

間もなく両端の兵士の準備が整い、多くの岩石が崖から落とされる。純粋な重量に対し抵抗できる限界を超えた魔族、魔物から轢殺。それと一緒くたに、粘度と可燃性の高い油が撒かれ、やがて魔法使いが火の魔法を放ち始めた。

「おお、魔族の隊列が乱れていくぞ……」

「いいぞ……この調子だ……」

先頭と後尾の魔族が炎や煙に撒かれ動きを乱し始めると、それはどんどんと中核へと伝わって行く。やがて部隊の全てが混乱の渦中に叩き落とされ、行軍どころの話ではなくなった。

次いでこちらに気付いた魔族たちが奇怪な声を発しながら、崖を昇り始める。

もう小手先の策では封じられない、ゆえに――

「魔法使いたちの守りを残し、全ての歩兵隊はこれより眼下の魔族共に突撃する! 魔法使いたちはそのまま先頭と後尾を炎で脅かせ! 行くぞ!」

レフィールの号令一下、数個の歩兵隊はそれぞれの方向に向かって、崖を雪崩のように下って行く。

分断と、乱戦。レフィールの思い描いた青図面通り、山道に魔族たちの死体が晒されていった。

――魔族がいくら人間よりも個々の能力が上回っていると言っても、混乱している兵とそうでない兵の有利さは一目として瞭然だ。それがこの狭い道の中では、なおのことである。あらかじめ戦う場所を想定されて指示を受けたレフィールの兵たちは隊列を乱さずに戦いに臨み、反対に混乱の憂き目にあった魔族たちはといえば、隊列もままならず隣り合った者同士ぶつかり合い、傷つけあう始末。果ては仲間を崖から落としてしまうという自滅にも似た行動を起こしてしまい、兵を失う速度は加速度的に増えて行った。

レフィールは狭い山道でも馬を器用に操り、周囲の魔族を蹴散らしていく。取り囲まれれば馬の首を回して、大剣を振り下ろして叩き切り、振り回して距離を開ける。

そうして、近付く魔族は例外なく大剣の餌食となった。

やがて威勢を取り戻した魔族たちが、層を厚くして彼女の前に立ちはだかる。

この狭い山道では、自軍にも被害が及ぶため、 波山(ガラ・ヴァルナー) は放てない。

ならば、

「赤迅よ……我が意に応え、我らが激しきまといとなれ」

レフィールが祈りにも似た文言を口ずさむと、まるで馬を鎧うかのように赤い風がまとわりつく。それは馬の巨体だけではなく、足もとにこそ厚く厚く絡みつき――そして。

「ハァッ!!」

掛け声と共に馬の腹を蹴り、魔族へ向かって踏み出させる。馬は魔族の壁があろうとも恐れることなく踏み出し、赤い風をその強みにして魔族たちを跳ね飛ばしていく。正面にいた魔族は言うに及ばず、馬に足蹴にされた魔族も馬蹄と赤迅によって潰れ、滅びの憂き目を見ることとなった。

戦端が開いてから常に優勢を保ったままということもあり、あと少しで思惑通り殲滅――と思われた、そのときだった。

レフィールのすぐ後ろに伝令が滑り降りてくる。そしてそのまま、危急を告げる叫び声を上げた。

「神子様! 後方より魔族の援軍です!」

だがいささか苦しげな声の報告にも、レフィールは慌てずに指示を出す。

「そうか。援護が来たか。……では慌てずに行動せよ! 前もって指示していた通り、我らは先頭の魔族を蹴散らして撤退する。殿軍の指揮は私が取るゆえ、余力のある者たちは私と共に残れ!」

撤退もすでに策に織り込み済みであるため、号令と共に兵は混乱することもなく動き始める。先頭側にいる魔族を倒して退路が確保されると、疲弊した兵、怪我をした兵はすぐさま離脱。崖上の魔法使いの部隊も援護の魔法を放ちながら、撤退を始めた。

そうこうしているうちに、やがて援軍の魔族たちの姿が見えてくる。

……蛇のように連なる狭い山道であるが、魔族後方の見通しは悪くない。それでもなお、奥の山道に援軍の姿はないことから。

「なるほど、空からか」

灰色の雲を背景にして見えたのは、蝙蝠の持つもののような翼を生やした魔族たちだった。水明曰く、デーモンとかいう悪性の精霊が持つ翼らしい。ばさり、ばさりと羽音を鳴らして、曇り空に赤黒い点を穿つように飛んでくる。

上……人間にとって自然と死角となる場所からの攻撃は厄介だ。

「みな落ち着いて対処しろ! いくら敵が上空にいるからと言えど、怖れるような相手ではない!」

レフィールが兵の動揺に先んじて叫ぶ。だが兵からは返事が返らず、代わりに真上から極度に艶めかしい声が降ってきた。

「――あらぁ? そうかしらねぇ?」

それは、ねっとりとした声音。まるでそぐわない、娼婦が出す猫なで声のような淫靡な響きだった。見上げれば、翼を持った魔族の影。他の魔族のように蝙蝠の持つような翼を持っているのは一緒だが、姿形は完全に人の女。ふわりとした茶色の髪を風にたなびかせ、男ならばその姿に催し、女ならばうらやむような体型をしている。

いまは自分の黒い尻尾を弄びながら、背中を丸めてふわふわと浮いている。

空からの援軍を引き連れていたのは、女型の魔族だった。

しかしてその魔族は、レフィールには見覚えがあった。

――いや、忘れるはずもない。この魔族は、ノーシアスを襲った魔族の将軍の一体であり、レフィールにとっては宿敵と言える存在なのだ。

「貴様は……あのときの!!」

「おひさー。元気してた? まあこれだけ頑張ってたら、目一杯元気してるんだろうけどぉ」

にこやかであってしかし玩弄するかのような笑いに、怒りの感情が燃え上がる。あのときと同じ、精一杯生きるものを嘲笑うようなそんな態度だ。

軽薄な魔族に対し、鋭い赤迅を、剣先から言葉もくれずに叩きつけた。

「はぁああああああああああああああああ!」

裂ぱくの気合いと共に、唸りを上げる赤迅。それは過たず、曇天を浮遊する魔族の将軍――ラトゥーラへと向かっていく。

「うわっと、危ない危ない。急に攻撃するなんて怖いなぁ」

だが両断を期して放った一撃は、おどけが入り交じった声音と共に、間一髪のところでかわされる。過ぎ去った赤迅は余韻を引き連れたまま後方を飛ぶ魔族たちに当たり消し飛ぶが、ラトゥーラはそれを気にした様子もない。

「……かわすか」

回避されたことを苦々しく思っていると、その呟きが聞こえたか、

「そりゃそうよぉ。いくらなんでもそんな攻撃にあたるわけないじゃない? あんたあたしのことなめてるわけ? 舐めるのはあたし特権なんだけどなぁ」

そう言って、じゅるっと、赤い舌で唾を転がし、艶めかしい音を響かせる。その軽口を聞いてふいに背筋を駆け上がったのは怖気だ。無論のこと、生理的な嫌悪感である。

怖気を振り払うためきっと睨み付けると、ラトゥーラは気分を良くしたように微笑み始める。

「あたしの名前はラトゥーラ。その様子だと、しっかり覚えてるみたいね?」

「当たり前だ! 貴様のこと、忘れたことはない!」

「あっはー! そこまで思ってくれてるなんて、嬉しいなぁ。あたしもあんたに会えるの待ちわびてたんだよぉ」

――次会ったときは、どうやってイジメてあげようかなってね。

酷薄な感情が混じる言葉で、怒りの炎に更なる薪がくべられる。思い出すのは、この魔族に与えられた屈辱だ。戦って負かすだけでは飽き足らず、多くの仲間を殺し、自分に惨めな呪いをかけたのだ。許せるはずもない。たとえここで千に刻んだとしても、己は決して満足することはないだろう。

溢れる怒気に呼応してか、周囲をまとう赤迅が炎をまとったかのように色濃くなる。すでに臨戦というそんな中、ふいに背後から兵士の声が飛んできた。

「神子様! 殿軍も後退の準備が整いました! 神子様も撤退のご準備を!」

だが、

「私のことは構うな! お前たちは先に行け!」

「ですがそれでは……」

「私はこの魔族を倒さなければならない! 先の戦いで朽ちた者たちのために! だから先に行くんだ!」

兵士に叫び返すと、彼は「承知しました」の言葉のあと、ほかの兵士たちに指示を出して後退していく。残ると食い下がらなかったのは、やはり彼らが他国の兵だからであり、命の懸けどころを考えてのことだろう。いくら精霊の神子だからといって、客将のために命を張ろうとはさすがに思わなかったようだ。

まもなく、残っていた帝国の兵たちは次々と本陣方面へと離脱していく。ラトゥーラの背後にいた魔族たちはそれを追いかけるが、あれでは殿軍に追いつけたとしても本隊に追いつくことは到底叶うまい。

「あーあ、行っちゃったー」

「ふ、援軍には一足遅かったな」

「みたいね。これじゃああいつらも本陣まで追いつけないよねぇ……ま、それはそれで構わないんだけど」

「…………?」

ラトゥーラのくすくす笑いに含みを感じ、眉をひそめる。まるで追いつけなくても構わないとうそんな調子に、違和感を覚えていると、

「あんた、わかってないって顔してるじゃん。んふっふー、別に私たちはあんたたち逃げられても構わないんですー。どうせあいつら逃げた先でひどい目に遭っちゃうんだからね」

「なっ、それはどういうことだ!?」

「どういうこともなにもあんたたちがバカだってことよ。あんたたち人間ごときが立てた作戦を、あたしたちが見抜けないと思ったぁ? アハハッ! ほんとバッカじゃないの? 今頃、リシャバームやイルザール、グララジラスたちが本陣に奇襲をかけてる頃よ?」

「本陣に奇襲だと!?」

「そ。思ってもみなかったでしょ? あんたたちは足止めしてるって思ってて、実は引き付けられて分散させられてたってことよ。あいつらがあたしの手勢から全力で逃げても、行き先にはもっと大掛かりな部隊が展開してるって寸法」

「…………」

なるほどと思う。これまで帝国北部の険しい道のりを越えてこようとした攻め手はその全てが囮であり、それを隠れ蓑にしてすでに別働隊が動いていた。そうであれば、確かに一本取られたというほかない。

軍全体の不利を提示されたレフィールだが、しかし彼女は表情に不敵な色を浮かび上がらせる。

「なにその顔? なんか勝算でもあんの?」

「当たり前だ。貴様は本陣を奇襲と言ったが、向こうには勇者や多くの魔法使いたちがいる。帝国の精鋭がいる。たとえ奇襲をかけられても、そう簡単に後れはとらんさ」

「信頼してるんだ? まあ別にいいけどー」

気のない返事をするラトゥーラは、本気でどうでもいいと思っているのだろう。そんな彼女にレフィールが剣を向けると、ラトゥーラは一転して、侮るような笑みを浮かべた。

「――ふふ。この前あれだけズタボロにされたのにあたしに勝てるつもりなの?」

「当たり前だ。今度は以前のように遅れは取らんぞ!」

「まー、前よりは強くなってるみたいだけどー、それであたしに勝てるかなー」

「必ず勝つ!」

冷笑を跳ね返すように叫び返して、赤迅を呼び、まとう。レフィールを中心にして竜巻じみた赤い流動が発生し、その外周を石や土が舞い飛んだ。

それに対してラトゥーラは、微笑みを浮かべながら、空に指を艶めかしく滑らせる。それはまるで男の肌に触れるかのような女の手つき。やがて闇色のおどみが指先から溢れ、糸やひもが風にそよぐように伸びていく。

レフィールは一度交戦経験があるため知っていた。ラトゥーラは、魔族の持つ闇色の力をひものようにして扱うのだ。そしてそのひもの挙動は変幻自在。相手を縛ることもできれば、周囲に張り巡らせ――

「さ、まずは一つ目」

二段、三段と段階的に技を繰り出すようなことを匂わせて、ラトゥーラはひも状のおどみを周囲に張る。おどみの先端が地面に穿たれ、あるいは崖に穿たれ、二つ目、三つ目。ラトゥーラに迫る者の邪魔をするかのようにさらに十を超える数が展開される。水明がいれば、簡易の結界だとでも言っただろう。あれに触れれば身が裂かれるか、いや、ラトゥーラの性質上あれは絡めとるだけの手段だろう。

突破するには、全てを斬り払うか、身一つくぐり抜けられない隙間を通らなければならない。だがこの魔族がまさか簡単に斬れるようなものを敷くはずもない。斬って通るのはまず不可能な話だろう。ならば隙間を通るしか方法は残されていないが、隙間は身体の半分もない。

だが――

「私にそれを突破できる手段がないと思ってか!」

「あったりまえじゃん! あたしの編んだひもだよ? そう簡単に斬れるようになんてしてるわけないじゃない!」

「ならばその隙間をくぐり抜けるだけだ」

「ちょっとそれバカじゃん? いくら細くていい体型してるからって、その間を通れるわけ――へ? はぁっ!?」

山道に鳴り渡るラトゥーラの驚きの声。それも当然か。単純至極に隙間に突っ込んだかと思うと、ひもに当たる瞬間に赤い風――赤迅となって隙間を通り抜けたのだ。

「ちょ! 前はそんなことできなかったじゃん!」

以前戦ったときには持っていなかった技を目の当たりにして、悲鳴にも似た叫びを上げるラトゥーラ。そんな彼女の声を余所に、赤迅で隙間を通り実体化、赤迅で隙間を通り実体化を交互に繰り返して移動の緩急を見せつつ、彼女の周囲を素早く移動する。

視覚を惑わす攪乱だ。やがてラトゥーラの視線が遅れを取り始める。

「そんな技使えるからって……」

苛立ちの声を聞きながら、背後に回り、横を脅かし、再び眼前に躍り出る。まさか正面に出てくると思わなったらしいラトゥーラは斬撃に対し反応が遅れ――しかしそれでも魔族の将たる力は伊達ではないらしく、ぎりぎりの線を保ちつつもかわしていく。

「ほ、と、ほ、わっとっと……このっ!」

逃げの場を空から地上に切り替えたためか、剣をかわす足は千鳥足。地上での戦闘には慣れていないようで、動きに精彩がなく、ぎこちない。

だが、挽回するか。斬撃の連続から逃げ続け、やっと攻めの時機を見つけたらしいラトゥーラは、今度はひも状のおどみを鞭のように振るう。

「これでどう!!」

鞭は空を波打つ挙動のせいで見切りに難が生じるが、だからといって珍しいものではない。武器として扱う者もいれば、先だってあった十二優傑との戦いの折、アールス・メルフェインが魔法で模していたという事例もある。

ゆえに、

「遅れは取らぬと言ったぁ!!」

「そ、そんな……」

雷声一閃。大剣一閃。蛇のように襲い来る一打を横薙ぎの剛断によって有無も言わさず振り払う。間に合わせで作ったおどみの鞭は、赤迅によって敢え無く消失。そして自身は剣を振り抜いたそのままの勢いを保って迫り、追い詰める。すると、ラトゥーラは先ほどまで浮かべていた余裕の笑みを消して、強い焦りを顔に出した。

「うわーヤバー、あたし負けちゃいそー……なんてね!」

浮かべた焦りは擬態だったか。偽りを匂わせる言葉のあと、ラトゥーラは突然どこからか一体の人形を取り出した。

そう、それは赤い髪を持った女の人形であり、一見するとまるで自分のようにも見え――

「なん――」

なんだ。それは。そう言い掛けて、ふと思い出す。それは水明と出会ったころのこと。彼から自身にかけられた呪いのことを教えてもらったとき。

――呪いをかけたときに使った媒介をどうにかしない限り、解呪はできない。

彼はあのとき言っていた。この手の呪いには、媒介というものが存在すると。つまり呪いと自分を仲立ちしている存在があるということだ。

走馬灯さながらにそのことを思い出して、背中にぞくりと悪寒が走る。あれだ。あれがいまも自分を苦しめている、その原因なのだ。

ラトゥーラの顔が、にやりと笑みに歪む。瞬間、身体に走る、熱病のような痛み。

それに堪え切れるはずもなく、剣を大地に突き立て、膝を突いた。

「うぐ……あ……」

「あ、アハハハハハハハハッ! ほんとバッカみたい! 何が「ここで貴様を倒す!」よ。あたしがあんたに負けるはずないでしょ? あたしにはこれがあるんだよ? あんたに呪いをかけるのに使ったこれが!」

「く、くそ……こんな、ことが……」

「あるに決まってるじゃない。つーか順当な結果じゃん? あんたあたしに一度負けてるんだから二度目はないなんて思ってるなんてバカぁの極みよ? それともなに? 頭にき過ぎてちゃんと物事考えれなくなってた? そんなんじゃ戦う以前の問題だっての! バカバカバーカ!」

「う、ぐ……」

聞こえよがしな罵倒に、怒りと悔しさ、屈辱が湧くが、身体を巡る熱のせいで思うように動けない。もどかしい。だが、ラトゥーラは何故か一思いに殺すようなことはせず――

「さぁてと、なんか思ったより簡単に済んじゃったなぁ」

「なんの、つもり、だ……」

「うん? そんなのあんたをこのままそっちの本陣に連れてって、イジメちゃうからに決まってるじゃない。仲間や兵の見てる前でね。そんなことされたら連中きっと失望すると思うよ? 頼りにしてるヤツが成す術もなく嬲られてるの見たらさぁ」

うるるんだ唇に指を当てる所作を見て、ふいに、ぞくり――と背筋を冷たいものが駆け抜ける。ラトゥーラの言葉を聞いて頭に思い浮かんだのは、屈辱的な情景だ。捕まった挙句、なす術もなく嬲られる自分の姿。惨めで、あまりに仮借ない見せしめである。

「く、そ……私は、また……」

負けるのか。敗北の味を噛みしめなければならないのか。それを思い浮かべると、身体の震えが止まらない。身に溢れる悔しさが止まらなかった。

そして響く、女の甲高い哄笑。それは正しく魔族のするような、まさに悪意の塊のような笑いである。

しかして、身体を冒す熱に堪えながら、屈辱と不安に身を震わせる中、

「――なんとも悪趣味なクソ野郎……失礼、クソ女郎ですわね」

口汚い言葉が崖上から降ってきたのは、そんなときだった。

「え――?」

「なに? 誰――?」

「ここですわ」

誰何に対し、放たれたのは存在を示す確固とした言葉。柔らかな、しかし凛と通った声に導かれ、脇の崖上を見上げる。

しかしてそこには、修道服を身にまとった一人の獣人が立っていた。

波打つような桃色の髪から、二つ突き出た猫の耳。柔和な顔。やはりそれも、レフィールにとっては忘れるはずもない顔だった。

「し、シスタークラリッサ!? な、何故ここに!?」

「それはもちろん、あなたを助けに来たからですわ」

見えるのは、曇天を透ける淡い陽光を背負った悠然とした佇立。その状態から一転、クラリッサはレフィールのもとに音もなく降り立った。まるで高いところから澄ました顔で難なく飛び降りる猫さながらに。

崖からの大きな跳躍と無音の着地を見せた彼女に、胡乱げな視線を送る。

「助けに来ただと? 一体どういうつもりだ? 私たちとあなた方は敵だろう?」

「いえ? 私たちはあなた方を敵だとは思ってはいませんよ? むしろお味方。違う道を歩き、同じ目標に向かおうとする同士ですわ」

「先ほどからはぐらかすような嘘ばかり……」

悪びれる様子もなくにこやかに嘯くクラリッサに、今度こそ声音に非難を滲ませる。すると彼女は、顔に優しげな笑みを浮かべ、すぐに表情を引き締める。

「……そうですわね。訂正しましょう。あなた方は味方ではありませんし、助けに来たというのは結果論です。本当は私、魔族を倒しに来ただけなのですわ」

魔族を倒す――これは本音だろう。だが、それでも疑問は尽きないばかりか、むしろ増す一方だ。何故、勇者拐かそうとしていた者たちが、いま魔族と戦うというのかと、かみ合わない行動のせいでその思惑が掴めない。

そのせいで胡乱な視線はいまだ解けないが――ともあれここでクラリッサに胡乱げな視線を送っている者はレフィールだけではない。

「なにそいつ? あんたお仲間?」

いましばし蚊帳の外に置かれていたラトゥーラの、警戒が露わになった訊ねに対し、代わりに答えたのはクラリッサだった。

「いまこのときだけの、と申しておきましょう」

「ふーん。別に敵がいくら増えても構わないけど。イジメちゃう相手が増えるだけだしぃ。――ま、それよりもなんだけどさ」

何か重要なことがあるのかラトゥーラは。よく見れば彼女の視線は、帝国の兵士たちが撤退した方角を見据えている。

「……あんた向こうから来たなら、あたしの手勢とかち合ってるはずだけど」

「ええ、あのクソ虫共でしたら、今頃血と反吐とクソ溜めの海に沈んでいますわ」

いつにも増して口汚いクラリッサに、ラトゥーラは今度こそ油断ない視線を向ける。

「……全部倒してきたって言うの? あんた一人で?」

「あらあら? さほどのことでもないでしょう? ここにいるレフィールさんでしたら、あの程度物の数分で片付く数ですわ」

「ふん。自分強いって言いたいわけ?」

「そこそこに」

謙遜のようにも聞こえる大口を叩いて、クラリッサは顔料を顔に塗り付け、その身に魔力をまとい始める。発現するのは、以前の戦いでレフィールが苦しめられた、狩りに及ばんとする獣が放つようなあの獰猛な魔力。視覚化できるかと思うほどに濃密な死の空気である。

そして、本性を露わにするクラリッサ。さながら猫の爪の如く、鋭い鉤爪が伸長し、上の犬歯が顎下まで伸び届く。

それで、成ったか。 族霊崇拝(トーテミズム) 。象徴的な事物の力を信仰によって会得し、強力な力とする魔術である。

ラトゥーラは文字通り変貌したクラリッサを目の当たりにして、顔を引きつらせて後退る。

「うっげぇ!? なにそれなにそれ!? あんたみたいなのあたしの好みじゃない!!」

「それはようございますことで。私もあなたのような相手に好かれたくはありませんから」

言葉のあとに、通り抜ける一陣の風。しかしてそれは殺気に塗れた魔力であり、であればクラリッサの一撃だったか。ラトゥーラの頬に一筋の傷跡が刻まれる。

クラリッサを睨み付けつつ、頬に垂れた血を拭うラトゥーラ。

「……さっきからちょーしくれちゃって、あんた殺してあげる。マジで――」

高まる殺気と闇色の力。それは、先ほどレフィールと戦ったときとは比べ物にならないほどに強く、そして獰悪な力の具現であった。

「な……これほどなのか……」

あまりの力の気配に呆然と呟くレフィールに、ラトゥーラは、

「当然じゃん? 一応これであたしラジャスと一緒にあんたの国を攻めた先手なんだよ? ヴィシュッダやマウハリオみたいなクソ雑魚野郎と一緒にしないでくれる?」

挙げた名は、他の魔族の将軍のことか。内情はともあれ、この力では。

「く……し、シスタークラリッサ……」

「レフィールさんはそこで休んでいてください。あのクソ虫は私が片づけますので」

どちらの臨戦態勢も整ったあと、両者のちょうど中間に閃いたのは、闇色の力と殺意の塊のような魔力の陽炎。

恐ろしいほどの力が拮抗する中、獣人と魔族が、いま衝突する。