軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

61話 勇者はお風呂で思い出を語る

ぴちゃんと音がした。

天井から水滴が一つ落ちた音だ。

広がる波紋をじっと見つめながら、私は温かいお風呂に入っているはずなのに寒気がするような気がしていた。

私はティセ。

アサシンの加護を持つ、勇者ルーティ様の友達だ。

現在、私はお風呂に入っている。

何を隠そう私は暗殺者仲間からは、浴場レビューアー・ティセと呼ばれているお風呂好きだ。

私が様々な都市の公衆浴場や、温泉地、宿場街の浴場施設など仕事の合間に記録したレビュー帳は、今では暗殺者ギルドのメンバーが遠出する計画を立てるときの必携の書として重宝されている。

荒んだ暗殺稼業には潤いが必要なのだ。

まぁ裸になる浴場というのは絶好の時間でもあるので、武器の保管位置、逃走経路などお仕事の目的にも使えるちゃんとした本なのだ。

そうした本を書くくらいお風呂好きの私の目からみて、このお風呂は……高得点だ。

まず、家庭用だというのに浴槽が2つあるのがポイントが高い。

私が今入っている壺型のお風呂は、自分の空間を大切にできるお風呂だ。

社会というのはコミュニケーションを要求する世界だ。暗殺者といえども例外ではない。むしろ、毎回違う自分を演じながら都市に潜入したりする暗殺者こそ、コミュニケーションのストレスにさらされる職業なのだ。

いつ何時たりとも気軽に喋ることなど許されない。自分が何を話そうとしているのか、それによってどのような影響があるのかを常に意識し、コミュニケーションをコントロールしなくてはならない。

それはとても疲れる。

暗殺者の中には、殺しの腕は確かなのに、コミュニケーション能力に難があるため、いつまでも出世できない先輩が沢山いた。

私は師匠から仮面の被り方を叩き込まれたため、どんな人物像にでもなりきることができる。

だけど別に自分を偽ることを好んでいるわけじゃないのだ。

つまるところ、私はこうして自分専用の湯船に浸かり、壺という敷居の中をティセ・ガーランドという自分で満たすことに意外なほど幸福感を感じている。

パイプで温めているというのもいい。

外で風呂を炊いている人間がいると、どうしてもその人のことを気にしてしまう。

だがこのお風呂では少し外に出てバルブを調整するだけでお風呂の温度を変えられるのだ。

「☆を4つ。惜しむらくはこのお風呂結構深くて私が座ると口までお湯が来てしまうこと」

私の言葉はブクブクとした音となって、誰にも伝わらなかった。

私の身長は小さい。強力なパワーよりも背後から急所に鋭い一突きをいれる戦い方をする私にとって、小さい体は有利なのだが、私生活では不便なことも多かった。

うげうげさんは浴場の湿気に惹かれた虫を捕まえて食事中だ。

前足でしっかりと餌を抱きかかえ、美味しそうに食べているその姿を見ているとほっこりする。

はぁ、現実逃避はやめて目の前の状況を直視しよう。

いや別に何か問題が起きているわけではない。

一つの湯船に勇者ルーティ様とリットさんが入っているだけだ。

これまで私は間近でルーティ様を見てきて思ったのだが……ルーティ様は兄のギデオンさんのことが好きだ。それもベタ惚れレベルで。

だがギデオンさんとリットさんは相思相愛。ひと目見ただけでラブラブだと分かる。

そしてギデオンさんにとってルーティ様は最愛の妹に過ぎない。リットさんへの好きとは種類が違うと思う。

「いいお風呂でしょ?」

「うん」

向かい合って話す2人の会話は弾まない。

さっきからルーティ様はじっとリットさんから視線をそらさず、リットさんに言葉短く応じていた。

よくリットさんはあの状況に耐えられるものだ。

たとえルーティ様に悪意が無くとも、勇者と正面から向かい合うなど、並の胆力では耐えられ無さそうなのに。

ルーティ様の友達になった私も、正面よりも隣にいる方がずっと楽だ。

それに今のルーティ様が、リットさんに一切悪意がないとは言い切れない気がする。

万が一にでも間違いが起こらないように、一応念のため私もこうして一緒にお風呂に入っているのだ。

「リットさん」

ついにルーティ様から声をかけた!

私はドキドキしながら、いつでも飛び出せるよう身構える。

あくまで念のためにだ!

「なに?」

「リットさんはもうお兄ちゃんと一緒にお風呂入ったの?」

いきなりツッコんできた! 怖い!

「ええ入ったわよ」

容赦なく切り返した! 怖い!

二人の間に不穏な空気が漂っている気配はない。

ないのだが、恋というのは人を殺す動機になりえると、暗殺者として人が人の死を望む状況を嫌というほど見てきた私にはよく分かっている。

「私も入った。ずっと昔のことだけど」

「レッド……ギデオンの小さい頃ってどんなだったの?」

「今と変わらない」

「成長してないってこと?」

「違う。お兄ちゃんはいつだってカッコよかった」

ルーティ様は少し目を伏せた。

よく見ると、頬を赤く染めている。

「私、昔は弱かった」

「本当? 今のルーティを見たら信じられないわね」

「本当。私の最初の戦いは、村を襲ったオークの略奪部隊ということになっているけど、違う。最初は、近くの山で迷子になった子供を探しに行った時」

「迷子の子供?」

「私は5歳だった。私だって小さな子供だった。でも私は勇者だから無視できない」

「加護の衝動ね……」

リットさんは真剣な顔をしてそうつぶやいた。

加護の衝動はこの世界に生きる人々共通の悩みだろう。

加護の望む人生を送るか、それとも加護に逆らい自分の人生を送るか。

多くの人は加護の望む人生を送る。衝動に逆らい続けるのは辛いことだし、加護の望む人生を送るためのスキルを加護は与えてくれるからだ。

だがそれが本人の望む人生とは限らない。

ちなみに私はアサシンの加護がなければ人殺しにはならなかっただろうが、奴隷として酷い人生となっていただろうから、実は加護を恨んだりはしていない。

私がそんなことを考えているうちに、ルーティ様は、勇者の最初の冒険について、いつになく 饒舌(じょうぜつ) に語り始めていた。

☆☆

あの日、私の友達でもなんでもないその子は、冬が明けて冬眠から這い出た空腹の動物達が餌を求めて歩き回る山に行って迷子になった。

基本的に子供が山に遊びに行くのは禁止されていた。

だが木の実などおやつになるものも多く、単純に山という遊び場に夢中になる子供は多いため、大人の目を盗んで遊びに行く子供達は後を絶たない。

それでも、冬から春先にかけては危険だから入らない分別程度はある子がほとんどだった。

その女の子には、そうした分別は無かったのだ。

そして私の加護にも、仕事を終えた大人たちが集まり、迷子になった子供を探しに行くまでの間、事態を静観するという分別など無かった。

お兄ちゃんはその日、どこかへ出かけていた。

私は他に頼れる人も無かった。

父さんも母さんも、この時期の山に入れるほど強くはない。

危険と分かっていても、私が行かなければならないと、加護が私を追い立てた。

山にはまだ僅かに白い雪が残ってた。

川の音がゴウゴウと聞こえているのは雪解け水のせいだろう。

5歳の私にとって、モンスターも動物でさえも致命的な相手だ。

手にしているのはナイフが一本。

夕闇が迫る中、私はあの子の名を叫びながら、同時に山の脅威に囲まれないよう移動し続けていた。

遠くでオオカミの吼える声がする。がさりと何かが茂みを揺らす。

大きな気配がして振り返ると、馬の腹ほどの太さで全長14メートルにもなる長大な胴体を持ち、しかも尻尾にも頭のある蛇、アンフィスバエナと呼ばれる魔獣がぎょろりと4つの黄金色の瞳で私を睨んでいた。

だが私のような小さな獲物を食べようとは思わなかったのか、興味なさげに視線を外すと、波打つような動きで音も立てずに移動していった。

普通の子供なら鉄の勇気も溶かされ、悲鳴をあげて逃げ出していただろう。それが自然だ。

だけど私は恐怖を感じない。

ただ脅威が去ったと認識し、この危険な冒険を続ける他なかった。

2時間ほど探していただろうか。

辺りがすっかり暗くなった頃、ようやく私はその子を見つけた。

帰り道が分からなくなったその子は、暖かそうな洞穴を見つけ、その中で泣いていたらしい。

近くの木にはここが自分の縄張りで、入った者は無条件で攻撃することを示す爪跡がある。

洞穴からは強烈な獣臭がしている。

もし知覚スキルがあるのなら、奥に潜む巨大な存在に気がついただろう。

すでにこの子は魔獣“アウルベア”に餌とみなされていた。

アウルベアはフクロウの頭に 灰色熊(グリズリー) の身体を持つ怪物で、山の食物連鎖の頂点に立つ。

さきほどの双頭のアンフィスバエナだって、アウルベアにはかなわない。

すぐに食べられるはずのその子を殺さないのは、どこかで食事を終えていたからだと思う。小腹がすいた時に食べようとでも思っていたのだろう。

その子は縄で縛られているわけではない。だがもし洞穴から出ようとすれば、アウルベアはすぐに飛びかかり、その子の足を折るだろう。

今殺さないのは、人間の子供が簡単に死んでしまうことを知っているからだ。

できるだけ新鮮な状態で食べるために放置している。

何か普通じゃない加護を持っていたのだと思う。

ただのアウルベアより狡猾で残虐だった。人間の子供を食べるのはこれが初めてではないはずだ。

私は勇者の加護を持っているといってもレベル1、身体は子供。

相手は加護レベル15程度はないと倒せないと言われるアウルベアだ。

実力差は明らかだった。

でも見捨てるということもできない。これが勇者の加護の欠陥だろう。

加護は死を恐怖せず、生存よりも勇者であることを優先する。

今なら魔王を討伐するという大目標のために必要ならば、目の前の人を切り捨てるという選択ができるが……このときは、彼女を助けるというのが一番の目標であり、私は死んでも彼女を助けなくてはならなかった。

それに、そもそも、そんなことを考えるまでもなかった。

私の姿を見つけたその子は、大声で私の名前を叫び、泣きながら駆け寄り、すべてを洞穴の中のアウルベアに伝えたのだから。

「グオオオオオオ!!!!!」

唸り声をあげてアウルベアが飛び出してきた。

私はナイフを抜いて逆手に構える。

勝ち目は薄氷よりも薄い。だが勝てなければ死ぬだけだ。

チャンスは一度。

走ってきたアウルベアは私目掛けてその爪を振り下ろした。

アウルベアは爪で相手を引き裂き、押さえつけ、そのくちばしで致命傷を与える。

それがアウルベアの典型的な戦い方だ。

その速度は私の回避能力を遥かに上回っていた。

だから、私は左手を自分の胸に当て、その一瞬を待つ。

「きゃああああああ!!」

私が引き裂かれたのを見て、私より年上のその子はただ悲鳴をあげた。

「癒しの手」

だが引き裂かれたはずの私は無傷だ。

スキル:癒しの手で引き裂かれた瞬間身体を治療したのだ。

私のレベルでは今の一回で、癒やしの力をほぼ使い切ってしまう。

だが、チャンスはここしかない。

攻撃したはずの相手が無傷であったことは、アウルベアにとっても予想外だ。

虚を突いた私は、逆手に持ったナイフをアウルベアの左目に叩きつけるように突き立てた。

アウルベアは痛みで悲鳴をあげた。

(浅い……)

だが、私のナイフは眼球を貫いただけだった。

深い傷だ、この傷が原因でいずれアウルベアは倒れることになるかもしれない。

だがこの場で行動不能になるほどの致命傷を与えるためには、刃が脳まで達する必要があった。

ドンと音がして、私の身体が宙を飛んだ。

アウルベアが振り回した腕が当たったのだ。

当たったのは爪でなかったので、即死は免れた。

私の身体はゴロゴロと地面を転がり、ようやく止まる。

それだけで全身の至る所が傷つき、私は立ち上がることすらできなくなっていた。

(ここまでね)

最善は尽くした。仕方のないことだ。

加護もそれを認めているのか、立ち上がって死ねとまでは主張しなかった。慈悲深くも最後は横たわったまま死ぬことを許してくれるらしい。

どうせ生きていても、親しくもない人のためにこうして痛い思いをするんだ。

どうせ生きていても、痛い思いをしても気味の悪い子供だと陰口を言われるんだ。

どうせ生きていても、気味の悪い子供に都合の良いときだけ助けを求めて、終わったら何も返してくれないんだ。

もう十分だ。生まれてきてから5年。

物心がついてからならもっと短い。

だけどそれは、まだ絶望耐性を持っていなかった頃の私にとって、人生に絶望するのに十分過ぎるほど時間だった。

だけど、1人だけ。

1人だけ、私に助けを求めない人がいた。

私が助けて欲しいときはいつだって助けてくれる人がいた。

私を可愛い妹だと愛してくれる人がいた。

他のすべてなら捨てたって惜しくない。親も、故郷も、世界でさえも。

でも、お兄ちゃんに会えなくなるのだけは……嫌だ。

そう思った時、その言葉が思考になるより早く、自然に口から出た。

「お兄ちゃん助けて!!」

白刃が雷光の如く走った。

隻眼となり死角となったアウルベアの左側から突き出された剣は、アウルベアの分厚い筋肉の鎧を貫いて心臓を破壊し、700キロもある巨体を一太刀で絶命させていた。

「ルーティ! 大丈夫か!」

その人は、アウルベアを倒したことを誇ることもせず、その偉業を 一瞥(いちべつ) することすらなく、怪我をした私の身体を見て自分のことのように悲しそうな顔をした。

「大丈夫、お兄ちゃんが助けてくれたから」

だけど私は痛みなんて気にならなかった。

目の前にいるその人が、私が苦しい時にいつでも側にいてくれるから。

その後、私はお兄ちゃんに背負われ、無事に山を降りることができた。

後から聞いたけれど、お兄ちゃんがコモンスキルのマスタリー能力に気がついたのは、いつでも私の元に駆けつけられるように移動速度のあがる、快速スキルを最優先で上げたからだそうだ。