軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3 迂回の森前にて

「どうしましょう。すっかり暗くなってしまいました……」

呆然と馬車を見送ったエクレアは、キョロキョロと周囲を見渡した。

馬車の灯りが消えた事で、手元を照らすのは月明かりだけ。その月明かりも心許なく、ぼやけた輪郭しか見えない。

馬車から放り出されて打ち付けた身体も痛み、立ち上がる事ができない。滅多に外に出ないご令嬢の体力と耐久力はとても低い。じんじんじくじく響く痛みに泣きそうだ。骨に異常があるかもしれない。

「このままでは夜会に出られないわ。夫人に出席しますってお返事したのに、嘘つきになっちゃうわ。どうしましょう」

心配するのはそこではない。

エクレアがいるのは迂回の森の前。デニッシュも迂回の森に入るのが怖かったのか、うち捨てられたのは森を目前とした場所だった。

なので引き返せばまだ間に合うが、目と鼻の先に森がある。

エクレアは怪我もしているので、血の匂いで魔物が森から出てくるかもしれない。

しかし半身といわず、なんだか全身が痛くなってきたエクレアは、立つ事も難しかった。

「大変だわ……これじゃダンスも踊れない」

まだ夜会に出席するつもりだった。

立ち上がろうと試みるが、痛みで座り込んでいるのがやっとだった。正直倒れ込みたいが、そうするとドレスが土まみれになってしまうと気合いで耐えていた。

気合いを出す場所が違う。

「デニッシュ様……よくわからない事を仰っていたわ。何を勘違いされていたのかしら」

独り言だとわかっていても声に出すのは、喋っていた方が痛みが紛れる気がするからだ。

黙って耐えるより叫びたいが、叫ぶなどはしたない。エクレアは一生懸命ぶつぶつ独り言を零す事で、泣き喚くのを耐えていた。

全身が痛いんよ。

「侯爵令嬢って……わたくし、侯爵令嬢と名乗った事はありませんわ」

「ほんとうにね」

「カロン!」

現れたのは、黒馬に跨がる黒衣の男。

闇と完全に同化していて、エクレアは彼が近付くまで気付かなかった。

馬の嘶きも蹄の音もしたのだが、独り言に必死で気付いていなかった。ちょっと仕方がない。

「ああ、よかった! どうしようかと思っていましたの! 馬なら夜会に間に合いますわね!」

「いやそれどころじゃないでしょう。全くこのお嬢様は……」

カロンと呼ばれた男は、呆れたように息を吐いた。

整髪剤で整えられた茶髪は乱れ、柔和な緑の目も厳しく吊り上がっている。普段から身嗜みを気を付けている彼にしては珍しく、酷く焦った印象を受けた。

「まあ、カロン……前髪が乱れていますわ。ネクタイも緩んでいるし、ボタンも外れていますわ……何があったの?」

「お嬢様が護衛も付けずに出発されたので、大急ぎで追いかけてきたんですよ!」

お叱りの語調に、エクレアは首を傾げた。

「でもデニッシュ様が、今夜は伯爵家の護衛を連れていくって仰っていたから、カロンも傍にいたでしょう?」

「あの男の言う伯爵家はクロワ伯爵家の事だし、その伯爵家の護衛も一人も付いていませんでしたよ」

「ええ?」

カロンは周囲の安全を確認してから、ひらりと馬から下りた。エクレアの前に膝を突き、怪我を検分する。触れる度に痛みに震える様子を見て、軽傷でない怪我に顔を顰める。

「勝手に事を進めて出発するので追いかけてきましたが正解でしたね。早く怪我の手当てをしに帰りますよ」

「そんな! 今夜は盛大にお祝いをするから絶対に来てと夫人に言われていたのに!」

「手当もせず夜会に参加して、祝賀会を血祭りに変える気ですか」

「ええ?」

わかっていないエクレアを抱き上げて、馬に乗る。

エクレアは気付いていないが、森の影からこちらをじっと見詰める獣の目があった。

これ以上近付けば飛び出してくるし、これ以上滞在しても結果は同じ。

早急にこの場から離れるべきだと、カロンは馬を走らせる。怪我人を抱き上げているので、なるべく揺れないように調整した。

わかっていないエクレアは、必死にカロンを思い留まらせようとする。

「待ってカロン。せめて顔を出すだけでもしたいの。夫人にお祝いのお言葉を伝えたいわ」

「手紙を出せば充分ですよ。むしろ早く帰らないと夫人が乗り込んできそうです」

「そんな、こんな良き日に夫人が飛び出すなんてあり得ないわ」

「我が子のように可愛がっている娘が怪我をしたのですから、夫人ならパーティの最中でも飛び出して来ますよ」

「我が子が帰ってきたのだから、そちらを優先して欲しいわ」

「そうですね。あまりにも侯爵夫人が首を突っ込んでくるので、伯爵夫婦も困っておいでですし」

――デニッシュは勘違いしていた。

十七年前、我が子を誘拐されて発狂した夫人の為に集められた赤子。事件として扱われる騒動となり未だに有名なこの事件で差し出された赤子の一人が、エクレアだと。

つまり侯爵夫人に可愛がられているが、所詮は身元不明だと思っていた。

そうではない。

彼女はエクレア・コリンズ。

コリンズ伯爵家の嫡子であった。