作品タイトル不明
メメントモリ
「……ハァ」
東京近郊にある住宅街。その一角、由比浜という表札が立てられている家のリビングで女性がひとり深いため息を漏らしていた。
遺伝的なのか、以前は娘と並ぶと姉妹と言われることもあったほどの若い外見のその女性は、今テレビに流れているニュースを見て憂鬱な顔をしていた。
そのニュースの内容はといえば、今朝方から秋葉原一帯が封鎖され、現在もそれが継続中である……というものだった。
各放送局で並んで特別報道番組が組まれているが、状況は依然として不明なままだ。何が起きているのかという不安が付きまとう。
「避難は間に合ったという話だけど、心配ね」
「……ああ」
その女性、 由比浜(ゆいはま) 琴音(ことね) の言葉に夫である 由比浜(ゆいはま) 直久(なおひさ) が頷く。
ふたりが子供たちを亡くしてからもう三年が経っている。そして、彼らが見ているニュースは、かつて起きた事件の傷を呼び覚ますものだった。
あの戦争と呼ぶべきかテロと呼ぶべきかも分からぬ日本国内で同時に発生した事件は、当事者たちがすべて交戦によって死亡したことで国際社会の中ではすでに終わったこととされていた。
もっとも、それは当事者にとっては未だに終わることのない悪夢そのものだ。あの朝「いってきます」と言って玄関の扉を開けて出掛けていったふたりはもう二度と戻ってはこないのだから。
「しかし、なんだこれは? いつの間に特撮に変わったんだ?」
直久が不機嫌な声でそう口にする。
テレビに流れている映像は、いつの間にか六本腕の黒い巨人と水晶で覆われたドラゴンが秋葉原の中央通りで対峙しているものに変わっていた。
六、七階建ての建物ほどもある巨体同士が争い、ビームを放ち合って、最終的にドラゴンが持っていたふた振りの剣が巨人を斬り裂いて決着が付いた。
CGにしてもあまりに出来が良すぎる映像だったが、現在進行形で発生している事件の合間に流すのはあまりにも不適切に過ぎた。直久が眉をひそめるのも当然のことだった。
それから琴音が首を傾げた。
「おかしいわね。番組は同じだし、実際の映像ですだなんて……何の冗談かしら?」
「不謹慎にもほどがあるな。まったく」
直久が声を荒げながらリモコンで番組を変える。すると今度は秋葉原の中央通りに瓦礫の雨が落ちていく映像が映った。
『これが実際に起きていたということでしょうか?』
『ええ、少なくとも情報提供者はそう言っているわけですね。避難は完了していても今はカメラとインターネットがありますから。それに提供された映像はこれだけではないのです』
別の番組においてもナレーターや何かの専門家が意見を飛び交しているが、やはり現実味のない映像が続いているのは変わらなかった。
「まさか、やらせ……秋葉原封鎖自体がテレビ番組を通したドッキリなのか?」
直久が首を捻っている。かつてアメリカのラジオドラマで宇宙人が攻めてきたと放送してパニックになった……という話を直久は思い出した。だがテレビ画面が別の映像に切り替わったと同時に琴音がガタンッと席を立った。
『このですね。瓦礫の中に人がいるんですよ。ほら』
『はぁ。よく見つけられましたね。昔のアニメ作品に落ちている悪役の姿があったなんて話は聞いたことはありますが』
『まあ、カメラの解像度やPCの解析能力がそれだけ向上したと言うことでしょう。ほら、見てください。ボヤケてますが顔だってある程度は判別付きますよ』
「嘘。これって……」
琴音のあまりの驚きように直久が何事かという顔をする。
「風音。風音がいたわ。アレ、ほら風音よ」
「何を言ってるんだ? 確かに似ているが、あの子はもう……」
骨だって残っていない……と言い掛けて、直久は言葉を止めた。瓦礫に潰された娘たちの亡骸はその後の火災によって判別不可能となって、誰とも知らぬ人たちと共同墓地に入れられているはずだった。だから今も由比浜家の墓の中には風音と直樹はいない。
そして、直久がテレビを見たときには画面が切り替わったところだった。
直久も一瞬ではあるが娘に似た少女が映ったのは見えた。角とか猫耳とか翼とか生えていた気がしたが、その顔は確かに似ていた。
「いたの。確かに。行かなきゃ。あなた、今すぐに」
「おい。興奮しすぎだ。それにどこに行く気だ? 今秋葉原は封鎖されてるんだぞ」
「それでも行かないと。あの子が、風音が生きているのよ」
ヒステリックに叫ぶ妻を前に直久は何とも言えない顔をした。好きにさせてやりたいという気持ちもあった。それはあまりにも後ろ向きな考えだが、こうして何かに熱を持って意識を向けた妻の姿を見たのは久しぶりだったのだ。だから、まだ最愛の彼女を直久は意気消沈させたくなかった。
「分かった。俺も行こう。風音を探そう。それでいいだろ? な?」
だから、直久は自分も一緒に行くと口にした。
苦い思いをするのは分かっている。だが、行かなければ直久は別の大切なものまで無くしてしまいそうな気がした。それからどうするかと考えて琴音を見た。
「だけど秋葉原には入れないだろ。どこに行くんだ?」
「ともかく、行けるところまで行きましょうよ。ほら、あの子が好きだった場所。近くの不忍池とか……どこかにいるわよ。きっと……ねえ?」
その言葉に直久は頷くしかない。どこかにいる。そうであればどんなに良いかと思って、直久は妻に見えぬように声を押し殺してひとり泣いた。
それからふたりは電車に乗ってひとまずは上野へと向かうことにした。彼の妻は電車の窓の外を見ている。子供たちが小さいときには何度となく見た光景。それを眺めながら琴音はふと思い出したように口を開く。
「そういえば直樹がいなかったわね」
「風音と一緒にいるさ。あのバカは……結婚してやるーとか言いながらな」
直久の言葉に琴音が苦笑する。それからまた窓の外を眺めながら琴音が呟いた。
ごめんなさい……と。
琴音にも分かってはいるのだ。
子供たちがもうこの世にはいないと理解している。でも、彼女はそうせずにはいられなかった。心の穴を埋められないことを、その手が決して届かないことを自分に理解させためにこうするしかなかった。
そして彼らは駅を降りて歩き出す。娘を捜すという目標は、ここに来るまでに娘との思い出を探すものへと変わっていた。娘との思い出は無数に散らばっている。死者を慰める。それは死者と向かい合うために、生者にこそ必要なことだった。
ただ彼らは知らなかった。自分たちが望外の奇跡で成り立った道の上を歩いていることに気付いていなかった。口にはしていても、あり得ないことだと思っていたのだ。
「あれ、お母さんとお父さん?」
その声が聞こえるまでは。