作品タイトル不明
4-10
列島は巨大な官僚国家であり、その制度は複雑極まるが、電子化の極地によって糸が絡まり合わぬようになっている。
そして、その中で方々に枝を伸ばしている財務省のそれは、無数に分岐した巨大な木の根のような様相を呈しつつ、広範に及ぶ監視能力と権限を持っている。
また時折、特に優秀な官僚を〝敢えて民間に放出する〟ことで、財政界にスパイを作ることも珍しくない。そして、それを受け容れることで、メガコーポは自らの潔白を証明する。
あるいは、ダブルスパイに仕立て上げて、上手く泳ごうとする暗闘が日常化していた。
正に高度に発展した電子的に絡み合った世界の企業戦である。
三伊総合物産、外交調整特種渉外部一課課長の田中・義隆も斯様な経歴を持つ人間であった。
彼は列島の本社社屋を高級車両に乗って出た。
ただの車両ではない。上等な、今にも伝わる黒塗りのクラウンタイプ乗用車に防弾仕様かつ防諜対策と暗殺対策を施した特種車両であり、時に敵対コーポから命を狙われることのある、太いパイプを持つ人間を社が守るために使わせる物だ。
「適当に都内を流してくれるかな」
「畏まりました」
子会社企業の屈強かつ、重サイバネ化が施されたPMCの警備部門社員が務める運転手が――勿論、経歴は完璧にクリーンな選び抜かれた人材だ――車を出した。
こうすれば車内は完全な密室かつ、スタンドアロンとなる。
外に繋がるのは、彼が持ち歩いている専用ラップトップと、車両に搭載された有線コネクタのみ。そして、企業が最大の力を注いだ電波暗号化が施された通信網だけが、外界と繋がる細く強固な糸なのだ。
「さて、時差はよしと……」
田中はインコムを装備して、通話機構を立ち上げて音質チェックを行う。彼は万が一にもスパイウェアを仕込まれることを懸念して、体を一部とて機械化していない〝ウェット〟な人間なのだ。
『私だ』
「おはようございます、第二外務卿。急なご連絡失礼いたします」
『なに、私と君の仲じゃないかタナカ。そちらは深夜では? 今は寝床かな?』
「まさか。情報秘匿のため、車で移動中です」
それは残念だと呟いたセレスティアは、端末のインカメラを起動したのだろう。モニタの向こうで、豪奢な平服と怜悧な美貌を移しながら、艶やかな髪を掻き上げた。
『で、例の件の進捗かな?』
「ええ、証拠固めが終わりました。いや、しかし手間取りましたよ。連中、小役人や市議と連んでおりましてね。何人か〝黙らせる〟必要がありました」
『おっと、それは君に望外の手間をかけさせてしまったね。何か個人的にお礼をしなくては。どうかな? 今度こちらに来た時……』
「申し訳ありません、個人的な接待を受けることは社則に響きまして」
『堅いのだな、東の商家は』
十大メガコーポの一角をなす三伊の課長職としては、商家扱いに思うところはないが、彼等にとってそれが最も理解しやすい単語なのだから仕方がない。翻訳機を作った者達に文句を言いたくても、列島と異世界には大きな隔たりがあるから仕方ないのだ。
それこそ、経済的な開国を除けば、移民も受け容れず、出ることは許しても戻すことは難しい体制をつくるほど、鎖国に近い状態を作らねばならないほどに。
「それで、段取りがつきました。あとは外務卿のお気持ち次第で〝強制捜査〟に入ることができますよ」
『早いな。従妹が送った物を届けて一月も経っているまい』
「見るべき〝流れ〟を掴んでいれば容易い物ですよ。特に財務省……そちらでいう大蔵相の役人は、その辺りに怖ろしく敏感です」
『なるほど、馬には馬の仕事をさせよというわけか』
くすくすと外務卿は笑っているが、あまり冗談ではない。
それこそこちらの国は電子戦と機械工学では世界の何歩先も進んでいるのだが、未だに霊力の観測は、列島贔屓だった変わり者のお抱え干渉式術者頼りなのだから。
技術の根底が違う。理解が完全に不能であり、辛うじて検知と〝そこにある〟という概念を理解するだけに留まり、未だ純然な純列島産技術で霊力を観測することは適っていない。
つまり、相手も自分達が及びも付かないテクノロジーを持っている。
もしそれが大量流入したならば?
既に不可逆的な変異を遂げた社会に劇物が放り込まれることになる。
第一、特に鍛えていない西方人の女性一人でさえ鎮圧しようと思えば、非外骨格装備の法執行官が携行する38口径や9mmでは弾倉一つ撃ちきって何とか、というものなのだ。
そんな連中が徒党を組んで悪さをすればどうなるか。
列島転移以前に問題となった、移民の流入など比べものにならない混乱が巻き起こるだろう。
故にこそ、国は外務省や商社と協力し、必要な物資を得つつも、必要以上に異世界の人間を列島に移住させないようにしているのだ。
セレスティアのように列島が秘めたる政治的、そして経済的なパワーに目を付けた、賢すぎる現地人の応対をすることの何と難しいことか。
胃がぎりぎりと絞り上げられる感覚を覚えつつ、あくまで好意的な笑顔を貼り付けて田中は問うた。
「それで外務卿、私はしばらくしたらそちらに飛ぶ予定があるのですが、どうです? 一緒に愚か者共が破滅する場面を眺めるのは」
『おや、そんなことができるのかい?』
「公平性の確保のため、捜査員はボディカム……今貴方様のご尊顔を映しているのと同じような物を装備して臨場するんです」
『なるほど、それは楽しそうだね。是非一緒に鑑賞しよう』
「では、捜査開始はそれに合わせて行うことにいたしましょう」
『その時は当たり年のワインを用意しておこう。ところでタナカ、寝台を新しくしたいから選ぶのを手伝って欲しいんだがね……』
自分が露骨に口説かれていることを理解している田中は、さーてどうやって今回も上手く逃れようかと頭をフル回転させる。
セレスティアは美人だし権力も金も申し分ないのだが、異世界人と結婚した列島人は帰国が極めて難しくなるのだ。少なくとも、本社重役のポストは喪われ、海外支社長が打ち止めとなり、第二席外務卿のご愛妾という立場で今後生きていくこととなるだろう。
まぁ、それだけならば、ある意味で強いコネクションを得られる。一部の上役は、むしろ良くやったと褒めてくれさえするかもしれない。
されど、現地で結婚して生まれてくる子供は西方人の気質を汲みやすい。
顕性遺伝的な問題なのか、元々世界になかった異物を世界そのものが塗りつぶそうとしているのか、霊力を持った子供が生まれててくる。
その場合、子供も田中も大変な苦労を強いられる。なにせ、よほど特別な事情がなければ、列島は霊力を持った混血児に〝国籍を認めていない〟のだから。
当然と言えば当然だ。成人男性並みの力を持った子供が列島社会において異物であることは間違いなく、ましてやそこから政治的に侵食されては国家の存亡に関わる。
故に田中はどれだけ魅力的な、それこそプライベートであればむしゃぶりつきたくなるほどの美人であるセレスティアからお誘いを受けても受け流す。
彼は報酬から民間に行くことを選んだが、幸福は絵に描いたような普通の家庭にあるのだ。
故に帰国するだけなのに、ビザを要求されるような立場にはなりたくなかった。
男児にベッドの相談をするという、お前を組み敷きたいと思っているという半ばセクハラ染みたお誘いを上手に躱しつつ、早く次のポストに移りたいなぁと田中は自分が何時まで渉外部に釘付けなのかと考え、板挟みの我が身を憂いた…………。