軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九十八話 激突、赤備え

豊川一夜城を背に、芋粥軍三千が斜行陣を展開した。

左翼を前へ。

右翼を引き、

赤備えの正面突破を滑らせる構え。

その後方、やや距離を取った位置に、

五百の前田騎馬隊が控える。

さらに千は城内。

表門と裏門に配され、

退路と搦め手を固く守っていた。

決戦の形は整った。

対する武田。

赤備え三千が、朱の波となって広がる。

山県昌景は馬上から静かに問う。

「備前守は?」

「出陣部隊の総大将を務めております」

山県はわずかに顎を引いた。

「そうか」

赤い陣を見渡す。

「ならば、あれを踏み潰せば終わりだな」

声は低い。

だが揺るぎがない。

「 信辰(のぶとき) 、景秀、信房に命じよ。

小細工など要らぬ。

駆逐せよ」

朱の陣がざわりと揺れた。

山県の麾下侍大将、

赤備えを束ねる三将が前へ出る。

騎馬赤備え大将――

市河左馬助信辰。

甲斐源氏の流れを汲む名門市河氏の出。

山県の騎馬戦術を最も色濃く継ぐ男。

千騎の騎馬赤備えを率いる。

その眼は、獲物を射抜く鷹の如し。

徒歩赤備え千人隊長――

小幡典膳景秀。

武田譜代、小幡氏の出。

山県隊の副将にして“理の将”。

騎馬で崩した隙を、

冷徹に抉る役目を担う。

そして――

甘利兵部少輔信房。

甘利虎泰の甥筋の猛将。

典膳とは対照的に、先陣を好む。

だがその突撃は、決して無謀ではない。

赤備え騎馬の後継者と、山県の両腕と称される、

常勝の赤備えを支える刃である。

市河が槍を掲げた。

「赤備え――進め!」

一瞬の静寂。

次の瞬間。

地が震えた。

千騎の騎馬が一斉に踏み出す。

朱の波が、

豊川沿いの台地を飲み込まんと迫る。

その後方では、

徒歩赤備え二千が整然と続く。

乱れぬ。

崩れぬ。

焦らぬ。

ただ、圧倒する。

芋粥軍三千の前に、

戦国最強と謳われる赤備えが、

牙を剥いた。

地鳴りがした。

最初は低く。

やがて胸を打つ振動に変わる。

騎馬赤備え千騎。

朱の鎧が揃い、

槍を水平に構え、

一糸乱れぬ陣形で迫る。

「来るぞ――槍衾!」

浅野の声が裂ける。

芋粥前衛三千。

一斉に槍を下げた。

穂先が林立する。

人の壁。

だが赤備えは直線では来ない。

点在する馬防柵。

浅い落とし穴。

先頭の騎馬がわずかに進路を変える。

次の騎馬がそれに倣う。

一騎が飛び越え、

後続が半歩だけ間を空ける。

完璧だった密集が、

ほんの一瞬、呼吸を乱す。

「効いている……!」

誰かが呟く。

だが次の瞬間。

圧が来た。

地を蹴る蹄。

鉄と鉄の軋み。

風圧。

赤備えが、突き刺さる。

衝突。

槍衾が弾けた。

数本の槍が馬腹を貫く。

騎手が投げ出される。

悲鳴が上がる。

だが止まらない。

突撃は死を織り込んでいる。

倒れた馬を飛び越え、

横へ流れ、

再び加速する。

騎馬の質量が、

槍衾を押し潰した。

「踏ん張れ!」

浅野が叫ぶ。

だが上から振り下ろされる槍は速い。

馬上からの一突きが、

兵の肩口を貫く。

別の槍が喉を裂く。

前衛が、

薄皮を剥がれるように、

削られていく。

斜行陣。

騎馬は真正面を破れず、

斜めに流される。

朱の奔流が、

陣を滑る。

だが滑りながらも、

次々と槍を繰り出す。

削る。

倒す。

踏み越える。

騎馬赤備えは、

壊滅はさせぬまま、

中央へ抜けて再び距離を取った。

地面に残るのは、

折れた槍と、

呻き声。

「……持ちこたえた」

誰かが息を吐いた。

だがそれは、

生き残った者の錯覚に過ぎない。

背後から、

徒歩赤備えが迫る。

整然と。

乱れず。

迷わず。

「蹴散らせぇ!!」

小幡典膳が叫ぶ。

「典膳に後れをとるなぁ!

織田を虫どもを踏み潰せぇ!」

甘利兵部少輔も叫んだ。

その闘気は芋粥兵を圧倒する。

徒歩赤備えは崩れかけた前衛に、

止めを刺しに来る。

その時。

「前田隊、行くぞぉ!

遅れるな!

赤備え、何するものぞ!」

前田利家の五百騎が、

側面から疾走した。

槍を突き出し、

横腹をかすめ、

二、三人を突き倒す。

止まらぬ。

突き、

抜け、

離脱。

ほんの一瞬、

徒歩赤備えの歩が止まった。

その隙に。

「立て直せ!槍衾!」

浅野の怒号。

芋粥軍が、

血を踏みながら隊列を組み直す。

やがて徒歩赤備えと激突。

強い。

騎馬ほどの衝撃はない。

だが一突き一突きが重い。

兵がまた倒れる。

それでも壊滅はしない。

持ちこたえる。

やがて。

ほら貝が鳴った。

山県の号令。

徒歩赤備えが整然と後退する。

騎馬赤備えの後ろに再び徒歩赤備えが整列する。

そして、またもほら貝。

波状攻撃。

赤備えは焦らない。

整え、

削り、

また整える。

二度目の突撃。

今度は点を避ける動きに迷いがない。

勢いはさらに増す。

再び衝突。

槍が折れる。

人が飛ぶ。

盾が砕ける。

斜行陣は保つ。

だが被害は、

目に見えて膨らんでいく。

三百。

四百。

血の匂いが濃くなる。

二度目の後、

赤備えは再び距離を取った。

芋粥軍。

五百近くが討ち取られていた。

呻き声。

転がる兜。

折れた旗。

秀政は、

眉間に深く皺を寄せ、

朱の陣を睨む。

「……強すぎる」

だが。

まだ、崩れてはいない。

赤備えが、

再び整列する。

次が来る。

それは、

止めを刺すための形をしていた。

豊川の風が、

血と土の匂いを運ぶ。

赤備えが整然と並び、その士気は高い。

山県昌景は馬上で静かに戦場を見渡した。

斜行陣。

削られながらも、まだ形を保つ芋粥軍。

血は流れている。

だが、崩れ切ってはいない。

山県の目が細まる。

「頃合いだな」

低く呟く。

「止めを刺せ」

陣太鼓が鳴った。

重く。

速く。

激しく。

総攻めの合図。

今度の突撃は違った。

騎馬赤備えは、

斜めに流されることを恐れぬ。

真正面。

中央へ。

一直線に加速した。

「来るぞ――

中央だ!」

浅野の声が掠れる。

槍衾が再び構えられる。

だが、三度目の衝撃は重さが違った。

点在する馬防柵を踏み越え、

落とし穴を察知しても止まらぬ。

隊列は崩れぬ。

加速。

圧縮。

突入。

衝突。

槍が何本も折れ、

数騎が転ぶ。

だが止まらない。

騎馬赤備えは、

槍衾を押し裂いた。

中央が、裂ける。

馬上からの突きが、

兵を弾き飛ばす。

踏み倒す。

押し潰す。

悲鳴が上がる。

「中央、持たん!」

誰かが叫ぶ。

斜行陣が、崩れた。

左右の翼も、

中央が抜かれたことで支えを失う。

一瞬の揺らぎ。

それが連鎖する。

陣が、瓦解した。

「退け!城へ退け!」

浅野が叫ぶ。

芋粥軍は、

豊川一夜城へ向けて後退を開始した。

だがそれは、完全な潰走ではなかった。

混乱しきってはいない。

整然と城へと走る。

だが、背を見せた以上、

いくら想定している退却とはいえ、

甘くはない。

徒歩赤備えが追う。

整然と。

無駄なく。

容赦なく。

突く。

倒す。

踏み越える。

背中からの一撃が、

芋粥軍の絶え間ない悲鳴を起こす。

そこへ。

前田利家の五百騎が、

再び突っ込んだ。

今度は離脱のためではない。

囲まれる直前まで粘る。

槍を振るい、

敵を弾き、

味方の退路をこじ開ける。

前田騎馬隊にも被害が出始めた。

「ここまでか……!」

利家が歯を食いしばる。

「退け!退けぇ!」

前田騎馬隊は一斉に馬首を返した。

だが向かう先は、

城ではない。

南の林。

騎馬は土煙を上げ、

木立の中へ消えていく。

騎馬赤備えは追わない。

山県の号令で、

騎馬赤備えは一旦元の位置へ戻る。

追撃は徒歩赤備えに任せる。

小幡典膳と甘利兵部少輔が、

敗走する芋粥兵を容赦なく叩いた。

だが。

城門が近づいた時。

「射て!」

政成の声が響く。

表門上。

土塁の上。

弓隊が一斉に放つ。

鉄砲が火を吹く。

火花と煙。

矢が降り注ぎ、

数名の赤備えが倒れた。

「これ以上は無理だ」

小幡典膳が即断する。

甘利も舌打ちしつつ距離を取った。

追撃は止まる。

その隙に。

芋粥軍の残兵が、

門内へ雪崩れ込む。

最後の兵が入った瞬間。

「閉めよ!」

表門が固く閉じられた。

重い音が戦場に響く。

櫓と土塁から、

矢と鉄砲が放たれる。

赤備えは一旦距離を取った。

小幡典膳は目を細め、

城を見据える。

櫓。

土塁。

門。

冷静に観察する。

「兵がおらぬ櫓がある」

甘利が眉をひそめる。

「何だと?」

「どうやら造りかけよ。

板が薄い。

柱が細い。

幻術など存在せぬ」

山県の元にその報告が届く。

山県は静かに頷いた。

「そうか。やはりな」

赤い陣を見渡す。

「造り終わる前に頂くとするか」

わずかに笑う。

「この城は今後使える」

そして命じた。

「 大盾(おおじん) 、竹束、

丸太撞木(しょうぎ) を甘利に与えよ」

攻城攻めの道具が甘利隊に届けられ、

伝令によって、山県の指示が伝えられる。

甘利が深く頭を垂れる。

「は!承知したとお伝えください」

頭を上げた後、甘利は小幡を見た。

「典膳、先鋒は俺だ。

この程度の城、お前の出番はあるまい、ははは!」

小幡も鼻を鳴らす。

「ふん、自慢は落としてから言え。

……抜かるなよ、兵部少輔」

山県の目が、

豊川一夜城を射抜く。

「今日中に落とすぞ」

赤備えの陣太鼓が、

再び鳴り始めた。

城を包囲する、

虎の足音だった。

秀政は二の丸に立つ。

「籠城戦だ……。

武田――

想像の数倍強い。

浅野、裏門の林に潜め」

「は!」

「義父殿、例のあれを準備してくれ」

「分かり申した。

あの武田を倒すのはこの鬼謀しかありませぬな」

「あぁ――

これが俺の戦い方だ」