作品タイトル不明
第百八十二話 三介来訪
正月五日。
岐阜から戻った秀政は、鈴鹿館へ帰るなり、
いつも以上に渋い顔をしていた。
政成が恐る恐る声をかける。
「今年の任務はいかがですか……?」
秀政は深いため息をついた。
「紀伊切り取りだ」
政成が眉をひそめる。
「紀伊は……厄介な土地ですな」
「あぁ。さらに――」
秀政はこめかみを押さえながら続けた。
「しかも総大将は三介信雄様だ。
どんな問題を起こされるか分からん」
政成が絶句し、
秀政は眉をしかめて続ける。
「仕方ないのだ、殿の命だ。
芋粥軍の大将は俺。
副将は鷺山。
伊勢の統治は長政に任せる。
なるべく損害少なく済ませるように努力する」
政成が口元を歪めながらも答える。
「はぁ……大変な任務ですな……」
政成が肩を落とした、その時だった。
「三介様がご到着とのこと!」
門衛の声に、秀政は顔を引きつらせた。
「……来たか」
胃を押さえながら、秀政は上段の間へ向かう。
上座には、満面の笑みの信雄がどっかりと座っていた。
「備前殿!
今年は紀伊を切り取るぞ!
父上も備前殿には大いに期待しておる!」
秀政は丁寧に頭を下げる。
「は……はぁ……」
信雄は上機嫌で続ける。
「備前殿がいれば、紀伊など容易いわ!
俺はな、備前殿が織田家一の名将と考えておる。
紀伊は我が領地になったも同然よな!」
(……この人は本気で疑っていないな)
秀政は悟った。
(この戦は徹底して利己的に行く。
芋粥の損耗は最小限。
痛みは信雄に任せる)
秀政は静かに腹を括った。
(伊勢の農兵は連れて行かん。
常備兵も出さぬ。
伊勢の開発力が落ちるのは絶対に嫌だ)
秀政は心の中で計算を始めた。
(赤鬼、青鬼、黒鬼は各三百。
相手は雑賀、根来になるやもしれん。
黒鬼は三百全て鉄砲だ。
新設した白鬼隊、すなわち騎馬鉄砲女人隊の百も連れて行こう。
合計千。
これで十分だ。
紀伊の国人相手なら、鬼兵だけで切り取れる。
城攻めは大和農兵に任せる。
どうせ信雄の城だ。
雑賀、根来も信雄を餌にして、引き止めよう。
信雄が死なぬ程度にな)
そこへ信雄が身を乗り出した。
「備前殿、我が軍はどう動くべきか!」
秀政はにこりと笑った。
「三介様。
戦とは“兵の質”でございます」
「ほう!」
「芋粥は大和、摂津、播磨、加賀で無敵の強さを発揮しました。
それは精鋭がいたからです」
信雄の目が輝く。
「鬼兵だな!?
よう噂は聞いておる!
俺も領地が大きくなれば、精兵部隊を必ずや作ろうと思っている」
「それは結構なことで。
ですが、この戦いにおいても三介様も強兵を持つべきです」
「だが、そんな兵は今持ち合わせておらんぞ?」
秀政は、にっこりと笑った。
「銭です」
「……銭?」
「はい。三介様は天下の織田家。
銭はたんまりあります」
信雄は胸を張る。
「うむ!あるぞ!」
「堺の鉄砲傭兵を雇えば、鬼兵を超える戦果を上げられます。
佐久間殿も長宗我部に敗れた後、堺傭兵を雇い、
毛利を易々と追い払いました」
信雄の顔がぱぁっと明るくなる。
「おー!
そうかそうか!
我が軍は織田親衛隊と堺傭兵で固める!
最強じゃ!」
「はい!
さすが三介様!
とは言え、兵の数も威圧になります。
大和の農兵、弱兵は芋粥が面倒を見ます」
「うむうむ、任せるぞ!」
(俺なら絶対に堺傭兵など雇わん。
高い上に根来・雑賀には勝てぬ。
死なせでもしたら補償金が馬鹿にならん)
秀政は心の中で毒づきながら、さらに続けた。
「三介様は親衛隊五百と堺傭兵千の精鋭。
芋粥は鬼兵千に、大和農兵千五百を率います」
信雄が首を頷く。
「三介様直属の精鋭軍には農兵など不要です。
それがしが率いてもその農兵は三介様の軍。
落とした城に、はためくは織田の旗です」
「なるほど!
では農兵は歴戦の備前殿に任せる!」
(よし……大和農兵千五百は“消耗枠”にできる)
秀政は静かに頷いた。
「これだけいれば、紀伊でも戦えます」
(……これで芋粥は紀伊の国人相手から領地を切り取れる。
死ぬのは大和農兵だけに抑える。
こんな胃の痛い、何の旨みもない戦で損耗は出さぬ!)
秀政は、信雄の満面の笑みを見ながら、そっと胃を押さえた。
*
「三介様。
一つだけ守っていただきたい事がございます」
秀政が慎重に切り出すと、
信雄は酒でも勧められたかのように気軽に返した。
「何だ?」
「総大将は最後尾で、
でんと構えていていただきたいのです。
前線の精鋭は、三介様の御家来衆にお任せください」
「構わぬが……物足りぬな。
俺が前線で活躍する方が、戦に華がないか?」
(くそぅ、この馬鹿殿が……!
お前が前線に出たら真っ先に死ぬわ!)
秀政は笑顔を貼り付けたまま、丁寧に言い換える。
「いえ、総大将が前線に出るなど愚将の極み。
最後尾に颯爽と立つことこそ、
“頂から全兵を見渡して指揮している”と兵達も感じるのです」
「そういうものか?」
「はい。それと――
華がお望みならば、こちらへお越しください」
秀政は信雄を連れて外へ出た。
冬の冷気の中、訓練場が広がる。
「三介様の全軍は前線で戦います。
そのため、三介様をお守りするのは……
我が精鋭・鬼兵にお任せください」
「ほう!それなら安心よ!」
「しかも――
華があります。
白鬼隊、これへ!」
秀政が声を張ると、
遠くから白い影が風を切って駆けてきた。
白い狩衣、白い羽飾り、白基調の種子島。
騎馬鉄砲女人隊――白鬼隊が、
雪のような疾走で信雄の前に現れた。
「おうおう!あれも鬼兵か!!」
白鬼隊は信雄の目前で急停止し、
一糸乱れぬ動きで鉄砲を構える。
狙い――
放つ。
ズドドドドンッ!
目の前の的が一斉に砕け散った。
「おぉ!!見事見事!
女人であるのに、なんという武技!」
しかし白鬼隊は止まらない。
隊長格の女騎兵が、号令すると
腰から三連軽連弩を抜き放つ。
シュッ、シュッ、シュッ!
残った的の欠片が吹き飛ぶ。
信雄は口を開けたまま固まった。
「おぉおぉ!
俺を守るはこの白鬼騎馬鉄砲女人隊か!
これは華がある!
俺にぴったりだ。
さすが芋粥!
秀政殿じゃ!」
秀政は深々と頭を下げた。
「恐れ入ります」
(この馬鹿殿め……
まさか女人隊が、こういう形で役立つとはな。
だが、これで前線に出る気は完全に失せただろう……助かった)
秀政は胸を撫で下ろしつつ、
そっと胃を押さえた。
紀伊攻めは、まだ始まってもいないのに――
すでに胃痛は最高潮だった。