軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

同じ汚染術式痕を見つけてしまいました

目が覚めたのは、朝の6時だった。

カーテンの隙間から薄く朝日が差し込んで、ホテルの天井に細い線を引いている。

手を伸ばしてスマホを掴もうとした指先に、もぞっ、と柔らかい感触が当たった。

薄目を開けて横を見ると、シオが枕元の縁で殻の光をまどろませていた。

揺れ方が普段より少し遅い。

……寝ぼけているのか、こいつ。

声には出さずに、もう一度スマホの画面に目をやる。

6時03分。アラームの設定より、少し早い。

「……そろそろ起きるか」

頭がすっきりしていない。

珍しく朝シャワーを浴びて、シャツの襟を整える。

鏡の中の顔は、東京にいた頃より少し日に焼けて見えた。

気のせいかもしれない。

身支度を終えかけたところで、右腕に柔らかい感触が伝わってくる。

視線を下げると、シオがいつもの場所に向けて、よいしょ、よいしょ、と腕を伝って登っていた。

肩の上まで来ると、なぜか少しだけ殻を反らせて、こちらの顔を覗き込んでくる。

……一人で登り切ったから褒めろ、ということだろうか。

「はいはい、えらいえらい」

その言葉に反応したのか、シオは殻を小刻みに揺らした。

「よし、いくぞ」

いつも通り、シオは殻を一度だけ揺らした。

ロビーに降りると、御堂が車のキーを手にして立っていた。

「おはようございます」

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

「そうですね。最近、雨があまり降らないですね」

他愛のないやり取りをしながら、車に乗り込む。

「では、出発します」

「お願いします」

車内では、昨日の選別場の話を御堂とぽつぽつ交わした。

「瀬川さん、昨日のベルトでの振り分け操作、初日とは思えないくらい呑み込みが早かったですね」

御堂が前を見たまま、軽く頷く。

「あの人、こっちで長く現場を回してきた人ですから。新しい段取りに乗せ替えるのは、むしろうちの若い連中より早いと思いますよ」

……なるほど。慣れた人間の方が新しい運用に早く適応するというのは、どの業界でも同じか。

そんな細かい実感を一つずつ拾うような会話のあいだに、車は大阪湾岸ダンジョンの入口へと滑り込んでいた。

車を降りて、降下用のエレベーターへと向かう。

扉の手前で先に立った御堂が、一度だけこちらを振り返った。

「今日は2日目ですから、無理にペースを巻かなくて大丈夫ですよ」

「分かりました」

御堂は短く頷いた。

仮選別場は、前日と同じ顔をしていた。

ベルトコンベアは止まったまま、長机の端には昨日仕分けた四つの山が並んでいる。

安全、要処置、危険、保留。札の色まで昨日のままだ。

空気だけが、わずかに違っていた。

瀬川がレバーの前で湯呑みを置いて軽く頷き、岸部が札の束を抱えて壁際を歩いている。

東野は札の確認表に目を落としたまま、視線だけをこちらに向けてきた。

「真壁さん。今日の流し、いつから始めますか」

「その前に、昨日保留に回した一点を、もう一度見せてください」

東野は表をめくる手を止めた。

「昨日、別ライン保留に回したロットですね。お持ちします」

長机の端に置かれた一点を、俺は手前に引き寄せた。

形そのものは普通で、表面の処理痕にも目で追う限り異常はない。

だが、薄く残った術式痕の流れが引っかかる。

一方向に偏り、尾を引くように細い線が走っている。

均一な劣化痕でも、爆裂や衝撃の余波でも、意図して残した痕でもない。

流通の途中で何かが薄められた痕だ。

単発なら普通の劣化に紛れる弱さで、ただ流れの偏り方に癖がある。

前日は気のせいで止めた一点だが、一晩寝かせたぶんだけ観察と記憶の照合が進んでいる。

東京で前にやった案件で、近い痕を一度だけ見たことがある。

同型ではないが、術式系統がかなり近い。3点のうち2点は一致する、というのが今の感触だった。

襟元で、シオの殻の光がごく弱く一度だけ揺れた。

姿勢が少し低くなったが、殻に沿わせた光は強くはならない。

俺の見立てが、大きくは外れていない。

シオの反応が、それを静かに裏打ちしてくる。

「東野さん」

声をかけると、東野が確認表から顔を上げた。

視線が、机の上の廃棄物に移る。

「これ、こっちで処理を進める前に、一度東京管理局の照合に回させてください。東京管理局の過去の押収品で、似た残り方のものが確かあったはずなので、その記録と突き合わせて判断したいんです」

東野は札を脇に置き、しばらくその廃棄物を見ていた。

「東京の記録と、ですか」

「ええ。保留のまま切ってください。ロットは、この一点だけで」

表に印を入れる東野の手は、普段通りだった。

ただ、印を入れる前の間だけが、いつもよりわずかに長い。

「分かりました。こちらの管理局にも一報を入れておきます。判断はそちらと擦り合わせる形で進めましょう」

「お願いします」

御堂が背後で札の束を整え直す。

瀬川はレバーから手を離し、こちらの動きを目で追っていた。

東野が手前まで来てその廃棄物を受け取ると、仮選別場の奥に据えられた隔離用のコンテナへ運んでいく。内部の専用ラックに寝かせ、扉を閉めて施錠し、東京照合の札を扉の表に貼った。

コンテナそのものが立会い権限を持つ管理局の上位職員以外は開けられない造りで、返答が戻るまで中の一点に誰も手を触れられない扱いになった。

壁際まで歩いて、スマホで浅田に連絡を取る。

呼び出し音が2度鳴って、すぐに繋がった。

「真壁さんですか。どうしました」

「真壁です。いま大阪のほうから依頼を受けて、廃棄物の鑑定に入っていまして」

「大阪、ですか。そちらに行かれていたんですね」

「ええ。現場で1点、以前そちらで鑑定した押収品の術式汚染、あれと残り方が近いんです。当時の記録と正式に突き合わせをかけたいんです」

「正式照合ですね。少し待ってください。こちらの記録を先に見ます」

浅田の動き出しは、いつもこの一拍が早い。

体感で1分ほどの待ち時間のあいだ、シオが襟元でわずかに身じろぎして、また静かに収まった。

「……あります。ここ数週間で数件、近い流れ方の押収品が出ています。1件ずつだと安全で抜けてしまう程度の弱さで、ただ件数が増えています」

「数が、ですか」

「ええ。それと、もうひとつ気になっていまして。出てくる経路がばらけているんです。同じ筋のものが、わざと別ルートで散らされているように見えます」

散らされている、という言葉に、頭の奥でひとつ歯車が合った。

単独の汚染なら、押収品の出方はもっと偏る。

経路を散らして1件単位の判定を滑らせているなら、流通の上流に意図的に配り直している誰かがいる、ということだ。

「断定はまだですよね」

「もちろんです。ただ、散らされていると仮定すると、出方の説明はつきます」

「分かりました。こちらで保留にしてある一点、いま俺の…真壁名義で鑑定内容を送ります。手続き、どう動かせばいいですか」

「先方の管理局からこちら宛に依頼書が出れば、すぐに動かせます。記録の写しはそれと並行して、私のほうから先方の管理局担当に個別で一報を入れておきます」

「お願いします。あと、こちらの一件、上に通すかどうかは浅田さんの判断にお任せします」

「分かりました。件数が増えている話と合わせて、上に通します」

短く礼を言って通話を切る。手の中のスマホは、まだ少し温かい。

もう1件、メッセージを送っておく。

送り先は、顧問契約先の渉外担当・鷹坂。

『最近の回収案件で、術式痕が一方向に偏った汚染、見覚えはありますか』と短く打った。

クラン側は別ルートで似た品を扱っている可能性がある。

正式に照会をかける段階ではない。

心当たりがあるかだけ確かめておければ十分だった。

返信は数分で来た。

『該当の記憶はありません。今後、こちらでも気をつけて見ます。何か出たら共有します』

短く礼を返して、画面を閉じた。

仮選別場の振り分け場所に戻る。

「東野さん、お待たせしました。流しを始めましょう」

「分かりました。岸部、保留札の予備を手前に出しておいてくれ」

「はい」

瀬川がレバーに手を戻し、岸部が札の束を整える。

ベルトが低く唸って動き出し、本日分のロットが流れ始めた。

四つの山に、廃棄物が一つずつ落ちていく。

形と重さで一次の振り分け、処理痕で二次の絞り込み、術式痕で最終の判定。

昨日のうちに掛けた段取りが、そのまま今日の流れになっていた。

判定で手を止める頻度は、初日の3分の1ほどに落ちている。

ベルトに流れてくる廃棄物のほとんどが、ひと目見ただけで振り分け先の山が決まった。

……昨日のうちに見た形が、もう脳の中で型として置けている。

岸部の札を貼り替える手も速くなり、瀬川の振り分けレバーも、こちらの判定の出し方に呼吸が揃ってきていた。

「真壁さん、ペース、昨日の倍は出てますよ」

東野が確認表から顔を上げずに言ってきた。

手元の工程表は、午前のうちに2枚目に入っている。

「同じ形のものが多いだけです。重い判断はまだほぼ出ていません」

そう返しながら、午前に保留した一点のことは頭の隅に置いたままにする。

残りのロットを捌き終えたのは、夕方の少し前だった。

四つの山は昨日より一回り高く、判定保留の札は新しく出ていない。

午前に隔離コンテナへ送った一点だけが、東京の返答を待ったまま静かに置かれている。

「今日はここまでで上がりましょう」

東野が表に最後の印を入れた。

御堂は瀬川と段取りの確認を済ませてから、こちらに向き直って軽く笑った。

「真壁さん、昨日の倍以上ですね。こちらの段取りに乗せ替えるの、早いですね」

「同じ形が続いただけです。明日は少し細かく出るはずなので、ペースは落とすつもりです」

「お疲れさまでした。明日もよろしくお願いします」

ホテルへの帰り道、車の窓の外を大阪の夜が流れていく。

今日のあいだ、御堂にも東野にも、東京の浅田から聞いた話は出さずに済ませた。

断定の出ていない話を現場に持ち込めば、明日からの判定の手が逆に重くなる。

今はまだ、自分の頭の中だけに置いておきたい段階だった。

ただ、本当に厄介なのはその先だった。

今日のあの一点と同じ汚染術式痕が、明日のロットにももう何点か混ざっている可能性。

昨日まで「安全」で抜けていた品が、明日は引っかかる可能性がある。

東京と大阪。

離れた二つの場所で、似た形のものが同じ時期に揃って出てきている。

明日のロットを開けるのが、いつもより以上に気が重く感じてしまう。

それとは対照的に、シオは姿勢を低く保ったまま、静かにしていた。