作品タイトル不明
閑話〜セシリアside
ヴィクトリア様が出産を迎えられる、少し前のこと。
私はクロンヴァルト帝国の筆頭公爵家であるクロード家を訪れていました。
「ご機嫌麗しゅう存じますわ。 クロード公爵夫人」
「お久しぶりね、セシリア様。 ……いえ、今はブランシェ女侯爵とお呼びすべきかしら?」
扇子を口元に添え、夫人は悪戯っ子のようにころころと笑いました。
その様子に、私は苦笑するしかありません。
クロード公爵夫人は現皇帝陛下の姉君で、ヴィクトリア様の伯母君にあたります。
かつて私が国王陛下と婚約していた頃、公務として建国記念パーティに参列した際、どういうわけか私を気に入ってくださったのです。
お会いする度に「あの王太子殿下と婚約解消したら、うちの息子と婚約するといいわ」と冗談めかして仰っていたほどです。
「それで、今日はどういったお話かしら?」
通された応接室は、帝国の至宝とも呼ぶべき公爵家に相応しい、洗練された趣がありました。
私は、供された紅茶の香りを一度楽しみ、夫人の問いに答えました。
「以前より夫人から『ご子息を私の夫に』とのお話をいただいておりましたが、それは今でも有効でしょうか?」
私の言葉に夫人は目を見開き、動きが止まりました。
「……息子を、受け入れてくださるの?」
「はい。 ただ……ノイン様が『是』と答えてくださるのなら、ですが」
そう言うと、私はいつも通りに背後に控えているノインに視線を向けました。
まさか、自分自身が関係する話だとは思っていなかったのか、夫人と同じように緋色の瞳を大きく見開いて驚いています。
そう、ノインはクロード公爵家の次男なのです。
何代前かの祖母君の隔世遺伝で『緋色』の瞳を持って産まれた彼は、心ない貴族たちから『不義の子』と疑われ、更にその鮮やかな色から『呪われている』『不吉』だと根も葉もない誹謗中傷を受け続けました。
家族の愛はありましたが、幼いノインの心は深く傷付き、環境を変える為に公爵閣下の『親しい友人』であるローズウェル侯爵家へと預けられたのです。
「どうかしら?ノイン。 私としては、貴方以上に私を理解してくれて、心許せる殿方はいないのだけれど」
「……私で、いいのですか? この瞳のせいで、貴女まで呪われたと言われるかもしれませんよ……」
珍しく弱気な問いに、私は胸を張って微笑みました。
「あら、私は既に国中で『悪女』だと嫌われていたのよ? 今更、不評が一つ増えたところで、私の名にこれ以上傷が付くことなどないわ」
私の言葉に、ノインは今にも泣き出しそうな、それでいて幸せに満ちた顔で微笑み返しました。
そして、すぐに顔を引き締め直し、私の傍らに膝を突き、手を差し出しました。
「……私から言わせてください。 セシリア・ブランシェ侯爵。 初めて会った時……私の瞳を『美しい』と言ってくださったあの日から、貴女は私の唯一でした。 ……願わくは、貴女の夫として、死が二人を分かつまで共に歩ませていただけませんか?」
「ええ。 私の唯一として、誰よりも私の近くにいてくださいませ」
差し出された手を取ると、ノインは歓喜に顔を綻ばせ、私の隣へ座るなり強く抱き締めました。
私もそっと彼の背に手を回し、瞼を閉じて、その幸せを噛み締めます。
……もっとこのままでいたいところですが、目の前には彼の母である夫人がいます。
『そろそろ離して』と彼の背中を軽く叩き、合図しました。
渋々と腕を緩めたノインの不満げな表情に、思わずくすっと笑みが溢れます。
再び前を見ると、夫人は両手で顔を覆い、肩を震わせていました。
私はノインの顔を見上げ、小さく頷くと、彼は夫人の隣に座り直して、その体を優しく抱き締めました。
「母上……長い間、ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
「いいのよ……私も旦那様もあなたが大切なの。 あなたが幸せなら、それでいいのよ」
約十年。長く離ればなれだった息子との再会です。
ローズウェル侯爵家で生活を始めた時から正体を隠していましたが、私の都合で更に明かすことが出来なくなりました。
本人は私の傍にいることに抵抗はないようでしたが、やはり家族に連絡を取れないことは気がかりだろうと、夫人にお会いする度に、私がノインの様子を密かに報告していました。
「ごめんなさいね、湿っぽくなってしまったわ。 セシリアさん、とお呼びしてもいいかしら? ノインの妻になるなら、あなたも私の義娘だわ」
「ええ、ぜひ。 私もお義母様とお呼びしても?」
「もちろんよ」
お義母様は少し目元を赤くしながら、満面の笑みを浮かべます。
「それで、どうするの? あちらの国で籍を入れてしまったら、国王陛下に露見するのではなくて?」
「それなのですが……こちらで籍を入れようかと思っておりますの」
私の言葉にノインは一瞬、目を見開きましたが、さすが長年傍にいただけあって、すぐに私の意図を理解したようです。
「……確かに私の籍は、まだクロンヴァルトにありますからね。 こちらで籍を入れてしまえば、国王陛下にバレることはないでしょう」
「そうね、ヴィクトリアの方もまだ終わっていないでしょう? なら、余っている伯爵位があるからノインが継承なさい。 領地はないし、当主同士の婚姻にすれば、あちらの国に介入される隙もないでしょう」
さすが皇姉です。決断の早さは驚異的でした。
その場で婚姻届に魔力を込めた署名をすると、お義母様は風のように帝城へ向かわれました。
爵位の移譲が済み次第、そのまま教会に提出してくるそうです。
後で、国王陛下に報告を上げないよう教皇猊下にお願いしておきましょう。
特に隠すつもりはないので、記録を開示すれば『知る』ことは出来ます。
まあ、何かない限り、わざわざ調べることはないでしょうけれど。
相当に皇帝陛下の尻を叩いたのでしょうか……普通では考えられないほどの早さで、私とノインの婚姻は成立しました。
夜にはお義父様とお義兄様も帝城から戻り、家族総出で私たちの門出を祝ってくれました。
「セシリアさん、息子を救ってくれてありがとう。 ローズウェル侯爵からも聞いていたが、息子が立ち直ったのはあなたのお陰だ」
「ああ、私からも礼を言わせて欲しい。 本当にありがとう。 弟をよろしく頼むよ」
お二人の言葉に、私は首を横に振りました。
「いいえ。むしろ、救われたのは私の方です。ノイン様がいなければ、私は潰されておりましたわ」
私たちは互いに、互いを必要としていたのです。
ある意味、『運命』で『必然』だったのでしょう。
「……父上、兄上。そろそろ、セシリアを返してください。ようやく私だけのものになったのですから、遠慮してください」
後ろから抱き締めてくるノインの声は、いつもの完璧な執事のものではなく、一人の男として、独占欲に満ちた甘いものでした。
初めて向けられたそれに、胸が何だかくすぐったくなりました。
私たちは正式な夫婦となり、翌日にはレイヴンクレストへ転移しました。
新しい家族との、再会の約束を残して⸺⸺。