作品タイトル不明
第二十三話 まずは塵を捨てる
愛知郡代官所。
広間に東西南北を預かる四人の代官が並んでいた。
その顔には揃って緊張と不満が浮かんでいる。
原因は明白だった。
上座。
そこに座っているのは――
郡代・芋粥弥八郎秀政のみではない。
千種屋松兵衛。
そして、その隣に――お悠。
商人とその娘だ。
代官たちにとっては“支配してきた側”の人間である。
露骨な不快感が空気に滲む。
秀政はそれを一瞥しただけで口を開いた。
「何か不服でもあるのか?」
代官たちが息を呑む。
「この二人は俺の家老だ」
静かな声だった。
「異論があるなら、今ここで申せ」
一瞬の沈黙。
「……い、いえ、そのようなことは」
誰かが慌てて頭を下げる。
「よい。では始める」
秀政は興味を失ったように視線を外した。
*
「勘定奉行 山下彦五郎」
一人の男が背筋を伸ばす。
「はっ」
「今までの帳票をすべて――
お悠に確認させた」
男の顔色がはっきりと変わった。
「……それでだ」
秀政は淡々と言う。
「お前は明日から出仕する必要はない」
「な……なぜでございますか!?」
声が裏返る。
「説明するのも面倒だ」
秀政は冷たく言い切った。
「お前の仕事は確認した。
そして不要と判断したからだ」
山下を睨みつける。
「 塵(ごみ) は捨てる。
これ以上の説明が必要か?」
「……っ」
「部外者をつまみ出せ。
細かい詮議は後でする。牢に突っ込んでおけ」
兵が動く。
「な、なにを――!
待て!待てぇ!!」
叫び声を無視し、山下彦五郎は引きずり出された。
「勘定奉行の後任は――」
秀政はちらりとお悠を見る。
「お悠が引き継ぐ」
そのままお悠が平伏した。
代官たちの背中に冷たい汗が流れた。
(あの男は多額の着服をしていた。
お悠の方がよほど正確で誠実だ)
お悠を見つめているとお悠が頭をあげ、
優しく微笑み返した。
(それに――
これから俺自身が“不正をやる”以上、
勘定は信用できる身内でなければならん)
*
「なお、副郡代の地位を新設する」
代官たちは嫌な予感が脳裏をよぎる。
「 郡奉行(こおりぶぎょう) とする。
これには――」
秀政ははっきり言った。
「千種屋松兵衛を当てる」
代官たちの顔が歪む。
商人、それはこれまで彼らが“搾り取ってきた側”の者だ。
それが自分たちを束ねる立場になる。
「さて」
秀政は机に手を置いた。
「今までの状況の引継ぎを兼ねて、
書付にまとめてこいと命じたが、持ってきたか?」
代官たちの表情が一斉に揺らぐ。
資料はある。
だが――内容は浅い。
過去の郡代にも提出を求められてきたが、それは形式に過ぎない。
使途不明金。
怪しい金の流れ。
寺社や商人との癒着。
それを隠しきれていない。
今までの郡代は、代官たちの背後にいる柴田や佐久間を恐れ、
好き放題させていた。
だが――
(俺は違うぞ)
愛知郡は信長直轄だ。
銭の力で言えば、譜代と互角――いや、それ以上。
秀政には譜代に憚る理由がなかった。
「……も、申し訳ありません」
一人が口を開く。
「どうやら失念して持ち忘れたようで……」
「良い」
秀政は即座に遮った。
「今、持ち寄っていない者はここで解任だ」
「な……!?」
「なぜ、下の者の都合で上の者が待たされねばならん?
それが分からぬような無能は願い下げだ」
秀政の表情はそれが本気であることを代官たちに伝えている。
「あ、い、いえ!
こちらに……持ってきておりました!」
慌てて差し出される書付を松兵衛が受け取り、
一つ一つ丁寧に目を走らせる。
気になる点に墨を入れる。
また入れる。
全てを確認し終えた後、秀政に差し出した。
それを一通り確認した後、秀政は代官たちを見渡した。
信長に似た冷たい目だった。
「……酷いな」
たった一言。
それだけで空気が凍りつく。
「お前たちは解任だ。
今、この場で」
「「え?」」
代官たちが一斉に信じられないといった顔をする。
「二刻の内に私物を運び出せ。
二刻を過ぎても残るものは――」
再び冷たい目で睨みつける。
「すべて接収して捨てる」
「む、無体な!?なぜ、急に……!」
秀政は書付を放った。
「これだ」
扇で書付を激しく叩く。
大きな音がなる度に恐怖で代官たちが肩をすくめる。
「この仕事でよく代官を名乗れたな?」
墨だらけの報告書。
「それほど不満があるなら、これを信長様に持っていって、
判断していただいても良いぞ?」
代官たちは口を噤んだ。
こんなものを信長に見られれば――
打首に決まっている。
「二刻では到底運び出せませぬ!」
泣きわめく代官たちに向けて、秀政は表情一つ変えない。
「なら必要な物を優先して持て」
秀政は冷ややかに言った。
「俺ならこの時間すら惜しいがな」
本気だ。
それが全員に伝わった。
「くそ……!
我らの後ろには柴田様や佐久間様がおわすぞ!」
「今さら脅しか?」
秀政は鼻で笑った。
「なら明日にでも、お二方を連れて来るがいい」
一切、恐れていない。
「――早く行った方がいいぞ?」
淡々と続ける。
「残した荷が、お前たちや、その柴田様の首を絞めるやもしれんぞ?」
代官たちは飛び上がり、言葉もなく駆け出した。
*
広間に残ったのは、秀政、松兵衛、お悠の三人。
「……これでいい」
秀政は静かに言った。
「まずは――塵を捨てる。
義父殿、押さえてあるか?」
「はい、あの者らがここにいる間に、
悪事の証拠は先に押さえさせました」
「よし。
二刻後、それを証拠に問答無用で奴らを全員投獄しろ。
私財は全て没収し、郡の予算に回せ」
「はい」
(悪く思うなよ。
こうなる覚悟をした上で悪事を行うか。
あるいは、もっと上手くやることだ)
郡代の仕事はようやく始まったばかりだった。