軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百八十八話 すれ違いをしよう

◎トルダ温泉街 ルイーズホテル 浴場

「はふー、やっぱり温泉だねえ」

風音が、若干の艶っぽい声を上げながら湯船に入る。

この辺りから湧き出るのは硫黄泉だ。その湯に芯から暖まるのを感じながら風音は空を見ていた。空には雲一つなく星が輝いていた。

風音が転移でトルダ温泉街に来てからすでに2時間が経過していた。

日中は家造りに勤しみ、先ほどまでは明日のブルートゥザ討伐の打ち合わせを行っていた風音は、本日の疲れを癒すためにトルダの温泉に浸かっていた。

なおティアラは暗殺を用心して露天の風呂を遠慮し、弓花とルイーズもティアラの護衛についているため、この場にいるのは風音とエミリィだけであった。なお、タツオは直樹とライルと男湯に、ジンライはユッコネエと繭を囲んで語り合っていた。すでに意志疎通だけならば問題はないようだ。ジンライの進歩はとどまることを知らない。

そして風音は、まさしくとろけたような顔でゆったりと湯に浸かっている。カザネ魔法温泉街の湯も悪くはないが、こちらの硫黄の香りのする方がやはり温泉という感じがある。

「コテージのお風呂も悪くはないんだけどなー。やっぱり温泉ってなんか違うんだよねえ」

「それ、分からないでもないけどね。けど、世の中には温泉の出る水珠ってのもあるらしいよ」

一緒に浴場に来ているエミリィが、身体にお湯をかけ流しながらそう風音に伝える。その言葉に風音は驚きの顔でエミリィを見た。

「マジで?」

「うん。私も水珠を見て気になってたんで少し調べてみたんだけどね。なんでもそういうのもいくつか見つかってるみたい」

水珠とは魔力を込めることで他の土地のどこかから水を転移させる術である。なので、確かに理論上は温泉も同じように呼び出せるハズではあった。

「はー、是非とも欲しいもんだね。どっかで手に入らないかなあ」

「そういうのは大抵市場には出ないからね」

レアなモノほど王侯貴族や商人などのお得意さま方の間で転がるもので一般の冒険者などに回ってくることは少ない。冒険者も金や栄誉を手に入れようと考えれば、自分たちだけで使うなんてことはしない。自ら手に入れて存分に使用したりため込んだり出来るのは基本的に上位ランクのパーティだけの特権と言っても良いし、その中でも風音のため込みようは飛び抜けていた。まあ、それはそれとしても風音はその温泉の出る水珠が欲しかった。

「ダンジョンとかで手に入らないかなあ」

「可能性はあると思うよ。そもそも水珠もブルーリフォン要塞で手に入れたわけだし」

しかしあれはモンスターハウスの宝箱で、そうそうあるものではなかった。温泉が出るとなればレア度はさらに高そうである。

「後はコネとか伝手とか使って、探してみるのも手じゃないかな?」

風音が「ふーん、そっかー。そっちの手もあるねえ」と頷いた。

(マッカさんかアングレーさんに聞いてみるかな?)

ゆっこ姉か旦那様に相談しても良いだろうと思ったが、ナーガにそれを尋ねると無理に探してきそうで少し怖い気も風音はした。そんなことを湯船の中で考えている風音を、エミリィはジッと見ていた。

『あのね。直樹が好きな 娘(こ) ってね。風音なんだよ』

この道中の弓花の言葉をエミリィは思い出す。

実のところ、エミリィとて、あのときの弓花の言葉が気にならなかったわけではなかった。それは当然だろう。だが納得もいってはいない。

エミリィは兄であるライルは嫌いではない。だが、恋愛対象に見たことは一度もない。顔は悪くないがヘタレでダサくて直樹には到底男としては及ばない。それがエミリィのライルへの評価である。

もっとも、それは自分が身内であるからそう思ってしまうのだろうということもエミリィは理解している。ライルが目を付けた相手が基本的に直樹にハートマークになるだけで、実際にはライルもそこそこはモテる。ガキ臭さがあるから年上に対する受けは良くないだけで、えり好みさえしなければモテ男の道も開ける素材ではあるのだ。

だが、そうしたライルとエミリィの兄妹の関係が、目の前の風音と直樹の関係と同じかどうかは分からない。

(ナオキは確かにカザネやユミカに比べれば実力的には劣っているかもしれない。それは事実だけど……)

エミリィは知っている。この三年半、直樹がずっと戦い続けていたことを知っている。いつだって懸命に、時にはライルやエミリィを守ろうと、時には街の人々を救おうと、或いは弱者を踏みにじる悪党とも戦ってきた。

どんなときだって諦めなかったし、最後には必ず成し遂げてくれるヒーローだった。それはエミリィの主観だけではない。事実としてハイヴァーンの人々は直樹に救われたし、そうであるからこそ直樹は若くしてランクBの冒険者にまで駆け上がったのである。

そしてエミリィは知っている。直樹が故郷の彼女を密かに想ってこの三年半を生き続けていたことを。弓花を想って戦い続けていたことを知っている。

しかし、それを弓花は違うと無碍にする。であるにも関わらず直樹と深く通じていることをエミリィは知っている……ような気がしていた。

弓花が知ったら「???」となってしまいそうだが、エミリィの中ではその認識は事実となっていた。酷い誤解だった。

だが、エミリィは弓花の言葉もわずかにではあるが考慮に入れておくべきかとも少し考え始めていた。だからこそ、尋ねてみたくなったのだ。

「ねえ、カザネ。カザネにとってナオキって……」

「うん?」

「ナオキってどういう存在?」

「スゴく気持ち悪い弟だね」

即答である。しかも風音から見ればそれは厳然たる事実でもあった。

「いや、気持ち悪くないよ」

しかしエミリィとしてはそこは譲れない。己が恋している男のことだ。悪く言われて気分を害さぬはずがない。

そして、そのエミリィの抗議の言葉に風音は(ああ、あんな気持ち悪いのに、かばい立てしてくれるなんて仲間って凄いなあ)と思っていた。いかに気持ち悪い相手だとしても何年も一緒に戦った仲間なのだ。であれば情も湧くのかと感心していた。

そもそも直樹という弟は姉の腋を見るのが好きで、姉のパンツを盗んで隠し持っていて、時々姉の顔をジロジロ見て気持ち悪い笑顔を浮かべているような男である。中学生の頃に風音の靴のにおいを直樹が嗅いでいるのを見たときには心底ドン引きしたものだ。そして好奇心に負けたと、つい出来心でと言い訳をしながら土下座をする弟にさらにドン引きしたものだった。

そんなゴミみたいな男を女の子が好きになるはずがないというのが風音の公式見解であり、風音本人が以前に言っていた通り、自分が姉でなければ訴えているところだっただろうとも本気で考えている。

かといって風音は『弟』としてならば直樹を猫可愛がりしているのも事実ではあった。常日頃からこの弟の気持ち悪いところを気にかけて(気持ち悪くなければなあ……)とため息をついているのである。

正直、思春期の頃に身内からこんな対応をされたら普通は殺意が湧くくらい毛嫌いするものであるが、その点では風音の器は大きかったといえよう。

ともあれ、そんなカスが女の子にモテるはずもないので、エミリィは冒険者としての仲間として気にかけてくれているのだろうと風音は推測していたのである。

「いっそ、エミリィが直樹のお嫁さんになってくれればなあ」

「え?」

だから、とりあえずこう口にした。自分にとっては無理で無しな弟ではあるが、直樹の未来を思えば、可能性がありそうな相手には風音はアプローチをかけることにしている。それが姉として弟を正常な道に戻す第一歩だと風音は信じていたのだ。

もっとも以前にも何度か試してはいるのだが成功したことはない。弓花も風音に同情をして一時は付き合おうと努力はしてくれたようだったが駄目だった……と、風音は思っていた。

対してエミリィはその言葉に顔が赤くなる。何しろ恋愛対象の姉の言葉だ。身内公認のお言葉をいただいたのだ。浮かれないはずもない。

(ああ、顔を真っ赤にするぐらいイヤなんだ。無理かぁ)

一方で風音はその反応を見てへこたれそうになる。鼻で笑うとは思わなかったのだ。しかし風音はあきらめない。弟を褒めようと口を開いた。

「弓花もやっぱり直樹は気持ち悪いって言うし、あのままだと心配だし、直樹もほらあんなだしさ。だけどいいとこもあるんだよ。ちょっと思い当たることはないんだけど」

だんだん風音の声が小さくなっていく。良い部分もあるはずなのに、悪い部分ばかりを思い出していく。愛する弟の良い点が口に出せなくて悲しくなってくる。

(お姉ちゃんが好きだし……いや駄目だ。シスコンに思われちゃう)

そんな風に苦悩する風音の様子に戸惑いながらもエミリィは返事をした。

「えっと、か、考えて上げても……いいよ?」

それがエミリィにとっては今の精一杯の言葉だった。まだエミリィは自分が直樹の横に立てるとは思っていない。以前に比べて直樹は強く逞しくなっているのをエミリィは感じている。だから自分が横に立つのはもっと自分で自分を認められるようになってからだと考えていた。非常に鬱陶しいことこの上ない。

ただ、候補に挙がるのならば嬉しい。そんな揺れる気持ちから出た言葉がそれだったのである。

そして風音は社交辞令という言葉を知っている。それは、たとえ脈が無くともとりあえず当たり障りのないことを言って流してしまう大人の対応のことである。つまりはエミリィは大人だったのだと風音は気付いた。

「うん、よろしくね」

「よろしく」

そして舞い上がるエミリィと、落ち込む風音がそこにいた。人とはどうしてこうも分かり合えないものなのだろうか。神の視点から見ればそうした言葉が漏れるであろう、すれ違いの空間がそこにはあった。

こうしてブルートゥザ討伐前日の夜は更けていったのである。