軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

本陣奇襲

帝国の本陣の中心とする大天幕に、伝令の逼迫した声が鳴り渡ったのは、ちょうどそんな頃だった。

「敵襲!! て、敵襲です!!」

入口の布を乱暴に払いのけ、おっとり刀で駆けつけたと言わんばかりの有り様で雷声を放つ伝令。降って湧いた襲撃の報に、大天幕内にいた者たちは椅子から一斉に立ち上がる。

無論、晴れやかな空ゆえに、正しく蒼天の霹靂をそのまま喰った形だが――とまれ、その中には今後の行動について詰めていた黎二たちもいた。

レナートは黎二たちとの会話を一度区切り、伝令に向かって厳しい表情で叫び返す。

「敵襲だと!? 一体どこからだ!?」

「は、背後からです!」

「背後だと! そんな馬鹿な!」

鞠躬如(きっきゅうじょ) にして受け答えをする伝令に、にわかには信じられないといったような悲鳴を上げるレナート。まるで予想していなかった状況に、確認の声にも厳しさが混じる。

「まことか!? 魔族たちに深く潜り込まれているような状況ではなかったはずだぞ!?」

「奇襲部隊の規模から考えて、おそらくは少数での隠密行動だったのかと……」

「どういうことだ……? ここでそのような手を使ったとて……」

レナートは魔族に裏をかかれたことよりも、どうやらその策が腑に落ちないらしく、瞠目したまま唸っている。そんな彼に、グラツィエラが、

「兄上! いまは考えている場合ではありません! ここは早く体勢を立て直さねば!」

「そ、そうだな……」

グラツィエラの叱咤で我に返ったレナートは、大天幕に集まっていた各将軍や参謀たちに指示を送り始める。

「出ます!」

そんな中、指示を待ち切れなかった黎二は、いち早く大天幕を飛び出した。その背を追い縋る「レイジ様!」「レイジ!」というティータニアとグラツィエラの声。ただ飛び出したことへの反応なのか、引き留める声なのかわからぬままに外に出てオリハルコンの剣を抜き、大天幕の後ろを見る。

しかして本陣が背にした断崖の下には、いままさにそこに現れたと言わんばかりに、魔族の集団が降り立っていた。

……土煙が低く立ち込める中、背後にあったいくつかの天幕や輜重は潰され、魔族の唸り声の他にうめき声まで聞こえてくる。魔族の逆落としをもろに受けてしまったのだろう、足もとなど顧みない着地に、下にいた兵士たちは壊滅の憂き目を見せられたのだ。

黎二に続いて、大天幕からレナートとグラツィエラが出てくる。

「く……、正面からの部隊は本気で囮だったというのか……?」

「兄上、ここはお下がりを。部隊をまとめ、安全な場所へ退避するのです」

「いや、ライラ。こう展開されては退く場所などない。――兵は分散せず部隊ごとにまとまって防備を固めよ。本陣に残っている十二優傑を全てここに呼べ!」

レナートはグラツィエラの進言に対し首を横に振ると、すぐさま兵士たちに指示を出して十二優傑たちへ参集をかける。旗色が悪くなれば総大将の撤退は定石だが、下手に自分が離脱して、その護衛等に兵を分散させるよりも、ここは守りを厚くする方がいいと踏んだのだろう。魔族は本陣に置かれ兵たちよりも少数であり、十二優傑もほとんど残っているゆえ、そう悪くはない。

ただ、本陣の兵のほとんどが戦う準備をしておらず、背後からの奇襲でかなり混乱しているため、状況はこちらに不利なのは火を見るよりも明らかだが――

本陣の混乱を余所に、放射状に散開しつつ猛進してくる魔族たち。目の前にあるもの全て踏み潰さんと、蹂躙せんと。帝国の兵士たちは防備を固めるどころか陣形すらままならないため、すぐに混戦へと持ち込まれる。

種族が違うことで同士討ちが発生しないのが、せめてもの救いだが。

「バーンブースト!」

黎二はオリハルコンの剣を構えつつ、身体強化の魔法を無詠唱で発動させる。普段から女神の加護により身体能力が高まってはいるのだが、この状況を覆すには、それだけでは賄えない。身体の周囲に、炎を応龍の昇天如くまとわりつかせ、身体能力を更に底上げする。

そしてそのまま接近戦へと持ち込むのが、黎二が得意とする戦法だ。単純だが、それゆえ強い。感覚のいい黎二にはうってつけとも言えるだろう。

黎二は兵士たちから一人突出すると、魔族たちの中に深く潜り込み、オリハルコンの剣を振るう。他の兵が未だ混乱している以上、魔族たちにこれ以上本陣へ深く侵入されるのはマズい。部隊の編成が整うまでできるだけ前線で膠着状態を保たなければ、なけなしに組んだ隊伍はあっという間に崩れ、基地の体裁は連鎖的に瓦解するだろう。

ゆえに自分が前に出て、斬る。一番前に出て戦うしかないのだ。帝国兵の態勢が整うまで、戦線を保たなければならない。

一体一体が人よりはるかに優れた力を持つ魔族だが、自治州で戦った魔族の将軍、イルザールに比べれば、何と言うことはない。戦える。ただ、前面にいるため、魔族の数が後方にいるよりも圧倒的に多く、少しの気の緩みで逆に倒されてしまう可能性があるが。

(強い。確かに強い。けど――)

魔族と相対するたび、いつも思う。強いことは確かだが、それが、どこかピースが欠けた強さだと。魔族は強靭で数も多く、手が付けられないように思えるが、しかし絶望するほどの強さではなく、兵士たちさえまとまればどうにかできるような望みの芽が見えるのだ。

まず、魔族には工夫がない。人間が剣技や魔法の威力を強くするために工夫するのは常だが、魔族は爪や牙、膂力のみを頼りとし、みな同じように攻めてくる。

「…………」

無言のまま、振り落とされる腕を剣で薙ぐ。魔族と戦えば、いつもこれだ。これがいつも必ずある。まるで決められたコマンドが存在するロボットのように、どいつもこいつも同じ攻撃を出してくる。だから御しやすい。経験が生きてくる。いつものように腕を失って叫び声を上げる魔族に返す刃で首を裂けば、いとも簡単にくずおれるのだ。

そして、先に挙げた強さもそう。強くはあるが、それ以上がない。姿形が同じならば、その強さもまた、全く同じなのだ。

「ハッ!」

同じ速度、同じ速さで振るわれる腕に、いつものように横飛びでの回避をする。すると魔族は横がガラ空きになるため、難なく急所を斬りつけられる。

いつものように、まったく同じに振る舞えばいい。だからこそ、

(こいつらはこんなので本当に人間を滅ぼせると思っているのか――?)

そう思えてくるのだ。倒す気があるのかと、倒せる確信があるのかと。いくら数が多かろうと、そんな戦い方で本当にやる気なのかと。

随分前にアステル王城キャメリアで、魔族と戦うことについて、水明は無理だ無茶だと言っていた。それは魔族の数があまりにも多すぎるために出てきた発言だ。とまれ、それはいい。水明はいつも基本的に慎重で、なにに付けても冷静さに重きを置いており、その発言も勝算の低い手は決して取ることはないからのものだ。

だが結局蓋を開けてみればなんということはない。あれだけ嫌がっていた水明だって、いまは無理だと言わなくなった。それは彼なりに、この戦いに勝算があるからということだ。

水明の嗅覚は鋭さに疑いは全くない。いままでそれで負けたことは一度たりともないのだから。ではそんな水明が勝てると思った戦いで、魔族に勝ち目があるのかという話。

これが、女神の力を与るゆえの楽観なのかはわからない。だが、絶望を感じるにはまだ足りないのは確固たる事実。だから、思うのだ――

(本当に、本当にこれでいいと思っているのか? こいつらは?)

解決しなければならないことがあまりに幼稚で、それゆえに正そうと思えばすぐに正せることであるゆえ、疑問は尽きない。

なぜ、彼らは強くなろうとしないのか、と。

する気がないのか、できないのかは定かではない。ともあれ、そんなことを思いながら剣を振るっていると、ざざざ、と地を擦るような音が聞こえてくる。

「まだいるのか……」

奇襲の魔族は、最初の落下だけで全てではなかったのか。滑り降りる音に目を惹かれれば、崖上から更に魔族たちが降りてくるのが見えた。

「だけど、やることは同じだ!」

そう叩きつけるように叫んで、目の前にいる魔族を剣で斬る。いつもと同じように。

ふいに背後に気配が生まれたのは、そんなときだった。それは魔族の持つ、闇色の力の気配。前方からの攻めにばかり気を取られ、警戒を怠っていた。

「く――」

慌てて振り返ろうとするが、遅きに失したのは、言うまでもない。

(あんなことを考えておいてこのざまか――)

魔族には工夫が足りない。同じような戦い方だと内心見下しておいて、隙を見せては危機に陥る。これではまるで、三下の所業ではないか。

「く――」

間に合わせに剣を振り出し、無論間に合わないこともすでに理解していたそんな中――

眼前を、銀の閃光が二つ閃く。交差するそれはミスリルが見せる光沢に他ならず、しかしてそれは黎二の背後を脅かした魔族に過たず吸い込まれていった。

蒼天へ上がる絶命の叫び。目を向ければ倒れた魔族の後ろから、細身の二剣を携えたティータニアの姿が現れる。

いまの彼女は砂除けのマントを深く被り、口もとは見えず、いつもの優しげな瞳は切っ先のように鋭く細められている。そのさまはさながら、手に持っている冷たい銀の光を反射する剣そのもののよう。

触れれば切れるような雰囲気をまとうティータニアは、斬殺の余韻に浸ることもなく、反転して背中合わせになる。

「レイジ様。後ろは私におまかせを。些事は全て私が片づけますので、思うように剣を振るって下さいませ」

「うん。ありがとう、ティア」

凛々しくそして、恐ろしく格好の良い彼女に素直に礼を言う。

頼もしい。仲間を心強く思う反面、自分に対しある思いが募っていく。

――こんなのが本当に勇者なのか。本当に勇者でいいのか。

これまでの戦いはずっと、助けられるばかりだった。仲間の助けもなく一人で戦い抜けたことなど、数える程度しかない。

帝都で力量不足を自覚してから、まるで進歩がないではないか。これで本当に、勇者と名乗ってこの先を戦い抜いていけるのか。そんな疑問と不甲斐なさが不安となって、自分の背中にのし掛かって来る。

「――レイジ様」

「ティア?」

「様々思うところはおありなのでしょうが、いまはご自身の切っ先にのみ意識をお注ぎくださいませ。剣士であろうとするならば、戦場では自らも剣とならなければなりません」

この騒乱の中であっても、落ち着いた透き通るような声を通すティータニア。雑念にとらわれる心を諭す言葉に、ハッと我に返った。

「うん。ごめん。ありがとう」

後ろを顧みて再び礼を口にすると、ティータニアはいつもの優しげな笑みではなく、不敵な笑みを見せる。それは、彼女が一つの剣となった証だろう。剣士として戦っているティータニアは、普段のお姫様のティータニアとは違うのだ。

「――行くよ」

「はい」

ティータニアを伴って、魔族たちの奥へ奥へ、崖下へと斬り込む。必ずいるだろう魔族の指揮官格を討ち取るために。

三、四魔族を切り裂いて、後ろのティータニアはその倍近くの魔族を切り裂いて、突き進む。崖下へと入り込み――しかしてそこにいたのは、巨大な肉塊だった。

その姿形の異様さに、図らずも足が止まる。潰れた天幕を玉座として、そこにあったのは肉塊の山。そうとしか表現できない。異形の塊である。

そして、それもまた、自分たちを見つけたらしく。

「――我らの名は、グララジラス。女神の使徒である勇者よ。我ら魔族が神ゼカライアの宿願と魔王ナクシャトラの永なる誉のため、ここで撃ち抜かれて朽ち果てよ」

まるで童の声がいくつも重なり合ったようなひどく騒がしい声で、勇者殺しの宣誓を果たすのだった。

――黎二たちがグララジラスと接触する少し前。

黎二たちが戦っている帝国軍本陣よりも遠く離れた場所にある丘にて、彼らの戦いを、さながら神が天から地上を見下ろすかの如く睥睨する、二つの影があった。

その影の一つが、どこか不満げなため息に感嘆を織り交ぜ、口にする。

「まさかこうも易々と奇襲が叶うとはな」

そんな感想を口にしたのは、赤金でできた太い鎖を腰元に巻き付けた美丈夫――魔族の将軍イルザールである。

それに対し、影の片割れ――魔族の将軍の一人、リシャバームは、どこかしら冷めたような口調で答えた。

「この策が効果を発揮できたのは、それだけ向こうが油断していたからということでしょう。我らの方はずっと愚直な攻め方ばかりしていましたからね。魔族は蛮族のように知恵がなく、猪だと疑わずにいたのでしょう」

敵軍の手落ちを指摘する彼の声に、しかしイルザールは疑問を挟む。

「これ程上手くできるなら、何故ここまで攻めるのを待った?」

「それはもちろん相手方の策が上手くいっていると思わせるためですよ。状況が順調に進めば、それだけ油断は大きくなりますからね」

イルザールは暗に手落ちを指摘し返したはずだったが、返されたのはそんな涼しげな答え。

「では贄共の油断をさらに煽るためのものだったと?」

「ええ。……こちらが攻めれば、当然向こうは迎撃か、もしくはこちらの攻め手の数に守り手の数が追い付かなければ、数が揃うまでの繋ぎとして足止めの策を採るでしょう。いずれにせよ守り手との交戦が避けられないのならば、馬鹿正直に真正面からくると思わせておいて少数で襲撃をかければいい。よくある手ですよ。敵を釣り出して、手薄になったところを攻める。誰でも考え付く手です」

「ふん――それでお前が期したものは?」

「本陣が今後の我らの動向を警戒すれば御の字、本陣が混乱するほどの打撃を与えることができればなおのこと良しというところでしょうかね」

「それがここまで待った分の被害と釣り合うとは思わんがな」

「そんなことはありませんよ。十分効果は出ますし、むしろお釣りが来るほどです」

そうは言うが、どう考えても差し引きの計算が合わず、イルザールはリシャバームの言葉に疑問を覚える。

確かに、リシャバームの採った策が効果的なのは言うまでもないことだが、しかしそこで出た分の損害に見合うだけの成果が得られるとは、到底思えないのも確かなのだ。被害数は、この場合奇襲をかけた部隊のもののほかに、険しい山道から進攻する正面からの攻め手の分も入るだろう。

それで本隊を潰せれば確かに割に合うと言えようが、あの場で陣を構えているのは結局のところ先鋒なのだ。数が揃うまでの繋ぎであり、これからさらに大掛かりな軍が動くということを考えれば、当然足が出ると見て間違いはない。

ゆえに、

「本当に釣りが来るのか? むしろこの状況ではあいつらが敗走するということもあり得るぞ?」

あいつら――それはグララジラス達奇襲部隊を指してのものだ。少数での行動ゆえ、数に呑まれるということは十分にあり得る。奇襲部隊は魔族ゆえそんなこと微塵も思ってはいないが、魔族ではないイルザールにとってそれは頭の片隅に置くのに十分な危惧であり懸念であった。

しかしてその問いに、リシャバームはイルザールにでさえ凄絶な寒気がするほどの酷薄な笑みで応え、

「――それに何の問題があるというのです? 敗走結構。仮に全滅するというのなら、それはそれで構わないでしょう?」

その返答は、何を基底に置いての言葉なのか。魔族には魔族の勝利しか求めるものはないはずだが、その久しく見ることのなかった底冷えするほどの薄笑いには、別の思惑を感じてしまうほどの不気味さがあった。

イルザールはしばし面持ちを固くして、しかし悟られぬよう再びつまらなそうな顔で戦いの趨勢を見遣る。

「……貴様はヴィシュッダのような用兵はしないと思っていたのだがな?」

「それは買被りというものです。私は軍師ではないのですから、戦術とは無縁のもの。できてこの程度の陳腐な手のみ、ということですよ」

「本気の言葉かそれは? 貴様は悪だくみが上手いだろう?」

イルザールの嫌みとも取れる言葉に、リシャバームはまるで褒められたかのように嬉しげな笑みを返す。

「いえいえこのくらいです。このくらいでいいんですよ。相手を罠にハメるだとか、動きを完全に掌握するということなど大抵無理なもの。そんなことに固執していては、それこそ故事曰く、策士に策に溺れるというものになりかねません。戦いには何であれ犠牲は付き物です。私のような用兵の素人が策などおこがましいという話。ですから、やるならこのように確実に成功する嫌がらせじみた、ふわっとしたもので結構なのです。でしょう? ――攻め手など、それこそいくらでもあるのですから」

他の魔族の命を顧みないリシャバームの物言いに、目を細めて睨めつけるイルザール。

「……リシャバームよ。貴様は一体何を考えている?」

「それについては、早ければもうすぐお教えできるでしょうね。――おっと、そんなことよりも、あっちの状況が動きましたよ」

リシャバームの視線の先に目を向けると、黎二がティータニアを背後に伴って魔族を蹴散らし、深く入っていたところだった。

そこに、山のような肉塊が立ちはだかる。その肉塊は、イルザールもよく知る者。

「――グララジラスよ。やるか」

「勇者を正面から討ち取り、兵たちの気勢を削ぐ腹でしょう。ここで勇者を殺してしまえば士気は大きく下がりますからね」

リシャバームが口にした通り、勇者を討ちとるその効果は絶大だろう。魔族としても、何よりもまず勇者を倒すのが優先される事柄だ。

だが、イルザールはここで不服そうな面持ちをして、

「まさか。ここにあの勇者がいるとはな」

「予想外でしたか?」

「あの勇者にはまだ、女神の力が馴染んでいなかったからな。贄共もあれは大事に扱うと思っていたのだ。力を馴染ませ、強くなってから戦いの場に出す。いまのあの男にはなににおいてもそれが必要だろう」

「然様で」

「だが、まだ贄共は勇者の何たるかを弁えていないらしい。突出するのを引き留めずにグララジラスの前に出すのはいささか以上に早すぎる」

時期尚早という旨を指摘すると、リシャバームは興味有りげに眼光を指し向けてきて、

「ほほう。ではあなたはあの勇者にはここで勝つ目は万に一つもないとおっしゃるので?」

「当然だ。グララジラスも魔族の将と呼ばれるだけあって、それなりに強いからな」

だから、勇者は勝てない。力量不足に加え、グララジラスという魔族の中でも一際異型で強力な魔族が相手であるがゆえに。

そう、だからがゆえに――

「それでいまあなたは、鼻白んでいると? 折角残しておいた御馳走を、横取りされた気分だから?」

「まあ、な」

あのとき自治州の石窟でイルザールが黎二を見逃したのは、食らって力にするにはまだ早く、贄としてさらに肥える余地が見えたためだ。強くなった状態で喰らえば、それだけ自分の力となる。だからあの場では本気にならずにいたし、楽しみに待っている――いや、待っていたのだ。

それを、横取りされる。皿の上に残しておいた一番好きな料理が食べられなくなることの落胆は、誰にとっても嫌なものに違いない。

そんな話をしていると、何故かリシャバームは唐突に話の流れを切って、別の話題を持ち出す。

「――イルザール殿。確か、以前私の頼んだものはあの勇者に呉れてやったのでしたね」

「貴様からの頼まれものといえば――あれか。ふん。仕事をしてこなかったから、腹にでも据えかねたか?」

「いえ、それならそれで構いませんよ。もとより私は誰も期待してはおりませんので」

駄目もとだった。そんなチクリとした嫌みを気にすることもなく、イルザールは浮かび上がった疑問を口にする。

「それほど気にしてはいないのか? では、あれはそれほどのものではなかったということか?」

「いえいえ、あれが―― 現事象兵装(サクラメント) が邪神に届くというのは以前言った通り、事実です。ただ、あれはそう簡単に使いこなせるものでもありませんからね」

たとえ勇者の手に渡っても、脅威になるかどうかはわからない。そんな風に薄く笑うリシャバームに、イルザールは、

「あの男はあれでも女神に選ばれたのだぞ?」

「そんなものは関係ないのですよ。女神に選ばれるのか、根源の求めるものに値しうるのか、どちらがより難しく尊いかなど、考えるまでもないのですから」

「…………?」

リシャバームの口にした話の意味は、イルザールにはわからなかった。だが、追及するまでもない。そんなことなど、イルザールにとってどうでもいいことなのだから。

だが、リシャバームは問わず語りに口にしていく。

「焦点となるのは、あの勇者が内なる声を聞けるかどうか、というところでしょう。あの勇者の 想念(おもい) が根源まで届けば、あるいは 砕けた紺碧(ラピス・ユーダイクス) が、その求めに応じるかと。そしてそのとき手に入れる力は――」

リシャバームはその先を口にすることなく、薄く冷たい忍び笑いを、憚ることなく漏らすのだった。