作品タイトル不明
労働基準法の導入を要請する
「早ぇよっ!!」
その言葉をグッと飲み込みシャツのボタンを慌てて閉める。
背後ではリフが水気を切った髪をいつもの位置で結わいてくれる。服を濡らさぬ程度には乾いているがしっとりしてる。ぶっちゃけ、生乾きだ。
さて、なんでこんな慌ててるかというと……。
親友にして国王陛下であるティハルトのお出ましだからだ。
「陛下がお越しになられます」
ティハルトの側付きの一人が恭しくそう告げたのはつい先程。
その時、俺はシャワー室から出てきたばかり。
大急ぎで身体を拭き、服を羽織り、部屋へ出てきたのが今しがた。
身嗜みを整えながら、同時進行でリフが髪を拭いてくれてたところで「ご到着なさいました」の声でタイムリミット。
いや、早ぇよ!!
先触れから5分以内とか、先触れの意味がほとんどねぇから!!
いくら公式の場じゃないし、ダチだから気を遣わなくていいったって最低限の準備は必要だから。
もっと言うなら俺、さっきまで服着てなかったからね?
先触れと到着を告げた顔見知りの側付きが「申し訳ありません」って顔で頭を下げている。
や、あなたは悪くないんでー。
でもあなたのご主人様に苦言は 呈(てい) しといてもらえますかね。
そんなこんなでクラヴァットもしないまま、フットワーク軽すぎな国王陛下を出迎えた。
若干(じゃっかん) ラフな格好だが、あっちが悪いんだから知らん。
「こんな緊急事態に呑気にシャワー浴びてんじゃねぇよ」って思うかもだが、魔物の返り血浴びまくったから仕方なかったんだ。不可抗力。
そして……ひらりと揺れる美しい金髪に瞳を見開いた。
不満たらたらの気持ちで出迎えた先には、 不遜(ふそん) な国王陛下ではなく、可愛い可愛い妹の姿があったからだ。
や、ティハルトやダイアも視界の端に居るけど。
視線は愛しいベアトリクスに釘付けだ。
髪とドレスを揺らしながら駆け寄った勢いのままに抱き着きつかれる。
「カイザーお兄様っ!!お怪我はありませんかっ?!ああ、ご無事で良かったっ」
潤んだ瞳で見上げてくる姿に、後回しにせず怪我を治してもらってて良かったと心底思った。
あと、シャツちゃんと着てて良かったぜ。うん、ほんとに。
「お兄様?」
感動のあまり無言で見つめていれば、小鳥のように首を傾げるベアトリクスに手を伸ばす。細い腰を引き寄せ、そっと抱きしめた。
ふわりと広がった髪から、柔らかな花の香りがした。懐かしい、ベアトリクスの香りだ。
「お、お兄様っ?!」
嗚呼(ああ) 、と吐息にように声が漏れる。
「ベアトリクスだ」
可愛い、可愛い、俺の大切な妹。
昨夜にはジュエラルに戻っていたわけだが、屋敷には戻っていない。緊急事態だったこともあるが、王城に留まった理由はそれだけじゃなく……顔を合わせるのが恐かったからだ。心配して泣かれてしまったら、どうすればいいかわからなかったしな。
だから、本当に久しぶりで。
ずっと神経が張りつめる事態の連続だったせいもあってか、ベアトリクスの姿を見たらもう駄目だった。懐かしさと愛しさと、深い安堵が胸を突く。
『ひ、久しぶりのお兄様はちょっと刺激が強いですわ……』
腕の中であわあわしてるベアトリクスと聴こえた心の声にそっと拘束を離す。
むぅ。久しぶりだし兄妹とはいえ、もう年頃のレディだもんな。
それにすっかり忘れてたけど人前だったし。久方ぶりの再会だからか、邪魔こそしなかったもののすっげぇもの言いたげな瞳で見てやがる。
「驚かせてごめんね?本当に久しぶりだから嬉しくてつい」
「い、いいえ。私こそカイザーお兄様にお会いできて嬉しいです」
ちょっと赤い顔のまま胸元を押さえてそう言ってくれる妹が尊い。
「感動の再会のとこ悪いが、そろそろいいか?」
はぁーとこれ見よがしに溜息を吐くティハルトさん。
やだ、忘れてたこと怒ってる?不可抗力だよ。
ベアトリクスの言葉じゃないけど、久しぶりの天使はちょっと刺激が強かったんだ。周りが目に入らなくなっちゃう天使パワーだったんだよ。許して。
「魔王様の号令で魔獣達は無事おうちに帰りましたー」という事実をやんわり濁して、使役されてたとみられる魔獣は全滅させたこと、大半の魔獣達は住処へ戻るだろうことを伝えた。
「魔物は基本上位に従うらしいからね」
「黒竜の威圧の効果か」
「……魔獣達、カイザー殿に従ったとかじゃないですよね?」
ふむ、と頷いたティハルトの勘違いをあえて否定せずににっこり微笑んでると、ぼそっと呟いたダイアの一言には「まさか」と簡潔に返す。
マジまさかですよ。出来るか、そんなもん!
マオたんが出来ちゃうことにも 吃驚(びっくり) ですけど。
いや、頼んだの俺だけどさ。
予想以上の結果に吃驚ですよ。
一部パニックを起こしたり、真っすぐ住処へ帰らない魔獣もいるだろうが、小規模なら各国で充分対応可能だろう。
今回は人為的思惑が絡んでいたが、魔獣被害のあるこの世界ではスタンピードで退けた魔獣の残党が他国へ流れることもままある。魔獣被害は自然災害的なものなのでジュエラルと各国の関係が拗れることもないだろう。とはいえ、魔物の進行方向足り得る周辺国へ注意喚起等は必要だが。
まぁ、その辺は一国のトップ同士の遣り取りなんで目の前の王族様方にお任せしまーす。
上層部にも「魔獣達はおうちに帰りましたー」を報告するため「お前も来い」というティハルトの命令に否はない。
ただちょっと、髪の毛乾かしてもいいっすか?
あと身支度まだ途中なんだわ。誰かサンの 所為(せい) で。
「そういえば、マティスって近々重要な公務とか入ってる?」
「マティス?あいつに何か用か?」
「んー」
ちなみに、マティスっていうのはティハルトの義母弟で第三王子。第二王子がティハルトの補佐的役割してて第三王子が外交担当。
上着を羽織り、クラヴァットも整え、正面からティハルトへと向き直る。
内輪の気安い態度を一変させ、貴族モードで胸に手を当て 畏(かしこ) まれば、訝し気な表情を浮かべる周囲。それには構わず、わざとらしいほどに恭しく礼をした。
「偉大なるティハルト陛下に 於(お) かれましては 此度(こたび) の慶事、臣下の一人としてまた陛下の治める栄えある王国の民として、心よりお慶び申し上げます」
「おい……?」
「アイリーン王妃がご 懐妊(かいにん) でございます」
「なっ?!!」
途端に周囲は大騒ぎだ。
ティハルトはこれまでで一番の驚きを見せた。驚いているのは彼だけでなく、ダイアやベアトリクスも目を丸くしているし、側付きだの近衛だのまで一気に騒めく。
装飾盛り盛りの 言祝(ことほ) ぎを続けようとして……言葉は荒々しく肩を掴む手に遮られた。
「本当かっ?!」
「 勿論(もちろん) 。おめでとう、ティハルト」
本来なら 本人(アイリーン) の口から聞くのが一番だろうけど、場合が場合だ。
あとキミの嫁と母上は出発前から知ってたから。
苦情は二人へたっぷりどうぞ。
呆ける親友のダイヤモンドみたいな瞳を上目遣いで見つめ、 悪戯(いたずら) っぽく口角を上げる。
「もうお腹も大分大きいし、状況も状況だ。アイリーンにも悔いが無いようにやり残したことはやって、準備はしとくように伝えてある。ってことで、国王陛下?もしも国王陛下がお望みならばこのルクセンブルク、直ぐにでも王妃殿下を陛下の元へとお連れしましょう」
芝居がかって礼をしながらそう告げた。
王妃として功績を示すという彼女の目的は、ジャウハラでの交渉や今までの活躍で充分に果たされているだろう。今だってガーネストたちと共にジュエラルの代表として奮闘しているし。
なにより、名声より功績より生まれてくる子供と母体が第一だ。
「そのためにもこのゴタゴタ、早く片付けないと」
ねっ、と軽く笑った俺はこの時まだ気付いていなかった。
迂闊(うかつ) にも火薬をボンボンと投げ込み、愛妻家の国王陛下のヤル気の着火スイッチに思いっきり引火してしまったことを。
愛する嫁を一刻も早く落ち着いた自国へ連れ戻す為に、俺や彼の弟、臣下一同が死ぬほどこき使われまくることを。