軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

58.理想の姉

奏の問いに、高垣さんは中々返事をしなかった。

……ただ、奏の言葉を聞いて、高垣さんから彼女の弟が事故った時の話に僅かな違和感を感じ始めた。

高垣さんはさっき、彼女の弟は集中豪雨の視界不良の中、道幅の狭い道路を歩いた際に交通事故に遭ったと言った。

……冷静に考えたら、だ。

「……高垣さん、君の弟は集中豪雨の中、外を出歩いていたの?」

件の集中豪雨が起きたのは日曜日。

時間帯は確か……夕飯時のことだった。

高垣さんの弟は、写真を見せてもらった限りではまだ小学校低学年。

であれば、一人で出歩いてることにも違和感があるし……その上、道路が冠水する程の状況下で家から出たこと自体に違和感を覚えずにはいられない。

……なら、どうして高垣さんの弟は、危険を顧みずに外に出たのか。

そして、どうして高垣さんは危険を冒そうとする彼女の弟を止めなかったのか。

「……なんなのよ、あなた達は」

高垣さんは乾いた笑みを浮かべていた。

「……喧嘩したの」

高垣さんの口から語られた求めていた答えは、実に単純なものだった。

「……ウチ、両親が共働きで、弟の面倒はあたしが見てきていた部分があってさ。でも、あいつ、年々生意気になるし、ワガママになるし、なんなのって思ってたの」

……高垣さんの姉弟間のエピソードは、正直、どこにでもありふれたエピソードだと思った。

「……あの日、あいつさ。明日から学校だっていうのに宿題やってなくてさ」

そういうことか。

「お姉ちゃん、手伝って涙目のあいつに、あたしはそれを拒んだの。当然だよ。あれはあいつの宿題だから。宿題は自分でこなさないと意味がないから」

……そして。

「そして、口論に発展して……あたしはあいつに心ない言葉を吐いてしまった」

高垣さんは当時の光景を思い出しているのか、とても苦しそうに顔を歪めていた。

「他人頼りなことばっかりしてるあんたは、もう弟じゃない! って……言っちゃったんだ」

しばらくの沈黙の後、高垣さんはまた苦笑した。

「後は、大体わかるでしょう? 怒ったあいつが大雨の中、外に出て、そうして車に轢かれたの。言ってしまえば、あいつが怪我したのもあたしのせいってわけ」

「……高垣さん」

「そうとなれば……あいつのご機嫌も取りたくなるじゃない。謝意も込めてさ。だから、病院にもあししげく通うし、あいつが見たいと言ったこの飛行機の写真にも躍起になった。罪滅ぼしのために、少しでもあいつのご機嫌を取りたかったの」

「……」

「……本当、不出来な姉を持つと大変よね、あいつも」

……喫茶店は、また沈黙の空気が流れた。

高垣さんの語ってくれた弟さんの事故の経緯に、誰も何も言えなくなってしまったのだ。

……いや、違う。

少なくとも俺は違う。

何故なら俺は……そういう場の空気を読むのが得意ではないから。

相手の気持ちを慮れる程、コミュニケーション能力が高くないから。

ただ、ならばどうして黙っているのかと言えば……今、自分が言いたいことが上手く言語化出来ないから。それだけだった。

……自分が言いたいことを伝えることは難しい。

でも確かに……今、俺は言いたいことがある。

高垣さんに言ってやりたいことがある……!

「……確かに、それは君のせいかもね、高垣さん」

「……あ、あっくん?」

「君の不用意な言葉が、弟さんを傷つけて、その結果……弟さんの事故を招いてしまった」

奏は不安そうに俺を見ていた。

「事故の内容は加害者の過失。轢き逃げしてることからもそれは間違いない。君が不用意に弟さんを怒らせたのも、弟さんが不真面目なせいという面も拭えない。でも、君の言葉が弟さんを事故に遭わせるきっかけとなったことも否めない」

いや、奏は今、俺を睨んでいるかもしれない。視線が痛い。

「……だから、もし俺が君と同じ立場にいても、同じように振る舞ったと思う」

「……萩原君」

「実際……俺はかつて、病気に苦しむ大切な人に何も出来なかったことがあるんだ」

……思い出したくもない記憶が蘇る。

「あの時の俺は、彼女を励ますこと。慰めること。共感することしか出来なかった」

忌まわしき記憶だ。

「……救えなかった」

本当に、忌まわしくて、憎たらしくてたまらなかった。

「だから……彼女を救えなかったとしたら、自分のせいだ。そんな強迫観念にずっと駆られていたんだ。無力な自分を呪ったんだ」

「あっくん。それは……」

「……でも、その経験があるから俺は、もうあの時のような無力感に苛まれたくない! っていう自分の目標を定めることが出来たんだ……っ!」

「……」

「高垣さん。誰だって失敗はする。それが取り返しがつかなくて後悔もする。その後悔から罪悪感を抱いてしまうことも当然だ。……でも、なりたい自分の姿を、一つの失敗から変えてしまうのは正しいとは思わない」

「……なりたい自分の姿?」

「君は弟さんにとって、どんな人でありたかったの?」

「……それは」

高垣さんは……しばらく遠くをぼんやりと眺めていた。

その姿は弟さんとの過去の思い出を振り返っているようにも見えたし……弟さんへの態度を反省しているようにも見えたし、俺の言葉にどう返すかを考えているようにも見えた。

「あたしは……」

高垣さんは、生唾をゴクリと飲み込んだ。

「あたしは、あいつの見本になる姉になりたかった」

「素敵なことだと思う」

誰かを大切に想う。

時に心を鬼にしてでも。相手に嫌われようとも。

……正しい見本を示し続ける。

誰にでも出来ることではない。

素敵な考えだと、そう思わずにはいられなかった。

「……はぁ」

高垣さんはため息を吐いた。

「ダメダメな姉だね。あたしって……」

「そんなことないよ」

俺は首を横に振った。

「……結局、家族だって行き着く果ては他人じゃないか」

「いきなりドライね」

「でも、そんな相手のために尽力することは、誰にでも出来ることじゃない。君は凄いよ、高垣さん」

……俺は俯いた。

「……だから、変えちゃダメだよ。その目標」

高垣さんは顔を上げた。

「確かに今回、君は弟さんに対してミスをしてしまった。でも、それで彼に対する態度は変えるべきじゃないよ」

「……」

「勿論、落ち込んでいる弟さんは慰めてあげた方がいいと思う。でも、これまでの態度を翻したりはするべきではないと思う」

「……それは」

「……何より、姉が事故の日を契機に態度を翻したら、一番ショックを受けるのは弟さんだと思うから」

だから、彼のためにも……自らの目標のためにも、俺は高垣さんにそう伝えた。

高垣さんは……俺の言葉に逡巡しているようだった。

「……はは、まさか萩原君に説法を説かれることになるとはね」

しばらくして、高垣さんは憑き物が取れたように微笑んだ。