軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

01.白い結婚? ありがとうございます!

ゲータ・ニィガ王国の王都、その一等地に広大な敷地を持つ公爵邸。

その主であるジークフリート・フォン・ヘイリス公爵は、執務机の向こう側から、氷のように冷ややかな視線を妻へと向けていた。

「リリアナ。君を愛することはない」

それは、新婚初夜の言葉としてはあまりに無慈悲で、実務的だった。

ジークフリートは「氷の公爵」の異名を持つ、国最強の魔術師であり騎士団長だ。

彫刻のように整った美貌は、見る者を陶酔させるが、同時に近づく者を凍死させるほどの拒絶を纏っている。

特に今の彼は機嫌が悪かった。

目の下には濃い隈が刻まれ、肌は青白く、全身から「不快だ」というオーラが棘のように逆立っている。

「この結婚は、周囲の雑音を黙らせるための契約に過ぎない。君には衣食住の全てを保証するし、公爵夫人としての予算も渡そう。だが、私に夫としての役割を求めるな。分かったら、離れへ行け」

要約すれば「俺の視界に入るな、飼い殺しにしてやる」という宣言だ。

普通の令嬢であれば、絶望に打ちひしがれ、その場で泣き崩れる場面だろう。

しかし。

男爵令嬢リリアナは、長い睫毛を伏せ、淑やかにカーテシーをして見せた。

「承知いたしました、閣下。お言葉通りに」

その声は微塵も震えてなどいなかった。

むしろ、内心ではガッツポーズとともに、喜びのファンファーレを鳴り響かせていたのだ。

(やったぁぁぁぁっ! 公務なし! 夜伽なし! それでいて衣食住保証のニート生活確定! 最高ー!)

リリアナには前世の記憶がある。

日本という国で、ブラック企業の社畜として働き、過労死した記憶だ。

終電帰りの日々。睡眠時間は三時間。休日は泥のように眠るだけ。

だからこそ、今世での目標はただ一つ。

『誰にも邪魔されず、快適に引きこもって眠る』。

ジークフリートの冷遇は、リリアナにとって願ってもない「放置プレイ」だった。

夫に愛されない? 上等だ。愛など腹の足しにもならないが、睡眠は人生の質を劇的に向上させるのだから。

「そう、か」

ジークフリートは、リリアナがあまりに素直に従うものだから、呆気にとられたように目を剥いていた。

案内された「離れ」は、長年使われていなかったのか、酷い有様だった。

壁は薄く隙間風が吹き込み、備え付けのベッドは煎餅のように硬く、埃臭い。窓ガラスはガタガタと鳴り、歩くたびに床板が悲鳴を上げる。

案内した老執事が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「奥様、すぐに業者を呼んで修繕を」

「いいえ、必要ありません。誰も入れないでください」

リリアナは食い気味に断った。

業者が入れば、引きこもれない。それに、リリアナには秘密があった。

「あの、奥様。ですがこれでは……」

「大丈夫、一人でできるから。それじゃ、誰も入ってこないように」

リリアナは半ば強引に執事を追い出し、扉を閉めた。

ガチャリ、と鍵をかける。

ようやく一人になった部屋で、リリアナは自分の人差し指を見つめた。

「さて、と。やりますか」

リリアナの実家である男爵家において、彼女は「出来損ない」と呼ばれていた。

原因は、この世界の「魔法技術」にある。

この世界で魔道具を作るには「付与魔法」が必要だ。

だが、その工程はあまりに複雑すぎる。

例えば「軽くする」という効果を付与するためには、何百もの幾何学模様と古代ルーン文字を組み合わせ、数時間かけて正確に刻まなければならない。

少しでも線が歪めば失敗し、爆発する。

リリアナはその複雑怪奇な図形をどうしても覚えられず、魔力の制御も苦手とされていた。

だが、前世の記憶を取り戻した時、リリアナは気づいてしまったのだ。

(ルーン文字なんて使う必要ないじゃん。【漢字】があるんだから)

漢字。

それは一文字に意味と概念が圧縮された、奇跡の言語。

ルーン文字が「プログラムコード」だとするなら、漢字は「実行アイコン」だ。

過程をすっ飛ばし、結果だけを定義する。

「まずは、このペラペラの布団からね。睡眠の質は、人生の質!」

リリアナは煎餅布団の上に手をかざす。

人差し指に魔力を集中させる。

チリチリとした熱と共に、指先に淡い金色の光が灯った。

彼女は空を切るように、素早く指を走らせる。

本来なら数時間かかる儀式が、たったの二画、一秒で終わる。

『雲』

書き終えた瞬間、光の文字が布団に吸い込まれた。

ボンッ! という小気味よい音と共に、ペシャンコだった布団が、まるで夏の入道雲のようにモコモコと膨れ上がる。

リリアナがおそるおそる手を触れると、そこには底つき感ゼロの、無重力のような弾力があった。

最高級の羽毛布団すら裸足で逃げ出す「雲のベッド」の完成だ。

(やっぱり! 私の魔力が少ないんじゃなくて、ルーン文字の燃費が悪すぎただけなんだわ!)

漢字付与は、魔力消費も極端に少ない。

これならいくらでも作れる。

むくむく、とリリアナの中で、作りたい欲が湧き上がってきた。

ここは、剣と魔法の世界であっても、技術レベルは中世だ。

夏は暑い、冬は寒い、服はごわごわしている。

それら不便を、リリアナの漢字付与が解消できる。

(なら作るっきゃないでしょ!)

「よし、次は環境設定!」

リリアナは指揮者のように指を振るう。

ガタつく窓枠には『防音』と『遮断』。

薄い壁には『適温』と『浄化』。

硬い木製の椅子には『猫』。

次々と発動する漢字魔法。

隙間風はピタリと止み、部屋の温度は春の日差しのようにポカポカと安定する。

埃っぽかった空気は、高原の朝のように清浄なものへと変わった。

リリアナは雲のベッドにダイブした。

「ふあぁ……」

全身が優しく受け止められる。

重力から解き放たれたような浮遊感。

前世からの悲願である「最高の睡眠」を手に入れた彼女は、瞬く間に夢の世界へと旅立った。