作品タイトル不明
第874話 クラシス②
(ん? 人の気配があるぞ。他に誰かいるのか。そうか、イルゼの両親か?)
そこまで大きくない建物のため、アレンはすぐに物音に気付く。
「あら? お客様ですか!? クラシス様」
「若い来訪者かな? 珍しい……」
壮年で2人の人族の男女が1階の奥の部屋からやってきた。
「ミータさん、ザイブルさん、「来訪者」のアレンさんが来たの。申し訳ないけどあと2人の食事を用意してくれるかしら。ああ、この2人も来訪者よ」
「まあ、こんなに若いのに……。もちろん、お安い御用です。私たちの分はお構いなく御先にお食べください」
「少年よ、希望はある。諦めちゃいけないぞ! そうだ。聞こえたぞ。ラターシュ王国の出身なんだってな! 今日はちょうどラターシュ王国の名物パイを焼いたんだ。俺はギアムート帝国の出身だが、これは絶品だぞ!!」
(ミータさんは42歳の魔導士。ザイブルさんは55歳の剣豪か。名前的にも雰囲気的にもイルゼの両親っぽくないな。2人とも人族だし来訪者か。まだ他にもいるのかな。っていうか、イルゼって魔王軍について結構知っている感じなのかな)
祖母であるクラシスの家は人間界の来訪者たちの寄合のようになっていた。
『……』
この場を無言で静観するイルゼは、祖母や他の来訪者から人間界のことをそれなりに聞いていたのかもしれない。
だったら、最初に守護番の砦でアレンが適当なことを言った時に、イルゼから鋭い追及を受けたことにも納得がいく。
「さあ、ちょっと狭いけど座ってアレンさん。今日はあなたの故郷の料理をたまたま作ったの。きっとこれも何かの縁だわ!」
(クラシスさんは普段、こんなに明るく振舞う人じゃないのかもしれないな。多分俺のためだと思うけど)
表情豊かなクラシスと無言のイルゼの表情を見て色々察してしまう。
廃ゲーマーの拠点やグランヴェル男爵の館よりも狭いため移動するのに壁側の暖炉を避け、テーブルの椅子に座るにも全身の向きの微調整が必要だが、どこか前世の実家のような温もりのある記憶が蘇る。
「いえいえ、急にやってきて申し訳ありません。このように歓迎してもらい嬉しい限りです。お構いなくです」
一般家庭にある4人掛けのテーブルを案内されて席についた。
アレンとイルゼが並んで座るとクラシスも席に着く。
来訪者でイルゼの使用人と思われる2人のうち1人が、恐らくラターシュ名物と思われるパイ料理を3人の座る―テーブルに運んできた。
もう1人は拳大のパンがいくつも入ったバケットを持ってきて、そのうちの2つずつをそれぞれの皿の上に乗せていく。
(これがイルゼの好物でラターシュ王国の名物のパイか。何だろう……。食べたことないんだけど)
「あら、どうしたの?」
「いえ、ラターシュ王国の出身なのですが見たことのないパイだったので……」
「そうなの。これはね、中に入っているのがグレイトボアの肉なの。本当は別のお肉を使うんだけどね。でも、この肉も柔らかくて美味しいのよ。でも、グレイトボアもたしかラターシュ王国内のグランヴェル領で多く獲れると聞いているわ」
「そうだったのですか。私はそのグランヴェル領だったのですが農奴の出身で自宅に釜もなく、このような凝った料理はできなかったかもしれません……」
農奴は個別の釜など持っておらず共有で使う大釜でまとめてパンを焼くのだが、クレナ村だけでも100人以上の農奴がいたため、パイを焼くようなスペースも余裕はなかったと記憶している。
さらに言うと、グランヴェル家でもこのような料理を料理長が作った覚えがない。
もしかしたら、ラターシュ王国の中の特別な地域の料理かもしれない。
だが、このことがアレンの脳裏に、クレナ村の家族での団欒で食事をしたこと、クレナやドゴラとの騎士ごっこの日々が鮮明に蘇ってくる。
過去を思い出して固まるアレンに、クラシスはさらに優しく声をかける。
「せっかく出来立てのパイなの。温かいうちに食べてくれるときっと気が楽になると思うわ」
優しい口調とクラシスの話すラターシュ王国やグランヴェル領の思い出でアレンは騎士ごっごをした懐かしい日々を思い出す。
だが、料理を見ていても、直前の魔王軍との戦いがアレンの脳裏にフラッシュバックして、アレンはゆっくりと頬に涙を零す。
「辛かったのね。でも、貴方は決して悪くはないわ。全部、魔王軍のしたことよ」
「……私の力が足りなかったんだ」
「まあまあ、ここはもう安全なの。だから……」
あまりに慈愛に満ちた優しい言葉にたまっていたものがダムの決壊のように溢れ出した。
「みんなを殺したんだ。ドゴラだって人間を辞めずにすんだんだ。ヘルミオスさんもロゼッタさんもあんなことに……。もっと上手くやれたはずなんだ! 農奴の規則など無視して村にいたころから外に出て魔獣を狩って、レベルを上げたら良かったんだ!!」
事情の知らないクラシスには到底分からない話だと考えることすらできなくなった。
無念さと自らに対する怒りで、テーブルの上で両手から血が出るほど拳を強く握りしめてしまう。
これまでの17年間の中で何をしたらもっと強くなれたのかという思いが無の世界に飛ばされた後、あれこれとたくさん頭の中に浮かんでくる。
魔王軍と戦うための準備をどうすればよかったのか後悔しかなかった。
今ならローゼンヘイムの魔王軍が進行する前に魔神レーゼルを倒す方法だって思いついている。
(やり方が間違っていたんだ。……やり直すことができたなら)
無の世界にやってきて何百回と考えた思いが沸いてくるたびに、仲間たちの笑顔がアレンを見つめてくる。
セシルの幻影が「しょうがないわね」と言わんばかりにため息をついて苦笑いをしている。
それが自らに対する甘えだと思って、アレンは自らを許さなかった。
「……そんなことはないわ。あなたは誰もよりも頑張ったわ。そうでしょ、アレン? 創造神エルメア様、この者の痛みと苦しみを救いたまえ。ヒール」
テーブルを挟んで席にいるクラシスが腕を伸ばして握り締めるアレンの両手にそれぞれの手を置いて回復魔法「ヒール」を唱えた。
「……」
(優しい。メルスに弱音吐いたら顔面殴られたのに……)
クラシスの優しい言葉とヒールを当てられた温かい魔法の効果に、アレンの涙がようやく止まった。
ラターシュ王国の伝説となった聖女クラシスは、逸話のとおりの慈悲に溢れていた。
事情を神妙な趣で聞いていたザイブルがアレンの側までやってきて、肩をガシリと握り締める。
「少年よ。いくらでも食べていいからな! ここには魔王軍はいないんだ。決して悪いところじゃないぞ! 少し薄暗いだけだ! 今日はいっぱい食え。明日にはお前の家も仕事も探してやる。人族は俺たちだけじゃねえんだ! 絶対に諦めるんじゃねえぞ!!」
「あ、ありがとうございます……」
(よく分からない世界にやってきて自暴自棄になったと思われたかな)
我に返ったアレンに皆の視線が集まり、頭を下げて礼を言った。
「おっと、じゃあとっておきの肉を出してやるぜ! テーブルが空かねえと持ってこれねえぞ! そのパイ食ってろ!!」
アレンの肩をバンバン叩いて、パンをテーブルに運んだザイブルは肩を揺らして厨房らしき奥へと引っ込んでいく。
「まったく、あの人相で怖がる人族もいるんだけどザイブルは悪い人じゃないのよ。心配しないでね。ささ、どうぞ召し上がって」
「ありがとうございます。頂きます」
モサモサした味気のないパンとパイ生地に包まれたグレイトボアを一緒に1口、2口と口に運んだ。
「どう、口に合うかしら」
「美味しいです。ありがとうございます!」
頑張って作り笑顔で礼を言う。
「よかったわ。お代わりもあるからね」
「いえいえ。ご馳走にあずかり大変助かっています。クラシスさんはいつからここにいるのですか?」
「このムディナの街に着いたのは50年くらい前よ。中央大陸の魔王軍と戦っているとき、何かの時空を移動する研究の対象にされてね」
(何度も言ってきたかのようにスラスラと言えるな)
「結構な数の来訪者がいるのですか?」
「来訪者。この世界の言葉を知っているのね」
「イルゼに聞きました」
「そうなの。仲がいいのね」
「違いますよ。クラシスばあ様」
黙々と黙って食べていたイルゼがクラシスの言葉を否定するために会話に割って入ったのであった。
「それで来訪者は、そうね。私の後に25人くらいやってきたかしら」
「その方々もこの街にいるのですか?」
「全員じゃないわ。私が聞きつけたころには魔獣とかに襲われて亡くなったり、病とかでなくなったりしたわ。今は私も含めて18人がこの街にいるわ」
(病「とか」か……。さっきのザイブルさんから強めに励まされたし、自ら命を絶つ者もいたのかな。俺のためにそれは言わないと)
突然、訳の分からないまま自らが戦ってきた魔王軍と同じ魔族が支配する世界に飛ばされてしまった。
戻る手段も見つからず、アレン同様にこの世界では、ヒヒの混血人だの訳の分からない侮蔑の眼で見られ、来訪者の絶望はどれほどのものだったのだろう。
「……そうですか」
「ちょっと、心配させてしまったかしら。2人は私が1人だと心配だからと身の回りのことをしてくれているけど、明日にでもほかの皆に会わせるわ。だから安心して……」
「おい、少年。肉が焼けたぞ。これでも食え。ライトスパイダーの肉だ。美味いぞ!!」
テーブルに勢いよく肉料理が置かれる。
クラシスたち来訪者の状況を考えていると、自らの状況に悲観してしまったと考えたようだ。
名前からして蜘蛛の肉を出されたが頭を下げて感謝を示しつつ、クラシスとの会話を進める。
「私は魔王城で魔王と戦いに敗れ、時空を飛ばされ無の世界に。その後、暗黒界にやって来ました。まだドベルグさんたちが戦っていますのでそのあたりの話をしても良いですか?」
「え? 魔王城? 魔王って……。ドベルグはまだ戦っているの!!」
クラシスの驚きの声がムディナの街の一角で響く。
アレンの言葉に驚愕して立ち上がると、お世話係りの2人の人族も目を見開いて驚いたのであった。