作品タイトル不明
第五百七十七話 人生に勝利しよう
それはまさしく、激闘と呼ぶに相応しい闘いだった。
カールという槍使いの健闘は称賛に値すると誰もが口にするようなそんな勝負であった。
だが、カールが闘った相手は人の身で対峙するには明らかに強過ぎた。ゴブリン相手であれば剣や盾で受け止め、弾くこともできよう。コボルト相手でも五分以上の対処も可能だろう。しかし、大概の人間はドラゴンの一撃にたやすく葬られてしまう。オーガの棍棒を受ければ盾ごと身体も潰されてしまう。そして、目の前の神獣の一撃もそうしたものと同じものであった。
そんな存在を前にカールは己のふたつ名に相応しい暴風の如き速さで立ち向かい続けたが、すべての一撃は弾かれ、いなされた。それは先ほどの両者の対峙とは全く異なっていた。
狼の攻撃はひどく重い。弾かれた勢いでカールの身体は容易に吹き飛ばされた。全身がバラバラになりそうな衝撃を受けていた。カールはその痛みを気力で押さえつける。再び立ち上がり、挑んでいく。
それを見ている観客は狂気に駆られたように叫び続けた。何度でも立つカールに人々は涙し、いつしかカールの名だけが訓練場に響き渡っていた。勝てと、負けるなと、精一杯の叫び声が木霊していた。
しかし現実という名の壁は人々の祈りすらもたやすく打ち砕くものだ。
人であったときの両者の実力は拮抗していた。だが均衡は完全に破れていた。神獣の一撃一撃はカールの身体から力を根こそぎ奪っていった。裂けた口から発せられた咆哮はカールの心を揺さぶり、その鋭い眼光は人の本能である恐怖を呼び起こした。
それでもカールは屈しなかった。ダメージが蓄積し、身体が動かなくなり、愚直に槍を突き続けることしかできなくなってもあきらめずに挑み続けた。
また、いつしかカールの持つ『ベヒモスホーンの槍』もその形を変えていた。よりいっそうの凶暴なフォルムとなっていた。槍自身が主を認めたのだろう。そして望んでいるのだろう。主が目の前の敵を倒すことを。
その変化と共に己の中に超獣ベヒモスの生命力が注ぎ込まれていくのをカールは感じていた。奪われる体力も減っていったようでもあった。しかし、それでも目の前の神獣との差はさほどは縮まらない。
暴風などといったカールのふたつ名を粉砕するほどの攻撃の嵐が吹き荒れ続けた。何をどうしても為すすべがなかった。突いては弾かれ、受けては飛ばされ、それでもなおカールは抗い続けたがそれにも限度はあった。
ついにはその意識も途絶え、ただ気力のみで突き進み、そして神獣の攻撃を受ける前に、自ら前のめりに突っ伏したのだった。
人々は絶叫した。正義が、希望が消え去る瞬間に声を張り上げた。しかし神獣が一歩前に進み、カールの前に立った時には場内の声が止んだ。これから起こる何かに怯えるように静まり返った。
「まさか喰うのか……」
誰かの呟きに唾を飲み込む音がした。神の領域に挑んだ若者は結局は及ばず力尽きて倒れた。であれば、その末路とはやはり……?
そう考えた人々の前で不思議なことが起こった。巨大な銀の狼は、その場で水晶のように透き通った美しさを持つ少女の姿へと変わったのだ。
それはとある場所では 水晶の竜姫(クリスタルプリンセス) とも呼ばれた、虹色の輝きを称えた青き髪の美麗の竜人の姿であった。
そのあまりにも唐突な出来事に人々が呆気にとられている目の前で、美しき竜人の少女はカールを慈しむように両腕で抱えあげる。
それから少女は周囲にぺこりと頭を下げると、そのまま目の前にあった冒険者ギルド事務所のドアを開けて中へと消えていったのである。
神獣と人の闘いの終結。突然に現れた神秘的な美少女の出現。その意味するところを知る者はこの場においては風音しかいなかっただろう。
しかし、人々はこの結末の意味にさほど価値を感じてはいなかった。湧き上がった想いの前では理屈などどうでも良かったのだ。彼らは溢れ出る謎の感動を前に歓声をあげ始めたのだった。
◎ゴルディオスの街 冒険者ギルド事務所
「やった。やったわ。私はついにやったのよ」
そして、ドアの外から聞こえる大喝采に弓花はカールをお姫様だっこしながら漢立ちで涙していた。もはや言うまでもないだろう。彼女は最善を尽くし成し遂げた。
弓花には分かっていたのだ。完全神狼化になるとスキル『獣の本性』が発生してしまう。それは狼の姿を制御するためには必須のスキルではあるのだが、同時に獣としての意識も生まれてしまう。その闘いぶりは人の域を超え、何も知らぬ人々からは恐れられてしまうだろうということも理解していた。
だから、弓花はある対策をとることにしたのだ。
そのヒントは、インド神話におけるシヴァの妃である神パールヴァティが殺戮と破壊の女神カーリーという二面性を持っているという風音のどうでもよい豆知識にあった。
ならば自分も『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』と『 水晶の竜姫(クリスタルプリンセス) 』の二面性を内包した神秘的な女性であることを見せればよいのではないか? そう考えていたのだ。
もちろん、それを実行する機会を段取りの悪い弓花が自ら整えることなど出来ようはずがなかった。考えだけはしたもののどうしていいかが分からず、ずっと頭の片隅に仕舞っておいたのだ。
しかし、弓花は絶好のタイミングで絶妙な演出によってそれを成し遂げた。絶望的な確率の中、すべてをアドリブで自ら切り開いて掴み取った奇跡である。
弓花は人生に勝ったのだ。
今はカールをお姫様だっこしているからできないが、もう弓花は己で己を称え、ガッツポーズをしたくて仕方がなかった。
「ぐ……ううう」
「あ、いけない」
弓花はうめき声を上げているカールを見て眉をひそめる。思ったよりもダメージが大きいようである。まあ、ほぼリンチ状態だったので無理もないが。
なので弓花は目の前で竜人姿にウットリしている受付嬢にスッと口元に手を当てて「黙っててね」とお願いしてか達良から譲渡された『穢れなき聖女のケープ』をかぶってインビジブル状態になると、風音にメールで連絡だけして癒術院へと向かうことにしたのであった。
◎ゴルディオスの街 冒険者ギルド事務所裏訓練場
「あ、弓花は癒術院に向かったみたいだね」
試合後の訓練場で風音が届いたメールを見ながらそう口にした。
「まあ、カールもずいぶんと無茶をしましたからね」
横ではルネイがやや興奮醒めやらぬという顔で口を開く。カールは弓花の攻撃によるダメージもそうだが、灼体化による後遺症も大きいはずだった。闘気を纏って強制的に身体スペックを跳ね上げる技だ。本来であれば使うのはここぞと言うときのみの奥義。今の闘いほどに全力で続けて使って良いものではなかった。
「それに、あれほど強力な魔物へと変化した相手を前にまともに抗せる者などそうはいないでしょう。以前よりもよりいっそう腕を磨いたようです」
「確かにあのカールさんって人は強かったね。まあジンライさんはあのでっかい狼になった弓花相手にいまだに負けたことはないみたいなんだけどね」
風音が対抗するように言った言葉にルネイが目を見開いた。
「あれを……相手にですか。それこそ人間技じゃあないですね。というか槍だけでどうやって勝ってるんですかね?」
ルネイが呆れたような顔で肩をすくめる。もはやそこまで行くとルネイの常識外の話である。
「相手の力が強ければこちらが与える攻撃の威力も上がるし、速かろうとしっかり見てれば大したことはない……とか言ってたよ。カウンターが取りやすいってことなんだろうけど……実際に実行するのは無理だよねえ」
風音も小回りの利かないドラゴン形態では完全神狼化には勝てず、アスラ・カザネリアンの手数でどうにか勝利できるといった感じである。もちろん両者ともに手札は出し切らない上での模擬試合の話ではある。全力……というよりも『全勢力』を出し切れば当然風音に軍配は上がるだろうが、今の弓花の力はそれほどに高まっていた。
「それじゃあ私は戻りますが、カザネさんはどうします?」
「あ、私はポータルの状況を聞きに来たんだよね。だからルネイさんに着いてくよ」
風音の言葉にルネイが頷いた。
「ああ、なるほど。それでここまでの騒ぎですか」
その言葉には風音はムスッとした顔をする。
「私のせいじゃないけどね」
「それは分かりますけどね。ポータルならブレイブとマザーズナックルが協力して第三十九階層にいたボスのショウユバッタキングを倒して今は第四十階層にも設置できていますよ」
「おおー。やるねえ」
そんなやりとりをしながら未だ興奮醒めやらぬ訓練場をふたりは去っていく。
そしてその日以降、また新たなる『 血塗れの狂戦士(ブラッディベルセルク) 』伝説が生まれたのだが、同時に謎の美少女『 水晶の竜姫(クリスタルプリンセス) 』の話題も併せて広まっていくこととなる。
暴力の化身にも一輪の美しき花が添えられることとなったのだ。つまりは珍しく弓花大勝利となったのである。