軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

呪物

控え室の天井灯は、半分だけ落とされていた。

机の上の布は、片側だけがめくられたままになっている。

露わになった刀身の半分が、薄い灯りを淡く返していた。

空調の音はほとんど聞こえず、奥の壁の方から機械の振動だけが、ごく小さく伝わってくる。

椅子には腰を下ろさず、机の手前に立ったまま、もう一度視線を落とす。

鑑定スキルを呼び起こすと、視界の縁に術式痕の流れが浮かび上がった。

東京で見たものと、形そのものは同じだった。

ただし、流れの太さが違う。

層の重なり方も、東京で見たどの一点とも比較にならない深さで通っている。

処理の形跡が、複数回、別の手で重ねられているのがわかる。

そして最初に組まれた汚染があり、その上から別の手が隠すように処理を塗り重ねた。

さらにそれを取り除こうとして失敗した手の痕跡が、薄く残っており最後にもう一度、別の汚染が上から被せられていた。

率直に言うと、吐き気を催す、だった。

俺の鑑定スキルがここまでに至った人の念まで読み取っていく。

悪意の塊、こう呼んでも差し支えないほどのある意味、『呪い』をはらんだこの刀は見ているだけで命を貪っていくような、そんな気さえした。

何よりかかわった手の数が多い。

かかわった思念の量が半端ない。

隠しきれないこの悪意は、それにかかわる人数の多さを示していた。

1人や2人で組んだ品ではなく、何回かに分けて、別々の意図が乗せられている。

放置すれば汚染が外に漏れ、移送中に振動を与えても漏れる。

抜けば、おそらく、控え室一つでは収まらない。

「呪物…」

「はっ?」

「……これは、大至急ですが本格的に封印措置を施すべき品です。今の所簡易封印がされていますが、その上で厳重に管理した上で、国に報告すべき案件だと思います」

御堂が短く頷いた。

「………そこまで、ですか。確かにこの刀から発せられる違和感はありますが」

机の向こう側に立つ案内役の若い男に視線を送った。

「半身ですら危ないです。直ぐに納刀して、厳重な管理を行ってください」

「この方は上位鑑定士の資格を持っています。大至急処置を」

若い男は、何が起きているのかまで飲み込めていない様子だったが、空気だけは正確に読んだのか、机から半歩下がった。

控え室の壁際、中層バックアップチームの4人は、いつでも動けるだけの距離を残して立ち位置を変えていない。

シオが、姿勢を一度起こした。

すぐにまた、低く沈む。今日4度目の反応になる。

控え室の入口で、軽い足音が止まった。

「失礼します」

東野だった。

仮選別場で別れたときと同じ表情のまま、机の方へ近づいてくる。

ただ、様子が何かぎこちない。

「別の者に引き継いでここに来ました。至急の案件ということですし。仮選別場の方は止めてあります」

俺の隣に並んで、東野は机の上の刀身に視線を落とした。

手は背中側に組まれたままで、布の角にも触れていない。

声色は普段の管理局立会いそのもので、不自然なところは何もなかった。

ただ、刀を見る目だけが、こちらの説明を聞く前に一拍止まった。

「真壁さん、この件はこちらで引き取ります」

通常の手順だ。

管理局立会いとして、汚染判定が出た品は管理局側が引き継ぐ。

手順としては何も間違っていない。

ただ、東野が控え室に入ってから、まだ10秒も経っていない。

こちらが「管理局照合に回したい」と言った以上のことは、まだ伝えていない。

にもかかわらず、東野は根拠の段取りを飛ばして「引き取る」と置きに来た。

違和感だけが残る。

早すぎないか。

ただ、それを口にする前に、必要な手順だけは踏んでおく。

「もう一段階だけ、深く見せてください」

俺はもう一度鑑定させてほしいと希望する。

「この刀をあんまり鑑定するのは嫌ですが、まだ情報が足りません。色々と術式汚染が広がっていますし、引き継ぐにしてももう少し調べてからの方が危険を回避できるかと」

東野の返事まで、一瞬の間があった。

短すぎるとも、長すぎるとも言いにくい、ちょうど不自然な幅の間だった。

「……分かりました」

そう答えながら、東野の手が机の方に伸びた。

刀の柄に向かっている。

刀身ではなく、柄の方だった。

柄に手をかける。

御堂の重心が、静かに変わったのが横目に見えた。

壁際の中層バックアップチームの空気も、一瞬にして変わった。

東野の指先が、柄頭の封印札に触れる。

それと同時に控え室の空気の中に、薄い予感だけが広がっていた。

封印札が、薄い音を立てて外れた。

同時に鞘走りの音が、短く鋭く控え室を打つ。

東野の動きには迷いがなかった。

抜いた刀の切っ先が、こちらの胸の高さで止まる。

反応より先に、御堂が動いていた。

柄側に踏み込み、東野の手首を内側から取る。

半歩、東野の重心が崩れた。

刀身がこちらの線から外れる。

御堂の手は流れを止めず、そのまま東野の肘を極めて床へ落とした。

「拘束を」

御堂の声は低いままだった。

言い終わるより先に、壁際の中層バックアップチームの2人が東野の肩と腰の上に乗っている。

残る2人は床に転がった刀の側へ回り、抜き身のまま転がして遠くに離す。

抜き身の刀身から、細い流れが漏れていた。

肉眼に見えるのは、空気の歪みに近い。

湯気のように立ち上がるのではなく、刀身の縁に沿って薄い線が外へ伸びている。

鑑定の中では、その流れがはっきりと読めた。

歪みの先は、一番近い位置にいた俺の胸元に向いていた。

悪意が俺に向いた。

身の毛がよだつとはこのことだろう。

言い知れぬ何かが俺の身体へと向いた。

その時であった。

肩上にいたシオが俺の前に飛び出す。

殻の縁が、控え室の天井灯より一段だけ強い色に染まる。

その光はまるで意思を持つかのように太い帯状の光の束へと変化していった。

その光が、歪みの流れの方へ向いた。

そして悪意とも呼べる何かと光がぶつかった。

次の瞬間、光の屑が周囲を満たしていた。

あっという間の出来事過ぎて俺は何もできてはいない。

周囲の視線もシオへと集まっていた。

空気が澄んでいく。

浄化された空間は、人を落ち着かせる匂いを放つ。

控え室の中に張りつめていた重さと、鼻の奥に残りかけていた嫌な匂いが、潮が引くように消えた。

シオはすぐに殻を低く沈め、肩上の定位置へ戻った。

何事もなかったような姿勢だった。

案内役の若い男だけが、顔色を半分ほど落としている。

俺はシオの方を一度だけ見た。

今、俺は九死に一生を得た。間違いなく。

「い、いまのは…聖職者のスキル?」

誰かが声を漏らす。

御堂も東野を取り押さえたまま、周囲を伺っている。

「おいおい…そのペット…どうなってんだよ…」

「…ペットではないです。シオです」

シオは顔を隠すかのように殻に閉じこもっている。

「とりあえず、そこの刀を」

御堂が指示を出し、バックアップチームの1人が、抜き身の刀を引き寄せた。

封印札を慎重に巻き直し、鞘へ納める。

布袋から取り出した別の厚布で、外側から二重に包み直した。

手の運びに無駄がない。

東野は拘束されたまま、何も言わなかった。視線も上げない。

案内役の若い男は、まだ青い顔のまま壁際に立っている。

「お怪我は」

御堂が短く確認した。

「ありません」

「申し訳ありませんでした。私たちが付いていながら危険に晒してしまいました」

その言葉に対して俺は首を横に振った。

「いえ、実際に切られかかった時に俺を助けてくれましたし。その後はシオが助けてくれたので」

言い終わった直後、ポケットのスマホが、一度だけ震えた。

画面を起こすと、浅田からの返信が一通だけ届いている。

件名の頭と本文の最初の数行を目に入れて、すぐに画面を伏せた。

今は、そっちではない。

控え室を出て、補給地の通路を戻る。

包み直した刀は中層バックアップチームの2人が受け持ち、東野は別の2人が両側につく形で歩かせていた。

通路の半ばで、バックアップチームの1人が御堂の隣に並んだ。

「御堂さん、相変わらず手数少ないですね」

軽い口調だった。

茶化しというより、知っている人間の一言だった。

別の1人が小さく笑う。

「昔のままや」

御堂はそちらを見ずに、通路の先を歩いている。

「もう昔の話です」

それで会話は途切れた。

数歩進んだところで、刀を包んだ布の脇から、薄い金属片が滑り落ちた。

キンッ、と通路の床で短く鳴る。

チームの1人が拾い上げ、御堂へ手渡した。

親指の爪ほどの大きさだった。

表面に、見覚えのない記号が1つだけ刻まれている。

御堂が、それを通路灯にかざした。

俺は横から、その記号を覗き込んだ。

まだ、名前はない。意味も分からない。

ただ、控え室で終わる話ではなくなったことだけは、はっきりしていた。