作品タイトル不明
最終話 在り方
麗らかな昼の光が降り注ぐブランシェ侯爵邸の庭園で、セシリアは穏やかなひとときを過ごしている。
私はそのすぐ傍らに座り、彼女の横顔を静かに見つめていた。
────かつての『執事としての距離』ではなく、今は『夫として隣にいる距離』で。
それでも、長年染み付いた習慣というものは簡単には抜けない。
彼女の体調、表情、仕草……私は今でも無意識に観察してしまう。
季節は初夏に入り、暑さが本格的になり始めた。
社交界は間もなく社交 期間(シーズン) が終わり、貴族たちの多くは領地へ戻る準備をしていたが、セシリアは妊娠八ヵ月ということもあり、今年は大事をとって 王都邸(タウンハウス) に滞在することになった。
腹の子ももちろん大切だが、何よりセシリアの身体への負担を考えての判断だ。
ハインリヒはセシリアと話したあの日以来、激痛に耐える日々を送りながら、目に見えて衰弱していった。
……恐らく、もう長くはないだろう。
だが、それも彼自身が選んだ結果なのだ。
まともに機能していなかったレイヴンクレスト王家は、表向きこそ変わらないように見えるが、実質的には帝国の属国のような状態になっていくだろう。
病床の国王に代わり、第一王子が政務を担えるようになるまで、貴族院は王妃を摂政とすることを承認した。
王家派の中には「臣籍降下した先王弟である公爵を国王に据えるべきだ」と声を上げる者もいたが、公爵本人がそれを断った。
「私が王位を継いでも、この国は変わらんだろう……。 先々代から積み重ねてきた不始末の責任を、次代に負わせるわけにはいかん。 ……それに、帝国出身の王妃陛下なら、新しい風を吹かせてくれるかもしれん」
穏やかに、淡々と、そう告げたらしい。
その決定の後、セシリアと王妃ヴィクトリア、そしてアシュフォード公爵夫人シャーロットの三人で、王城にて初めてお茶会が開かれた。
もちろん、私も同席していた。
「上手く事が運べたのは、お姉様のおかげですわね」
「私は大したことはしておりませんわ。 ただ……ヴィクトリア様が信じてくださったからこそ、動けただけですもの。 彼らは他人を蔑ろにし、それが自分たちに返ってきただけ……保身に走り、欲望のまま突き進んだ代償を払っているだけですわね」
セシリアはカップに口を付け、静かに返す。
その横顔は、昔から変わらず凛として美しい。
「先王陛下はどうなさっておりますの?」
「最初は私やお姉様を『裏切り者』と責めておりましたが、少しずつ自分たちの言動を振り返り、今では事実を受け入れてハインリヒの傍についておりますわ」
シャーロットの問いに、ヴィクトリアは扇子で仰ぎながら平然と答えた。
「お姉様は、これからどうなさいますの?」
「どうもしませんわ。 私はただ、変わらず離れた場所から見ているだけ……ブランシェは『何にも染まらず』。 その名の通りですわ」
影を率いて王国の裏側で動くローズウェル家とは対照的に、ブランシェ家は『表』で王国の為だけに存在するということだ。
それは、万が一ヴィクトリアが道を誤った時の抑止力にもなる。
「ふふっ。 セシリア様らしいですわ。 私もアシュフォードをちゃんと機能させるように動きませんと」
シャーロットは困ったように頬へ手を添え、小首を傾げた。
アーサーは公爵家当主として以前よりマシになったが、それでもアシュフォード家特有の『情に厚い』性質は、そう簡単には変わらない。
だからこそ、シャーロットが上手く舵を取る必要がある。
「アシュフォードはシャーロット様がいれば大丈夫ですわ。 今までは公爵家として存在しているだけでしたもの。 お兄様では高位貴族家として機能させることは無理です」
「ふふっ、相変わらず手厳しいですわね。 ですが、そういうところを私はとても頼りにしておりますの。 アーサー様は素直な方ですもの。 私がお支えいたしますわ」
実兄への容赦ない評価に、シャーロットはくすくすと笑った。
「お従兄様は、帝国で何かなさいませんの」
女三人の会話に口を挟まず黙っていた私へ、ヴィクトリアが話を振る。
「特に何もしない。 父上や兄上が協力を求めてくるなら出来うる限りは助力するつもりだが、帝国の伯爵位を持っていると言っても領地も、帝城で役職に就いているわけでもない。 それに、ブランシェ家へ婿入りした以上、今までと変わらずセシリアの傍にいるだけだ」
淡々と答え、セシリアへ視線を向けると、彼女は穏やかに微笑み返した。
その様子にヴィクトリアは呆れたように眉を下げ、「はいはい、相変わらずですわね」と流される。
シャーロットも「ご馳走様ですわ」と、何事もなかったかのように紅茶を飲んでいた。
…………解せん。
仕方がないだろう。
初めて出会った時から、私はずっと彼女に囚われたままなのだから。
──────
帝国でノインと籍を入れ、国王陛下とお話をした後、私たちはレイヴンクレストでも婚姻申請を行いました。
私は王国の貴族ですので、一応王家に承認していただかなければいけません。
その為、ノインはブランシェ侯爵家へ婿入りという形になりました。
もちろん、承認するのはヴィクトリア様です。
これが国王陛下だったら、無駄に帝国との関係を疑われ、すんなりと承認されることはなかったでしょう。
これまで、私が裏で暗躍していたことを『復讐』と捉える人がいることは理解しています。
ですが、私は別に彼らに『不幸になって欲しい』と思っていたわけではありません。
ヴィクトリア様は、私に『好意』を向けてくれました。
だから、私は彼女にとって都合のいい『情報』を渡しただけ。
お兄様は家族として『好意』はあったのでしょうけれど、私にとっては『悪意』でしかありませんでした。
切り捨てるのは当然のことです。
そしてハインリヒ様はクララの言葉だけを信じ、心を移し、王家は長年私の名誉を傷つけておきながら、都合よく利用しました。
その結果として、私はヴィクトリア様の『裏切り』に助力し、王家の罪を暴き、その名に傷をつけたのです。
目には目を、歯には歯を。
好意には好意、悪意には悪意。
彼らが選択したことが、そのまま返ってきただけなのです。
私はただ、それを眺めていただけ。
成るべくして成ったことに、何故、私に関係あるのかしら?
辛いことも、苦しいこともありました。
それでも、信じられる人はいる。
────私は今まで通り、ただ私でいるだけですわ。