軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピソード 4ー1

新たな聖女が誕生したという噂は、瞬く間に王都に広がった。歴史的に見ても珍しい聖女の再誕。これには噂を聞きつけた人々が大いに沸いた。

そして、同時に発表されたのは、その聖女がウィルフィード侯爵家の娘だという事実。養女という事実はあえて語られず、娘であるという事実だけが広められる。

人々はみな、ウィルフィード家の台頭を予感した。

実際、聖女という存在には、それだけの影響力があった。すぐに国内の有力貴族から、ウィルフィード家の子供達に対する見合い話が山のように届けられる。

そんな中、ウィルフィードはある会議の場で、聖女とジークベルトの婚約を提言した。

ここまでは、回帰前とほぼ同じ展開。

そして、回帰前のジークベルトはそれを疎ましく思った。

ウィルフィードの目的はジークベルトを傀儡の王にすることで、彼の養女である聖女とジークベルトの結婚は、その流れを加速させることになるから。

なにより、回帰前のジークベルトは、そのような正統性を手に入れるまでもなく、第一王子派を押さえ込むだけの力を有していた。

だから、アリアドネが邪魔な聖女を暗殺することになった。

けれど、回帰後は事情が異なる。

真の王族の証を持つアリアドネはアルノルトと婚約し、ウィルフィードとの関係にも亀裂が生じている。アリアドネに出し抜かれたことで、いまの彼は劣勢に立っている。それこそ、ウィルフィードに傀儡にされる危険を冒しても、聖女を欲する程度には。

聖女の存在は、ジークベルトが望んでやまなかった、正統性の象徴だったのだ。

だから、ジークベルトはウィルフィードの提案を受け入れる方向で動き始めた。ジークベルトと聖女の婚約が平民の間で噂されるようになる。

そして、それは――

「ようやく、私の蒔いた種が芽吹いたわね」

アリアドネの思惑通りだった。

――数日後。

アリアドネが訪ねたのは王城だ。

応接間でカルラがアリアドネを出迎えた。いつぞやと同じようにカーテシーをするアリアドネに対し、カルラは自分の向かいにあるソファに座るように勧める。

向かい合って座る二人。

アリアドネは笑顔。アメシストの宝石眼を爛々と輝かせ、けれど青みがかったプラチナブロンドに縁取られた小顔には自然な笑みを浮かべている。

対してカルラも笑顔だ。ブロンドの髪に縁取られた美しい顔に静かな笑みを湛え、けれどそのエメラルドの瞳は油断なくアリアドネを睨み付けている。

互いになにも言わず、背後に控える侍女も固唾を呑んで状況をうかがっている。

そんな中、カルラがおもむろにローテーブルの上に置かれたティーカップを手に取った。そうして紅茶を一口飲むと、その顔に張り付かせた笑みを深める。

「……今日は、ジークベルトの婚約祝いにでも来てくれたのかしら? 聞いたわよ? 本当はあの聖女、貴女が確保しようとしていたんですってね?」

軽い挑発だがアリアドネは答えない。

彼女もまた紅茶を口にして――それから悲しげに目を伏せた。

「確保しようとしたのは事実です。ですが、ウィルフィード侯爵に先手を打たれてしまいました。ですから……その件は残念と言うほかありませんわ」

「まさか……敗北を認めるつもり?」

そう問いかけるカルラの顔には、あり得ないという想いが滲んでいた。アリアドネがそれほど与しやすい相手なら、自分がこれほど苦労するはずがないから――と。

そして、そんなカルラの予感は的中していた。

アリアドネはとても寂しげにこういった。

「だって、このままでは、お兄様が破滅してしまいますもの」――と。

カルラはピクリとその身を揺らした。

それから、ことさら静かにティーカップをソーサーの上に戻す。それでもカチャリと音を立てながら、カルラはアリアドネを見つめた。

「……それは、どういう意味かしら? たしかに、ウィルフィード侯爵はジークベルトを傀儡の王に仕立て上げようとしているわ。けれど、彼だってすべてを支配できるとは思っていないわ。互いに妥協点を見つけるはずよ」

言い方は悪いが、ジークベルトとウィルフィードの共同統治に近い形。そんな屈辱を受け入れてまで、彼らはアリアドネに対抗しようとしている。

それだけ、アリアドネを強敵だと認めているのだ。

だが――それでもなお届かない。

「ジークベルトお兄様が聖女を娶れば、次期国王としての正統性を手に入れることになるのは事実です。そうすれば、アルノルト殿下にも届くでしょう」

「ええ、その通りよ。そうして五分にまで持っていけば、後は……分かるでしょう?」

現国王はラファエル。

カルラの夫にして、ジークベルトの父親だ。

アルノルトとジークベルト、どちらを次期国王にするか迷っているのなら、二人の立場が対等になった時点で、ジークベルトを選ぶ可能性は高い。

だけど……

「だけどそれは、噂の聖女が本物ならの話ではありませんか?」

「……なにを、なにを言っているの? 神殿が聖女は本物だと認めたのよ?」

アリアドネはその答えの代わりに、侍女に向かって合図を送った。アシュリーが報告書をカルラの侍女に手渡す。それを侍女から受け取ったカルラは、その中身に目を通した。

そこに書かれていたのは、ウィルフィードの親戚が魔物の死骸の除去を意図的に遅らせ、疫病を流行させた可能性を示すレポートだ。

だが、カルラはその内容を一蹴する。

「馬鹿馬鹿しい。ウィルフィード侯爵の親戚が癒着でもしていたのでしょう。それはたしかに怠慢だけど、意図的に疫病を引き起こしたとは言えないわ」

そう言いながら、カルラは少しだけ笑みを浮かべた。その弱みを使って、これからなにかと介入しようとしてくるウィルフィードを牽制できると思っているのだろう。

だけど、再びページをめくったカルラは目を見張った。

「聖女と称されている女性は、実際は浄化のポーションで患者を救っていた? あり得ない。それほどの数の浄化のポーションを、あのタイミングで用意できるはずが――っ」

浄化のポーションは日持ちがしない。疫病が流行した時点で、それを押さえ込むほどの数を用意するには、疫病の発生前から生産するしかない。

だがそれは、疫病の発生を予知していなければ不可能だ。そこから逆説的に考えて、疫病は意図的に引き起こされたと言うことになる。

では、なんのためにそんなことをしたのか?

その答えは、ウィルフィードの行動が示している。

「偽の聖女を作り上げ、ジークベルトを傀儡の王にするため……」

婚約してからその事実が明らかになれば、ジークベルトは大きなダメージを受ける。それを防ぐ手段は、一生を掛けて聖女が偽物である事実を隠し通すことだけだ。

つまり、ジークベルトは傀儡の王になるしか道がない。

それが、ウィルフィードが計画を立てた理由。すべての証拠が、その答えを示していた。だからこそ、カルラはアリアドネに畏怖の視線を向けた。

「貴女は……」

カルラは喉元まででかかったセリフを頭を振って飲み込む。それからぎゅっと目を瞑り、凪いだ瞳でアリアドネを見つめる。

「貴女は……どうするつもり?」

「答える必要がありますか?」

ジークベルトと聖女の婚約が発表された直後に暴露する。そうすれば、ウィルフィードとジークベルトの名声は地に落ちるだろう。

「そうね。貴女がこの機会を逃すはずがないわね。でも、だからこそ分からないわね。婚約式が終わるまで黙っていれば、ウィルフィード侯爵だけでなく、ジークベルトも大きな痛手を受けるはず……っ」

はっと目を見張るカルラに対し、アリアドネは小さく笑った。

婚約後に公表しても、ジークベルトの致命傷にはならない。

なぜなら、ジークベルトとウィルフィードがともに被害者となり、その被害を最小限に抑えようと結託することは明白だからだ。

そうして手負いとなった二人は、アリアドネという強敵を前に結束を深めることになる。死に物狂いでアリアドネを潰そうとする二人は厄介だ。

だから、アリアドネはそれを避け、ウィルフィードを仕留める策に出た。

「さぁ、カルラ王妃殿下……運命の選択権は、貴女の手の内にありますわ」

ここでウィルフィードを糾弾すれば、ジークベルトは無傷でいられる。それどころか、疫病を引き起こした罪人を罰した英雄になれるだろう。

強力な味方の一人を失うことにもなるが、その力の多くは吸収することが出来る。

対して、ウィルフィードを庇えば、婚約後にアリアドネから糾弾されることになる。

その場合はジークベルトにも被害が及ぶことになるが、ウィルフィードに大きな貸しを作り、彼を本当の意味で味方に従えることが出来る。

という二択――ではない。

「私がウィルフィード侯爵を庇えば、私が事前に知っていたことも公表するつもりね?」

アリアドネは微笑んだ。

この訪問は公式のものだ。その際に偽聖女の件を伝えていたけれど、カルラはそれを自分達の利益のために握り潰そうとした――と公表する。

そうなれば、ジークベルトの被害はより大きくなる。

「だけど……妙ね。貴女なら、ジークベルトとウィルフィード侯爵の両方をもっと追い詰める策も選べたはずよ。それなのになぜ……」

カルラは疑問を口にして、それからその瞳に理解の色を浮かべた。

「……そう。貴女の狙いは最初からウィルフィード侯爵だったのね」

「ご明察ですわ」

「ふぅん? 参考までに聞きたいのだけれど、彼に個人的な恨みでもあるのかしら?」

もしそうならと、カルラの瞳が妖しく光る。交渉材料に使える――とそう思ったのだろう。そして、それはアリアドネが願ったとおりの展開だ。

「実は、復興させて欲しい男爵家がございます」

「……そう、聞いたことがあるわ。ウィルフィード侯爵が妾に迎えようとした娘に逃げられ、その腹いせにある男爵家を潰した、と。たしか……カント男爵家だったかしら」

カルラがその話を知っていることに、アリアドネは少しだけ目を見張った。

「ええ、その男爵家です。ウィルフィード侯爵が断罪された暁には、その領地が割譲されるはずです。その土地の一部を使って、カント男爵家を復興させてください」

「……その見返りは?」

「ウィルフィード侯爵を破滅に追い込むための証言なら、積極的にいたしますよ?」

そう言って無邪気に笑う。

ジークベルトがウィルフィードを断罪した正義となれるように支援する。

その言葉の裏には、その要求を呑まないのなら、ジークベルトが被害を受けるように立ち回るという脅しが含まれている。

「……いいでしょう。取引は成立よ。……契約書が必要かしら?」

「その手には乗りませんよ」

契約書を作ると言うことは、裏取引があったという証拠を残すことだ。どのような形であろうとも、偽聖女の件に関わっているという証拠を残す訳にはいかない。

「では、私のことを信用する、と?」

「ええ、もちろん。信用はいたしますわ。利害が一致している限り」

「……信じられるのは互いの利害だけ、ということね。その歳でそれを理解して、周りの者を手玉に取るなんて、どこまでも恐ろしい娘」

カルラはそこで言葉を切り、すぅっと目を細めた。

「アリアドネ。まえにも聞いたことをもう一度聞くわ。どこから、貴女の計画なの?」

その問いかけに、アリアドネは少しだけ笑みを深めた。

ウィルフィードもまた、アリアドネの罠にはまった被害者である。その事実に、カルラが気付いているのだと、いまの言葉から察したからだ。

だが、たとえそうだとしても結果は変わらない。

「ならば私も、あのときと同じことを申しましょう。もう、忘れてしまいました、と」

クスリと笑った。

カルラには、欠片も情報を与えてはならない。勝利してなお油断の欠片もない。そんなアリアドネをまえに、カルラは思わずため息を吐いた。

「……本当に、憎たらしいほどに優秀ね。貴女を味方に引き入れることが出来たのなら、きっと心強く思えたでしょうに……」

「……そうですね。それはきっと、悪くない日々だったと思います」

回帰前、母を失って途方に暮れるアリアドネを導いてくれたのはカルラだった。彼女が権謀術数の基礎を叩き込んでくれたから、いまのアリアドネが存在する。

回帰前の歴史が消えたとしても、その事実だけは変わらない。

アリアドネは失われた歴史に想いを馳せ、少しだけ哀愁を漂わせた。