軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鑑定士の差

《灰鉄の牙》の倉庫を出たのは午前の遅い時間だった。

午後はもう一件、別の用事が入っていてそのまま回っており、自宅に帰り着いたのは夜だった。

携行ケースを開けると、保護幼体は底で動かなくなっており、朝に主箱へ向けたときの光はもう殻の内側に残っていない。

保護容器に移すと、いつもの位置に殻を預けて静かになった。

そしてスマホを確認すると、鷹坂からのメッセージが2通溜まっていた。

1通目は夕方に届いた資料だった。

術式保存板の写真が数枚と、前に鑑定を依頼した別の鑑定士からの判断書が添付されている。

一通り目を通し概要は把握できたが、文面と画像だけでは細部までは見えない。

実物を確認するしかない、と思いながら次のメッセージを開いた。

2通目は日程の連絡が書いてあった。

『資料はご確認いただけたでしょうか。明日の午前の都合のよい時間で、場所は前回と同じ倉庫区画です』

その後、明日の午前に伺います、と返信した。

「寝る前に月次記録を書いておくか」

スマホを閉じる前に月次記録を開く。

今日の現場での反応と取り扱った素材を記入し、状態欄に『環境変化なし・活動低調・反応5回目に向けて同行継続』と書き加えて保存する

保護容器に目を落とすと、保護幼体は殻の縁が少しだけ揺れた気がしたが、すぐにまた動かなくなった。

現地は《灰鉄の牙》が前回と同じく使っている倉庫区画で、案内されたのは奥の別の棚だった。

鷹坂が先に封印扉を開けて待っており、神崎がその脇に立っている。

「おはようございます。続けて来てもらってすみません」

「いえ、ちょうど時間が取れたので」

神崎にも軽く頭を下げると、向こうも会釈で返してきた。

「こちらです。案内します」

扉の奥に進むと、前回と同じひんやりとした空気が流れていた。

「これです」

鷹坂が奥の棚を開け、中から薄い箱を取り出した。

箱から出されたのは、薄い石板だった。

縦20センチほどで、くすんだ灰色をしている。

表面には劣化した術式線が浅く走っているが、線の多くは色が抜けて途中で途切れていた。

縁のあたりを見ると、消えかけた刻印が辛うじて残っている。

古い形式の保存板であることだけは読み取れたが、術式そのものはほぼ機能していない、廃材に近い見た目だった。

「前に頼んだ鑑定士は、危険物として封印保管送りにした方がいいって判断でした。うちでは触れないままにしていてご覧のとおりです」

「昨夜いただいた資料に、判断書のコピーも入っていました。『術式残存・不安定・接触による誤作動リスクあり・開封非推奨』ですね」

「はい。それで動かせなくなっていて」

表層を見た判断だ、と真壁には分かった。

間違いではない…が、しかし浅い。

一歩前に出て、石板に近寄った。

すると腰の携行ケースから、硬いものが微かに触れるような短い音が聞こえる。

合わせ目から青灰色の光が薄く漏れており、さっきまで底で動かなかった保護幼体が、殻の内側で光を揺らしていた。

ケースを開けて保護幼体を両手に乗せると、幼体はゆっくりと頭を石板の方向へ向け、そのまま静止した。

殻の光は、夜に保護容器で見たときの比ではない強さで滲んでいる。

昨日の保管庫で主箱に向けたときと同じ反応だ。

真壁は石板の前に立ち、【鑑定】を向けた。

――――――――――――――――――――

術式保存板(二層式封印物)

希少度:B

状態:外層機能停止(偽装層として設計)/内層術式保全(維持中)

構造:外層は意図的に劣化を装う偽装層。内層に本来の保存術式が残存

内容:未劣化保存素材×2・封印補助片×1

推定価値:18万〜24万円(処理精度による)

開封条件:外層表面の劣化術式剥離→偽装層の物理除去→内層術式の封印解除の順。

順序を誤ると内層が熱崩壊する

備考:外層のみを根拠に危険物と判断した場合、内層の存在を見落とす設計になっている

――――――――――――――――――――

「危険物ではないです。上に偽装層が乗っていて、下に本命の術式が残っています。開け方を間違えると壊れますが、手順を守れば取り出せます」

鷹坂と神崎の間に少し間があった。

「偽装層、というのは?」

「外側を死んでいるように見せることで内側を守る構造です。前の鑑定士の判断は外層を見た結果なので、それ自体は正しいと思います。ただ、その下まで見えていなかった」

鷹坂が石板を見た。

「それ、開けられますか」

「はい。鑑定で手順は出ています。順序を守れば中身は無事です」

鷹坂が神崎に視線を向けた。神崎が無言で頷く。

「ではお願いします。判断はお任せします」

「分かりました」

保護幼体を携行ケースに戻して蓋を閉じた。

両手が空いたところで、石板の前に屈み込む。

鑑定が示した手順通りに外層表面の劣化術式を端から剥がしていくと、乾いた粉末がぱらぱらと落ちていった。

線を一本ずつ取り去り、表面の術式を完全に消し終えたところで、下に残った偽装層を物理的に剥がしにかかる。

膜状の薄い層で、正しい角度から力をかけると音もなく外れ、内側に別の質感の面が顔を出した。

残るのは内層の封印解除だ。

位置と順序は鑑定で示されている。

順番通りに触れていくと、3箇所目で板の端がわずかに浮いた。

ゆっくり持ち上げると、中から保存容器が2つ並んで出てきた。

それぞれに未劣化の保存素材が収まっている。

封印補助片は板の内壁に貼り付いていて、容器とは別に剥がして取り出した。

個別に鑑定すると、合計で20万円前後の値が表示されている。

「中身が出ました。合計で20万前後です」

鷹坂が手元のスマホに数字を打ち込んでから、保存容器を一つ手に取って軽く傾けた。

中の素材は劣化の気配もなく、透明な壁越しにきれいな結晶面が見える。

「正直、ここまで残っているとは思っていませんでした」

神崎が剥がした偽装層の薄い膜と、新しく現れた内層の面を順に見比べてから、視線をこちらに戻した。

「前の人は危ないで止めたが、真壁さんはどう危ないかとどう開くかまで分かる。その差ですね」

「止めた判断は正しいと思います。手順が分からない状態で開けていたら、中身は破損してましたし」

神崎が短く頷いて、保存容器を回収用のトレイに収め直した。

鷹坂が確認書を取り出し、項目欄に処理内容と回収素材の内訳を順に書き入れていく。

署名欄に名前を記して日付を入れると、控えが一枚こちらに渡された。

書類をバッグに収めながら、携行ケースの位置を一度確かめた。

中の保護幼体は静かにしている。

「助かりました。今回みたいに別の鑑定士で止まっている案件、実はうちにあと何件か残っていまして。もし封印絡みが出たら、また連絡してもいいですか」

「もちろんです。資料を先に送ってもらえれば、こちらで状態を見てから日程を相談します」

「ありがとうございます」

鷹坂が軽く頭を下げた。

神崎にも会釈をして、扉の方へ向かった。

倉庫区画の扉を抜けて通路に出ると、外気の温度が一段戻ってきた。

封印保管区画の冷えた空気が背中から引いていく。

歩きながらスマホを取り出して通知を確認すると、浅田からのメッセージが1通届いていた。

送信時刻は鑑定の最中だったらしい。

『先週回収された押収品の中に、以前と同系統の術式痕を持つ護符がありました。真壁さんの鑑定記録と照合させてほしいのですが、近いうちに一度見ていただくことは可能ですか』

文面を最後まで目で追ってから、以前と同系統、という一行にもう一度視線を戻した。

先月から浅田と何度かやり取りしている、汚染絡みの術式痕のことで間違いない。

鑑定記録の照合まで打診してくる以上、向こうも同じ系統と見ている気配がある。

今日の案件はここで一段落する。

次はその護符を見ることになる。

封印物とはまた別の責任がある仕事だ、と思いながら携行ケースに目をやった。

保護幼体は中で身じろぎ一つせず、殻の光も底に沈んでいる。

さっき石板の前で揺れていた強さは、もう残ってはいない。

浅田への返信を打った。

日程の候補を二つ挙げて『可能なら現物の写真を先に送ってもらえると助かります』と添えて送信する。

スマホを上着のポケットに戻し、地上へ上がる階段に向かって通路を歩き出した。